中和
「先ほどは災難でしたね」
グラスを手にしたどこかの町役場の職員が、俺に声をかけてくる。これで十人目だ。
総合得点一位になってしまったことに加えて、クカラキンのせいで俺は一躍脚光を浴びてしまっていた。
もともとそんなに社交的でもない俺は、押し寄せる人の波に早くも辟易していた。ここで結んだ縁もいつか役に立つ日が来るかもしれない。そう思って真面目に受け答えをしていたのだがさすがに疲れるというものだ。
と、そんなとき見知った顔が俺の前に現れた。
「初日ぶりですね、アルマートさん」
クリスだった。
「この度はおめでとうございます。さすがと言ったところですね」
「いや、たまたまですよ」
笑顔を作って答えながら、俺は心の中で身構えた。この男、柔和な笑顔の下に何かを隠しているのは間違いない。護身術士の直感だ。
俺は内心を顔に出さないように努めながら対応し、クリスと世間話のようなものを交わす。しかしお互い腹の探り合いからなのか、牽制的な沈黙が挟まれがちになり、その度に誤魔化すように飲み物に口をつけているうちにお互いのグラスはすっかり空となってしまった。
「ところでミツキさんは? 一緒ではないのですか」
「あいつなら、つまみの調達に出たっきりですよ」
「そうですか。彼女には個人的によくしてもらっているので、あいさつがしたかったのですがね」
終始にこやかだったクリスの表情が一変し、薄っすらとその瞼を持ちあげる。
「……へえ、そう」
「ふふ」
俺が気の抜けた返事を返すと、やつは酷薄そうな笑みを浮かべた。
金も、地位も、女も手に入れる。そういうことを考えている男の顔だった。
(こいつ、こんな顔もするのか……)
そのとき、タイミング良く別のテーブルの料理をつまみに行っていたミツキが俺たちのところに帰ってきた。
「ただいまー。はいこれお肉。あと新しい飲み物、クリスにも」
皿に盛られた料理を俺のそばのテーブルに置いてから、器用に持ってきた二本のグラスを俺とクリスに差し出す。
「おお、悪いな」
「ふたりともグラスが空いてるのが見えたから戻ってきたのよ」
まるで図ってきたかのようなナイスタイミングだな、と思ったら実際にそのとおりであった。
「ありがとうございます」
クリスは爽やかな笑顔をミツキに向けてから、グラスを受け取った。
「それじゃ、乾杯といきましょ」
自分のグラスも用意したミツキが、唐突にその手を掲げる。
「シロックの一位にかんぱーい」
そう言ってチンチンと俺たちのグラスに軽く合わせたかと思うと、ぐっと一息で飲み干した。
一瞬、呆気にとられた俺だが、慌ててあとに続いて中身を飲み干す。うん……? なんだこれ、ジュースか?
ミツキの前でいいところを見せようとしているのか、クリスもなんでもないような顔をして透明ブルーの液体をするりと喉の奥に流し込んだ。
その瞬間、ミツキの口角がわずかに吊りあがったのを俺の目の端が捉えた。
「ぐっ……!?」
急に苦しそうな声で呻いたクリスの手から空のグラスが離れ、吸い込まれるように床へと落下する。
硬質な破壊音が響き渡り、俺たちの周囲は一瞬の静寂に包まれた。
クリスは震える手を動かし、自らの顔を覆う。いや、いまや全身が小刻みに震えていた。
「可能性は半分くらいかと思っていたわ。もし間違ってたときは、変なもの飲ませちゃったことを謝ろうと思ってたけど、その必要はなさそうね」
そう言うとミツキは真っ赤なドレスのスカートをバサッと翻し、太ももに結わえ付けていた短刀を俺に放った。
「うお……ってこれ、俺の護身刀じゃねえか」
部屋に置いてきたのに、いつの間に持ち出したんだ。
「構えてシロック」
ミツキが静かにそう言うと、突如、俯いていたクリスの華奢な身体が倍以上に膨れあがった。
まるで、切り裂いたぬいぐるみの中からぎゅうぎゅうに詰められていた綿が飛び出したみたいに、押し込められていた肉体が一気に解放される。
着ていた瀟洒な服は張り裂け、先ほどまでクリスだった何者かの体は、灰色の剛毛に覆われた。手足は伸び、爪は禍々しいまでに太く鋭く生え揃っていく。端整だった顔は鼻口が異様に前に突き出し、耳は獣のそれとなった。
「獣人族……」
俺の口から呟きが漏れた。
獣人族は大きくふたつのタイプに分かれる。
人型をベースにしたタイプと、獣寄りの姿のタイプだ。
身近に俺がよく知る獣人族は、体の一部以外はほとんど人族と変わらない前者のタイプ。だが、目の前のクリスの姿は、むしろ二本足で立ちあがった犬のような姿だった。
なんとなく、イカーナ村で商隊を襲った犬鬼を思い出す。
「何を……飲ませた」
耳障りのよかったクリスの美声とはまったく違う、軋むような金属質の声が響いた。
周りを威圧するような力を持った声に、俺は自然と神我流護身術の構えをとる。
「悪いオオカミさんによく効くお薬を、少々」
どこから取り出したのか、ミツキはコトリとテーブルの上にポーションの空き瓶を置いた。
やる気のない字で『にゅーとらる』と書かれたラベル。間違いない。メイカのポーションだ。
ニュートラルポーション――支援も含めたすべての魔法効果を消滅させる薬。
当然、その中には変身薬による効果も含まれる。
変身薬……そうか。クリスという人物は、変身薬によって何者かが化けていた姿だったのか。
ミツキが昨日からずっと何か考え込むような雰囲気を見せていたのは、試験のせいではなくこの計画があったからなのか。
だが何故? ミツキはいつ、こんなことを思いついた?
「ひとつ聞くけど、クリスって人物は実在するのかしら?」
戦闘態勢は継続したままで、くいと首を傾げてミツキが尋ねた。
「ああ、実在の人物だ。……正しくは実在した、だがな」
「そう……」
昨日の献立を聞かれたかのような気軽さで獣人が答え、ミツキは嫌そうに顔をしかめた。
短いやり取りだったが、俺はクリスという青年がもうこの世に居ないことを悟った。
目の前のこの獣人族の男は、自分の目的のために何人も殺してきている。そんな威圧感を放っている。
「お前はいったい何者なんだ……」
「フゥ、それを話す前に少し人払いをしようか」
獣人族の男は軽く一息つくと、鋭い爪を体の横に向けて払った。
「『斬空爪』」
ザシュッ――!
太く、鋭い爪から斬撃が放たれ、離れたところに居たドレス姿の女性から血飛沫があがった。
「キャアアアアア!!」
驚いたような表情のまま無言で崩れ落ちるその女性の代わりに、周りにいた人々が悲鳴をあげた。
「何を……!」
俺は目を見開いて獣人族の男を見た。それから逃げ惑う人々の流れの先に視線を移す。
パーティー会場は一瞬にしてパニックに陥り、人々は我先にと出口のドアに殺到していた。
押し合い、へし合いして流れから弾き出される人や、躓いて転んだまま踏みしだかれる人の悲鳴がこだまする。
「フゥフッ、人間とは醜いものだな」
獣人族の男が目を細めて笑う。開いた口の隙間からはぞろりと鋭い牙が覗いた。
「さて、我が何者か、だったか。それはそこの娘がよく知っているのではないかな?」
会場から俺たち以外の人間が出ていったことを確認すると、獣の男はミツキに視線を向けた。
ミツキはその視線を正面から受け止め、睨み返す。
「ミツキ、知っているのか?」
「ええ……たぶんこいつが『ワーウルフ』のギルドマスター。名前はズィズと言ったかしらね」
「やっぱり、そうなのか……」
ミツキの口から放たれた言葉は、なんとなく俺が予想していたとおりのものだった。
もっとも、ズィズという名ははじめて知ったが。
「フゥッ、そんなギルドも作ったっけなァ……。愚かな人間を集め、愚かな人間から搾取する――我ながらなかなか面白い思いつきだった」
解散したのはつい最近のことのはずなのに、忘れ去った遠い過去のことのようにズィズは言う。
搾取された側の俺としては、あまり愉快なセリフではないな。
「しかし貴様、クリスの容姿に釣られて近づいて来た他の人間の雌と同じかと思っていたが……」
クツクツと喉の奥を鳴らしながらズィズは凄みのある笑みを浮かべてミツキを眺めた。
「なかなかどうして、我の正体に気付いて暴こうとするとは気骨のある女だ」
「はじめから気付いてたわけじゃないわよ?」
とミツキは一歩も引かずに真顔で応酬する。
「ほう? いつ気付いた」
「さっきも言ったけど、可能性は半分くらい、確信は最後までなかったわ。でもきっかけは、シロックとあなたのはじめの会話のとき」
「研修初日の? 何を話したっけか……」
クカラキンとの勝負の印象が強くて、あまりはっきりとは覚えていない。
そしてその内容が『ワーウルフ』とどう繋がっていくのか、いまだに俺には話が見えない。
「実はその日、あたしはリリィシュのギルドに寄って帰ったの。ギルドの掲示板がどんなものか一度見ておこうかと思ってね」
ミツキは研修初日の帰り、俺と別れてリリィシュのギルドの見学に行った。
うん、この話は俺がリリィシュから聞いた内容とも一致しているな。
「でもそのギルドには掲示板はなかったの。リリィシュに聞いたら、他のギルドでもそんなの見たことないって言うのよ」
「えっ、そうなのか?」
自分の中ではありふれたものとして掲示板を認識していたが、意外とマイナーなものだったのだろうか。
そういえば俺は『ワーウルフ』以外の冒険者ギルドなんて、ギルドホールに入ったこともなかったな。
「それであたし気になって、王都中の冒険者ギルドを調べて回ったのよね」
「ちょっと待て。調べたってお前、一体王都のギルドがいくつあると思って……」
「103よ。調べてみたらそこまでの数じゃなかったわ」
いやいや、多いだろ十分に。
「そいつを全部調べたっていうのか?」
「一応ね。おかげで二晩もかかっちゃったけど」
研修初日と二日目の帰りが遅かったと思ったら、そんなことをして遅くなっていたのか。
「結果、面白いことが分かったわ。……『依頼板』の元となるような掲示板の使い方をしているギルドは、王都には存在しなかったのよ」
「なんだって? しかし実際に俺は『依頼板』を考えたとき、冒険者ギルドの掲示板を参考に……あっ」
――そうか。
ミツキが調べたのは現在の王都に存在する冒険者ギルドだけだ。
かつて存在していたとしても、いまは解散したギルドは調べようがない。
「そう、王都で『依頼板』の原型になるような掲示板を使っていたのは、『ワーウルフ』だけだったのよ」
そういうことか……。
これで研修期間中のミツキの不可解な行動の理由が俺にもようやく分かった。
「つまり、『依頼板』を見て、ギルドの掲示板に似てるなんて発想ができるやつなんて、そもそも限られていたのか……」
クリスとはじめて会話したとき、彼の口からはどんな言葉が出ていたのか。
……思い出すまでもない。
「そう、あのときこいつは言ったのよ、“王都で冒険者ギルドに出入りしていて似たような掲示板を見た”って。そんなことが言えるのは、『ワーウルフ』の関係者だけなのよ」
「いや、でも待てよ。俺のように『ワーウルフ』の被害に遭った人間という可能性も考えることができる。掲示板のことを知っているのは何もギルドメンバー側だけとは限らないだろう」
「だから確かめたのよ、こいつを酒場に呼び出してね」
研修三日目の晩。リリィシュのところのギルドメンバーがミツキが男と夜の街を歩いていたと証言したのはこのことだったのか。
ミツキはクリスを呼び出し、関心があるようなフリをして酒場でいろいろと話を聞き出そうとしたという。クリスは大抵の質問にはまともに受け答えをしてくれたが、自分の過去や冒険者ギルドに関する質問に対しては、はぐらかすような抽象的な答えをしたらしい。
「シロックと同じように『ワーウルフ』に騙されたクチなら、失敗談でも聞けると思ったのに残念だったわ」
クリスは他の話題においては意外と三枚目的なエピソードも自ら披露し飾るところがなかっただけに、悪徳ギルドに騙されたことが恥ずかしくて誤魔化しているという線も消えたらしい。
「なるほど、我も口が滑ったということか。次からは気をつけるとしよう」
ミツキに看破されたことを意にも介さず、といった様子でズィズは淡々と述べた。
こいつはどこかで失敗したとしても、顔と姿を偽ってまた別の場所で同じことを繰り返すのだろう。
他人の命など一顧だにせず。
「口に気をつけるのもいいけどね、人族に化けるんなら体臭にも気を使った方がいいわよ」
「なに……?」
ミツキの一言でズィズはピクリと肩を揺らし、はじめて不快感を顔に浮かべた。
「はじめて会ったときから、犬臭かったのよあんた」




