第29章・聞きたかった言葉
いつの間にか、月が雲に隠れていた。明かりが薄れると一層寒さが増したように感じる。
「スーコ……あいつ……」
「あれの言うことはちぃっとメチャクチャなところがあるが、かえって功を奏したな。お前さん達と出会えて、ワシは楽しかった。だが……」
「だが?」
「最後の最後、肝心なところでワシはしくじったな。妙な胸騒ぎを感じて無理に学校に出向き、お前さんと暮越の闘いにいらん茶々を入れた」
あの卓球部室に”じぃ”が訪れた理由。それは「虫の知らせ」というものだったらしい。
「その後の講演もだ。勝手に気を利かせて、逆にスーコに心配をかけてしまった」
「……気付いてたのか? アイツが……」
「泣いたそうだな。ヨキ。お前さんの腕の中で」
「……っ」
夜季がそのことを思い出して顔を赤くする。
「ワシが余計なことをしたばかりに、若いもんに迷惑がかかった。……所詮、年寄りが若者の世界に介入するのは無理だったようだな」
(あ?)
夜季の顔色が、今度は少し青ざめた。
「失敗だ。ワシに青春など、とても叶うものではない……」
(なんだ、なにを言ってンだ? このジジィ)
「失敗」その言葉が重く圧し掛かった。
(なんだよ、おい。スーコがあれだけ我慢したってのに、失敗だぁ?)
熱い感情が、込み上げてくる。
「誰が言うた事か忘れたが……”人は生きてきたようにしか死ねん”らしい。ワシは孤独のまま死ぬ」
「フザけんなっ!」
夜季は叫び、立ち上がった。
「アンタ……スーコの努力を踏みにじる気か!? 無駄だって言うのか!?」
得体の知れない想いが心の中を荒れ狂う。怒りなのか、悲しみなのか、その顔は苦痛に歪んだ。
「青春はムリだとか……友情はないだとか……じゃあ俺たちはどうなんだよ!? 俺は……俺はダチじゃねぇのか!?」
「……」
「アンタがどう思ってるのか知らねぇが、俺は楽しかったぞ! 初めはムカついたけど、アンタと一緒にいて楽しかったっ! リンやユーシだって、きっとそうだっ! それを……それを……っ!」
ギリリ……と、歯を食いしばる。
「友達じゃないってのか!? 俺たちは! 一度や二度しくじったぐらいで、あっさり消えちまうほど安いもんだったっつーのかっ!? 俺たちはアンタのために映画を作って、アンタも俺たちのために病気の体を押してきた。一緒に笑って悩んで……それが……」
”じぃ”の肩をつかみ、真正面から声を浴びせる。
「青春ってもんじゃねぇのかよっ! ジジィ!」
ひとしきり叫んだ後、夜季は顔を伏せて息を整える。しばらくして顔を上げると、”じぃ”は空を見上げていた。
「月が……出たなぁ」
夜季も思わず空を見る。雲の端から月の光が漏れだしていた。
「フ……フハハ」
「? ジジィ?」
「フハ……ハハハ……ハハハハッ! そうか、そうかヨキ!」
「な、なんだよ、急に……」
”じぃ”は高らかに笑う。
「ハハハッ。そうか、ワシらは友達か。ワシは青春を謳歌できたっちゅうわけか!」
「あ、ああ……」
「フハハ……それが聞きたかった。その言葉をお前さんに言わせるために、しみったれた格言まで用いたのだ」
「なぁっ!? い、今の演技かよ!? おいっ!」
夜季は驚いて”じぃ”の肩から手を放す。
「そうか、ダチか。フフフ」
「てめぇ、このジジィ……。恥ずかしいこと叫ばせんな!」
「ハハ、ハハハハッ!」
笑い声は夜空に昇り、月明かりと共に町中に響いた。
散々笑った後、”じぃ”は病院に戻ることにした。
「あ〜あ……なにが悲しゅうて男の背中に抱きついとかにゃならんのだ」
「うっせぇよ。病人が勝手に出歩くからだ」
夜季は”じぃ”を背負って病院まで歩いている。
「ヨキ。そっちこそどうせ背負うなら女子がよかろう」
「……あ?」
「スーコはどうだ?」
「何の話だよ」
クックック……と”じぃ”は小さく笑う。
「ズバリ、言うがの。お前さんスーコのことをどげん思っちょるんだ?」
「ど、どうって……」
しばらく沈黙して歩き、曖昧な口調で話しだす。
「別に、その……。やかましいとか、よく笑うな、とか」
「その笑顔がステキだなぁとか」
「そこまでは言ってない」
「言わんだけだろう」
またもや含み笑いをする。夜季は表情だけ不機嫌にしてそのまま歩を進める。
「素直じゃないのう。逆にスーコの方はわかりやすい。あれはお前さんのことを……」
「うーるーせーえ」
強引に言葉を遮る。
「クックック……。ワシとしちゃあ、知らん男に持ってかれるよりも安心出来る。ただし」
「ただし?」
「まだツバは付けるなよ? せめて二十歳になるまではおあずけだ」
「だから何の話なんだよ」
「ハハハッ! 熱い、顔が熱いぞぉ? ヨキ」
二人は病院前の長い坂を登って行く。その坂の上に、二人は予想外のものを見た。
「ヨキ! 唖倉先生!」
「なっ……リン!?」
凛だけではない。夕紫、壬織、有田、そして雛子に暮越までもが二人を待ち受けていた。
「ほう、大集合だな。なぜわかった?」
「ユーシが気付いたんです。先生の病状がとても重いこと、そして今夜あたり病院を抜け出すかもしれないってことに」
凛がそう言うと、”じぃ”は夕紫の方を見た。
「フ……。ユーシ、お前さんもつくづく大した奴だな」
「そんなことより、じぃ……」
雛子が厚手の上着をもって進み出る。
「寒くない? これ、着て」
「おう。スマンなぁ」
”じぃ”は夜季の頭を軽く小突きながら上着を受け取る。
「ジィさん……」
次に声をかけたのは、暮越だった。
「……すまねぇ。アンタは、アンタはただ本を書いただけなのに……勝手に恨んで……」
「……」
「オレ……オレ、頭下げて謝った。楽器壊された連中に。それでアンタにも謝りたくて……。本当に、すまねぇ」
暮越は頭を下げる。
「いいってことよ」
「いいんだよ。暮越。あれはこのジジィが勝手に出張ったせいだ」
夜季がそう言うと、暮越の表情がいくぶん和らいだようだ。
「さてさて……こんな道端で話すのもなんだな。とりあえず病室に戻るとするか」
「歩くのは俺だけどな」
夜季がそう返すが、笑ったのは”じぃ”だけだった。