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 極私的仏教考察その7    (仏教の大楽と太悲)

作者: 舜風人





仏教とは?


まあ、、、すご~く、、簡単に言ってしまうと


ニヒリズムであり、ペシミズムです。


というか、、


そもそも、宗教って、、大体が、悲観主義であり、世捨て主義であり。出家遁世主義ですよね?


キリスト教も。修道院で沈黙瞑想生活とか、、、。


仏教も、野原の隅に庵を組んで、隠者暮らしとか


そういうのがイメージですよね?


この世を、厭う?というか


世を捨てるというか、、それが理想みたいな?


仏教もこの世を苦の世界と見て、

八正道と止観と、空観で

輪廻転生のカルマを、断ち切ることを理想とします。


浄土教などになると、厭離穢土、欣求浄土などと言って、


自殺を奨励?しているともとれる?様な教義でしょう?


そこまで行かなくても、大乗仏教は、空の論理であり


諸法無我ですから、この世に拘泥してはダメなんです。


ただこうした大乗仏教が、単なるニヒリズムとは、徹底的に違うのが


菩薩行思想であり、衆生救済です。


すべては空と悟ってはいても、衆生救済のために捨身行をすること、


それが菩薩の階梯なのです。


空というニヒリズムの極点からの、コペルニクス的転回、


それが菩薩行です。


かくして大乗仏教はニヒリズムを克服するのです。


そして、、


「やがて死ぬ景色も見せずアブラゼミ」



というように、一週間で死んじまうはかない蝉ですら


こうしてミンミンと、一生懸命鳴いているように


大乗の修行者も、また一切、空と観じつつも、


衆生救済に、身を粉にして奔走するべきなのです。


ペシミズムからの、超越的な大展開としてのオプティミズムへ。


それが大乗仏教です。


そしてその、空観に根差しつつも、楽天主語であるという絶対矛盾の自己同一としての


大乗仏教の、、行き着いた、ファイナルデスティネーション(最終目的地)が


法華経であり、、さらには密教です。


法華経では、凡夫それ自体がそれぞれが菩薩であり覚者そのものであると説かれます。


つまり、あなたも、、あなたも、みんな神の子ですよ。と教えてるんですよ。


早くそれに気づきなさい、そして、あなたの中にある宝石を取り出すのです、と


教えています。


法華経の中にこんなお話があります。


諸国をさまよっている乞食の若者がいた。

彼は自分は全くダメ人間だと信じ込んでこの境遇を仕方ないと諦めきっていた。

ある日ある街を通りかかると、王宮から従者が近寄ってきてちょうど若者が必要で、

どうだ王宮で飯炊き係の下働きをしないか?と言ってくれた。

乞食の若者は、うれしくなって一つ返事で引き受けた、

そうして王宮で働くこと一年がったとき、王様がその青年を呼び出した。

「わしはもう寿命が尽きる。そこでお前に言っておくことがある。実はお前は子供のころ

ワケあって追い出したが、本当の私の子供なんだよ。じゃが急にそれをお前に言うとお前は慢心するからこうして下働きで王宮のことを学んでもらったのさ。わしにはほかに九子供はいない。どうか、

わしの跡を継いで

この王国をお前は治めてくれてないか。」


若者はびっくりして言葉もなかったが、一年間の王宮生活で下働きとはいえ見聞きして経験を積んでいたので王様の跡を継いで立派な王様となったという。



このお話は、、つまり何の譬えかというと、、


人は誰でも、王様であり、いや、それどころか神の子だということです。


ただ、、残念ながら誰もそれに気づかずに一生を終わってしまう。

気づくのです。あなたは神の子です。

ただそれに、気づけばいいのです。


さてかくして法華経は、あなたが気づきさえすればこの世を神の世界にかえられるという教えを

述べていますが


密教はもっと先へと、、歩みを進めるのです。


つまり、、そのままで、、それ自体で、この世は「太楽」の世界であるというのです。


この世のすべてはそれ自体でこの上なく、清らかであり、


汚れた物なんて、ありえない、と断言します。


一切は清浄であり、


肉欲も、、清浄。


怒りも清浄。


お金も、清浄、、清らかである。


かくしてこの世の一切は、清らかで、


まさに、大いなる楽園である。


という太楽思想を展開します。


これはまあいってみれば


現世利益、、です。


一切空であり、無我であるはずの仏教も


とうとうこんななところまで堕落?したのか?


という、感慨も抱かれたことでしょうが。


これでは、、つまり、、出家主義も、世捨ても、、禁欲も、しなくっていいの?ってことですよね。


そうです、しなくっていいんですよ。


それどころか、


密教の究極の行き着いた終着点、左道密教では、


「美しい娘と交合することがサトリである」、、なんて


言ってるんですよ。


どうなってるんだ?とい言いたくなりますよね?


これが仏教?

もはやここまで来たらこれは、仏教とは隠れ蓑の


性ヨガ、、タントラ教じゃないか。


と言いたくなりますよね、。


まさにそのとおり、


11世紀に仏教はインドでは滅びるんですが、その最後のあがき?が


こうしたヒンドウ教の、シャクティ思想への歩み寄り、妥協?なんですね。


そうしてヒンドウ教に飲み込まれて仏教(密教)は消えてゆくんです。



だってそうでしょ?ここまで行ったらもう仏教じゃないですものね。


タントラ教そのものですよ。


ただ、、


100歩譲って、こうした現世快楽を認めるというのは


当時のインドで、ヒンドウ教に圧倒されて消えかかっていた仏教の、

まあ悪あがき?というか

そうするしか仕方なかった?という

てんまつだったんでしょうけどね。


密教もさすがに、ここまで来てしまうと、もう「カルト・性宗教」でしかないという現実ですね。


こうした無上瑜伽タントラまで行き着いては、ハッキリ言ってもうダメです。


密教がその太楽思想で許されるのは、いわゆる『純密』まででしょう。


その純密を大成したのが、空海です。


純密では性要素は皆無ですからね。


理趣経はあくまでも、観想であり、それを実践するという趣旨ではないからです。


理趣経に於いては、後期最末期密教の経典である「秘密集会瑜伽タントラ」のように


性儀式を、公然と認めてはいません。


幸いにも?こうした最末期の経典は日本には当時伝わらなかったので、純密が


空海という天才によって、大成されることになったわけですね。


私は密教のほんとの意味での、最高形態は、これ


空海であると、断言できます。

チベット密教はこういう最末期のタントリズムや、性儀式を受け入れたがために

秘教化して、性魔術に堕落したと、私は確信します。

つまりチベット密教を含む


左道密教は密教の堕落でしかないということです。


宗教に性儀式や性魔術を公然と取り入れたとき、


「その宗教は終ってる」、と、私は断言します。


性と宗教は結局、絶対相容れないからです。


カーマスートラや

アルスアマトリアは


在俗者の子孫繁栄のための教科書?ではあっても、


決して宗教の解脱のための教科書ではありえないからです。


まあ


100歩譲って、、


性パワーの神聖装置への昇華、、転化は良いでしょう。


性パワーを聖化して神に近づく。


事実厳しい禁欲生活や、苦行生活から多くの修行者が


神を見ている(見神)わけですからね。


性パワーの、善用です。


ですが性そのものを、即、解脱装置として、そのまま使うって?


ありえない誤謬です。


性本能をクスリや、酒で、暴走させることが、サトリであるわけがないでしょう。


その時点ですでに


左道密教、、、無上瑜伽タントラ。あるいはチベット密教は、おしまいですね。


断定的に言えば、


『性を即物的に使って、それで解脱ということ自体が重大な宗教的な過誤だ』



ということです。


それが私の終末期密教に対する、最終結論です。


こういうものの深みにはまったら宗教者としても、オシマイです。











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