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7.ヴラド

 吸血鬼ドラキュラ。


 さすがの穂乃香もマズイ空気を感じたのか、輝に助けを求める。ジト目で穂乃香を見る輝と目が合った。どうやら、輝にもヴァズロック伯爵が吸血鬼に見えるようだ。


 傍目に見ても、穂乃香の焦りがよくわかる。輝としても何とか仲を取り持ちたい。

 でも見た目……いやいやいや、吸血鬼がこの世にいるはずはない。

 これはまずい。どう見ても失礼だ。


 その証拠に、ヴァズロックも目を丸く見開いて固まっている。

 新生騎刻亭の将来に多大なる影響を与えるはずのヴァズロック。彼を怒らせるのはまずい。


「えっと、ヴァズロック……さん」

 とりあえず輝が口を開いた。

「光栄なのだ」

 輝の話を遮るように、ヴァズロックが口を開いた。軽く目をつぶっている。


 その表情を見た輝はホット息をつく。怒りの感情は無さそうだ。むしろ、懐かしい何かを思い出している風にも見える。


「ドラキュラは、東欧をオスマン帝国の侵略より守った英雄である。東欧では人気者なのだ。その偉人と間違えられるとは、我が輩も捨てたものではないのだ。しかし!」

 ヴラドは、そこでカッと目を見開いた。瞳が紅茶色に輝いている。

「その方ども、覚えておくのだ!」

 ごくりと唾を飲み込む穂乃香と輝。


「正確には、ドラキュラではなくドラクリアなのだ。ヴラド・ドラクリア。竜の子・ヴラド三世。それが彼の正しい名前である」

 のほほんとした表情で解説するヴァズロック。皆の緊張が一気に解けた。


「ブラド……ドラク・ル?」

 斜めに傾ぐ輝。惚けたような顔をして同じ言葉を繰り返す。


 ちちち、と人差し指を振るヴァズロック。

「違う違う! ヴラド・ドラクリアなのだ。『ヴ』で唇を噛むのだ。それからドラクルは父の名称なのだ。竜、もしくは悪魔という意味なのだ。そのドラクルに、子供を意味する『ア』を付けて『ドラクリア』と呼んで欲しい、……いや、呼んでやって欲しいのだ」

 キザったらしく前髪を掻き上げるヴァズロック。端のささくれた畳の上で。


「はいはい、詳しいお話は明日にしましょう。もう遅いですし。穂乃香さんも明日の仕事に差し障るでしょう?」

 アルテミシアが中に割って入ってきた。ヴァズロックの追求が途中で止まる。


「我が輩は、夜を闊歩する帝王なのだ」

 内容は妖妖としたものだが、ダウナー口調で喋られては威力が無い。全く無い。

「マイロードも上陸早々、一戦されてお疲れの筈です」

 にこにこ顔で諫めるアルテミシア。

「だから、我が輩は夜の間は……」

「お疲れの筈ですね? それとも耳を引っ張ってご案内いたしましょうか?」

 にこにこ顔で主に覆い被さってくる長身のアルテミシア。ヴァズロックの顔にアルテミシアの影が落ちる。なんだかとっても怖い。


「わ、わかったのだ。我が輩の寝室へ案内するがよい」

 アルテミシアの強制力により、穂乃香に対するヴァズロックの誰何を反らした。

 同時に、穂乃香達からの誰何も封じてしまった。痛み分けである。


「ご案内致します」

 渋々立ち上がるヴァズロック。アルテミシアに案内されて廊下へ出る。

「そうそう、輝。その方に言っておきたいことがあるのだ」

 ごく自然に振り返るヴァズロック。何か言い忘れたことでもあったのか。……穂乃香ではなく輝に。


「さっき穂乃香が言った、宇宙開闢その時の話なのだ」

 ヴァズロックは、なぜか目を閉じ、間を空けた。


「光あれ」

 にやりと笑い、目を開けるヴァズロック。


「創造神が『光あれ』と叫ぶくらいなのだから、世界は元々、光のない闇だったのだ。つまり、闇が光を生んだのである。そして、生まれた光が創造神の背後に影を作ったのだ。影は、光が無くては存在しない。そして、光は闇があるからこそ存在するのだ」


「あの、その、難しいお話しなんでしょうか?」

 緊張する輝。

 指をチチチと振るヴァズロック。

「なんかそれ、気に入ってるみたいだけど、ウザイんですけど!」

 穂乃香の眉が吊り上がるが、ヴァズロックは完全無視を決め込んでいる。

「つまり、光が影を産むのか? 闇があるから光があるのか? 輝の率直な意見を聞きたいのだ」

 ヴァズロックは笑っている。しかし、目は笑っていない。


「えーと、えーと……」

 最後は尻すぼみとなる輝談話。

「今は答えを出さなくていい。でも、考えておいてほしいのだ」

 ヴァズロックは、そう言い残して階上へ上がっていった。

 

 こうして謎の三人組は、妙に歯切れの悪さを残して騎刻亭の人となったのだった。






 騎刻亭、二階の和室。


 壁の角っちょが綻んでいて、中から竹の井桁が見えている。年代物の襖と、埃をかぶった鴨居が、良い味を醸し出していた。

 ガラス窓はネジ式の鍵が掛けられいる。もちろん、木製の雨戸に隙間はない。

 長らく使われていなかった部屋。開かずの間。


 そんな部屋の中で、ヴァズロックは、銀色に鈍く光るカプセルの前に立ちつくしている。

 カプセルの全長は、二メートルちょっと。幅は棺桶サイズ。側面にインターホンとタッチパネルが付いている。


 この部屋に来て、どれくらい時間が流れただろうか? もう、だいぶ長いこと、誰も言葉を発していない。

 無表情のシータも、笑顔のアルテミシアも黙ったままだ。


「部屋は二階にあったのだ」

 久しぶりにヴァズロックが口を開いた。


「はい、遮光処置は完璧です。どうかご安心を」

 アルテミシアは自信に満ちあふれた笑みを浮かべていた。


「我が輩が愛用していた天蓋付きベッドが見あたらないのだ」

 微細に動く唇は、腹話術と見まごうばかり。

「日本でアレは不自然です。なにより穂乃香さん達が怯えます」

 アルテミシアの口元に浮かぶ笑みは、アルカイックスマイルというものらしい。


「アルテミシア。我が輩は肉体が滅びるのを極端に嫌うのだ。なぜだか解るか?」

 じいっと円筒形のカプセルを見つめたままのヴァズロック。

「健康に悪いからでございましょう?」

 慈悲に満ちた聖母のような微笑みを浮かべるアルテミシア。


 ため息をつくヴァズロック。

「解っているならよい。我が輩も責めるつもりはない」

 ヴァズロックは前にも増して不安が募っていくのを感じている。チタン製ワイヤーと自負する神経が、チリチリと音を立てて摩耗していくようだった。


「残念ながら、この屋敷には地下室がございません。そしてマイロードの寝台も、畳の間に不釣り合いです。その代わりといっては何ですが、特製対光対水対爆対毛玉カプセルをご用意いたしました。」

「わかった。アルテミシアの言っている特製カプセルとは、これのことなのだ」

 中学生が緊張しまくってアフレコしたような声。もちろん、ヴァズロックの声色だ。


 一方、仕掛けておいた罠に狐がかかったような、攻撃的な笑顔を浮かべるアルテミシア。

「正解です! これこそ夢の零式自立学習型寝台『ノスフェラス』です。さすが我らの偉大なる伯爵様。ご聡明でいらっしゃる!」

「その荒廃したネーミングを何とかするのだ。それと、このメカが日本家屋に相応しい理由を説明するのだ」


 彼女は伯爵の苦情を無視し、そそくさとカプセルに取り付いて、なにやら操作を始めた。

 始めた途端、激しい圧搾音がした。驚いて腰を引くヴァズロック。シータはすでに部屋の隅へと移動済みだ。

 圧搾音は、カプセルの蓋を開く音だった。


「ご安心を、マイロード。ノスフェラスの開閉装置は油圧式になっていますので、蓋はゆっくりと開きます。三段階のスピード調節も可能です」

 恐る恐る中を覗きこむヴァズロック。シータも興味深そうに、遠目で覗きこんでいる。


 中は豪華にも、深紅のビロード生地で装飾されていた。ヴァズロックが手を伸ばして触ってみる。柔らかな生地の感触と、ひんやりした肌触りが心地よい。


「残念なのだ。アルテミシアのネーミングセンスさえよければ採用したものを」

「お休み中に猫を放り込みますよ」

「お、思ったより造りがよいのだ。たしかに、前のより良いかもしれない」


 試しにカプセル内部に寝ころんでみる。

「おお、堅過ぎず柔らかすぎず。これなら床擦れの心配もないのだ」

 マジで気に入ったのか、ヴァズロックはペタペタと各所を触りまくっている。


「蓋を閉めると、ブラン城地下と同じ環境(スペツク)に自動調整されます」

 アルテミシアがパネルを操作すると、油圧音を立て天蓋が閉まった。途端、内部からカプセルを叩く音がする。

「何か御用ですかー? マイロード! インターホンはーっ! 黄色いスイッチをーっ! 押すと使えますぅー!」

 片手をノスフェラスにあて、叫ぶアルテミシア。骨伝導の応用だ。


『使用説明を聞く前に閉めてはいけないのだ! どうやって蓋を開けるのかわからないのだ!』

 スピーカーから、半べそをかいたヴァズロックの声が聞こえた。


「それは申し訳ございませーん」

 全く申し訳なさそうな笑顔で謝るアルテミシア。さっそく取り扱いを説明する。

『よく解ったのだ。少々早いが、今宵はもう休むとしよう』

「お休みなさいませ、マイロード」

 アルテミシアとシータが、声をそろえて挨拶する。優雅なお辞儀をしながら。畳の間で。


『忘れていたのだ、アルテミシアよ』

「何でございましょう?」

 安いプラスチック製の装飾が施されたつり下げ式蛍光灯から伸びている紐に手を掛けながら、アルテミシアは笑顔で答えた。


『日本、もしくは東洋に伝わる「青龍」というのを調べておくのだ。特に「木」に絡むキーワードに注意するように。その他詳細はシータに聞け。それでは、お休みなのだ』

 ブツンと音がして、カプセルのインターホンから音声が切れた。


「その義、確かにお預かりいたしました。安心してお休み下さいませ、マイロード」

 ランプの消えたインターホンに向かって、ゆっくりと頭を下げるアルテミシア。

 天井の蛍光灯から、機械音が二度した。部屋の中は、薄暗いオレンジ色に変色していた。


 赤いフレームのメガネの奥で、金属的に光るカッパーの瞳を宿し、柔和な笑顔で振り向くアルテミシア。全く顔色を変えることなく、正面から見据える無表情なままのシータ。

 薄暗い六畳の間で、なにやら作業を始める二体の女。コンピューターのディスプレイに火がはいる。


 闇の中、そこに相応しい住人が動き出したのだった。

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