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8.神

 そんな次の日。


「こんなお話、聞いたことある?」

 珍しく真剣な顔をして、沢口春菜が一つ下の妹、秋菜に語りかけていた。


 今年十八になった春菜は高生二年。やや茶色味がかかった、それでも艶やかな長い髪を手で梳くように背中へと持っていく。

 同じ茶系の光彩をもつクリクリとした瞳が、鋭角的な眉の下で生気に溢れた光を放っていた。


 妹の秋菜は、姉の春菜と共に通う私立清流学園高等部の一室にいた。夕暮れの迫った放課後の教室は、生徒達の姿もまばらだ。

 ブレザーとチェックのスカートが、ここ清流学園高等部の制服だ。ウエストの細さと、ヒップの張りが強調されたデザインの制服が、沢口姉妹によく似合っていた。

 さすがキーマン子である。


「ちょっと、お姉ちゃん。それ、怖い話?」

 姉の春菜より色素の濃い黒髪が、肩からハラリと胸にかかる。春菜より細い眉が、ゆっくりとハの字に移行していく。

 小動物のようにビクビクしている秋菜を見て、春菜のナニカに火が付いたようだ。彼女は、さらに攻勢へと出た。


「平安時代、京の町中を恐怖に陥れていた酒呑童子って鬼、知ってる? 何故『酒を呑む』って書くのか、変に思ったことはない?」

 春菜は秋菜にのしかかっていく。つり目気味の綺麗な目と、それに見合う美しいパーツの配列は、神の計算によるものであろうか? そんな自分の美貌が放つ説得力を知ってか知らずか、真剣な表情をしている春菜。だが、目は笑っている。


 一方、妹の秋菜も姉妹であるから当然、春菜とそっくりの美少女だ。姉との違いは、垂れ目気味で、いつもオドオドとしている黒い瞳だけ。顔は笑っているが、目は真剣だ。


「アレは本当に酒なんんだろうか? 酒以外のナニカを呑んでいたのではないだろうか?」

 調子に乗って、秋菜に上体をおおいかぶせてくる春菜。海老ぞり気味に引けている秋菜。

 責めの春菜と、受けの秋菜である。


「むかーしむかしの事じゃった……」

 秋菜から、ふと目をそらし、遠くを見る春菜。わざとらしいまでに意図的な振る舞い。秋菜に効果的な恐怖の演出だった。

「ちょっと、お姉ちゃん! わたっ、わたしそういうの苦手で……」

 春菜の腕をとる秋菜。本題に入っていないのに、早くも腰砕けになっている。


「ひとけのない山奥に住むお爺さんがーっ、山へ柴刈りに行ったときじゃったーっ!」

 過剰なまでに発音に強弱を付け、アナザーワールドへ導く春菜。湧き出る笑みを必死で噛み殺しながらの演技だった。


「ひぃっ!」

 早くも目に涙を溜めて、小刻みに震える秋菜。その姿態に、ますます道を踏み外す春菜。

「その時! 年老いたお婆さんが川で洗濯をぉぉーっ!」  

「いやーっ! やめてーっ!」

 耳を押さえ、しゃがみ込む秋菜。目は堅く閉じられていた。春菜は暴走した加虐性に身を任せ、秋菜の耳元で叫ぶ。


「禍々しくも不自然に巨大で、しかもピンク色した桃がドンブラコ、ドンブラコと……」

 しかし春菜は、それ以上桃太郎を話して聞かせることができなかった。春菜の肩を掴んで強引に振り向かせる者がいたからだ。


「下校の時間はとっくにすぎてますわよ」

 年の頃なら三十過ぎ。切れ長の目に細面。いかにもキャリアな美女が笑顔で立っていた。

 艶やかなソバージュヘアーを背中に流している。黒を基調としたブランド物のスーツとタイトミニがよく似合っている。


「歳星理事長!」

 これは秋菜の反応。

「なんだ、歳星か」

 これが春菜の反応。


「なんだはないでしょう?」

 持っていた書類入れの角の、一番痛いところで、春菜の頭を小突く歳星。


「それ危ないだろ! 痛てっ! だから痛いって!」

「秋菜ちゃんは先に帰ってなさい。春菜さんは、今日遅くなるから」

 柳眉をつり上げたまま笑顔を保つ歳星。ちょっと怖い。


「理事長先生、わたしも謝りますから、お姉ちゃんに辛く当たらないでください!」

 胸元で手を組んでお願いする秋菜。こんな小さな事でも、姉絡みだと真剣になってしまう妹だった。

「ほらー、秋菜も謝ってんじゃねぇか。ちっちゃな事で怒ってんじゃねぇよ。小じわが増えて秋菜に嫌われるぜ!」

 春菜に悪気はない。ただ彼女は、ある時ある一件を境に口が悪くなってしまっただけだ。


「大丈夫よ秋菜ちゃん。ちょっとお姉さんお借りするだけですわ。みっちりお灸すえなくちゃならなくなってしまいましたので。オホホホ!」

 春菜の胸ぐらを両手で掴み、眼前で笑ってみせる歳星。笑いながら……目が、瞳がすうっと縦になって、……またすぐ元の丸い、人間の瞳に戻る。


 春菜は、歳星の腕を逆関節に取ろうとしていたが、握る手から力を抜いた。自主的に。

「ちっ! ややこしい話はお断りだぜ」 

「難しいお話から逃げてばかりいたから、今の自分があるのでございましょう?」

 歳星も手を離す。山の稜線に触れた太陽が放つ深紅の光線に、教室中が赤く染め上がっていた。


「春菜さんはおいくつかしら? 精神年齢ではなく戸籍上の年齢で答えなさい」

 春菜の手を軽く握ったまま、歳星が聞く。

「じゅ、十八歳」

 ものすごくいやそうな顔をする春菜。


「じゃ、妹の秋菜さんの年齢と学年は?」

「今年で十七。高校二年生」

「姉の春菜さん。あなたの学年は?」

「りょ、両方とも高校二年生……」

 勝ち誇る歳星と、しょんぼりする春菜。あるいは、美味しい餌を見つけた白蛇と、遅まきながら、気づかれないように身をすくめる小動物。


「何を思ったか、入学と同時に家出同然で日本一周にでかけるなんて。しかもバイクで! 普通、退学になってもおかしくない条件だったのですわよ」

「いや、それについてはだな、俺……いや、あたしの方からも一言三言――」

 春菜の言葉は途中で遮られた。


「お黙りなさい! 家出する前、いえ、春菜さんの言い分を尊重しまして、自分探しの旅に出る前と今と、まるきり性格が変わってしまったじゃありませんか! まるで何かが憑いてしまったように!」

 春菜は、それ以上喋るな! とばかりに眼力で訴え、ちらちらと秋菜を見る。歳星は気づいているのか気づいていないのか、何処吹く風だった。


「そんな調子だから、一年生を二回もやらなくちゃいけなくなったのでございましょう?」

 艶然と笑う歳星。経験値を沢山蓄えた妖魔のような笑み。

「は、話だけは聞いてやろう」

 さっきまでの威勢はどこへやら。戦死者を拾い損ねた戦乙女(バルキリー)のように萎れる春菜。


「相変わらずお口が悪いですわね。懲りないお方。どこかで悪い水でも飲んで、フヤケてしまったのかしら?」

「……ご協力させていただきます。歳星理事長」

 春菜は屈した。


「秋菜さん」

 教育者の顔になった歳星が、秋菜に声を掛ける。

「あ、あの理事長! わたしも姉の手伝いをします」

 姉の身をおもんばかる秋菜。


「優しい子ね。誰かさんとは大違い」と、春菜をチラリと見て、「お姉さんとお話をするだけですよ。虐めたりしないから安心して」

「大丈夫だ秋菜。なんともなれば、張り倒して逃げてくるから」 

 春菜の危ない言葉に安心したのか、それでも、姉を気にしながら帰り支度をする秋菜。


「お姉ちゃん。わたしちょっと寄り道するところがあるから。帰りにいつもの場所へ寄ってみてね」

 ワキワキと手を開閉してさよならを告げる秋菜に、愛想を崩して答える春菜だった。




 今、沈まんとする紅の太陽。その赤い光が、窓から見える広葉樹の葉を血の色に染めている。今宵の宿に決めたのだろうか小鳥の大群が枝々で羽を休めていた。


「で、何があった?」

 理事長室に入るや否や、自分が通う高校の理事長に、タメ口を叩く春菜。


「いや! それよりさっきは何の真似だ? 秋菜に俺の正体をバラすつもりか?」

 湧き上がる殺気に、小鳥が羽音を立てて一斉に飛び立った。

 春菜は少しだけ残していた人間性をかなぐり捨て、本性をむき出しにしていた。


「間接的にでも秋菜に手を出してみろ、ただじゃ済まさねぇ!」 

 人以外の目をした春菜が、歳星にくってかかる。

「秋菜さんには手を出せませんわ。……そういえば、あなたの正確な正体、聞いたことがありませんわね」

 春菜の放つ剛気も何処吹く風。全く意に介していない歳星。


「そういえば……」

 歳星は、思わせぶりに言葉を句切る。

「九州の方で、夢斬という名の玄武がいたとかいないとか……水魔水竜と二つ名で呼ばれていたとかいない……とか?」

 上目遣いで春菜をチラ見する歳星。そこに、静かに怒っている春菜がいた。


「あらあら、わかりやすい人。オリジナル春菜さんは、日本一周していた道中に、九州へ寄った模様ですわね」

「オリジナル春菜はいいんだよ。社の受け渡し契約も済ましたし、だいいちロクな人間じゃなかったしな。それより、その口、封じなきゃならねぇようだな!」

 右足を引き気味にして構える春菜。彼女の荒い魂が、戦闘に向けて膨れあがっていく。


「夕べ、わたくし、吸血鬼に襲われましたの」

 一瞬だけ、春菜の気が削がれる。一瞬だけ。


「もう少しましな嘘をつきやがれ! そんな妖怪、この世にいるわけねぇだろ!」

「わたくしは木のエレメンタル神『青龍』。あなたは水のエレメンタル神『玄武』。神国日本に神が存在するのです。見目麗しき乙女を狙うヴァンパイヤが、この世にいて不思議ありませんこと?」

 完全に気が緩んだ春菜。あんぐりと口を開けている。

  

「お前が乙女かどうかは置いといて、……この町で襲われたのだな?」

 真面目な顔をした春菜は美しい。その美貌だけでこの場の空気が変わってしまった。

「人狼とタッグを組んでおられました」

「秋菜が危ない!」

「何でそうなるのですか?」

 歳星の問いに、馬鹿にしきった顔で答える春菜。


「吸血鬼と言えばドラキュラ。ドラキュラと言えばオールバックのスケベ変質中年! そんなのが、性犯罪者の代名詞とも言える狼男と組んでハッハハッハすることと言えば……」

 春菜は指一本立てて、歳星の眼前でチッチッと振る。


 その行為に迷惑そうな歳星。

「何をするというのですか?」

「清純で可愛いい女の子を襲うに決まっている! 俺ならそうする!」

「わたくしをそんないやらしい目で見ていたのですね?」

「……変質中年男をしばく前に、妄想中年女を血祭りにあげなきゃならねぇようだな!」

 春菜の右足が床から離れると同時に、右足が斜線になった。頭一つ後ろへ反らす歳星。歳星の前髪が数本、宙に舞っている。


「見かけ上、十三・四歳の美少年でございました。ドラキュラとは対極に位置するイメージでしたわ」

 歳星は、名を知らぬ闇色の少年、ヴァズロックの話をしながら素早くしゃがみ込んだ。


 右の蹴りを放った勢いそのまま一回転。宙に躍る春菜が左の回し蹴りを放ったのだ。蹴撃は、歳星の元いた空間を切り裂く。触れてもいないのに、壁に掛けられた絵が真っ二つに切断されて床に落ちる。


「おっとりとした性格ですが、強力なチカラを持っています。わたくしなりに調べたところ、霧化の能力を持っているようです」

 右にステップを踏む歳星。彼女の左腕の生地が横に裂けた。続いて後ろへバックステップ。今度は胸のボタンが一個、千切れ飛んだ。生地の隙間から、白いレースが見える。


「わたくしの攻撃を先読みして霧化していました。外観によらず、相当戦い慣れした古い吸血鬼と推測されますわ」

 春菜の蹴りは、歳星をコーナーに追い詰めた。背中を壁に預ける歳星。逃げ場は無い。


「よーし良い子だ。そこでじっとしてろ」  

 じりっと間合いを詰める春菜。この距離で春菜の蹴りはかわせないだろう。


「金気である狼を木気であるわたくしは苦手とします。金剋木ですからね。そこで金生水のあなたの出番というわけです。金気のチカラはあなたに害をなさないでしょう?」

 春菜は、挑発とも取れる歳星の言葉に、たやすく乗ってしまう。

「なんでお前の助手を俺がしなけりゃならねぇんだ?」

 春菜は正価で喧嘩を買っていた。血が頭に上り、顔が真っ赤になっている。


「秋菜さんをわたくしの社にされたくないでしょう?」

 一枚目のカードを切る歳星。春菜の顔色は、赤を通り越してどす黒く変色する。

「お前が秋菜を狙っているのは知っている」

 ゆっくりと喋る春菜。怒気が全身を支配していく。


「今の社を――、年を取って使い物にならなくなったお前の社を水生木の理で蘇生してやったのに、まだ秋菜を狙うか!」

「所詮、わたくし達の関係は、そんなものでございましょう? いつまでも春菜さんがわたくしに水気を送ってくれるとは限りませんもの」

 声を上げて笑う歳星。怒り心頭に発した春菜は、全身の筋肉をこわばらせ……力を抜いてニヤリと笑った。


「そうだな、言われてみればそうだな」

「あらあら、思ったよりおとなしい春――」

 歳星の動きが止まった。春菜と言いかけて止まってしまった。


 歳星の髪がみるみる白くなっていき、肌から張りと水気がなくなっていく。


「お前の中の水気は、俺の水気だ。供給を絶つことは、水道の蛇口をひねるように容易い。それとも、大量に水気を送ってやろうか? お前が吸い上げられないくらい、大量の水気を。あまり水をやりすぎると木も腐るらしいしな」

 パクパクと口を開閉させる歳星。


「どうしたぃ? 喋りづらいか? 減らず口が減ってしまったのか? あ、今の俺面白かった。座布団取ってこよう!」

 心の底から愉快そうな春菜。本当に座布団を探して、理事長室を見渡している。


 歳星は、絞り出すように、言葉を一つ一つ紡ぎ出す。

「わ、わたくしが……襲われたのは……駅前公園です」

 歳星は老婆のようなしわくちゃの顔で笑う。

「ところで、……秋菜さんは、……あ、あなたを何処で待っておられるの、……かしら?」

 春菜の動きが止まる。


「え、駅前の公園……」

 歳星が一枚上手だった様だ。


「早く行かないと秋菜が危ない!」

 走り出す春菜の手をつかむ歳星の萎れた手。

「だめよ、闇雲に突っ込んで倒せる相手じゃないわ。まず、敵を知らなきゃ勝てるモノも勝てないでございましょう?」

 元通りの年齢になった歳星が、青い顔をした春菜の肩を軽く叩く。


「じゃ、授業を始めないとね。吸血鬼について」

「手短に頼む!」

 両の拳を握りしめた春菜。学習意欲満々である。


「見分け方のレクチャーから、始めましょうか。吸血鬼は、光に嫌われているので鏡に映らない。訪問しても、呼ばれないと家の中に入れない」

「入れと言うまで入ってこないんだな?」

「呼ばれたら、『呼ばれたから入るのだ』なんて言って、喜んで入ってくるでしょうね」 頷く春菜。


「十字架や、ニンニク、日の光は有名なところですが、……春菜さん。あなたには、吸血鬼じゃなく、人狼に対処していただきたいの」

「なにゆえっ!」

 一歩踏み込む春菜。一歩下がる歳星。


「死者である吸血鬼は土気の性質を持っています。木剋土。つまり、木であるわたくしが彼の天敵。土剋水の相克で、水である春菜さんは苦手じゃありません事?」

「ぬ、ぬうぅ~。さ、さすがに、土は苦手だ」

 唸る春菜。危険な相手を己の手で直接倒したかったのだろう。


「一方、人狼は毛を生やした生き物。つまり毛虫。毛虫は金気の属性を持つもの。金剋木の相克が示すように、木であるわたくしは人狼を天敵といたします。それに対して、金生水の相生で、金気の人狼に対抗できるのは水神である春菜さん、あなただけです」

 春菜に人差し指を突きつける歳星。


「狼男か、……いや、長く生きてるとナニするか解んねぇな。つーか、こんなコトしててホント、いいのかな?」

 こめかみを指で押さえながら、遠くを見つめる春菜。


 生なる者を支配する太陽に代わって、満月が天空を支配していたのだった。



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