1.
都から遥か東にある山―――そこは山菜や獣溢れる豊かな山でございました。
それに加え、よく商人や旅人、物見遊山に訪れた貴族などが通りますので、豊かな山ではございましたが、賊が何人もおりました。
賊は何人か徒党を組んでおりましたが、彼を含め数人は一人で勝手に動いております。それゆえ派手な盗みは出来ずかなり危ういことも幾度かありましたが、彼はまったくかまいませんでした。
……さて、そんな賊たちは勝手に山を分け、基本的には相手の仕事場を荒らしません。
中でも絶対に盗みごとをしない場所がございまして、どの猛者たちも年に数回はその場所に供物を捧げる――――素晴らしい宝が眠るという妖しくも美しい、一本の桜の木がございました。
というのも、里からも見える見事な桜の山道の途中にある、薄らとした紅すら見えぬ純白の桜の大木―――ここで人を殺めるどころかちょっとした騒動でも起こしますと、その夜に化け物がやって来るからです。
足音もなく、スっと部屋の隅に居たかと思えば次の瞬間には自分の影の中に潜み、一週間は張り付いて何かを耳元で囁き、寝ていようが一休みしていようがかまわず「かり、かり……」と首や喉を掻き続けます。
それで反省しなければもう一週間。……今度は眠る無防備な人間の指に齧り付き―――「一本持って行かれた」と、ある山賊が欠けた指を仲間に見せてからというもの、彼らは可能な限りあの山道で盗みを働かず、供物を捧げるようになった……ということでございます。
―――今からお話し致します彼は、その恐ろしい桜の山道の近くで、日々、時間を惜しむ無防備な商人や無謀にもやって来る貴族の一行を襲っていました。
仲間はいないため、あまりにも手に負えなさそうな様子であれば如何に値打ちのある物を持っていても手を出さず、常に罠を張り二三人仕留めてから奇襲する―――これが、彼が父と慕った人から習った生き方でありました。
慎重派で山賊には不似合いな立派な太刀を使いこなす彼を、他の山賊たちは「どこぞの武家の子であろうか」と噂しておりましたが、誰も彼のことを詳しくは知りません。
まるで陽の光を恐れるように顔と頭をすっぽり隠す頭巾を被り、時折見える瞳が赤く光ったように見えたことから、山賊や山の下の里の人間は「鬼」と呼んで恐れておりました。
ですが、そんな誰からも恐れられる彼にも人間らしいところはございました。
家―――というか、小屋のような寂れた住処に米俵と射止めた鳥を手に戻りますと、彼は鬼とは思えぬほどに優しい声で「ただいま」と声をかけます。
すると家の奥、布団の上で服を繕っていた娘が、嬉しそうな声で「おかえりなさい、お兄様!」と駆け寄ってきました。
「お兄様、お外はどうでしたか?」
「そろそろ桜が咲きそうだったよ」
「本当?」
娘の肌は白く、髪も白く―――瞳は赤く。
人里を歩けば石を投げられるだろう異形の姿ではありましたが、微笑む姿は可憐で優しそうな眼差しの娘でございました。
彼はポンポンと頭を優しく撫でてやると、自分の姿を隠していた頭巾を外し―――目にかかる白い髪を一瞬だけ赤い目で睨むも、すぐに妹に微笑みを向けました。
「桜が咲いたら、枝を折って持ってこようか。そしたら去年みたいに風邪を引かずに済むだろうし」
「まあ、私のせいでそんな酷いことをさせられませんわ。……大丈夫、今年はきっと体調を崩さずにいられます」
娘は非常に体が弱く、外に出ることは滅多にございません。
だからこそ、兄が普段何をしているのか―――どんな悪事に手を染めているのか知らず、「荷物運びの仕事」をしているのだという嘘を信じておりました。
「お兄様、お腹空いたでしょう?今温めますね」
「ああ、頼んだよ」
娘が急いで火の元へ駆け寄るのを見送ってから、彼は射た鳥の処理をしに外へ出ます。
外はまだ肌寒いものの、春の訪れを感じさせました。
*
―――妖しい桜の木の枝に蕾が膨らむ姿を見て、彼は「ああ、もうそろそろか」と思いながら、握り飯をその根元に置きました。
そこには他にも花や数日前の握り飯が置かれており、事情を知らない旅人はこれを見ると足を止めて手を合わせているのを、彼はよく見ていました。
そうされると何となく襲いにくく思えて、彼の狩場に辿り着いても見逃したり物は盗っても命はとらずに逃がしてやったりしていました。
「………ん?」
祀られる桜の木の影―――野犬の真新しい死体が落ちているのに気づいた彼は、そのあまりの無残さに口元を手で覆いました。
そのそばには犬が掘ったような穴があり、白い棒状のものが幾つか散らばっています。
「………まさか……骨?」
ひとり呟くと、彼は「鋭利な刃物で何度も引き裂かれたような」野犬をひとまず退かすと、恐る恐る摘んでみました。
近くで見たそれは、やっぱり骨のようで。なんとなくですが、指…の部分ではないでしょうか。彼はしばらく動きを止めていましたが、やがて懐からできるだけ綺麗な布を取り出すと、骨を全て拾い集めて埋め直してあげました。
そして近くに咲いていた白い花を摘んでやり、「南無阿弥陀仏」と唱え―――少し離れたところに、野犬を埋めてやりました。
……普段は山賊として、無慈悲に刃を振り下ろす身ですが―――いえ、そんな救われない身だからこそ、彼は手厚く葬ったのでしょう。こんなことをしたって、救われないと知りながら……。
―――結局その日は気が乗らず、彼は盗みも殺しも働かず、静かに家に帰って干鳥を妹に食べさせてあげました。
「美味しいですね、お兄様」と笑う妹の頭を優しく撫でている頃、妖しい桜の蕾がひとつ、可憐に開かれました。
*
彼は山を下りると、すぐそばにある松の大木のそばへと近寄りました。
そこにはすでに若い男がいて、「やあ、元気かい」と朗らかに声をかけてきます。
「………まあ」
言葉少なくそう返事をすると、彼はしばらく溜め込んでいた盗品―――着物や簪、櫛などを渡します。
男はそれをまじまじと見て、「いやあ、今回も良いものばかりだねえ」と笑いました。
「一応いつもの用意しておいたけど、他に必要なものはあるかい?」
「……水菓子を」
「はいはい」
男は彼の要求を分かっていたように、自分よりも年上の―――彼ほどではないものの、上等な太刀を持った男に目配せをしました。
男は頷き、籠に入れられた水菓子を彼に手渡すとすぐに離れます。
「じゃあ、またね」
気安いそれに一度頭を下げると、彼は籠を背負い荷車を押します。
適度に休みを入れつつ山道を進み、やがて彼はあの妖しい桜の在る林に近づきました。
「…………」
なんとなしに見上げれば、枝の幾つかには桜がちらほらと咲き始めています。
きっと今年も美しく咲き乱れるのだろうと思うと、少し楽しみのような気もしました。
もし今年も妹の体調が良いようなら、いつもより菓子を多めに買って、この桜に分けてあげるのもいいかもしれない―――なんて、疲れた体を楽しい未来を想像することで誤魔化しながら、彼は妹の待つ家へと急ぎます。
少し顔が青白い妹は、汗だくで帰ってきた兄の体を濡らした手ぬぐいで労わりながら拭ってやると、手渡された菓子を兄と一緒に仲良く分け合って楽しく食べました。
けれど―――その日以降、妹は家どころか布団から出ることも叶わず、静かに終わりが近づくのを待つばかりとなったのです。
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