絶望
「ここは……どこだ……」
俺は辺りを見回して呟いた。
見渡す限りの木、木、樹。
頭が痛い。どうやってここまで来たのか思い出せない。
新歓クエストと言われて町を出てから数日間、村から村へ歩き続けた気がする。どれくらいの距離を移動したのだろうか。ずっと酒を飲まされ続けたせいで何も分からなくなっていた。ほんの少し前までずいぶんと楽しい気分だったように思うが、いまやサーッと全身の血液が冷えていくのを感じていた。
鬱蒼と大樹の生い茂る大森林の中で、俺はカルロスとその仲間たちに囲まれていた。
「さてと、あとは身ぐるみ剥いでポイするだけだな」
「なにもこんな辺境まで連れてくるこたァなかったんじゃね? 王都の近くでサクっとやっちゃえばさ」
「もともとこっちに用事があったし、この辺はモンスターも強いからあと始末も考えなくていい。それに楽しみは長くとっておかなくちゃ」
ギャハハハ、と男たちは笑い声をあげた。俺はカルロスの口から出た言葉の意味が理解できない。
いや……理解することを、頭が拒んでいるのか。
「身ぐるみ……剥いで……?」
まるで自分の声じゃないみたいな、空虚な音が響いた。
カルロスが片手剣でトントンと肩を叩きながら涼やかに笑う。
「そうだよ。さあ金目の物を差し出すんだ。そうすれば楽に殺してあげよう」
「あ……あああ……」
このときになって、ようやく俺は騙されていたことを頭の芯から理解した。
「俺の……金は……?」
「ここに来るまでに楽しく使っちゃったよ。君もずいぶん沢山飲んだだろう?」
「な……に……」
ここ数日で腹に入れてきた豪華な晩餐を思い出した。それらが急に汚物のように思えて、俺は胃の中の物を全て吐き出した。
そんなことをしても、何も返ってはこないのに、だ。
「おえぇッ! ゲボッ、ゴホッ……はぁ、はっ……ゲボォっ!!」
ちくしょう……ちくしょう……!!
装備やポーションを買い揃えるために、故郷での生活からこつこつ貯め続けてきた俺の冒険者資金が、なんらの投資もされることなく消えてなくなった。
社会勉強代? ふざけんな。俺は地面に手をついた。雑草を握りしめた拳が震える。
「あーあキッタネ」
「もう、面倒だから殺っちゃっていいよなー?」
「そうするかあー」
へらへらと笑いながら若手の男が無造作に曲刀を振り上げる。
俺は反射的に腰の短刀を抜き放った。
――ギィン!
……木目の浮き上がる刀身が、俺を守った。
「なにそれ、木剣?」
俺の短刀を見たバンダナ男が、馬鹿にするように笑い声をあげた。
「馬鹿、いまの金属音を聞いただろ。……その木目のような紋様、まさかダマスクス鋼か?」
ダマスクス鋼――いまは失われた精錬技術によって生み出された金属。その硬度は鉄を凌ぎ、その粘りの強さはどんな金属も比肩しない。十五のときに父から譲り受けた、先祖代々伝わる護身刀だ。
「…………」
カルロスは俺の沈黙を肯定と受け取った。
「もし本当にダマスクス鋼なら、売ればひと財産になる。使っちゃった資金を取り返せるかもしれないから、見せてみなよ」
この後に及んで、いけしゃあしゃあとそんなことを言うカルロスに殺意が湧きあがった。一足飛びに迫ると、カルロスは「な、速……っ!」と焦りの色を浮かべ、俺はその脇腹に力任せに刀身を叩き込んだ。
「がはっ……!」
とカルロスはうずくまるも、驚いたような顔をしてすぐに起きあがってきた。
「は……え? なんだ、全然痛くないぞ?」
不思議そうに自分の体を確かめるカルロスに、俺は再度斬りかかる。
何度も、何度も。一心不乱に俺は短刀を振るった。
「なにこれ? ははは、ノーダメージだ。とんだなまくらだ!」
護身術士の使うこれは、護身刀だ。もともと刃はなく、武器ではない。
が、そんなことを言い返しても無意味なことは分かっていた。
「は、はは……はははは……」
乾いた笑いが自分の口から漏れる。
なんだこれ。
なんなんだこれ。あんなに叩いてノーダメージって。
このスキルの制約ってのは、こんなにもでたらめなもんだったのか。
分かっていたつもりだったのに、改めて突きつけられる――絶望。
「おい、こいつ、めちゃくちゃ弱いぞ! よくそんなので冒険者になろうなんて思ったなあ、ハハハハ!」
カルロスが仲間たちに呼びかける。彼らは俺を嬲り殺しにする算段をはじめたようだった。
やがて話がついたのか、一番弱そうな仲間から順番に手にした獲物で俺に斬りかかってきた。
――ガイン!
――キィン!
俺はその攻撃をことごとく叩き落とす。
俺の戦闘技能は神我流護身術――己の身を守り、誰も身も傷つけない、少数流派の護身術。
幼い頃から叩き込まれたその秘儀は、無意識に俺の体を動かし続けた。
たとえ心が絶望に打ち砕かれ、魂が抜け殻のようになろうとも、体は敵の攻撃に反応してそれを捌き、受け流した。
「なにちんたらやってんだ、代われ!」
次々とカルロスの仲間たちが襲い掛かってくる。
誰が来ようともいくらやろうとも同じことだ。
――彼らは俺を傷つけることなどできなかった。
「ハァ、ハァ……なんだコイツ、弱いと思ったら異常に硬ェ!」
「相手にしてられるか! ここに捨てていこうぜ」
「ああ、そのうちモンスターが始末してくれるだろ」
そう言って男たちは俺に背を向けた。
俺は膝をつき、虚ろな目をして彼らを見送った。
ふと、カルロスが振り返り、唾を吐きながら毒づいた。
「防御特化の戦職、護身術士とか言ったか。ケッ、いくら盾として優秀でも、攻撃力のない前衛なんざ、どこのパーティーもいらねえんだよっ!!」
決定的な何かが、崩れる音が聞こえた。
そうか。
いくら防御力が高くても、攻撃という脅威がなければ、敵からも相手にしてもらえない。
放っておいても安全……と、攻撃されることがなければ、唯一の取り柄である護身術を使う機会さえ無い。
俺の中で、冒険者としての道が閉ざされた瞬間だった。
誰もいなくなった森で、どのくらいそうしていたのか。
虚ろな目で膝立ちになっている自分に気付いたとき、辺りはすっかり暗くなっていた。
蒼い輪が薄くかかった月――蒼輪月が、かろうじて森の中を照らしている。
俺は、どっちから来たんだっけ。どっちに行けば王都がある……?
何も……何ひとつ分からないことに頭が真っ白になった。
心臓が激しく脈打ち、呼吸ができなくなる。視界がぐるぐると回り、木々が俺を取り囲んで嗤っていた。
俺は再び、嘔吐した。