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春夜恋  作者: ものもらい
本編:
12/28

11.




穏やかさから一転、惨い夜を迎えた二人は―――そんな夜を迎えても、二人は共に暮らしていました。


というのも、あの夜が明け、正気になった娘は気まずそうな顔をして俯いて木の影から出ようとしなかったのですが……彼に強引に連れ出され背負われ、そのまま家に連れ戻されて今に至ります。


彼は化け物である娘が不気味に思うほど落ち着いていて、以前と変わらず娘を大事にしてくれます。娘がぎこちなく微笑むと彼も微笑んで、娘がただ糸車を回したりなんとなく窓の方を見つめていただけでも嬉しそうに眺めています。

―――思えばそれは再会してからずっとなのですが、あんな事があった後でも同じ対応をされますと、娘は少し背中が冷えるような思いがするのでした。


対して、彼からすると自身の行動に暗いものはなく、連れ帰ったのはただ娘と暮らしていたい(そうでなければ死んでしまう)だけだし、大切にしたいと思うから大事にしているだけなのです。

だから娘が笑いかけてくれるのは嬉しいし、娘が何をしていても、もはや彼の目には輝いて眩いほどだというだけ。ただ単純で、純粋で―――家族でもない他人にそういった感情を抱いたことがないから、その慕い方も幼いだけ。まったくもって無垢な想いの向け方なのでした。



「―――香春。どうした、どこか具合が悪いのか?」


そっと娘の髪を撫でながら、彼は心配そうに娘の顔を覗き込みます。

娘は戸惑いに揺れる瞳を彼に向け、耐えられぬように目をそらしました。


「……千冬どのは、おかしいです」

「おかしい?」


震える声で言われ、彼は何か変なことでも口にしただろうかと真剣に悩みました。


「おれは、何かおかしいことをしたのか?」

「………」


困ったような声で問う彼に、娘は何とも言えぬ表情を向けます。

彼の顔を見れば本当に分かっていないようで、娘は恐る恐ると口を開きました。


「……どうして…あんな、悪鬼のように人を喰らったというのに……そう平然としていられるのです?何故いつもと同じように、わたくしに触れられるのですか……」


―――朝が来て、正気に戻ったとき。娘は彼が自分を恐れ、慌ててどこかへ逃げ去るだろうと思いました。

そんな彼の姿が見たくなくて、娘は自分から彼から離れ、木の陰に隠れることで少しでも傷を浅くしようとしたのです。……だというのに、彼は娘の予想を裏切り、嫌がる娘を強引に連れ帰りました。

その理由が分からない―――いえ、分かりたくないと思いながらも、娘の複雑な心は黙すことが出来ずに問いかけてしまうのでした。


「あなたが…以前と変わらず、わたくしに優しくしてくださることは、とても嬉しかった……けれど、優しくし続けてくれる理由がわからなくて、とても怖くなりました。

―――ねえ、千冬どのは、どうしておぞましいわたくしを知っても受け入れてくれるのですか。大切に…してくれるのですか……?」


最後は泣きそうになりながら、彼の顔を見続けることが出来ずに娘は俯きます。


涙が零れそうな顔を伏せ、はらはらと髪が流れていく様は彼の心を締め付けるような美しさがありました。


「どうしてと、言われても……」


大切にしたい、一緒にいたい―――そう言っても、きっと「何故?」と娘は問うでしょう。

彼は自分の心の、もっと単純で、最も純粋な気持ちを探りますと、しばらく悩んでから「ああ、そうか」と納得が言ったような声を出しました。


「おれは、おまえが愛しくてしょうがないのだな」


恋という種火から、今。鮮やかに煌く炎へ―――愛、へ。

冬の間の別れを経て、彼は娘を想って薪を積み上げ、娘と再会することで溢れる想いは大きく燃え上がったのだと。

―――そのことにやっと気づき、余計に娘が愛しくなった彼は、照れくさそうに娘に微笑みかけました。


「おれは、常識も何もかもどうでもいいほど、おまえに溺れているから……だからおまえを大切にしたいんだ。

もうどうしようもないほどおまえに惚れているおれにとって、おまえの悪食など可愛いものなんだよ」


想いをどんどん言葉にしてしまうと、彼の胸から夏よりも熱く春よりも華やかな、酔って笑い出したくなる気持ちが溢れてきます。

彼は唐突の告白に目を見開いている娘に傷だらけの手を差し出すと、赤い瞳を甘酸っぱく揺らめかしながら愛しそうに娘を見つめます。


「香春。おれはおまえのどんな一面も愛おしい。たとえこの身が果てても、亡霊となっておまえのそばにいたい。

おまえが望むものならなんだって与えるから―――おれの、妻になってほしい」


彼の告白に、娘の瞳からぽろりと涙が零れ落ちました。

泣きじゃくるわけでもなく静かに流れ落ちる涙と、濡れた表情を隠すように袖で顔を隠しますと、娘は震える声で囁きます。


「わた、くし……わたくしが…生前、焦がれるほど欲したその言葉を……あなたに、言われるなんて……」

「…嫌か?」

「いいえ。嬉しい……嬉しいの。わたくしの…長い長い、夢が…やっと、叶うのですもの。うれしい……だけど―――」

「だけど?」

「わたくし…わたくしの正体を知ったら、きっと。あなたはわたくしを憎みますわ。わたくしを妻にしたことを、きっと後悔する……」

「後悔などしない。おれがおまえを憎むものか」

「うそ。だって、わたくしは―――あなたに、こんな苦しい運命を与えた原因なのですよ」

「………えっ?」


驚く彼に隠れて、娘は自嘲の笑みを浮かべました。

震える声を抑えきれないまま―――遠い過去に、目を伏せます。



「……わたくしは、父は貴族でありましたが……母は父の屋敷で働く下女でした。

ある日母を見初めた父は人目を忍んで逢瀬を重ねましたが……ついに関係が露見してしまい、母は屋敷を追われ―――そんな中でわたくしは産まれました。

母はわたくしを背に、伝手を頼って都から外れた屋敷の下女になり、わたくしも言葉が話せる頃には母の手伝いをして……働いておりました」


そこまで語ると、娘は浅く息を吐きます。

今はもう色褪せた記憶でございますが、娘にとって、あの頃が一番幸せな日々でした。


「周りの方々はとても優しい方ばかりで、皆わたくしのことを可愛がってくれました……母も、わたくしの成長を誰よりも喜んでくれて……いつだって抱きしめてくれました―――病で死ぬ、寸前まで」

「……おまえの母御もか…」

「ええ…あのときはわたくし、お母様から離れたくなくて…引き離されてからもずっと、お母様を呼んでは泣いていました……それしか、出来なくて……簡単なお仕事も手につかないわたくしを、あの方々は叱らずに庇ってくれました。今でも申し訳ないです…」


くすん、と鼻を小さく鳴らす娘が見てられず、彼は娘の肩を寄せそのまま軽く叩きます。

とんとん、と規則正しく伝わる優しい振動に少し慰められた娘は、顔を隠していた袖をそっと下ろしました。

それでも彼の顔を見る勇気は出ないようで、その目は足元をじっと見つめ続けます。


「…でも、このままではいけないと思い、わたくしは追い出されないようにと必死で働きました。働いて、その合間合間に母を恋しく想って……思わず泣いてしまっているときに、屋敷の姫様に出会いました」

「姫が?」

「お転婆な方で、よくあっちこっちへ駆け出しては叱られていましてね。その時も、ちょっとした冒険だったのでしょう―――思えば、あれはお母様の導きかもしれませんね」


二人が出会ったとき、娘が仕事の合間に母を想って泣いていた場所は、かつて母が娘を抱きしめたり、甘えさせていた場所でもありました。

そんな人目につかないその場所に導かれるようにやってきた姫君は、娘に新たな道を与えます。


「姫様はそれからもよく遊びに来てくれまして、そのたびに怒られるのですけどまったく気にしなくて……ついに姫の付き人が北の方に訴えて、北の方も姫様をお叱りになったのですが、姫様は反省するどころかわたくしをそばに置きたいとねだったそうです」

「それで……そばに仕えたのか?」

「はい。北の方も、わたくしを気に入ってくださったようで…女童として、姫様にお仕えしました」

「なんというか……娘に甘い親だな……」

「そうですね…でも、そのおかげでわたくしは姫様にお仕えできて……そこまで必要として頂いて……嬉しかった…」


娘は微笑を浮かべるも、すぐに暗い表情に戻ります。


「けれど……お父様と再会してからは…」

「さ、再会出来たのか?」

「はい、偶然…ですが。姫様の飼い猫を追っていたら、客人として招かれていたお父様の前に出てしまって……お母様のことを知ったお父様はとても悲しんでおられて―――忘れ形見であるわたくしを連れて行きたいと。……、あの屋敷で、わたくしとの別れに泣いてくれたのは、姫様だけでした」

「………」

「わたくしは……いいえ、やめましょう。思い出したくない…―――屋敷に住んでから、父はわたくしのことをとても可愛がってくれました。わたくしの着るものも身の回りのものも、贅沢なものばかりで……わたくしが和歌を詠んだり、琴を弾いたり…どんな些細なことであっても、父はわたくしを褒めちぎってくれました」

「……そうか…」

「―――そうして父の妻…北の方の御子よりも優遇したことによって、わたくしは北の方に心底憎まれました」


内心、自分と違って良い父親を持ったのだな、と羨ましく思っていた彼は―――娘の冷え切った声に、目を見開きました。

娘は淡々と、話し続けます―――。


「毎日毎日…寝る間すら穏やかではなく。父は北の方の虐めを知るとさらに過保護になって、それがあちらの怒りを煽って……沼に沈むような心地でした」

「……」

「そんなわたくしを慰めてくれるのは、お仕えしていた姫様との文です。あれがなければ、わたくしはもっと早く…()()()()()でしょう……」

「え…」

「…わたくしも大人になりますと、沢山の殿方が求婚してきました。その殿方の中には北の方の姫君が思いを寄せる殿方がいらっしゃったようで……喧嘩、と言いますか…それに似たようなものがありまして……なんだか疲れてしまったわたくしは、都から離れて……祖父母の元で休むことにしました。

しばらく静かな生活を続けていますと、心も安らいできて……やっと疲れも取れた頃、北の方と姫君がわたくしを訪ねてきました」


娘はほんの少し、顔を上げて―――桜並木のある方へ、視線を向けました。


「わざわざ遠方からわたくしに謝りにきた北の方と姫君に仲直りできて…嬉しかった。

北の方には嫌われていたわたくしですが、姫君はわたくしを慕ってくれたから…妹がいたら、こんな感じなのだろうかとよく思っていた人だから―――…喧嘩をして、仲直りしたことで、本当の姉妹になれたような気がして……」

「香春…」

「嬉しくて、わたくしは…姫君が山桜を見に行こうと誘ったとき、二つ返事で支度をしました。

鬼が出るという山を、供を連れて―――この世で最も妖しく美しい桜を、見に行きました」


娘は桜並木の方から、彼へ視線を移します。

彼を見上げた娘の顔は、美しいというのに恐ろしい、あの桜の木のようでした。



「―――そこでわたくし、殺されましたの」



娘はますます笑みを深くして、白い手で固まる彼の頬を撫でます。


「供として付いてきた者たちが、わたくしを捕まえると鬱憤でも晴らすように殴ったり蹴ったり……腹を刺されて、ぐるりと刃を回された時はとても痛かった。

わたくしの髪で首を絞めたり、腕を折ったり、足を折ったり。顔を横一文字に斬ったり。片耳を切り落とされたときは何が何だかわからなくて、歯が折れて上手く言えなかったけれどずっとずっと謝って許しを乞うておりました。片目を拳で潰されたときはもう、声も枯れ果てて―――反応がなくなったわたくしを、あの者共はどうしたと思います?」

「……ど、どう……って……?」


呪詛のように鬼畜の所業を語られて、彼は震える声しか出せません。

今まで目の前の「化け物」には感じなかった恐怖を―――彼は今、「人間」に感じて、そのおぞましさに逃げ出してしまいたくてしょうがないのでした。


「あらかじめ掘っておいた穴に投げ込んで、埋め始めましたの」

「ァ……あ、そこ、に…?」

「ええ……わたくし、必死で逃げようと這い上がったのですけど、そのたびに太刀で殴られ……終いには、北の方がわたくしに、こう言い捨てましたの―――『妾腹の卑しい女が、あの方の全てを―――財産までも独り占めにするだなんて許せない』と。

笑ってしまうでしょう?わたくしが殺される理由が、そんなものなのですよ。

助けを求めるわたくしを見捨て、逃げるように木の陰で縮こまっている娘も、金を理由にわたくしを殺しにきましたの。

高貴なお家の姫であったあの女も、鬼のような醜い顔で、這い上がろうとするわたくしの顔を焼きましたの。

――――そしてその女たちの血を引くのが、あなたたち兄妹なのですよ」


いつの間にか彼の顔に爪を立てていた娘は、流れる血を指で掬っては笑います。笑っているのに、その目は憎悪で燃え滾り目が合えば凍えるようでした。


「……おれとちはる…が……?…おまえの……」


上手く理解できない―――理解したくない彼に、娘はとてもにこやかに物語の結末を語ります。


「極楽になど行けようもないわたくしは、()()()()()()()()方々の力を借りて、あの者共を祟ってあげました。

男たちは一人一人、家族まとめて私が食べてあげましたし、北の方にはずぅっとおそばにいてあげて、屋敷が火事の間も抱きしめて子守唄を歌ってあげましたの。

お父様はすでに私を追って亡くなってしまいましたし、頼るものもいなくなった姫は勝手に落ちぶれていったので、放って置きましたのよ。だって―――」



―――楽しそうに話す娘の肩を引き寄せて、そのまま娘を強く抱きしめます。

そうすると彼の胸に押し付けられた娘の顔が苦しそうにもがきましたが、彼は気にせず抱きしめて、かつて痛めつけられたのであろう頭を、耳を、腕を―――震える手で、労わるように撫でます。


「……おまえの気が済むなら、今、おれを殺してもいい」

「………もとより、そのつもりでした」

「そうか」

「あなたが、あの桜の下に妹君を弔ったとき―――あの女の末だと、気づきました。

……本当は、妹君も許せなかったけれど、あなたはわたくしの手を、心を込めて弔ってくれたから…誰とも知れぬわたくしのために花を捧げ、祈ってくれたから……妹君は、許して差し上げました」

「…ありがとう」

「………」


最愛の妹を許してくれたことに何よりも安心して、彼は抱きしめた娘の髪を優しく撫でます。

偽りのない気持ちが伝わるような手のひらを感じて、娘は小さく浅く息を吐きました。


「…その代わり、あなたを殺して……全て終えようと思いました。

けれどあなたったら、わたくしのことをちっとも怖がらないし、無反応だし……このまま死なせて楽になんてさせないと、そう思って食べ物を渡したら、あんな顔をするし……だんだん、わたくしが会いに来ると嬉しそうな顔をするし―――もう、わたくしもどうすればいいのか分からなくなって……理性なんてほとんど残っていなかったはずのわたくしの心も、あなたが話しかけてくれると落ち着いてしまうの」


娘はぎゅっと、彼の着物を掴みました。

そして、震える声で、彼の胸元を濡らすのです。


「あなたが…わたくしに何か与えるたびに、幸せだった日々を思い出してしまうの。

あなたがわたくしの傷を癒してくれるたびに、あなたに泣きつきたくなるの。

あなたが……わたくしを大切にするたびに……」


耐え切れず、娘は泣き声をもらし、今にも座り込んでしまいそうなほど足から力が抜けました。

それを彼はしっかり支えると、あやすように娘の背を撫でます。


―――その優しい手つきは、遠い昔の母の手を思い出させました。


「わたくしと共にいると、幼子みたいに幸せそうな顔をするあなたを見るたびに……愛しさと、罪悪感がこの胸を裂こうとするの……どうしよう。わたしはどうすればいいの。わたし、わたしは……あなたに愛されたいのに……許されない…」


まるで迷子の子供のような彼女に対して、彼はとても穏やかで、満ち足りた顔をしていました。

泣きじゃくる娘を両手で強く抱きしめ、娘の髪に頬を当てた彼は静かな声で囁きます。


「誰が許さないんだ?」

「…っく、……ぅ、……あ、あなたが…」

「おれが?」

「あ、あなたの…あなたの家族を、不幸に追いやった原因はわたくしにありますっ。わたくしの呪いが、あなた方の人生を歪めてしまった…!」

「…そうかもしれないな。だが、おまえが呪わなかったとして―――この髪も、目も、普通のものだったとしても……おれたちが幸せになれるかどうかは分からないものだ。

……まあ、母上と千春、二人ともっと過ごしていたかったとは思うが……」


彼の悲しげな呟きを聞いて、娘はさらにぼろぼろと涙を零します。

そして、やはり許されぬ身だと諦め、離れようとして―――その濡れた頬を、彼の両の手が包みました。


「―――二人を恋しく思う分、おまえが埋めてくれればそれでいい」


微笑むその顔は、とても優しく。

娘の呪いを受けて赤く染まった瞳は、日差しを浴びる花弁のように柔な色を浮かべていました。


「……な、ぜ……」

「おれはずいぶん前に言ったな。おまえにどうしようもないほど惚れている、溺れているのだと……だから、おれはおまえを恨まない。おまえの怒りも憎悪も受け止める」

「……」

「その代わりおまえも、おれの孤独も寂しさも癒してくれ。

そうやって、二人で嫌な感情も出来事も円くして幸せを作っていく―――それが、夫婦だからな」

「…夫婦……まだ、わたくしのことを、望んでくれるのですか…こんな……疫病神を?」

「確かにおれの一族からしたら、そうかもしれない。……そうだな、この際はっきり言おう。確かにおれは、この髪も目も、境遇も―――それを与えたであろう神を憎みもしたが、今は違う。

おまえは、おれの妹を許しその魂に手を出さずにいてくれた。おれの妹に花を捧げ、妹に祈るおれを風から庇ってくれた。……ただの疫病神じゃない。おまえは憎い女の血を引く子供だと知っていても、優しくしてくれたのだから。―――心ある人間なんだ。

悪霊でも、化け物でもなんでもない、ただの……守ってあげたい、大切な娘なんだよ」



彼の傷だらけの、苦労の滲んだ手に、娘の熱い涙が伝い落ちます。

止めどなく溢れるそれを掬おうと頬から手を浮かすしますと、娘の白い手が止めるように、離れていかないようにと彼の手を押さえます。


そして、きらきらと光が煌く瞳を揺らして、憎悪も苦痛も抜け落ちたような瞳で真っ直ぐ彼を見つめました。



「―――…やっぱり、わたくし……あなたの妻になりたい。あなたが望んでくれるのなら……あなたと、幸せを作っていきたい。わたくしと……夫婦になって、くれますか?」



彼は、何よりも愛おしく娘を見つめて頷きます。

喜びでまた泣いてしまう娘にこちらもつられて泣きそうになりながら、彼は娘に囁きました。


「ずっとずっと、一緒でいよう。―――幸せに、なろう」

「はい。……約束、ですよ?」



夏の夕暮れ。

けれど桜の花びらがどこからか流されて、初めての口づけを交わす二人を祝福するように、薄闇に舞い上がりました。






.


*「北の方」⇒正妻のこと

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