第24章・もう一つの災い
――誰も、迷いはしなかった。
「準備はいい?」
「もちろん!」
もうなにも悩む必要はない。ただ、今自分に出来ることをする。目の前にいる観客たちに、最高のライブを見せつける。――
「ワシの書いた小説では、主人公たちは最後まで暴力を避け、歌の力で難を退けた。プロ入りを自ら拒んでまでな。だが、ヨキ。お前さんみたいなやり方も時には必要かの」
「うっせぇぞ、ジジィ。……ん? 誰だ? あそこでコソコソやってるヤツ……」
体育館の裏に、何者かがいる。しかし、影になっていてよく見えない。
「誰だ?」
夜季がその方へ行こうとした時――
「うっ! ぐぅ……かはっ……がふっ!」
「ジジィ!?」
”じぃ”は激しくせき込んだ。ただのせきではない。医術に覚えのない人間でも「ひどい」とわかるような音だ。
「おいっ大丈夫かよ!」
夜季が慌てて”じぃ”の体を抱きとめる。
「熱……スゲーぞ、おい。アンタやっぱり病院行った方がいいって! ちっとも平気じゃねーだろ!」
「くっ……なに、すぐに治まるわ……。そんなことより、早う連れて行ってくれ」
「でも……」
”じぃ”は、夜季の顔を見据えた。顔面蒼白なのに、その瞳だけは力強く輝いている。
「頼む。全て終われば、大人しく病院に行ってやる」
この深い瞳に囚われると、なぜだか反論できなくなる。
「くそっ、絶対だからな! 最後まで見たら、すぐに救急車呼ぶからな!」
「おう、頼む……」
一方、映画の方はクライマックスの直前にまで来ていた。
「いよいよだね〜。ミオちゃん」
「はい。頑張ります」
「あの、スーコさん……」
控え室。雛子、壬織、凛、そして夕紫がいる。
「僕はいつまでこの格好でいなきゃならないの?」
凛はまだ女物の衣装を着せられたままだ。
「いーじゃん、似合ってんだから。……あとで写真撮って女の子たちに売りつけよ」
「何? 今なにか言った?」
「んーん。なんにも」
「……その格好なら男にも売れる」
「ちょっと、ユーシまで何言ってるの!?」
笑いが起き、緊張がほぐれる。
「それにしても、ヨキはどこ行ったのかなぁ」
「さっきマモルさんと会ったけど、大学生の人たちも見てないって。たぶん……」
一同の脳裏に、暮越のことが思い浮かぶ。
それを振り払うように、明るく雛子が言った。
「ヨキなら大丈夫でしょ! アイツならたぶん、なんか……なんかしてくれそう」
曖昧な支持だ。
「とにかく、あとはこのライブさえ成功させれば映画は完成なんだから! ミオちゃん、任せたよ!」
「は、はい!」
根拠はないが、雛子が言うと本当にどうにかなりそうな気がする。
そして、録画した部分が終了に近付き、壬織は舞台袖に待機する。
(あと10秒……)
予定では、録画の再生が終わると同時に舞台にライトが当たり、前奏にあわせて「ツグミ」役の壬織が登場することになっていた。
(6……5……4)
音響や照明の担当者も、その時を待った。
(3…………え?)
ブツン。鈍い音を立て、映像が途切れた。予定よりわずかに早い。
おかしい。正常な再生の終わり方ではない。一方、音響や照明を担当していた者たちも、異変を感じていた。機械が動かないのだ。
「……ブレーカー」
まっ先に原因を悟ったのは夕紫だった。
「どうして……リハーサルでは上手くいったのに……」
凛が不思議に思って言う。
不穏な空気を感じたのか、観客席の方からもザワついた声が聞こえだす。
「ぶ、ブレーカーってどこあんの?」
雛子が慌てて声を上げる。
「スーコ先輩、私、音楽なしで出た方がいいですか?」
「あ……で、でも、明かりもなにもないんじゃ……」
突然のハプニングで混乱に陥ってしまっている。その時、体育館の扉が開く音が控え室にも届いた。そして、聞きなれた声が。
「『真夜中の草原に、魂の籠った歌声が響く。遠く失われたものを取り返そうとするように、その歌はどこまでも響き渡った。時代も空間も越えて、遠く、高く――』……と、ここでワシの小説は終わっている」
「じっ……じぃ!?」
雛子は控え室を出た。入口の扉が開け放され、暗幕で閉め切った闇の中に日光が差し込む。その光の中に立っているのは、紛れもなく唖倉浪才――”じぃ”だった。
「じぃ……なんで……」
”じぃ”はステージに向けて歩き出しながらも、言葉を続ける。
「初めまして。鶺鴒高校の生徒諸君。ワシが……この映画の原作者、唖倉浪才だ」
――ええっ!? マジ? と、会場がどよめく。
「暗幕を開けて! それから先生にマイクを!」
凛の指示で一斉に暗幕が開けられ、室内に光が降り注ぐ。
「音楽家は音楽に。絵描きは絵に。己の人生、生き様、思想を込め、それを見た人々に自分の思いを伝える。……そして、小説家は文章で表現する。その点では小説を書くという行為は芸術活動だと言える」
ステージの上で電池式のマイクを手渡され、唖倉浪才の演説が始まった。
「やった。ライブはダメになったけど、先生が来てくれたおかげで助かった」
凛が安堵した声を出す。壬織や夕紫も、気持ちは同じだった。
ただ、雛子だけが表情を重くしていた。
「じぃ……どうして」
誰に言うともなく、言葉が口から洩れる。
「どうして……ここに……」
「スーコさん?」
「ゴメン、リン。あたし、ちょっと外に出てる」
そして雛子は控え室を通って外に出た。
「なにやってんだ。木崎」
「き、君は……ヨキ、君?」
夜季は”じぃ”を体育館に送った後、すぐに先ほどの人物を追っていた。
その人物は木崎だった。その手に、ペンチのような工具が握られている。
「それで何を切ったんだ?」
「こ、これは……」
「言ってやろうか。電気の配線だろう。……暮越の命令か?」
暮越の名が出た途端、木崎の顔に汗が浮かぶ。
「ち、違う。……僕が、か、彼の指示に失敗したから……か、勝手に……」
今にも泣き出しそうな声だ。
「安心しろ。先生」
夜季は出来るだけ、穏やかに言った。
「もうアイツはあんたのことを憎まない。あんたも、アイツのご機嫌をとらなくていい」
「え? ど、どういうこと?」
それには答えず、夜季は控え室へ向かった。