15.
結局、彼が子供を背負って山を下りると、帰り道で女郎花を好む―――無精ひげの大男と出会いました。
その背には籠、手には鎌を持ち、背後に居る無精ひげの男の息子が弓を持っていて、陽気に「元気だった?」と笑いかけます。
彼はそれに軽く頭を下げますと、無精ひげの男は「何かあったのか?」と血の汚れが付いたままの彼に尋ねました。
彼は正直にさっきあったことを話しますと、無精ひげの男の息子は「ああ…」と呟きます。
「最近、どこも不作だなんだって大変でね。この山はまだ豊かだけど…都の金持ちや貴族も遠出しなくなっちまったから、今じゃあ金のなさそうな旅人でも襲って身ぐるみ剥がないとやっていけないそうだよ」
「そうか……」
「それに、最近祟りも悪霊も気にしねェ若いのが何人も入ってきたからな。あの『桜の周りで殺生をしない』なんて掟も守りゃあしねェ」
無精ひげの男が鼻を鳴らして言うと、彼は難しい顔をしながらも彼らと少しだけ話をし、帰り道を急いだ。
*
家に帰りますと、ちょうど娘が夕餉を作り終えたようでした。
温かい部屋に座り、愛らしい妻が「お肉たっぷりですよ」と具沢山の椀を差し出してくれる―――ああ、幸せだな……とさっき聞いてしまった嫌な話も何もかも忘れ、美味そうな匂いを放つ肉を摘み。
ふと、「今、家には肉なんてないはずだ」と思い出した彼は、数秒固まった後に立ち上がり、子兎を探します―――
「いない!?」
「え?」
娘が不思議そうに彼を見つめる、その背後から。まるまる太ってきた子兎は呑気に顔を出します。
一生懸命小さな口を動かして野菜屑を食む姿に脱力した彼は、「なんでもないよ…ありがとう」とお椀を受け取ったのでした。
「……あの、千冬どの」
「ん?」
「その……あの子は…」
「ああ―――ちゃんと親御さんが迎えに来たよ」
賊に切り殺された、旅装束の男―――は、てっきり子供の父親だと思っていたのですが、どうやら子供が山に入っていたときに出会っただけの間柄だったようです。
旅装束の男に「こんな危ない山に入ってはいけないよ」などと帰るよう促されていたところ、あの賊たちに会ってしまい―――殺されたのでした。
「……あの旅人は…おまえが弔ってくれたのか?」
「はい…」
彼も早く弔おうともしたのですが、真っ青な顔の子供を見た彼は暗くなる前に人里に帰そうと思い直し、娘に真っ直ぐ帰宅するように告げてから子供を背負って山を下りました。
けれど帰ってきてみたら旅装束の男が倒れていた場所には血の痕すらなく、すぐそばの木下に小さく盛られた土と捧げられた花を見て、娘がしたのだろうかと思ったのです。
人一人分の穴を、娘の細腕で掘れるか、といわれると少し悩むのですが、「まあ香春だしな…」とかつて熊を仕留めた姿を思い出してしまいました。
「………」
そんな呑気なことを考えている間、娘は暗い表情で椀を見つめます。
彼がそのことにやっと気づき、「どうした?」と問いかける頃には娘の椀の中身も温くなってきました。
「……あの、二人……」
「…山賊のことか?」
「はい。……あの二人―――桜に…桜に封じられている悪霊たちに…喰われていましたね」
「ああ…おれも、もう少し場所を選べばよかったな。…すまん」
「いえ、そうではなくて……わたくし、あの時…『手を出すな』と命じたのです」
―――娘曰く、たいていは命じれば悪霊のひとつやふたつ、すぐに逃げ帰るのだそうです。
前回の、自身の骨を踏み砕かれた時は彼らの遺体が喰われようがどうなろうが気にしませんでしたが、今回は子供が居ることもあり、あまりにも恐ろしい光景を見せまいと命じたのだとか。
しかし彼らは娘の意思を無視し、思う存分二人を貪り―――ついには旅装束の男までも喰らおうとしていたのでした。
「わたくしが脅してやっと怯むくらいで……あの殿方が信心深い方で良かったです。わたくしだけの干渉では、墓を掘り返されて漁られていたことでしょう」
ふう、と疲れたように溜息を吐く娘の頭を、彼はわしわしと撫でます。
「……ありがとな」
「…いいえ…」
娘は少し照れくさそうに俯きましたが、やはり落ち込んだ雰囲気は晴れません。
どうしたのだろう、と心配しながらも、彼は黙って娘の手を握りました。
*
風に冬の気配が感じられるようになった頃。娘と彼は、静かに寄り添いあっていました。
日によっては娘が彼に甘えたり、彼が娘に甘えたり―――けれど普段の和気藹々としたものではなく、時折ぽつりぽつりと話しかける寂しい雰囲気でございました。
「……わたくしがいない間…この子のこと、よろしくお願いしますね」
彼の胸に体を預け、娘は囲炉裏のそばで丸まって眠っている子兎のことを頼みます。
彼は「ああ…」と頷き、愛しい娘の黒髪を傷だらけの手で梳きまして、ついには耐え切れずに娘を抱きしめました。
「……こいつと一緒に、おまえをずっと待ってるよ」
「…約束ですよ?」
「ああ」
しっかりと返事をしますと、娘は満足した顔で彼の胸に顔を埋めます。
そうして聞こえてくる―――とくん、とくんと静かに鳴る音が心地よくて、娘はそっと目を閉じて息を吐きました。
その三日後、娘と彼は二度目の別離をしたのです。
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