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辺境役場の護身術士  作者: 明須久
第一章 護身術士と竜の村
16/39

祖父と孫娘

「はふー……」


 広い浴槽につかり、ゆったりと体を伸ばす。

 香りの良い木材で組み上げられた風呂の温もりは筆舌に尽くしがたく、体だけでなく心まで温められていくような気がする。

 『飛べないドラゴン亭』の風呂も決して狭いわけではないのだが、実用性が重視されていて風情というのはあまりないのだ。


「まあ、こういうのはたまに贅沢をするからいいもんだよな」


 たっぷりしたお湯が床を打つ音が心地よく、つい独り言を漏らしてしまう。相槌を打つように、かぽーんという例の謎の音が響いた。一説には桶などを置く音が浴室内にこだましてああいう音になるのだそうだ。

 ……桶を置く音?


「毎日入るのも悪くはないぞ」


 湯けむりの中から現れたダイト翁がざぶざぶと音を立てて湯船に入ってくる。

 いつの間に浴場に入ってきたんだ。それか、俺が入る前から中に居たのか? まったく気配を感じなかったぞ……。

 黙考する俺をよそに、ダイト翁は湯船の湯をすくい、竜の頭をごしごしとこする。


「毎日ですか。それこそ贅沢の極みってやつですね」


 そう言ってから俺はダイト翁に一連のもてなしに対する礼を述べた。


「なに、たまの客人をこうしてもてなすのが、隠居した年寄りの唯一の楽しみなのだよ」

「唯一、って――」


 ダイト翁の言葉に、思わず開きかけた口を俺は閉じる。

 これ以上は踏み込みすぎか。

 他人の家の事情に土足で踏み込むような真似はよそう。と言葉を飲み込んだ俺の脳裏に、役場を出るときに見たミツキの顔がよぎった。


 天衣無縫ないつもの笑顔はそこになく、まるで月が雲に陰ったような――あいつにあんな顔は似合わない。

 そもそも他人、だと? ともに寝起きし、ともに食事し、ともに働いたあいつのことを、いまさら他人だなどと、俺は……俺はそんな薄情な人間だったのか?


 俺は飲み込んだ言葉をもう一度吐き出す。


「唯一の楽しみって……孫娘の成長は楽しみじゃないんですか?」


 ダイト翁の動きが止まった。


 ナターシャさんは宿屋のようなようなことをしているといっても、めったに客は来ないといっていた。であれば、出てくる料理は保存の効くものが中心だろうと俺は予想していた。しかし実際に出てきたのは、新鮮な魚だ。

 最初はダイト翁とナターシャさんの食事に用意していた分を俺たちに回してくれたのかとも思った。しかし厨房にさげられた膳を見たとき、魚は人数分用意されていたことが分かった。

 まるではじめから俺たちが来ることが分かっていたみたいだ。


 もちろん翌日食べるために魚を多めに用意していた可能性もある。しかしダイト翁は明日王都に向かうという話であり、鮮度の悪い魚をわざわざ旅立ちの朝に食べるとは考えにくい。

 考えだせば可能性は他にもいくらでもある。穴だらけの推測だ。

 だが……俺にはどうしても、こう思えて仕方がなかった。


「貢献証明、もしやわざと忘れていかれたのではありませんか」


「…………」


 ダイト翁の沈黙を、俺は肯定と受けとった。


「なぜそんな回りくどいことを」


 そう言いながらも、なんとなくの予想はついている。

 証明書を忘れていけば、役場の人間が届けに来るかもしれない。もしかしたら村長があっさり出張命令をくだし、俺の案内にミツキを付けたのも密かにダイト翁の意を汲んでのことだったのかもしれない。

 ……考えすぎか? いや、あの聡い幼女なら、ありえる。

 そう思うと、目の前の大柄なダイト翁の存在が急に小さく身近に感じられた。孫娘と仲良くなりたい、どこにでもいる普通の爺さんだ。

 やがてダイト氏はゆっくりと口を開いた。


「どう接したものか分からないのだ……。きっかけが欲しくて、な」


 思わず笑みがこぼれた。

 ミツキもダイト翁も、互いに互いの距離を測りかねているだけなのだ。


「ふふっ」

「なにが可笑しい」


 むすっとしたダイト翁の竜顔は迫力はあれど、いまの俺には愛嬌さえ感じられるものだった。


「いえ、似たもの同士だなと思いましてね」

「なに……?」

「あいつも、ミツキも同じようなことを言っていましたよ」

「…………」


 何かを考え込みながら湯船に沈んでいくダイト翁を残し、俺は風呂場をあとにした。


 ◇


 ふすまを隔てた隣の部屋に、布団が一組、枕が二つ並べられていた。

 耳まで真っ赤になっているミツキの横で、俺はこめかみを押える。


 うん、そうだ。

 急なことで枕くらいしか二人分用意できなかったのだろう。宿屋のようなことをしているといっても、本業でないというのは細かいところに現れてくるものだ。

 と自分に言い聞かせながら俺は枕をひとつ掴み、部屋の隅へ行って寝転がる。


「ちょっと、そんなとこで寝るつもり?」

「そのつもりだが」


 バカ言ってんじゃないわよと、ミツキに連れ戻された。


「あなたは毎回毎回そうやって……そんなんで、あたしが喜ぶと思ってるの?」

「いやミツキが喜ぶとかそういう問題ではなくだな……」


 布団のうえに正座し、説教を受ける。


「駄目よ。床なんかで寝たりなんかしたら、体が痛くなるんだから」

「野宿とかも経験あるし一日くらい平気なんだが……ああ、もういいや」


 疲れもあって、これ以上ミツキと問答を続ける気にならない。俺はミツキに背を向けてごろりと布団に横になった。


「おやすみ……変なことするなよ」

「なっ……! それ普通あたしのセリフじゃない?」


 ミツキがなにやら抗議してくるが無視して目を閉じる。

 俺はすぐに眠りに落ちていった。


 ◇


「……寝た?」


 ミツキはシロックの背中に声をかけるが、返事はない。


「えへへ」


 ごそごそと布団の中で位置取を変えると、シロックの背中にぴったり身を寄せた。


(不思議……落ち着く……)


 夕方、背負われていたときの安心感を思い出す。眠っている背中に向けて、囁くようにミツキは言う。


「あのお風呂、天井がつながってるから、あなたたちの会話丸聞こえだったわよ……」

「うーん」


 ミツキの囁きに反応するかのように、シロックがごろんと寝返りをうつ。

 目と鼻の先に彼の顔がきて飛び上がりそうになったミツキは、思わず目をつぶり、胸のあたりをぎゅっと押さえつけた。


(あたし、どうしたんだろう……。一緒に暮らしはじめたときは、こんなにドキドキすることなかったのに……)


 自らの変化に戸惑う。


(シロック……あなたのしてくれたこと、あたし、無駄にはしないわ……)


 密かに決意し、ミツキは眠りについた。


 ◇


「おはようございます。ゆうべはおたのしみでしたね」


 翌朝、部屋を出たところで俺はナターシャさんと鉢合わせした。


「え? いや、疲れてたからすぐ寝ちゃいましたけど」


 部屋においてあったカードゲームや、木製のピースを組み合わせて形を作る謎のパズルなんかをやっている余裕はなかった。楽しむもなにもない。このメイドはなにを言っているんだ。


「さようでございますか。朝食の用意ができています。こちらへ」


 ナターシャさんは表情ひとつ変えることなく背を向けて歩きだす。俺の隣ではミツキが顔を赤くしていた。


 簡単な朝食をいただいて、ダイト邸をあとにする。

 門のところまでダイト翁が見送りに来た。

 ダイト翁は着物に懐手をして、難しい顔をしている。俺としては、できることはやったつもりだ。あとは当人同士に任せるべきだろう。


「いろいろお世話になりました」

「いや、こちらこそ書類を届けてもらい、すまなかった」


(使い道のない書類だけどな)


 俺は内心苦笑する。

 そのとき、とっ、とミツキが前に出た。

 ためらいがちに開いた口から言葉が紡がれる。


「その、ありがとう……おじいちゃん」


「……うむ。では、またな……孫娘よ」


 ぎこちないながらもダイト翁が応じる。


「ミツキ、ここはお前の家なのだから……いつでも遊びに来るといい」

「うん、また来るね」


 少し肩の力が抜けたミツキが、ダイト翁に笑顔を向けた。


 ダイト翁は俺の前にくるとミツキからは見えないようにこっそり革袋を俺に握らせた。

 中に入った硬いものがじゃらりと音を立てる。


「あの、これは……?」

「クエスト報酬じゃ」


 中を開いて見ると、結構な額のペルク硬貨と管理番号038の割符が入っている。


「えっ、でも俺クエストなんて受けて――」


 差し出した革袋を手で押しとどめられる。


「いいからとっておいてくれ。……ミツキをよろしく頼む」


 有無を言わせないダイト翁の雰囲気に、俺は黙って頷いた。


 ふと、ダイト翁の後ろに控えたナターシャさんと目が合う。

 控えめで、柔らかな笑顔がそこにあった。


 真顔以外ではじめて見る、このメイドさんの表情だった。

二話と三話に主人公の容姿に関する記述を追加しました。

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