第28章・孤狼の生涯(後編)
義朗とツグミの夫婦は、周囲からすればかなり奇妙な組み合わせに見えたことだろう。白髪の男と盲目の女。しかし、周りが何と言おうと二人は幸せだった。
「子どもの頃から、ワシの話を聞いてくれる人間はおらんかった。近付くだけで皆ワシのことを避けた。だからかもしれん。文章を通して人々と触れ合うことが、自分の天職のように思えた」
月日は流れ、やがて二人は子どもを授かった。ツグミによく似た、黒髪の女の子だった。
「ワシはとにかく嬉しかった。一番心配しておった、白髪の遺伝がなかったのだからな。なにからなにまで女房にそっくりの可愛い娘で、本当に良かった……」
産まれた娘はすくすくと育ち、一人前の立派な大人になった。そしてその娘もまた恋愛をし、隣のS市に嫁いでいった。
この頃になると、義朗夫妻への周囲からの風当たりも穏やかになっていた。年を重ねるごとに、白髪の頭も目立たなくなっていった。
「そして17年前……」
「スーコが産まれたんだな」
「そう、3月3日産まれ。だから雛子と名付けた。その日は雪が降っておってなぁ……魅月町では真冬に降ることさえ珍しいというのに」
ここまで話した”じぃ”はふーっと息を吐く。
「ヨキ。その時のワシの心境がわかるか? 孫が産まれたのは嬉しい。だが、その孫はワシの忌わしい部分を受け継いでしまっていた」
「隔世遺伝の白髪……か」
もしかしたら、白髪のせいでこの子も周りから疎外されるようになってしまうかもしれない。そんな恐怖を感じた義朗と娘夫婦を救ったのは、またもツグミだった。
『泣き声がとても元気ね。この子、とても強い子に育つかもしれない。この魅月町に雪を降らせたんだもの……』
「その言葉でワシは決意を固めた。ワシと雛子の大きな違い……それは、守ってくれる人間がいることだ。ワシの母はすぐに病死してしまった。父は出稼ぎで滅多に家にいなかった。……雛子は違う。あれの両親は共働きをしとったが、ワシとツグミがおった」
昼間、両親が仕事に行っている間は義朗夫妻が孫の面倒を見た。少年のように家に閉じこもらせるのではなく、積極的に外に連れて出ることによって、早い時期から白髪の少女の存在を周囲に知らしめた。その甲斐あって、白髪を受け入れやすい環境が出来た。
「道理で、スーコがアンタになつくわけだよ」
「ワシの娘は当時からバリバリのエリート会社員だったからのぅ、簡単に産休が取れんかったんだ」
”じぃ”は空を見上げる。キラリ、と流れ星が光った。
「スーコがあんな性格になったのは、ワシがそうさせたからだ。どんな時でも、なにがあっても、くじけずに笑って前に進む。そうすればイジメられることも少なかろうと思ってな」
「……立派な教育だな」
実際、雛子はあきらめなかった。もっとも、その裏で悲しみを押し殺していたのだが……。
「皮肉か? ヨキ。……そして8年前、ツグミが肺を患って入院した」
入院したツグミを担当したのは、駆け出しの若い医師だった。そしてその医師は、患者のツグミよりも義朗と雛子の白髪に興味を持った。なんどもしつこく検査を勧め、データを取って研究しようとしたのだ。
「そいつは悪気があったわけではないのだろうが、大事な女房が入院しとる夫に対してあまりに無神経な態度だった。……もっとも、ちゃんとツグミの治療もしてくれとるようだったが」
「……? もしかして、アンタが病院嫌いなのはそのせいか?」
「まぁ、一部はそうだな。それだけではないが」
ツグミが入院してしばらく経ったある日。
――ご家族の方だけ、ちょっと。そんなドラマみたいな台詞を現実に聞かされるハメになった。
ツグミは、すでに末期のガンだった。元々あまり丈夫な体でなかったこともあり、余命は数か月と宣告された。当然そのことはツグミには秘密にしていたが、自分の死期のことは本能的に理解していたようだった。
『私、もう長くないのね』
見舞う度にそう言われ、「そんなことはない」と反論するのが日課になってしまった。
『結局、目は治らなかったわね……。一度でいいから、あなたの顔を見たかったのに』
そう言いながら夫の顔を触る。
『ばぁちゃん……』
9歳の雛子が心配そうに祖母の手を握る。
『スーちゃん、じぃをよろしくね。スーちゃんは町に雪を降らせた子。元気で、強い女の子になってね……』
雛子が親元を離れ、”じぃ”と二人暮らしを始めたのはツグミの死後だった。
「女房に先立たれ、ワシは悲しみの底に落ちた。スーコがいたおかげで、どうにか持ちこたえていたが……」
「……」
夜季は痛ましい思いに包まれた。自分の住むこの町で、そんなことが起こっていたということは想像もしていなかった。
「さぁ、ここで話は現代に戻ってくる。3か月前、ここでお前さんと会った前の週のことだ」
「……判明したんだろ。アンタの病気」
3か月前。夜季にとっては何年も前のことのように感じられる。
「そうだ。ついにワシにもお迎えが来たかと観念したが……ふと、気付いた」
自分には、家族以外に親友と呼べる者がいない――。仕事上の付き合いはあっても、心の底から友情を感じられる存在がいない。妻を亡くし、自分も死のうとしている間際にそのことに気付いたのだ。
「ワシの青春は引きこもりの生活だったからな。唯一、ツグミと知り合ったころがそれらしかったが、相変わらず他の人間はワシのことを避けとった。ワシには友達がおらん……」
そう、つぶやいた言葉を雛子が聞いていた。
「そしてスーコは言うた。『あたしがじぃに友達作ってあげる。そんで、一緒に色んなことして遊んだり助け合ったりするの』……とな。そして連れてきたのがお前たちだ」
「っ! じゃあ……」
「そう。今回の映画の企画はそこから出発した。……ワシに青春を味わってもらおうと、スーコなりに考えたことだ」
『だから……映画、作るの手伝って?』
『ウチの学校、文化祭まで地味で詰まんないんだもん。あたし達の手で盛り上げなきゃ!』
『じぃの小説を映画にしたらおもしろいだろうなーって思っててさ』
それらの言葉は、全て――。
「ワシのために。ワシの死に際を青春で彩るために……」
時計の針が、十二時を回った。