彼女の事情と伝説の正体
「あたしのお母さんは竜騎士だったの」
山歩きを再開しながらミツキが話す。
竜騎士――。竜を駆り、竜を狩る者。
普通の戦士と大きく異なるのは、その跳躍力だ。飛んでいる竜にそのまま飛び乗ったり、上空高くから飛び降りたりすることで自在の強襲を可能とする。
「旅の途中、お母さんはこの村でお父さんに出会ったの。ふたりの仲は親から認めてもらえなくて……」
駆け落ち同然に両親は村を出たのだという。
「それからお父さんは飛竜として、そして戦士として、お母さんと共にあまたの戦場を駆け巡ったらしいわ」
高位のドラゴンは人の姿をとれるという。ダイト氏がそうであったように、ミツキの父にもそれが可能なのだろう。人の姿でも優秀な戦士だったんだろうな。
是非一度、手合わせ願いたいもんだと俺が感想を漏らすと、苦笑しながら「残念ながらいまは無理ね」とミツキは言った。
「どういうことだ?」
「実は、お父さんが数年前に戦地で行方不明になったの」
「えっ……」
物心ついたときから、ミツキは戦場近くの村から村へ、家族三人で転々とする生活だったそうだ。しかしあるとき、母親はひとりで戦場から帰ってきた。
母親はミツキに事情を説明すると、娘を連れて夫の生まれ育った村に帰ってきた。しかし駆け落ちした手前、夫の実家には顔を出しづらく……。結局ダイト氏とは会わないまま、村長にミツキを預け、夫を探しに旅立ったのだという。イカーナ村にミツキを預けたのは、やはり直接は会わなくとも肉親の近くのほうが安心、ということなんだろうな。
「でもいつまでもお世話になってるわけにはいかないし、あたしもある程度ひとりで身の回りのことはできるようになっていたから、村長の家で家事を手伝ったりしながら役場の職員を目指すことにしたのよ」
母親の帰りを待つには、この村から勝手に動くことはできないもんな。役場の職員はいい選択かもしれない。
「けどお爺ちゃんとはどう接していいのか分からなくて……。結局まだ一度もちゃんと挨拶できてないの」
そう結んで、ミツキは少し寂しげな笑みを浮かべた。
「いままで、そんな大変な事情があったとは知らずに悪かったな」
「いいのよ。あたしもドラゴンハーフだってこと黙ってたし」
御母堂からは、たまに便りが届くらしく、自分の出自についての言明はなるべく避けるようにと書かれていたのだという。
それは賢明な判断だ。ミストホロウ国王が他種族との協力関係のもと、多民族国家を樹立したとはいえ、異種族や混血に対する偏見はいまなお根強くこの世界に残っている。
人族の村でありながら村長がハーフエルフであるイカーナ村は、例外中の例外だろう。
「でもね、いまさら言っても仕方ないんだけど、あなたには隠すつもりはなかったのよ。ただ、なかなか機会がなくて」
すまなさそうに言うミツキに俺は手を振った。
「気にするなって。きっかけがなくて、なかなか言い出せなかったんだろ? それに、本当に隠したいなら、俺の前で火を吐いたりしないもんな」
俺がそう言うと、ミツキはようやくほっとしたような笑みをみせた。
「ありがとう。やっぱり、シロックに話せてよかった」
ミツキは、肩の荷がおりたような顔をしていた。
「ん? てことは、無理してあの部屋に住まなくても、ミツキが一時的に村長の家に戻ってればよかったんじゃ……」
「嫌よ。お別れ会までしてもらったのに、どのつら下げて出戻れって言うのよ。合わせる顔がないわ」
「いやあるだろ」
事情が事情だけに。説明して普通に戻ればよかろう。俺はそう思うのだが。
「ないわよ」
とミツキは水掛け論の構えだ。こいつの価値基準がさっぱりわからないな。
ま、いいか。と俺は肩を竦めた。
いまさらこんなことで騒ぎ立てたって仕方ない。そう思えるほど、俺も今の生活に慣れきってしまったのだった。
◇
「まいったなこりゃ」
断崖を見下ろしながらぼやく。
「ほんと、ごめん。道間違えちゃったみたいで……」
「コボルトのせいで、気づかない間にルートから外れてたんだろう。仕方ないさ」
となりでしょぼくれているミツキを慰める。
「もうそこまで見えてるんだがなあ」
そう、切り立った崖のむこう側に、森に囲まれた屋敷が見えている。直線距離では一キロもあるまい。だが、そこへ至る道については巨人が大鉈をふるったように途絶していた。
「昔はここにも橋がかかってたみたいだけど、いまは朽ちてなくなっちゃったみたい」
崖の縁に残された杭の残骸を見ながらミツキが言う。
「しょうがない。ミツキ、ほかにむこうに渡れるところか、谷へおりる道はないか?」
ミツキはすでに沈みはじめている西日を見やった。
「あるけど……いまからだと日が暮れちゃうわね」
「万事休すか……」
俺がそうこぼすと、ミツキは「ふう」と息をつき、意を決したようにタイをほどくと、ブラウスのボタンに手をかけた。
「なっ……!?」
「あっちむいてて。こっち見たら焼き殺すわよ」
突然のことに面食らった俺を、強制的にまわれ右させる。なにやら物騒な文句も聞こえたが、それよりもシュルシュルという衣擦れの音が、俺の体を硬直させた。
やがてパサリ、という音を最後に衣擦れは止んだ。かわりに、さっきの比ではない尋常ならざる魔力の高まりをミツキから感じる。
「うっ……くっ、あぁっ! はあっ! ……っく!!」
「お、おい! 大丈夫か!?」
「こ、こっち見ないで!」
ミツキの鋭い声が、思わず振り返りそうなった俺を制す。
「もう少しで……終わる……からっ!」
その言葉どおり、高まっていた魔力が収束していくのが感じられた。
「……ん。もういいわ」
というミツキの声に、俺はおそるおそる振りかえる。
振り返ったそこに、ミツキの姿はなかった。
いや、俺の知るミツキの姿はなかった。
「すごい……」
ごくりと俺は生唾を飲み込む。
「あ、あんまじっくり見ないでよ……。恥ずかしいんだから。……変でしょ、あたしの体……」
「そんなことはない。きれいだ」
「な、なに言ってんのよ!」
変態! という叫びとともに太い鞭のようなものが飛んできて、無防備だった俺を吹き飛ばした。
「げふっ!!」
「ああっ! ごめん!」
木の幹に叩きつけられた俺はよろめきながら立ち上がった。
「受け身をとったから大丈夫、服が焦げたくらいだ」
強がりだった。口の中に血の味が広がっている。久々にダメージというものを味わったな……。
「つい体が反射的に」
そういいながらミツキが揺らしているのは、炎を纏った真っ赤な尻尾であった。
「ほんとうに、ドラゴンハーフなんだな」
俺の言葉に、ミツキが頷きを返す。
いま俺の目の前に佇んでいるのは、一匹の赤竜だった。
真っ赤な竜鱗を西日に煌めかせ、桃色の大きな羽は宝石のように透けている。
丸太のような尻尾はしなやかに動き、纏った炎を絶えず揺らめかせていた。
「さあ乗って。一気に谷を渡るわよ」
姿が変わっても声はそのままなんだな、などとどうでもいいことを考える。
「あっ、その前にそこの服拾っといてくれる? 自分じゃうまく取れないのよね」
なるほど、竜の体では細々したことはかえってやりにくそうだ。俺はきちんと畳まれて木の根本に置かれていたミツキの服を回収した。
しかしミツキは気がついているのだろうか、“これ”に。微妙な気分になりながら俺は彼女の背中にまたがる。
「いくわよ! しっかりつかまっててよね!」
「お、おう」
両足に力を込め、ミツキの胴体をしっかり挟み込みながら、俺は手の中にある衣服に目を落とす。
おそらく脱いだ服を順番に上に重ねていったのであろうそれは、必然的に後で脱ぐものほど上にくる。
つまりなんだ、その、俺の手の中にあるミツキの服の頂上には、おそらく人間誰しも一番最後に脱ぐであろうものが鎮座していて――
(あまり考えないようにしよう)
俺は、ミツキの服をしっかり抱えこむと、赤竜の首にしがみついた。
「お、おお……!」
二、三回羽ばたきをしたあと、ミツキの体は浮き上がり、そのまま谷のむこうへと滑空をはじめた。眼下に広がる木々がみるみる小さくなっていく。
「と、飛んでる! すごい……すごいぞミツキ!」
ミツキの首筋をぺちぺちと叩きながら、がらにもなくはしゃいでしまう。
西に目をやると、山稜に沈みゆく夕日が幻想的なまでに美しい景色をつくりだしていた。
「よかった……」
ミツキがしみじみとした声を漏らし、俺はハッとして顔をあげる。
(そうか……)
やはり人前で異形の姿を取るというのは、相当な不安があるものなのだ。もし相手に拒絶されたら、という恐怖が常に付きまとうんだろう。
もしも――もしも俺が、がらにもなくはしゃいだことで、そういった懸念が払拭されたというのであれば……。
「ミツキ、俺は……」
「ほんとによかった。人を乗せるのははじめてだったけど、ちゃんと飛べて」
「――おい」
いますぐ谷底に叩き落としたくなったのは、ここだけの秘密にしておく。
「ん。もういいわよ」
声をかけられて振り向くと、そこには元のとおりに衣服を身に付けたミツキが立っていた。
たったいま、渡ってきたばかりの渓谷を見て、またミツキに視線を戻す。
「まさかあんな隠し玉を持っていたなんてな」
「ふふっ、見つからないように、たまに飛ぶ練習をしているのよ」
イカーナ、人と竜がともに生きる地。嘘かまことか、いまなお空を飛ぶ赤竜の目撃情報が……って正体こいつかい!
出会ったときからそうだったが、ミツキには驚かされることばかりだ。一緒に居て飽きることがないな。
「恥ずかしいから、みんなにはナイショね」
脱ぎたてのインナーウェアをよこしておいてそんなことを言う。こいつの羞恥心はポイントがよく分からないな。
俺は西の山脈を見やる。
「もう日が沈みそうだ。急ごう」
少し開けたところを探して着陸したため、目的地である屋敷まではあと少しといったところだ。ミツキからの返事はなく、俺は足を踏み出しながら彼女を振り返った。
「……ミツキ?」
俺の見ている前で彼女はバランスを崩し――
「ミツキ!? おいしっかりしろ! ミツキ!!」
体を木の幹にもたせかけたまま、ずるずると滑り落ちていった。




