朝の闖入者
「そういやお前らまだ一緒に暮らしてるんだって?」
ダイト翁のところへ書類を届けに行ってから数日が経過したある日、一緒に昼食をとっていたウィル先輩が出し抜けにそんなことを切り出した。
「もう空き部屋問題は解決したんだろ?」
「ええまあ」
実際、高レベル冒険者のおかげで商隊は魔物の出る山(ほぼ俺とミツキが退治したのだが)を越え、『飛べないドラゴン亭』は通常営業に戻っている。移ろうと思えば部屋は普通に空いているのだ。
「そのことなんですが。宿代のこともありますし……」
家賃倍だからなあ。家賃倍。
「いろいろ話した結果そのまま住むことにしたんですよ」
俺がそう告げた瞬間、ウィル先輩の動きがはたと静止する。先輩のフォークに刺さったトマトが、べちゃりと太ももに落ちた。
「ああっ先輩、トマトが」
いかん、このままでは染みになってしまうぞ。しかしウィル先輩はトマトのことなどまったく意にも介さず、俺の手をがしっと掴んで持ちあげた。
「シロック……師匠と呼ばせてもらってもいいか?」
「なぜ!?」
「どうやったらこの短期間で女子とそんな仲になれるんだ! 教えてくれ……!」
「ひっ」
ウィル先輩の剣幕に俺は腰が引けた。この人の目、地味に怖いんだよな……。
「どうやってと言われましても」
この間、ミツキと俺のあいだに何があっただろうか?
まず魔物の群から命を救って、半ば強引に相部屋になって、実家に泊まることになって、祖父との仲を取りもって……って最後のはミツキは知らない話か。
駄目じゃん。まったく参考になりそうにない。
「俺の経験談は先輩の役には立ちませんよ」
「そこをなんとか、このとおりだ。そうだ、せめて爪の垢でも舐めさせてくれ。直接……そうだ直接だ。煎じるくらいじゃ、俺には効かない気がする」
あ、自覚あったんだこの人。
……じゃなくて何を言い出すんだこの人。
ウィル先輩は俺の手を掴んだまま、ぐぐぐとさらに持ち上げ始めた。
顔を近づけ、俺の指先を舐めようと舌を突き出してくる。
すごい力だ。やばい、怖い。完全に目が逝っている。
「やめてください先輩! みんなが見てるんですよ!」
◇
「はあ、はあ。すまん、ちょっと取り乱した」
「ちょっとどころじゃなかったですよ」
べとべとになってしまった指を拭いながら俺はウィル先輩を弾劾した。結局舐められたのだ。
「だがこれで、俺も少しは目標に近づいたかな」
「いえ、余計遠ざかったでしょう」
何を目標にしてるかは知らんが、きっぱりと断言しておく。
そういえば俺と先輩が攻防を繰り広げているあいだ中、見知った広報課職員がよだれを垂らしながらメガネを光らせて一心不乱にスケッチをしていた。
確かマーテルさんだったか。
彼女にはクエストボードのとき宣伝でお世話になったと記憶しているが、少し距離を置く必要がありそうだ。
「別の方面では人気が出てしまうかもしれませんね」
俺は慰めにもなっていない言葉をウィル先輩にかけた。
ってそのときは俺もセットになるのか? 頭が痛い……。
そんなことがあった翌日。
窓から差し込む光で目を覚ました俺は、ミツキを起こさないようにそっと寝床から這い出した。
すっかり物置と化してしまったベッドの二段目から衣服を引っ張りだす。ミツキに見つかると部屋から出られない。
「どこいくの……」
と、急に身動きが取れなくなったので振り返ると、ミツキが服の裾を掴んでいた。
「うわっ!」
そのままベッドに引きずり込まれ、寝ぼけたミツキが「〜〜」と言葉にならない寝言を発しながら体を巻きつけてきた。やばい、首が締まってる。なんつう怪力だ……。
「シロックさん、ミツキさん、朝ですよー!」
と、そこでタイミングよく宿屋の従業員であるサナちゃんがドアを開け放った。知らない客が見たらびっくりする行為だろうが、俺たちとサナちゃんの仲だからーー特にミツキが「いつでも部屋に訪ねて来てくれていいから!」と普段から言っているせいなので構わないのだ。
「あ……」
動きを止めるサナちゃん。
くりっとした天使のような目と俺の目が合う。
「きゃあっ! 失礼しました!」
そう言って顔を覆い隠すサナちゃん。くそっ、とんだ勘違い娘だ。俺とミツキが楽しいくんずほぐれつをしていると思ったのだ、きっと。
「違っ、サナちゃん……助け……!」
サナちゃんの悲鳴と助けを求める俺の声が宿に響いたのだろう。「なにごとか!」という叫び声と共に、ドタドタという階段をあがってくる足音が聞こえた。
「先ほどお嬢の悲鳴が聞こえ――お嬢? お嬢!! 何があったのですか!?」
開けっ放しの部屋のドアの向こうから鎧に身を包んだ女が飛び出し、サナの前に跪く。
使い込まれているにも関わらず、鏡のように磨きあげげられたハーフアーマーの腰には両手剣。
ウエストまで届く艶やかな黒髪に、頭装備として銀の額当て。凛とした眉と鮮やかな碧眼に、唇をきゅっと真一文字に結んだ女騎士が、そこに居た。
「えっ、……リ、リリィシュさん?」
へたり込んだサナが真っ赤な顔をして涙目で見上げた。
「貴様あぁぁ!! お嬢に何をした!」
部屋の中を覗き、ミツキが絡みついた俺の姿を見てリリィシュと呼ばれた女騎士が激昂する。
いや、俺はなにもしていないし、むしろ今まさに継続ダメージを受けているのは俺だ。かか勘違いしないでよね。
「問・答・無・用!! 破・廉・恥・即・斬!!」
「語呂悪いな!」
まだ何も答えていないうちから、いきなり女騎士は斬りかかってきた。
俺は微動だにせず、剣の動きを目で追う。
女騎士は刃が当たる寸前で剣を振り下ろすのを止めた。
「…………なぜよけない!」
「いや、もうちょっと刃が近づいたらよけ始めようかなーと」
実際、太刀筋は見えていたし、まだ余裕があった。つうかミツキが邪魔だし。俺はちょっと本気を出してミツキを体から引き剥がすとベッドの上に転がした。つうかまだ起きないのな。
「なっ……ハッタリも大概にしろ!」
女騎士は憤慨したように剣を構えなおし、「次は当てるぞ!」と叫んでから本気で切りかかってきた。
面倒くさいやつだなー。
言うだけあって今度は本気の斬撃らしく、なかなか見切るのも大変だ。いい腕をしている……。というかサナちゃんの勤め先で刃傷沙汰を起こす気かよこいつ。阿呆か。
「神我流護身術『踊り喰み』!」
寸止めできる一線を越えて刃が迫ってきたので、俺は神我流護身術を使って刀身を摘み取った。
「はあっ!? ええ!?」
「かーらーのー、『鋼殺し――』」
そのまま捻り折ろうと力を込める。
攻撃禁忌の神我流護身術とは言え、武器破壊は殺傷行為には当たらないのだ!
「なっ、折れ――」
ズザザッ! と剣を引き戻した女騎士は、飛びすさるように俺から距離をとった。
ほう、なかなかいい反射だ。
「貴様――何者!!」
「お客さんだよ!! リーちゃん!」
剣を中段に構えなおした女騎士の腕にサナちゃんがすがりついた。
「んう? どっしたの?」
周りの騒がしさでようやくミツキが目をこすりながらむくりと起き上がった。そしてベッドから降りようとした次の瞬間、バランスを崩して床に倒れ込んだ。
――とっさに掴んだ俺の下着と共に……。




