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春夜恋  作者: ものもらい
本編:
5/28

4.




それからというもの、化け物は一日一回はその姿を彼の前で現しました。


喪中ゆえ、盗みを行わない彼の一日は妹に会いに行くことや山菜採りぐらいしかなく、化け物はそんな彼の死角から現れてはいつも彼を見つめています。

ちなみに「見つめる」と言っても甘酸っぱいような意味合いではなく、ただただ興味深そうな様子で彼を見つめていました。


そして化け物はどうやら無視されるのが嫌いなようで、彼が見なかったふりをしたり無関心でいるといつの間にか背後に立っていたり、夜になって眠っている彼の枕元に立ってわざと起こしては驚かしたりと子供のような悪戯をしてきます。

―――ただ、彼が妹の冥福を祈っている間は絶対に邪魔をしないので、彼はいつしか化け物が近づいてくると「どうした」と声をかけるようになりました。


「……ぅー…」

「どうした、水が欲しいのか?」


珍しく彼ではなく水を張った桶を気にしているので、彼は汲んだばかりのそれを化け物の方へ押しやってやりました。

化け物はしばし唸りながら水の煌きを見つめていましたが、やがてしゃがみこむと手を水に浸します。

すると、綺麗な水に汚れが流されて―――以外にも白くて肌理細かい肌が見えて、彼は驚きに息を呑みました。


「おまえ………」


思わず言いそうになった言葉を慌てて飲み込むと、彼は気まずさからわざとらしく咳こみ、持っていた手拭いをずいっと差し出しました。


「……手を洗うんなら、これを使え」

「…ぁー……」


相変わらずの声でしたが、化け物の手はやはり美しかったのでした。

水を滴らせた美しい手で手ぬぐいを受け取った化け物はしばらくそれをまじまじと見つめると、ぎゅうっと強く握ってその姿を隠してしまい、……彼はこの時はっきりと「寂しさ」を感じました。


化け物が消えるだなんて、本来なら喜ぶべきことだろうに―――と自分のおかしさに悩みながら家に帰ると、壊れたままの玄関の前に、沢山の山菜が置かれておりました。











妹が亡くなって、四十九日が経ちました。


わざわざ山奥まで来てくれた和尚さんに幾つかの山菜などを持たせて礼をし、早足で山に戻ると―――あの妖しい桜の木の下で、化け物が佇んでおりました。

もはや花も散り、舞い散る花弁も寂しい数になっておりましたが、化け物はじぃっと桜の木を見上げています。それはもう、彼が近づいても目も向けない夢中ぶりだったので、興味を持った彼も化け物の隣に立って桜の木を見上げました。


「……あ―――」


―――野犬すら引き裂いた魔の棲む桜、その枝の一つに、鳥の巣がございました。

巣の中では小鳥が二羽、仲睦まじく暮らしておりまして、愛らしい小鳥たちの姿にかつての自分たちの姿を重ねてしまった彼は、もはや懐かしむしかない日々に涙が浮かびます。


やがてそれはわずかな音と共に土に染み込みまして、やっと我に返ったように彼を見た化け物はしばし固まると、彼が視線をそらせないでいるものへと手を伸ばします―――。


「ぴぃ――――!」


化け物の腕では鳥の巣に届き用もないのですが、化け物の腕を異様に恐れる小鳥たちは急いで羽ばたき逃げて行きます。

化け物は「ぁ…ぅ……」とおろおろしながらそれでも手を伸ばしていて、化け物の謎の行動に気を取られた彼はその真意に気がつきますと、静かにその手を掴みました。


その手はあの日の妹のように冷たく、一瞬ですが臓腑が凍えました。けれど離すことはせずにその手を下げさせると、「いいんだよ」と伝えます。


「…懐かしんでいただけだから、遠くで見るだけで……いや、遠くから、見ていたいんだ。だからいいんだよ。―――ありがとう」


化け物はしばし動かずに彼をじっと見つめると、やがてゆっくりとその手を下ろして一歩離れました。

するとその体が薄れ―――消えるのか、と彼が思うのと同時に、彼は離しかけた手を掴み直すや否や、ぐいっと腕を引っ張ります。

化け物はそれに驚いたのか薄れさせていた体がはっきりと形作り、心なしかおどおどとしておりました。


「ぁ、と………その……、こ、ここ最近…世話になってるから……えぇっと、」



今日だけは、きっといつも以上に孤独が染み入ると―――1人でいることに怯えていた彼は、思わず最近親しみを覚えてきた化物を拙い言葉で我が家に招きました。


誘われた化け物は大人しく彼に付いて来て、家に入ると何故かそわそわして彼の背後に居るものですから、彼は「そっちで座ってろ」とそっけなく言って火の準備を始めます。

しかし今日は不調で、なかなか火が点かず―――ふう、と息を吐いて手を止めると、それまで微動だにしなかった化け物が囲炉裏に手を伸ばし、その手のひらから花弁を数枚落としました。

桜の花弁はそろりそろりと舞い降り、冷え切った薪に触れますと―――ボッ、と不思議な色の炎が花のように燃え上がります。


流石に吃驚して硬直する彼でしたが、心なしか胸を張っているような雰囲気の化け物を見るとなんとも言えぬ思いがこみ上げてきました。

ついには「今までこんなものを恐れてたのか…」と何だか自分が間抜けのような気さえしてきて、彼は化け物から目をそらすと燃える薪を継ぎ足し、お湯の準備を始めます。


その間も化け物は静かだったので、彼は気づかれないようにこっそりと化け物の様子を伺いますと、化け物は外から聞こえる鳥の声に夢中なようでした。

……だいぶ化け物に慣れたとはいえ、目の前で捕まえた鳥を頭から引き千切って食す相手と共に食事など絶対に出来ませんから、彼は急いであれこれと忙しなく動きます。


その甲斐あっていつもよりも早く夕餉を作り終えることが出来、今度は彼は椀を探します。

妹が亡くなってからは掃除もしないものでしたから、目当ての物を見つけるのに手間取ってしまいましたが―――先日まで、妹の小さな手が持っていた椀を前に悩んだ彼は、結局予備のお椀を引っ張り出して軽く洗うと、それに汁物を入れて化け物に差し出しました。


「どうぞ」


今までのお礼に、と具沢山に盛られたそれをしばし見つめ、化け物は恐る恐る口を近づけると少しだけ飲んで動きを止めます。

彼はといいますと、「不味かったかな」と不安になりながらお椀の中身を啜り―――「うん、いつも通り」と頷いていれば、固まっていた化け物は急に水でも呷るようにお椀の中身を飲み干しました。

そしておかわりをねだるようにお椀を差し出すので、彼は呆気に取られながらももう一杯注いでやりますが、すぐに中身を空にしてしまいます。


化け物は長いぼさぼさの髪の毛で顔がよく見えないのですが、雰囲気から察するにすごく嬉しそうでして、彼は「いい加減にしろ」とも言えず、自分の食事そっちのけで化け物の面倒を見てやりました。


「……ぅー……」


化け物は十杯以上おかわりをすると満足したのか、囲炉裏の前でうとうとし始めます。

彼はその隙に自分の夕餉を済ませ、静かに食器を片付け始め―――いつの間にか丸くなって眠っていた化け物に、予備の布団を掛けてやりました。











―――彼が化け物を家に招いた日から、化け物は彼の家に棲むようになりました。


妹に祈りを捧げ、山菜を採ったり鳥や魚を探したりと一日を過ごす彼の後を追ったり、どこかに消えたかと思えばひょっこり顔を出したり。何の収穫もなかった日は、いつの間にか消えていた化け物が食べ物を手に帰ってくることもありました。

彼が食事の支度をしている間は、化け物は部屋の隅に忘れられていた蔓で籠を編んでいたりしていて――――彼が化け物を相棒のように思うのに、時間はかかりませんでした。


なのでだんだんと彼は化け物に対して戸惑うことなく話しかけるようになり、頷いたり首を傾げたりする化け物に笑みを向けるようになりまして、いつの間にか呼びかける声も柔らかいものになってきました。



「今日は布団を干すか……なあ、それとってくれよ」

「んー」


化け物が使っている布団を指差すと、化け物は頷いて指示通りに布団を畳み始めます。

そうして持ちやすくなると立ち上がって―――彼の元へ向かおうとして、ボサボサの自分の髪に引っかかって転んでしまいました。


それがまた顔からいったものですから、彼は慌てて駆け寄ると「大丈夫か」と布団を避けて化け物の様子を伺うと、化け物は唸りながら額を擦りました。……どうやら、化け物とはいえなかなか痛かったようです。


「おまえ、髪が長いもんなあ。いっそくくるか?」

「うー…」

「ああでも、おまえの髪ってけっこう絡んでるな―――そうだ、」


立ち上がると、彼は棚から何かを持ってきます。


「……妹の、昔使っていた櫛だ。ちょっと欠けてて安っぽいが……このまま使われずにいるよりは、お前の役に立つ方が櫛も嬉しいだろう」


はい、と化け物の手に握らせたそれは、端が欠け大した飾りもない素朴な櫛でした。

これは彼ら兄妹が住み着いてしばらくしてから、狩りで得た獣の皮と引き換えに妹に贈ったものでして、地味な櫛を大変喜んでくれた妹の姿が昨日のことのように思い出せます。


こんな安物を大切に扱ってくれて、長いこと愛用してくれて―――でも、間違えて彼が欠けさせてしまって。そのせいで泣かれてしまって……と懐かしんでいると、化け物の手がそろりと動きました。


化け物は試しとばかりに前髪にかかる絡まった一房を苦労しながら梳いていくと、頑張りの甲斐あって櫛がさらさらと通っていきます。


すると少しだけ見えた化け物の唇が微笑みを浮かべていて、しばらくの間、彼の目はその笑みから目を離すことが出来なかったのでした。






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