役場
「ようこそイカーナ村役場へ」
「…………」
「住民登録はこちらの用紙に記入していただきます」
「…………」
「それともなにか他のご用件でしょうか?」
「…………」
「なんとか言ったらどうなの? ねえ?」
「ミツキはここの職員だったのか」
いつになったら食い物にありつけるのかなー、などと割と死活問題的なことを考えながら俺は目の前のカウンターに立つ少女を眺めた。
「ふふふ……何を隠そう実はそうなのよ!」
両手を腰に当て、役場の制服の胸を張る。
「といっても、今日からなんだけどね!」
仕事に燃える新人って感じの張り切りようだ。見ているこっちも微笑ましい。
よく見ると、森の中で摘んだ花がご丁寧にカウンター上の花瓶に活けられていた。
こいつのために朝っぱらから大猪に囲まれていたわけか……。
一歩間違えば失われるはずだったカウンターの中の眩い笑顔を眺めていると、ふいに後ろから声がかかった。
「なーに勝手に窓口に立っとるんじゃぬしは」
その声にミツキはぴくんと肩を震わせると、直立の姿勢をとった。
「まだ配属も決まっとらんのに」
「あの、これは、その」
しどろもどろになるミツキの顔の先を追って、声がしたほうを振り返ると誰も居ない。
「あれ?」
「こっちじゃこっち」
下からの声に視線を降ろすと、眩しいくらいの銀髪をした女の子がこちらを見上げていた。
ゆったりとした白いローブに見を包んでおり、しかもそのローブには見事な刺繍が施されている。とてもそこらの村の子供が遊び着に使う品ではない。
「えーと……」
どう声をかけたものかと思案しているうちに、向こうのほうから口を開いた。
「ぬし、何者じゃ。このイカーナ村役場へ何用じゃ?」
幼女は値踏みするように俺の足先から頭まで視線を走らせた。
「その常闇のような髪と瞳……あやつを思い出させる」
その容姿に似合わぬ口調、底知れない金の瞳に一瞬俺は気圧される。
――今思えば、なんらかの幻惑魔法をかけられていたのかもしれない。
気付いたときには、俺は己の洗いざらいを、得体のしれない目の前の幼女に話はじめていた。
◇
――俺の家は代々続く、護身術士の家系だ。
というか、俺の故郷である『神我の里』というところは、護身術士の巣窟なのだ。
ほとんど外界との交流を断ち、独自の生活文化を築いたその村。
外からの情報源と言えば、たまにやってくる薬師くらいのもので、俺はしょっちゅうその人にせがんでは世界のことを教えてもらったり、書物を譲ってもらったものだ。
俺の知識のほどんどの出所がその辺りだと思っていい。
そんな神我の里では、大昔よりとある戦闘技能の伝承が行われていた。
――それすなわち、神我流護身術。
攻撃手段を一切持たない、防御一辺倒の戦闘技能である。
ミツキも疑問を呈していたが、なぜそんな偏ったスキルが存在するのか。俺にだって謎である。
まあ、神我流の起源は諸説あるのだが、ここではそれは省略しておこう。
生まれたときからその技を叩き込まれた俺は、物心つく頃にはすでに一切の攻撃ができなくなっていた。
神我流護身術のおそろしいところは、それを習得してしまったら最後、あとから攻撃スキルを追加しようと思っても不思議とそれができなくなることだ。
師でもあった父が言うには、それはスキルに関する一種の制約、呪いのようなものらしい。
しかしそれと引き換えに、神我流護身術は戦闘技能の中でも無類の防御力を誇る。
父は神我流の素晴らしさを語り、俺はそれに感化されていった。
子供だからな。親の言うことがすべてだ。閉鎖的な集落でもあったことだし、なおさらである。
やがて読書好きだった俺は、村や薬師の書物を読み漁り冒険者に憧れるようになった。
男の子だもの。誰だって通る道だ。俺だって通る。
唯一、俺がほかの子たちと違ったところは、実際に冒険者になるために王都を目指して村を飛び出してしまったところだったが……。
そのあとのことは、そう何度も思い出したいことではないため割愛する。
俺が入った冒険者ギルド『ワーウルフ』、これがとんでもない悪徳ギルドであったこと。
経費拠出と偽り、あり金ほぼすべてをギルドで使い込まれたこと。
歓迎クエストと称して俺を山奥に連れ出し身ぐるみを剥ごうとされたこと。
その辺りのことをかいつまんで説明した。
「――とまあ、しばらく茫然自失としていたせいで帰り道も分からなくなり、あの山奥を彷徨っていたというわけだよ」
カウンターから出て話を聞いていたミツキが、ゆっくりと俺に近づいた。
「そんなことがあったあとで、あたしを助けてくれたんだ……」
ふいに手を伸ばし、俺の頭をかき抱いた。なぜそんなことをしたのか、自分でも分からない、とのちに彼女は語る。
「その技能のおかげで助かったのよ」
優しく、柔らかなものに包まれて何かが洗い流されていく――
はじめて認められたような気がして、誰にも気付かれないように俺は泣いた。
「まあ、なんじゃ……えらい目にあったようじゃな。しばらくはこの村でゆっくりするがええ」
いまとなっては、よくあることなんだろうと思うし、ようするに俺が世間知らずなだけだったのだが、目の前の幼女は気を遣ってくれた。
よくできたお子さんだ。頭を撫で撫でしたくなる。
「ゆっくりしようにも先立つものが無くてはなー……」
俺は財布を逆さに振った。
ポーションひとつも買えない程度の小銭しか出てこない。
「なんじゃぬし。宿賃も持っておらんのか」
「あんなギルドに預けずにもっと手元にとっておくべきだったよ。ミツキ、すまないが100ペルクほど貸してくれないか?」
100ペルクもあれば、どこかの飯屋にでも入って十分な食事がとれるだろう。
とにかく何か腹に入れないと、いまにも倒れてしまいそうだ。
そんな俺とミツキのやり取りを見て「うーむ」と唸っていた幼女であったが、パッと顔をあげると、こんなことを言い出した。
「ミツキ、ぬしが初仕事の相手にしようとしとった相手は、これからぬしの同僚になるかもしれない男となった」
「えっ」
ミツキが驚いて声をあげる。
「本年度採用のイカーナ村役場職員、一名追加じゃ」
「へっ」
俺も間抜けな声が出てしまう。
「もちろん採用試験は受けてもらうがな」
俺は姿勢を低くすると、銀髪の女の子の頭を撫でた。うわっ、すっごいサラサラしてる。
幼女は少しむっとした表情を浮かべたが、すぐにくすぐったそうに身をよじった。
「気遣ってくれてありがとう。でも、おままごとはここまでな。そりゃここで働けたらいいなって俺も思うけど、そういう話は君が大きくなって村長さんにでもなって……」
俺が言いおわる前に、幼女は頭の手を払いのけると親指でビッと自らを指した。
「わしが現イカーナ村村長その人である!!」
再度、俺は間抜けな声をあげた。




