第31章・日の降る町
唖倉浪才の死から1か月――。一時期は報道陣が駆け付けて賑わった町も、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
夕方、黒いジャンパーに身を包んだ男が山道を歩いている。唖倉浪才の墓に向かうためだ。その場所は魅月町と隣町の境にあり、東を見ると魅月町の街並みが、西の空を見ると夕日が見える。もっとも、今は空を厚い雲が遮っている。
男が目的の場所に辿り着く。すると、真新しい墓のまえに誰かがいた。見慣れた白い髪、そして同じく真っ白のコートを着た少女が。
「あ、ヨキ」
「スーコ。来てたのかよ……。お前、まだあの家に住んでんのか?」
「うん。ウチにとっては、”じぃ”と一緒に暮らした家の方が実家みたいなもんだしね」
「……親はなにも言わねぇのか?」
男――夜季は脇に抱えた長方形の箱を下ろす。
「なに、それ」
「……手ぶらで来るのもなんだと思ってよ。かといって花なんてこのジジィには似合わねぇし、どうせなら俺にしか出来ないものを持ってきた」
箱を開け、布で包まれた平べったい長方形のものを取り出す。夜季がその布を外すと、雛子が感嘆の声をもらした。
「うわぁ……スゴい。それヨキが描いたの?」
「おう。これ描くのにひと月もかかっちまった」
草原の中に立つ銀の毛色をした狼の絵。その瞳は穏やかで、周りには蝶が飛んでいる。
「俺なりに、アンタのことを絵にしてみたんだけどよ。アンタが気に入らなくても一応、ここに置いておくぞ」
夜季は額に入った絵を墓前に供えながら、そこに”じぃ”がいるかのように話しかける。
「……それと、一つ朗報だ。暮越の弟が元気になったってよ。この間暮越が実家に戻って顔見せたら、すぐによくなったんだとか」
つい先日のニュースを報告する。
そう言って、夜季は身震いする。かなり冷え込んできたようだ。
「寒くなってきたねぇ……あっ」
雛子の声に反応して空を見る。
「おぉ?」
「わ〜スゴい! 雪だっ!」
魅月町には珍しい、ハッキリとした雪が降ってきた。
「スゴい、スッゴ〜いっ! ほら、ヨキっ!」
「子どもかよお前は……」
夜季は呆れるように言い、再び体を震わせる。
「寒い? ヨキ」
「……少しな」
その答えを聞くと同時に、雛子は夜季の胸に飛び込んだ。
「お、おいっ、スーコ……」
「んん……」
胸板に頭をこすりつける。その白い髪に、静かに雪が溶け込んでいく。
「ねぇ、ヨキ。……結局、プロの画家さんに弟子入りするって話、どうなったの?」
「……色々考えたんだけどよ。受けることにした。卒業したら即修行の旅に連れてってくれるんだってよ」
「旅? どっか遠く行くの?」
「ああ……。日本の色んなところ巡って、色んな景色を描かせるらしい」
「へぇ……。行っちゃうんだぁ……ヨキも……遠くに」
少し、悲しそうな声だった。しかし、このことは雛子自身も覚悟していたことだった。
雛子が夜季の背中に腕をまわし、抱きしめようとした時――
「あっ! おい、スーコ! あれ見ろっ!」
突然雛子を突き放し、夜季は西の空を指さした。
厚い灰色の雲が、天への道を開くかのようにバックリと割れ、そこから赤く燃える塊が顔をのぞかせた。
「あれ、夕日? わっ後ろ、町の方も見て!」
雲の裂け目から差し込んでくる陽光が、舞い降りてくる雪をオレンジ色に染め上げる。雪と太陽。相反する二つの気象が重なり、光の粒が町中に降り注いだ。
「キレイ……」
「スゲェ。あり得んのかよ、こんなこと……」
夕焼けは二人をも紅く包んだ。
幻想的な景色の中、雛子は夜季の腕のすそをつかむ。
「ロマンティック……てやつだよね。これ」
「ああ」
「そんじゃ……」
雛子は背伸びをし、出来るだけ顔を近づける。
「言っちゃおうかな……このチャンスに」
微笑む唇から、言葉が発せられる。
「ウチ……ヨキのこと好き……」
互いの息遣いが聞こえるほど静かな空間で、その言葉は夜季の耳に届いた。
「っ……」
「ウチは、好き……。ねぇ、ヨキは……?」
雛子は目を閉じ、今度はしっかりと夜季の体を抱きしめる。その髪も、ほんのりとオレンジ色に輝いている。
鳥の声すら聞こえない、静かな世界だった。夜季も黙って雛子の体を抱きしめた。
二人の肩に雪が積もりかけた時、夜季が口を開いた。
「俺は……」
「俺は?」
雛子が胸に顔をうずめたまま聞き返す。
「俺は……その……描きたい」
「描く?」
「今の、この景色を描きたい」
夜季の目は、紅い雪の降る魅月町を捉えていた。
「……ウチへの返事は?」
「……あとで、だ」
「ちょっと、あとでってなに!?」
雛子が怒った顔で夜季を見るが、それより一瞬早く夜季は体を放していた。
「この景色を忘れねー内に、早く描きたいんだよ!」
そう言いながら夜季は空箱を拾い、走って山道を下って行く。
「こらぁ〜っ! 返事するの誤魔化すなぁ〜!」
雛子もその後を追って走る。
「せっかくウチが告白したんだからこの場で返事しろ〜!」
「あのジジィの側でそんなこと出来るか! 絵が出来てからだっ!」
二人は笑いながら斜面を駆け下りて行く。すぐに雛子が追いつき、腕をからめながらも二人は走り続けた。
山を下り切った時、夜季はさっきまでいたところを見上げて心に誓った。
(俺は俺のやり方で、こいつを幸せにしてやる。だから、アンタはもう休んでいい。それと――)
最後の一言だけ、口に出す。
「ありがとうな。ジジィ」
それを聞いた雛子も真似をする。
「ありがと。じぃ。キレイだったよ……」
雲の割れ目がゆっくりと細くなっていき、やがて完全に閉じた。
誰もいなくなった墓に、白い雪が降り積もる。その墓前に飾られた絵の中では、狼が笑っているかのように見えた。
狼は、決して一匹ではなかった――
こんにちは。徳山ノガタです。
長かった【雪】も、次回でいよいよ最終回です。どうか最後までお付き合いください。