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第25章・我慢からの解放

 会場は一時混乱したものの、とっさの”じぃ”の機転で難を脱した。予定とは大きく変わってしまったとは言え、原作者自らの登場と公演はとびきりのサプライズとして功を奏したようだ。


「……ったくあのジジィ、最後においしいところ持っていきやがって」


 夜季は木崎と別れ、暮越との決着がついたことを知らせる為に控え室に向かった。


「あっヨキ……どうしたの!? その傷……」


 凛が夜季の顔中についたアザや切り傷を見つけ、心配そうに尋ねる。


「俺は大丈夫だ。つかお前の方こそいつまで女装してんだよ」


「これは……その、スーコさんが……」


 その雛子は控え室にいない。


「あいつ、どこ行った?」


「さぁ。ちょっと外に出る、って言ってたけど」


「……そうか。すれ違いになったかな」


 夜季は雛子に話したいことがあった。”じぃ”の容態についてである。


「リン。暮越のこと……終わったぞ」


「え?」


「説明すんのは面倒だが……とりあえず、あいつはもう俺たちを邪魔しない。今の停電も、暮越のせいじゃない」


 それだけ言って、夜季は外に出た。


(スーコ、どこにいるんだ?)


 思い当たる場所は2か所あった。


「ここじゃねぇな」


 生徒会室にはいない。そして、もう一か所に向かう。


 屋上だ。


「じぃ……なんで……」


 雛子は転落防止のフェンスにもたれかかり、体育館を見下ろしていた。耳を澄ますと、マイクで拡大された声がここまで聞こえてくる。


「なんで……」


「スーコ」


「うひゃっ!?」


 突然声をかけられ、雛子は飛び上った。


「ヨ、ヨキ? なにしてんの、こんなとこで……」


 お前こそなにやってるんだ。そう言い返したかったが、夜季は報告を始めた。


「暮越のことは解決した。あいつはもう問題ない」


「そう……って、ヨキ、ボロボロだよ!? ケンカしたの?」


「俺は大丈夫だ。……俺は」


 その言葉のニュアンスで、雛子は夜季の言いたいことを悟った。


「……じぃは……?」


「スーコ。あのジジィ、相当ヤバイぞ。今こうしてしゃべってんのが奇蹟的なぐらいな」


 夜季は体育館の方を顎で示す。


「あれは風邪をこじらせたなんてもんじゃない。もっと前から……そうだ、前にお前の家で晩飯食ったとき、アイツ薬飲んでたよな。あの頃からすでに悪かったんじゃねーか?」


「……」


 雛子は何も言わずに背を向ける。


 構わず、夜季は続ける。


「どうなんだ、スーコ。ジジィはいつから……」


「……いーやん。別ん……」


「……スーコ?」


「別んいーと! ヨキ、はよ帰って!」


 雛子の肩が震えている。怒ったような声だ。


「な……いいわけないだろ!?」


「いーかい、出てって!」


 違う。怒りの声ではない。悲しみをこらえた声だ。


「はよ、はよ出て……」


「スーコ!」


 夜季は、後ろから雛子の両肩をつかんだ。その手に押し殺した震えが伝わる。


「頼む……教えてくれ。俺もジジィのことが心配なんだ。頼む……」


 おもわず、肩をつかんだ両手に力が入る。


 風が吹き抜ける。木の葉の触れあう音と、”じぃ”のマイクの声だけが聞こえる。長い沈黙ののち、ようやく雛子が口を動かした。


「3か月前……9月の頭にはもう……」


「9月……?」


 夜季はハッとした。初めて夜季と”じぃ”が出会ったのはその頃だ。


「じゃあ、あの時にはすでに……」


「ちゃんと病院で調べたわけじゃないと。知り合いの元お医者さんに簡単に診断してもらっただけやっちゃけん、本当は……とっくに入院しちょらんといかんって……」


 バカな――。夜季は思った。あの、常に人を小馬鹿にしたような笑顔の裏に病魔が蔓延っていたとは……。


「な、なんで早く病院に連れて行かなかったんだ!」


「連れていこうとした!」


 雛子は、のどの奥から絞り出すように言葉を続ける。


「連れてこうとしたけん……じぃ、嫌やって……。じぃが嫌て言うたら逆らえんもん」


 それは夜季も同じだった。なぜだかあの男には、人を従わせる無言の力がある。


「そんで、しばらくは大丈夫そうやったちゃけん、この間かい急に悪くなって……」


(……待てよ?)


 夜季はあることに気付いた。


(こいつは……スーコはジジィの体がヤバイってことを知ってて、今まで明るく振舞ってたのか? 3か月も前から?)


 口には出さなかったが、雛子にはその考えが伝わったようだ。


「じぃ、ずっと平気なふりしちょったもん……。自分で自分の体が悪いってこつはわかっちょっとん、元気なふりばして……。心配すんなって、言うたもん」


「……」


「周りが暗いとよけい体に悪いって。ウチが明るく元気なほど、じぃも元気になれるって言うたもん……」


 二重の衝撃だ。我慢していたのは”じぃ”だけではない。雛子もまた、必死に悲しみを抑えていたのだ。


「お前……」


「やかい……。やかい、ウチは泣いたらいかん……。ウチが泣いたら、じぃが悲しむ……」


 そうだったのだ。雛子は、表情が豊かで感情が素直に出ているように見える。しかし、「泣く」という感情の表現だけは絶対にしなかった。楽器が壊された時も、決して涙は見せなかった。


(スーコ……)


 ”じぃ”の体には限界が近づいている。それなのに、今、当の本人が無理に体を押して壇上に立っている。


 なんのために? ……雛子の映画を完成させるために。


「うそ、だろ……?」


 夜季は改めて体育館を見る。そこから聞こえてくる声は、雛子の映画を台無しにしないがためのものだ。


 そしてその事実が、雛子の我慢にも限界をもたらした。


(スーコは……ここに泣きに来たんだ!)


 両手に伝わる震えが、ますます大きくなる。ほとんど自分に言い聞かせるように、雛子はつぶやいている。


「泣いたらいかん、泣いたらいかん……ウチの泣き顔見たら、じぃが悲しむ……」


「……いいぞ。もう」


 夜季の手が、震える肩から離れた。そしてその腕で雛子の顔を覆い隠し、白い頭を自分の胸に抱きしめた。


「よ、よき……?」


「もう我慢しなくていい。お前は、もうたくさん我慢した」


 夜季は自分の小ささを痛感した。誰よりも強く闘っていたこの少女を、ただの能天気だと思っていたのだから。そしてその償いとして、今自分に出来ることをした。


「こうすれば、誰にも泣き顔を見せずにすむだろう?」


「……うん」


「今は……泣いていいぞ」


 夜季の体温が、雛子の背中に伝わる。それは雛子自身の感情と絡み合い、さらに熱いものとなって込み上げる。


「甘えて、いい……?」


「……ああ」


 温もりは涙となって、少女の瞳からこぼれた。ただの悲しみではなく、感謝のこもった涙が夜季の傷ついた腕を濡らした――。

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