盟約の女騎士リリィシュ・クロノワ帰還す
トントントントントントン――
女騎士リリィシュが苛立ち気にテーブルを指で叩く音が、『飛べないドラゴン亭』の食堂に断続的に響いている。
「殺す殺す貴様は絶対いつか殺す……」
「いきなり乱入してきたお前が悪いと思うんだが」
真っ赤になって机の上で拳をぷるぷると震わせている。
右手はトントン、左手はぷるぷる。忙しいやっちゃな。
「私が村を離れている間に、よもやこのような破廉恥漢がお嬢の近くに住み着いていようとは……このリリィシュ、一生の不覚!」
「どう考えても事故だろあれは」
「よりにもよって名前を出すのも憚られる例の冒涜的な、あのあれを、私の目の……め、目の前に……」
リリィシュは顔をいっそう紅潮させると唇をわなわなと震わせた。
「人の体の一部をどこぞの邪神みたいに言わないでくれるか」
ひとしきりぷるぷるトントンして気が済んだのか、リリィシュはふうと息をつき、すっかり冷めたカップの茶を飲み干した。
飲めばちょっぴり魔力も回復、みんな飲んでる安くておいしい人気のマナ茶だ。
「いつまでも小さなことに対してグチグチ言ってんじゃないわよ」
不機嫌そうに腕を組んでいたミツキが口を開いた。
おい、小さいってのはそういう意味じゃないよな。そもそもミツキの側からは見えてなかったはずだ。小さいかどうかは別として。
「む、お前は確か村長のところの居候……」
「ミツキよ。もう村長の家にはお世話になっていないわ。ふうん、リリィシュってあんたのことだったのね」
同じ村に住んでいたから不思議でもないが、ミツキとは顔見知りだったのか。まあ、お互い名前は知らなかったようだが。
「リリィシュはサナのことになると見境ないわねえ」
と、頬に手を当てながらニコニコして言うのはサナちゃんの母君だ。隣には父君も座っておられる。
お二人は以前サナちゃんが言っていたように、イカーナ村で雑貨屋を経営しておられるのだ。
この世に天使を遣わしてくれてありがとうと、お二人にむかって心の中で手を合わせておいた。
目の前では女騎士がまだ怒りのオーラをくすぶらせている。普段から血色が良いのだろう肌はいまや輪をかけるようにカッカと羞恥に燃えている。
女騎士リリィシュ・クロノワ。
彼女は、王都の仕入れに行っていたサナの両親(雑貨屋経営)に護衛として付き添い、先刻帰ってきたのだった。
「当然です」
とリリィシュはサナちゃんの御母堂に答えた。
「自分はブランケット家に仕える、血の盟約の騎士なのですから」
聞けば、サナちゃんの家系であるブランケット家の先祖と、彼に仕えていたクロノワ家の人間が、大昔に血の盟約を結んだのだという。
血の盟約はその名のとおり、血を通じて子子孫孫にまで受け継がれる。
リリィシュの父もブランケット家の騎士であり、その子リリィシュもまたブランケット家の騎士になる宿命を背負う。
当人同士には感動的な誓いだったのかもしれないが、その末裔にとってはいい迷惑だな。子供同士を許嫁にってレベルじゃねーぞ。
しかし当の本人は気にも留めてないらしく、誇らしげに胸を張った。
「私の目の黒いうちはこの宿で婚前の男女が同室などという破廉恥は許さん!」
「じゃ、あんたが増えた部屋の分の家賃払ってくれるって言うのね」
一瞬うぐっと言葉に詰まったように見えたが、すぐにリリィシュは大見栄を切った。
「払おうとも!」
「えーと、リリィシュさんのお給料諸々はうちの財布から出てるので、そんなことされてもあまり意味ないんですよね〜……」
屈託のない笑顔でサナちゃんが言うと、胸を叩いたままの姿勢でリリィシュは硬直した。
リリィシュが受け取った賃金を彼女自身が何に使おうと自由なはずだが、一度払ったお金がぐるっと回って自分たちの財布に戻るだけなので純粋にリリィシュだけが損をすることになる。サナちゃんとしてはここらで収拾を付けたかったのだろう。ひとまず俺たちの部屋の問題は保留ということになった。
そんなこんなで、俺とミツキの長らく不在の隣人であった盟約の騎士リリィシュ・クロノワが、その日村に帰還したのであった。




