14.
天気がいい朝。娘は楽しそうに花を見つけては摘んでいきます。
摘まれた花は彼の養父の墓へ、妹の元へ供えるためのと、二人の家に飾るためでした。
「おーい、あまりそっちに行くな」
「はぁい」
彼はその近くで薪を割り、時折娘が花に夢中になって遠くへ行かないように声をかけます。
娘もちゃんと返事はしたものの、どうやら奥に咲いている花が気になっているようで一生懸命手を伸ばしています。
その様子を見て、娘が怪我をしてしまう前にきりのいいところで終わらせてしまおうと彼は斧を振りかぶりました。
「……ん?」
対して娘はといいますと、彼の言いつけを忘れて奥に入っていこうとしていたのですが―――視界の端に白くてふわふわしたものが見えて、花を見ていた顔を向けます。
するとそこには真っ白い子兎がおりまして、ジーッと娘を見ていました。
「まあ、ごは……兎さん。何かご用?」
声をかけると、子兎はつぶらな瞳で娘を見上げます。
昨夜、二人で鍋を食べながら「兎は最高です」と幸せそうな顔で呟いた娘ですが、その愛らしさを見て「兎は最高です」と触りたい衝動を抑えながら思ったのでした。
けれどやっぱり抑えきれずに手を伸ばし、指をふるふると震しながら子兎の口元に近づけますと、子兎は前足で娘の指を掴み、少しだけ首を傾げます。
その愛らしさにやられた娘は「ふああああああっ」と叫んで子兎を抱きしめ、野生にしては綺麗なその体に頬ずりをしました。
「……香春、遠くへ行くなと―――ん?」
薪割りを終えた彼が近づくと、彼の目の前では童女のように兎に頬ずりしたり撫で回したりと思う存分可愛がっておりました。
彼はそれをぼんやり見つめると、なんとも言えぬ顔で、
「……香春、子兎を食べるのは…よさないか…?」
「た、食べるわけないですっ」
純粋に可愛がっているんですっ、と娘は必死に否定をしました。
けれどその必死ぶりがまた怪しく思えたのでしょう、彼のそんな表情を見上げた娘は「可愛がってるんですっ」と彼の胸を叩きます。
「わ、わかったわかった、可愛がってる…可愛がってるんだよな?」
「そうですっ」
「わかったから…食料にしないのなら早く―――」
放してやれ、と言おうとした彼の鼻に、ぴちょんと水が落ちます。
二人と一匹が見上げると、空は暗くぱらぱらと雨が降り始めたのでした。
「雨か…家に戻ろう、香春」
「はいっ」
「……兎は置いていけ」
「えっ……濡れてしまうではないですかっ」
「いや、濡れても平気だろ、別に」
「だめだめっ、まだ子供なのですよ!風邪を引いてしまいますっ」
子兎を抱きしめて放さない娘に言い聞かせようとしましたが、だんだんと雨が強くなってきたのを感じた彼は仕方なく子兎を家に招くことにしました。
途中、雨の雫を受けて揺れていた葉を盛大に引っこ抜きながら―――娘はにこにこしながら家の中へと駆け込みます。
雨は、しばらく止みませんでした。
*
娘はとても子兎を可愛がりました。
名前に「鍋」と付けてしまうほどの可愛がりようで、軽かった子兎が腹に石でも詰めたように日毎に重くなるくらいに食べさせたり、お湯で体を拭いてやったりととても甲斐甲斐しく世話を焼きます。
対して彼はと言いますと、娘の関心が自分から離れてしまったことが面白くなくて、時折子兎を強奪してそっぽ向いては楽しげに笑う娘が頭を撫でてくれたり、膝を貸したりしてくれました。
その間、子兎は時折やさぐれた雰囲気でやけ食いをする―――なんて人間臭いことをしていましたが、二人はまったく気づかず二人の時間を楽しんでおりました。
「鍋。鍋や。こっちを向いてごらん?」
「……毎日、よくもまあ飽きずに可愛がれるな」
「実際、可愛らしいではありませんか」
「そりゃまあ……」
「それにこの子、なんだか千冬どのに似てらっしゃる」
「………」
真っ白い毛に、赤い目―――自分と同じ色を持つ生き物を、彼は何とも言えない顔で見つめます。
「ほら、わたくしに付き合って遊んでくれるところとか」
「……そっち?」
「あともふもふしていらっしゃるところとか!」
「………、そうか…」
ほんの少し嬉しくなった彼は、ちょっとだけいつもより優しく子兎を撫でてやりました。
「……」
「香春?」
「……もし―――わたくしも、ややこができれば……こんな感じなのでしょうか」
「え…」
「こんな風に…わたくしが甘やかして、千冬どのがそれを窘めたり、拗ねたり…でも一緒に可愛がってくれたり……賑やかに暮らせたのかしら」
「香春…」
悲しげに微笑みながら子兎を撫でる娘の肩を、彼は躊躇いがちに触れ―――ぐ、と自分のそばに引き寄せます。
「……今だって、十分賑やかじゃないか。おれはこうやって、おまえと二人でのんびり暮らしている方が好きだよ」
「……千冬どの…」
「二人だって、いいじゃないか」
「……はい」
頷く娘の髪を、彼はそっと撫でました。
―――雨も止み、お日様が顔を覗かせたある日。二人と一匹は外に遊びに出かけていました。
娘の腕の中にいる子兎はだいぶ丸くなり、常に何かを食べては頬を膨らませています。
その成長ぶりを見るたびに、彼は何とも言えぬ気持ちを味合わされるのですが、娘も子兎も気にせず秋の山を楽しんでおりました。
得意そうな顔で「ほら美味しそう」と毒茸を引っこ抜こうとしては彼に止められていた娘は、明らかに毒のある茸に伸ばしていた手を止めて、「あっ…」と短い声を出します。
「あの桜の近くで、子供が追われています」
言うやいなや、娘は子兎を置いて駆け出します。
彼も追いかけるように太刀を握り直して駆け出すと―――獣道に入り、危ない道を越えて桜の並木道に入りました。
そして子供の泣き声に振り向くと、娘と妹の眠る桜の木の手前で旅装束の男がうつ伏せに倒れ、子供はその髪を乱暴に掴まれ振り上げられた太刀を見て悲鳴を上げました。
「何をしているのです!」
娘が叫ぶと、驚いたように子供から娘を見た男たちの目が見開き―――すぐにニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべます。
けれど一人が娘の背後にいる彼と、その手に握られた太刀に気づきますと、子供を放り捨てて彼に斬りかかろうと駆け出します―――。
彼もまた駆け出し、太刀を引き抜くと男の(ずいぶんと痛んだ)太刀を受け止め何度か切り結び―――耳を塞ぎたくなる金属音が響く中、もう一人の頬に傷がある男が弓を引きました。
狙いをつけ、矢を離す―――寸前で、男の目に手のひら大の石が投げられ、鈍い音の後に男は叫び声を上げます。
それに驚いた男がチラッと娘の方を見ますと、娘はすでに新たな石を拾い、男へと狙いをつけ―――投げる、と気づいてすぐに避けようと動いた男の隙を突いて、彼は素早く男の胸を切り裂きました。
「ぎゃああああっ!!」
仰向けに倒れる男に見向きもせず、彼は目を抑えひどい声を叫び続ける男の命も一撃で斬り捨てました。
……桜の前なので本当は殺したくはなかったのですが、無法者同士の争いで甘さを見せれば痛い目を見てしまいますし、わざわざ遠くまで引っ張って殺すにもその間に他の賊が娘を見つけてしまうかもしれない不安がありましたから、せめてもの慈悲として長引かせずに終わらせたのです。
少し疲れを感じながら太刀に付いた血を払い落としていると、どこからか視線を感じ―――顔を上げたとき、目に入ったのは慌てて駆け寄ってくる娘でした。
その手に大きな石が握られているのに気付くと、彼はとりあえず娘の手から石を没収しました。
「ご無事ですか、千冬どの…」
「大丈夫だ」
「着物が汚れてしまいましたね…急いで洗わなくては」
「黒地だから気にするな」
そう言って撫でようとして―――自分の手が赤く汚れているのを思い出して、気まずさから手を隠しながら「…子供は?」と尋ねます。
「あちらに。もう泣き止んでいますわ」
安心させるような笑みを向け、子供のもとへ戻ろうとする娘でしたが―――ふと、足元の死体を前に立ち止まり、小さく呟きました。
彼が「え?」と言うと娘は「何でもありませんっ」と明るい声を出して駆け出します。
座り込む子供のそばにはいつの間にか白い子兎もいて、どうやら慰めているようでした。
それに娘も加わって子供の背を撫でてやると、子供は安心したのか娘の膝に抱きついたまま寝てしまいます。
「まあどうしましょう」と子供を撫でる娘に曖昧な返事をしながら、彼は先ほど―――本当は聞こえていた言葉を思い出し、放置されてる死体へと振り返ります。
『………美味しそう…』
そう呟いた娘の代わりに、死体に齧り付いているのは数人の餓鬼でした。
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