第19章・剥き出された牙
「ふぅ。……それにしてもヒマだのぅ」
”じぃ”は煎餅布団に横たわったままつぶやいた。
「まさかこんな時に寝込むはめになるとは。生のステージで見られないのが残念だ」
時計を見る。上映の一時間前だ。
「……前々から覚悟はしておったが、予想よりも早く来たな……」
蒲団から腕を出し、自分の額に触れる。高熱だ。おそらく40度近い熱が出ているだろう。それでいて鏡を見ると、顔面蒼白になっている。
「ふっ……ワシももう若うないか」
鏡に映った顔が、わずかに笑った。
上映10分前。
「いよいよだね」
「ああ。……クソッ何も起こらないのが逆に不気味だぜ」
夜季は腹だたそうにつま先で床を蹴る。
「機材は朝からずっと交替で見張ってたから無事だし、夜季の絵もすでにステージ上に飾られてる。暮越会長……何をする気なんだろう」
「知るか、あんなやつの考えなんかよ。……リン、ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、うん。わかった。僕もそろそろ持ち場に戻るよ」
室内を暗くするために張られた暗幕の裏を通り、夜季は外に出た。
「トイレっつってもあんまり遠くに離れるわけにはいかねぇな。あそこ使うか」
そこは、普段人の立ち入ることのない古びた小屋だった。もともとは卓球部の練習場として建てられたものだが、数年前に廃部になって以来利用者がいなくなり、今では廃屋同然になっている。一応、そこにはトイレもある。
「カビくせぇけど、ここが一番近いからな」
急いで用を済ませ、洗面所で手を洗う。
(暮越の野郎……今頃どこでなにやってんだ?)
その疑問は、顔をあげてひび割れた鏡を見ることですぐに解決した。そして夜季は真横に跳んだ。
直後に、振り下ろされた何かが空を切った。
「……久しぶりのあいさつが右拳かよ」
「口より先に手が出る性分なんでなぁ、俺は」
そう言って、暮越はニヤリと笑った。
「なにやってんだよ、暮越。ここで俺をボコして何の意味があるってんだ?」
視線は暮越に向けたまま、夜季はじりじりと下がって隣の卓球室に移動する。
「別にお前だけが目的じゃねえよ。ただ、お前が早めにいなくなってくれると後が楽になるんでなぁ。なにせ元不良だからケンカも慣れてるしよ」
(ケンカ……ってことは、やっぱり暴力で妨害するつもりか)
「どうせやるンならよ、思いっきり恥かかせるぐらいのつもりでやらねぇと面白くないだろ? あの白髪女によ」
素早く視線を動かし、他に暮越の仲間がいないことを確認する。
「スーコに……?」
「そいつ、つーよりもお前ら全員だな。こんな下らない行事なんかで騒いでるヤツら、全員」
長い間放置されていた空間に、二人の男が向き合って立つ。
「お前が何かやらかすつもりならよぉー……それを防ぐのが今の俺の役割なんだよな」
「役割? ハッ! お前、すっかり犬だな。あの白髪の言いなりになる犬だ」
暮越は口元に下卑た笑みを浮かべるが、目は笑っていない。
「……さっさと終わらせるぞ。上映まであと5分しかない」
「おいおいおい……。本当にあんな下らないもんが見たいのかよ。いい子ちゃんになりやがってよ」
(下らない……まだ言うか)
夜季の目は中学時代に戻っていた。そして、かつて背中を預け合っていた男に向けて闘気を発した。
「えー、この映画はみなさん御存知の小説・『神の唄う街』を限りなく原作に近い形で実写化したものでありまして……」
暗く閉め切った体育館の檀上で、雛子が上映前のあいさつをしている。
「……スーコ先輩、本当に暗記出来たんでしょうか……」
控室で一人待機している壬織も、今はそっちの方を心配している。
「えーと、そんで……本を読むのが苦手で、まだこの小説を読んだことがないという人たちにも是非この素晴らしさを広めたいと思い、企画させていただいたジダイで……ジ……事態?」
(いただいた次第です、しだい!)
心の中でツッコむが、当然雛子には届かない。
「えー……させていただきました」
(最初からそう言えばよかったんじゃないですか……)
呆れてため息をつくと、コン、コンとドアをノックする音がした。ステージに続くドアではない。直接外に出られる非常口だ。
「あの〜、木崎だけど……。西条壬織君、いるかな?」
紛れもなく、教師の木崎だ。間をおいて、壬織が答える。
「はい、私です」
「ああ、ちょうどよかった。来年の進路のことで話があるんだけど……」
壬織は不審に思った。なぜ、こんな時に? と。
「ちょっとした確認だけだから、すぐに終わる。外に出てきてくれないかな」
「……わかりました」
舞台に出る衣装の姿で非常口を開けると、確かに木崎がいた。
「なんでしょう」
「ここじゃあちょっと……靴履いて来てもらっていいかな」
少しサイズが小さい靴を履きながら、思考を巡らせる。
(……この状況、危険……)
それでも一応従い、木崎の後について体育館の裏に回った。そして木崎はピタリと足を止め、振り返った。
「西条君……」
「なんですか、先生」
「ゴメンね」
そう言って、長袖の衣装の上から細い腕を掴んだ。




