ルームメイト
――とまあ多少省きはしたが、そこまでが俺が記憶している昨日の出来事だ。
さて、俺が寝たときにはベットの下段が空いていて、二段目に誰かが寝ていたはずなのだがな。
「そういえば最初は二段目で寝てた気がするわ。水飲んで帰ってきたときに一段目で寝ちゃったのかも」
なるほどなるほど、俺が部屋に入ったときに寝ていたルームメイトはミツキだったのか。
「……どっちで寝るのか決めてないのかよっ!」
誰が悪いのか、白日の下に晒されたな。
組み伏せられたままの姿勢で俺が指摘すると、ムッとしたようにミツキは答える。
「ちゃんと決めてるわよ。そのときの気分で」
「それは決めていないのと一緒と言うんだ」
そのとき廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、勢い良く部屋の戸が開かれた。
「大丈夫ですか! さっき変な声が……あ」
ドアから顔をのぞかせた宿の従業員が、ベッドの俺たちを見て固まる。
よく見れば俺もミツキもかなりの薄着であった。
よく見なくても、ミツキが俺を押し倒していた。
「あの、し、失礼しました」
そそくさとドアを閉める従業員さん。
さあどうしたものか。
「あれ、絶対誤解してるよな」
◇
「すみませんすみません!」
下宿先である『飛べないドラゴン亭』の一階、朝食の用意がなされた酒場兼食堂で、従業員のサナさんが俺たちへの謝罪を繰り返していた。
頭をさげるたびに、二つのおさげがサラサラと肩からこぼれ落ちる。
少し長めの前髪の下にあるのは、田舎の宿屋に似つかわしくない、どこか気品の漂う顔立ちだ。
「アルマさんというから、てっきり女のかただとばかり……」
「もしかしてそれ、アルマートの間違いじゃないですかね」
アルマートというのは俺の姓だ。
採用当日の書類受付でバタバタしてしまったのだろう。無理やりねじ込んだ役場にも落ち度があるな。
「本っ当にすみませんでした!」
サナさんがひときわ大きく頭を下げる。
要するに、女性名のような姓から俺のことを女だと勘違いして、ミツキと相部屋に割り振ってしまった、ということらしい。
どんなに気を付けていても、こういうミスは起こるときには起きてしまうものだ。まあ、だからこそ信用を失わないように必死で防ぐ必要があるのだけれど。
「そんなに謝らなくてもいいわよ。実害は被ってないんだし」
実害はないというミツキの言葉に安心して、俺も頷きを返す。
「そうだな。俺も同意見です」
「……下着姿は見られたけどね」
ミツキがぺろっと舌を出す。
「実害はないんじゃなかったのかよ……」
あとからそう言うのは反則だろ。
「とりあえず別々の部屋に割り振りなおしてもらえますか」
俺がそう提案すると、サナさんは「それが……」と言いよどみ、さらに泣きそうな表情を浮かべた。
「滅多にないことなんですが、ほかの部屋も満室でして……」
「なん……だと……?」
この村には他の宿泊施設はないと聞いている。
「それに、もし空室が出た場合は、お二人それぞれから一室分の家賃を頂くことになります」
「なん……だって……?」
二人部屋を一人で占有するのだから当然ともいえるが、もともと相部屋で想定していた家賃が二倍に増。
ちなみに家賃は毎月の給料から天引きだ。手元にいったい、いくら残るんだろうね。計算するのも薄ら寒い。
「なんとかなりませんか」
「こちらの落ち度もありますが、もともと男性だと分かっていた場合でも、やはり一室分ずつ料金をいただきますので」
「そりゃそうか」
気弱そうな少女でもやはり商売人。このあたりは譲る気がなさそうだ。
もとより、消え入りそうな声で詫びるサナさんをこれ以上イジめる気は毛頭ない。
いや、でもちょっとイジめたくなるオーラ出してるよなこの子……。
ハッ! だめだめ! いじめ、かっこ悪い!
「同じ住所なんだから、俺の住民登録のときに気付いてくれればよかったのに」
「事務的にチェックして問題なければ、人の住所なんてまじまじ見ないわよ」
「むう」
正論だ。それに今更言ってもしょうがないしな。
「そういえば俺達の隣の部屋は? 人のいる気配がなかったけど」
俺の索敵に引っかからないほどの隠蔽技能を宿屋で展開する意味はない。
つまりあれは空き部屋――どうだっ。
なんとなくサナさんを追い込んでいるような気がして、俺の気分は高揚してくる。
ハッ! いかん、いかん。
「そこはリリィシュさんの……あ、いえ、すいません。あの部屋はずっと使ってる人がいまは留守にしているだけで、私物もそのままなので……」
リリィシュ? 長期滞在している人だろうか。でもそうか、そこが使えないとなると……。
「仕方ない。空き室が出るまでしばらく野宿かな。それか村長に頼んで役場のソファでも使わせてもらうか」
俺が諦めかけると、「ダメよ」とミツキに強い口調で否定された。
「命の恩人を追い出しておいて、自分はのうのうと屋根の下でくつろげるような神経をあたしは持ち合わせてないわ」
「そんな大袈裟な」
もう済んだことだし、こんなときに持ち出さなくてもいいだろう。
「大袈裟ではなくて、命を救われたのは事実よ。どちらかが部屋を出るのだとしたら、それはあたし」
「それこそ俺が社会的に死んでしまうわけだが」
同僚女子を寒空の下に放り出して、どのツラさげて仕事にいき、村で暮らせというのだ。
するとミツキは少し逡巡したのち、なにかを思い付いたような顔をして、おもむろに俺の肩を掴んだ。
気のせいか、少し顔が赤い。
「一つ確認するけれど」
ミツキはすう、と息を吸い込んでから言った。
「シロックはその……あ、あたしのこと、どう思ってる……?」
「どうって」
俺はしばし逡巡する。
俺の中でミツキといえば、大猪を素手で倒す実力。
それに似合わぬ端正な顔立ち。
あと横で見ていると分かるが、仕事の飲み込みも存外早い。
「なかなか大したやつだと思っているが」
「そうじゃなくて!」
ミツキはもどかしそうに手をバタつかせた。
「あ、あたしのこと……苦手?」
「そんなわけないだろ」
反射と言ってもいい。自分でも呆れるほど俺は即答していた。
無論、嫌う理由もないのであるが。
「そ、そう? よかっ……ううん、それなら大丈夫ね」
ほっとしたように、へなへなと脱力したミツキはサナさんのほうを振り返る。
「部屋、このままだとなにか問題ある?」
「いえ、おふたりさえ良ければ、こちらとしては特に問題ありません」
「……だってさ」
と俺のほうへ顔を戻す。
「なにがだ」
分からないの? とでもいいたげに小首を傾げたミツキが見返してくる。
いや分かるけどさ。そんなかわいらしい仕草しなくても分かるけどもさ。
「さすがにそれは、まずいだろ」
ミツキの言いたいことは分かるが、合理の前に倫理ってものも必要だろう。
「なら代案を示しなさいよ。五秒以内に」
「ごびょっ……いやもうちょい待って。えーっと」
勝気な顔で無茶な要求をしてくれる。
「ハイ、時間切れ。この件はこれで片付いたわ。とっとと朝ご飯食べて出かけるわよ」
そういって澄まし顔のミツキはさっさと食卓に着く。澄まし顔だが顔が赤い。
「片付いてない。話はまだ途中だ。それに出かけるってどこに……」
今日は七日に一度の安息日で、仕事は休みのはずだ。
「休みだから、シロックにこの村を案内してあげるんじゃないの」
「んぐ……」
焼きたてのバケットをミツキに突っ込まれ、俺の口は沈黙するほかなかった。
呼吸困難に陥る俺を見ながら、ミツキは目を細め、さも幸せそうに微笑む。
もしかして、加虐趣味?
こうして、半ばミツキに押し切られる形で俺たちの共同生活が始まった。