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6.騎刻亭

 輝がヘロヘロになりながら取り付けた、新しい看板だった。

騎刻亭(きこくてい)


 墨痕鮮やか。穂乃香が、乱暴ながら、意外と味のある筆使いで書き上げた看板だった。

 さんざん議論は尽くされた。と、穂乃香は言っていた。いや、穂乃香一人の脳内で彼女の全人格による議論の末、定められた名称なのだ。


 現実、輝は意見を出さなかった。出しても無駄だと解っていたからだ。姉弟として過ごした年月が、輝に生きていく上での知恵を授けていたのだ。

 十一歳児の輝は、夕方からずっと、騎刻亭と称された可愛そうな家の修理に勤しんでいた。ほとんど手を掛けていないこの家は、大した荒れっぷりであった。


「これではスポンサー……いや、タニマチ……いや、お大尽様を迎えることができない!」

 どんどん言葉のアヤにはまっていく穂乃香指令の下。ほぼ輝一人が修理と美化作業に着手したのだ。


「なにかにつけ第一印象は大事よ。初めて目にするものは外回り。輝の両肩に、我ら姉弟の命運がかかっているのよ!」

 責任重大である。


 早い話が力仕事。この家で最も力のなさそうな輝は頑張った。必死に頑張った。

 のせられた事に、薄っすらと気づきかけた頃には、看板を残して(背丈的な手の届く範囲)全ての補修が完了していたのだった。


 時刻は深夜。そんな輝の涙ぐましい努力を知らない二つの影が、騎刻亭を訪れた。

騎刻亭(きこくてい)

 なにやら意味ありげな名とは裏腹に、平々凡々とした木造二階建ての日本建築が、二人の目的地であった。


「確かにキコクテイと読めるが、……我が輩としては『鬼哭』の二文字をイメージしていたのだ」

「でも、りりしい現地文字が並んでいます。『帰国亭』でなくてよかったですねマイロード。それに、日本情緒に溢れた屋敷です。マイロードの希望がかなってシータも嬉しいです」

 全く表情を表に表さないシータ。しかし、うれしそうな空気が感じられる。うれしさの原因が、少年の困った顔だったりするのだが。


「いや、確かに日本情緒に溢れているが……昭和初期の日本より、江戸時代か、かなわぬとも大正ロマンを感じさせてくれる物件を期待していたのだっ!」

 黒衣の少年は、ぐるりと建造物の周囲を見渡した。


 騎刻亭の周囲に張り巡らされた高い板塀は、年代物である。軽く火にくべて焼き、防腐処理の代わりとしていた。

 瓦屋根の波打ちっぷりが、妖かしであるはずの伯爵の背筋を寒くさせる。


「これはアルテミシアに小言を言わねばならないのだ」

「マイロードは絶対切り出せないと思います」

 メイド少女をじっと見つめる少年。

 虫を見るような目で見つめ返す少女は、すっと右手を挙げ、……呼び鈴を押した。


「お待ち申し上げておりましたーっ! どうぞお入り下さーい!」

 内から元気な声が聞こえる。

「案内されたから入るのだ」

 ニヤリと犬歯を見せてマントを引き寄せる黒衣の少年。


 シータが日本式引き戸を右にスライドさせると、上がり口に元気な少女が座っていた。丁寧にも正座して三つ指までついている。

「この少女、どちら様……なのだ?」

 豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔をしている闇色の少年。目が泳いでいる。

 日本に来て日が浅い少年。もちろんの事、三つ指の意味を知らない。

 少女と絡んだ視線を外せないでいる。


「この下宿荘の大家で、騎旗穂乃香と申します! 二十二歳です! 長旅、ご苦労様でした。さ、どうぞお上がりください。あ、日本家屋ですので、靴はそこで脱いでくださいね!」

 御陽気な声を張り上げ、少年とシータを奥の間に誘導する。深夜零時をとっくに回っているというのに、テンション高い高い。


「なんか、こう、……我が輩のバイオリズムが狂いそうなのだ」

 少年は腰を曲げ、ぴかぴかに磨き上げられた靴を脱ぎ、上がり口に足をかける。

「あ、マイロード! 靴下のつま先に穴が! だからつま先補強してないシルクはおやめ下さい、と申し上げましたのに」

 めざとく見つけるシータ。お姉さんが弟をしかりつけるような口調だ。


「これは、つま先ヌードの靴下なのだ。日本製なので丈夫だと判断して買ったのである。裏切られた思いがするのだ」

 少年は穴の開いた靴下を履いた足を二・三回プラプラと力なく振った。……それだけで穴が元通りになっていた。


「何しておられらっしゃりやがるのですか? 早くお上がりくださいっせーっ!」

 紙で出来たドアの向こうから、大家を名乗る少女が顔を出す。

「あ、じゃ、遠慮なく」

 馬上の人ならぬ、畳上の妖魔となる二人であった。





 端の方がささくれている畳の間。黒ずんだ柱に、たくさん傷が入った和箪笥。黄ばんだ障子も何カ所か破れている。

 そんな和室の中央。四人が、円形の卓袱台に並んで座っていた。


「マイロード。呼んでくだされば、すぐにお迎えにあがりましたのに」

 大柄な美人メイド、アルテミシアが紅茶を湛えた白磁の茶器をサービスしている。カップから、とてもフルーティな香りが漂ってきていた。


「あ、お茶なら私が!」

 自分がすべき行為に気がつかなかったことを恥じたのか、顔を赤らめて手を出す穂乃香。アルテミシアは穂乃香の顔を立て、その作業を譲った。


 自称二十二歳、実年齢十二歳児の穂乃香は、ローティーン風の少年に、一つめのカップを配膳した。

「僕ちゃん、お名前は?」

 お姉さんが年下の子に接するような作り笑顔の穂乃香。

「いや、その方より絶対に我が輩が年上なのだ。実年齢も、見かけ年齢も」

「はいはい」


 穂乃香の適当なあしらいに、ムキになる黒衣の少年。

「我が輩の見かけはローティーンかもしれないが、それには遺憾ともしがたい訳があるのだ。いろんな愚か者のせいでな、……とにかく、本来なら我が輩はナイスミドルなのだ!」

「はいはい」

「聞いて驚くのだ。なんと、我が輩の実年齢は六百歳を超えるのだ!」

「はいはい。おもしろいおもしろい」

 全く聞く耳を持たず、次々と手慣れた動作で配膳していく穂乃香お姉さん。右手をプルプルと振るわせる少年。しかし、強靱な意思の力でプルプルを落ち着かせた。


「名前であったな。そうだな、ヴァズロックとでも名乗っておこうか。我が輩の名はロード・ヴァズロック・ボグダン・チェルマーレである。訳あって現ワラキア伯爵なのだ。もっとも、昔は公爵だったのだが!」

 自慢げに笑うヴァズロック少年。もともと姿勢の正しいヴァズロックが、さらに胸を張る。畳の上に敷いた座布団の上で。あぐら座りで。


「へー、すごいわね! 公爵から伯爵に出世したのね。やっぱ貴族は伯爵よね。だって、公爵ってあんまり格好良くないもんね!」


 知ったかぶりをする穂乃香。再びヴァズロックの右手がプルプル震えだす。

「伯爵より公爵の方が偉いのだ!」

「あらそう。ま、どうでもいいけど」

「どうでもいい、でかたづけられてしまったのだ」

 ヴァズロックの左腕もプルプル震えだす。


「で、何処の国から来たの? やっぱアメリカ?」

「今言ったのだ! ワラキアなのだ! 東部のムンテニアと西部のオルテニアを一緒にしてワラキアというのだ! 我が輩はワラキア伯なのだ!」

「それって西海岸? 東海岸?」

「この子、聞いてないのだ」

 全身をプルプル振るわすヴァズロック。


「マイロード。地方名ではなく、現国名を教えた方がいいと思います」

 ヴァズロックの耳元。口元に手を当て、シータが小声で注進する。

「なるほど! 妙案である!」

 ダウナー系のヴァズロックにしては、珍しくリキの入った相づちだった。


 咳払いを一つして、呼吸を整えるヴァズロック。大貴族らしく威風堂々と胸を張る。

「よく聞くがよい小娘。我が輩はルーマニアからやってきたのだ」

「え? それどこ? オーストラリア?」

「それも言うならオーストリアである。オーストリアの友人に謝って欲しいのである」

 ベクトル的には同方向であるが、ヴァズロックの体の震えが違うと言っていた。


「やっぱり、わたしが睨んだとおり! 二人とも初めて会ったとは思えないほど息がぴったりですわ!」

 アルテミシアが混乱に拍車を掛けた。


 シータは小さなため息をつく。

 意地になって説明するヴァズロックと、聞き流す穂乃香。二人のやりとりを見て、シータは早々と諦めることにしたようだ。


 二人の会話に割ってはいる。

「そんな事はさておき、私はシータ・アルカディア。マイロードの世話係を仰せつかっている者です」

 よく考えれば、自己紹介の途中であった。

 シータは座ったまま、メイド服の両端をチョイと摘んで挨拶する。笑顔一つ浮かべない。

「『そんな事』で処理されたのだ」

 プルプルが収まらないヴァズロック。


「ところで、ドアの影から覗いている男の子は、どちら様ですか?」

 シータの指摘に、ビクリと体を震わす輝。さっきから事の成り行きを影から覗いていたのだ。

 みんなの視線が集まったのに気づき、ビクビクしながら硬い表情で愛想笑いを浮かべる。


「あ、この子は輝。弟よ。輝、ご挨拶は?」

 穂乃香に促され、トコトコと近づいてくる輝君。キリンさんの絵が入ったパジャマを着ている。慣れない大工仕事で疲れて眠っていたのだが、ヴァズロックの来訪により目を覚ましたのだ。


 姉の横にちょこんと座り、黙って頭を下げる輝。おさまりの悪い毛が一本、頭の動きに合わせてフラフラと揺れる。

 輝は、すぐに姉の後ろへ隠れ、顔を半分だけ出してヴァズロック達を観察した。


 まず気になったのが、怖いくらい綺麗な目をした女の子、シータ。年の頃は自分と同じくらいか? あきらかにモンゴロイド系ではない白い肌。そんな女の子が漆黒のメイド服を着て、冷たい目で自分を凝視している。


 後ろで控えるアルテミシアは知っている。今日の昼過ぎにやって来た。時々かまってくれる優しい大人の女の人だ。


 最も気になる人。黒ずくめで病的に色白のお兄ちゃん、ヴァズロック。お人形のように綺麗な顔をした、あきらかに外国の人。目の色が見る方角によって赤く見える。

 どうにも、この人の目が怖い。怖いクセに、魅力的。引き込まれるようにヴァズロックの目を見つめてしまう。

 この目は、まるで……。


「なるほど。穂乃香が小学六年生で、輝が小学五年生なのだな。その方ら、今年で十二歳と十一歳なのだ。お子様なのだ」

 傲岸不遜な笑みを浮かべるヴァズロック。自分との違い、……優位点を年齢に持ってきてしまっている。


「ち、違うわよ! 私は大人よ。えーと、二十五よ。何でも見かけで判断しちゃいけないわ! 学校で習わなかった?」

「……さっき二十二歳と申したではないか? 我が輩の観察眼をナメてもらっては困る。そこの机に教科書がいくつか置いてあるのだ。手前の方を読んでみよう。『六年の国語・騎旗穂乃香』ほーら! どう見てもその方はお子様である!」

 自慢げに手に取るヴァズロック。ひじょーに小憎らしい笑みを浮かべている。


 大あわてで立ち上がり、教科書を奪い去り、背中に隠す穂乃香。

 自分の物には自分の名前を書く。人の物にも自分の名前を書く、そんな几帳面な性格が裏目に出た。


「ち、違うわよ! あれは昔の記念よ! 東洋人は背が低いし、幼く見えるのよ!」

 握り拳をブンブカ上下する穂乃香。両脇に垂らした髪がはねる。顔は既に真っ赤である。

「その割に埃がかぶっていないのだ。それに輝のノートとペンケースも一緒に置いてあったのだ」


 ヴァズロックは勝利に気をよくしていた。だが穂乃香はまだ諦めていない。

「あれは知らない人のよ!」

 その言葉に少なからずショックを受けた様子の輝。


「ヘタな嘘はよすのだ。あれは輝君の教科書なのだ。我が輩は既に記憶したのだ。我が輩の記憶が正しければ、『五年の算数・芦原輝』と書いて……ん? 芦原?」

 眉を寄せ、腕を組んで考え込むヴァズロック。ワタワタと慌てる穂乃香。


「に、日本には日本独自の文化があるのよ! 男と女で性が違うように、姓も違う場合があるのよ。そこから先は個人情報保護法で言えないのよ!」

 いぶかしむヴァズロック。彼の目が、興味で赤茶色に光っている。

「そこをねじ曲げて話すのだ!」

 ヴァズロックの目に鬼気の揺らぎが見えだした。


 シータはあきらかに緊張している。アルテミシアですら硬い笑顔を浮かべている。

 しかし、鬼気迫る状況はすぐに一転した。

「まあ、疑問に思うのも仕方ないわね!」

 穂乃香は、あっさりと引き下がった。


「あたしたちは血の繋がった姉弟じゃないの。あたしたちは施設で一緒に育った仲よ。そして、この家は元々あたしの家。つまり、騎旗家の家」


 ぽつりぽつりと穂乃香は語る。

「あたしたちは、色々あって、施設を抜け出してこの家で暮らしているわけ。そして……」

「解ったのだ。みなまで言わずともよい!」

 ヴァズロックが手で制した。流れるような動作で人差し指を立て、チチチと左右に振る。


「施設の職員と決定的に仲違いした穂乃香が、施設を飛び出したのだ。で、行きがけの駄賃に、手下の輝を連れて出たのだ」


「な! なによ、失礼ね!」

「これが男女逆さまの立場であれば、たとえ子供でも犯罪だったのだ」

「失礼ね、なんだかとっても失礼ね!」

 顔を朱に染めて怒り出す穂乃香。

「なによ! 何がおかしいの?」

 穂乃香が、怒りの矛先をにやけ顔の輝に向けらた。弱い者イジメである。


「いや、その、ちょっと……。こんなに賑やかになったのって久しぶりだなーって。家族のいる家ってこんな感じなのかなーって」

 四人の視線が輝に集中する。揃いも揃って、皆ドングリまなこだった。

「あの、その……、僕は家族の団欒って知らなくて……」

 輝の言葉は、小さくなって消えた。


部屋の空気が冷えていく。


「ここにいる者達が一つの家族とすれば、さしずめ我が輩は一家の主なのだ」

 いきなり、ヴァズロックが偉そうにふんぞり返った。輝をチラ見する。


「なによ、わたしなんか最初からお姉さんだし!」

 穂乃香がヴァズロックと張り合う。


「ふう……っ」

シータがつまらなさそうにため息をつく。

「なら、わたしは妹でいいです」


部屋の空気が、だんだん暖かくなっていく。


「それでは――」

アルテミシアがメガネを指で押し上げ、聖母のような柔らかい笑みを浮かべる。

 根雪を溶かす大地のような包容力。それがアルテミシア最大の魅力だ。

「わたくしは、輝さんの嫁。という事で!」


 アルテミシアの一言で、お茶の間の時空間が凍結した。


「えーと、……」

 強靱な精神力を持つヴァズロックのみが、かろうじて動きを見せた。


「嫁の座は譲れません」

 アルテミシアの決定打に、ヴァズロックが沈黙した。同時に家中の物音が消えた。ただ、外でウシガエルが、のんびりと鳴いているだけだ。

 それも五回で鳴き止んでしまった。


「コホン!」

 先ずヴァズロックが動いた。さすが異界の者。

 彼の咳払いによって、凍てついた時空が解放された。


「ならば、もう一度、穂乃香の口から、今度は正確なところを聞くのだ」

 ヴァズロックの一言で、今までの会話は無かった事となった。さらに、これで穂乃香が喋らないと再び気まずい雰囲気がお茶の間を支配してしまうことになる。

「うまいこと持ってきたわね」

 口を半開きにして固まる穂乃香。


 ため息一つ付いて、肩をすくめる。

「えーと、あたしの……旧家族の事よね?」

 余程の事があったのだろう。穂乃香は、血の繋がった家族に旧の文字を付けていた。


「家族が絡んでいるから、……最初から話したほうがいいと思うの。そうね、まずは……何もない無の空間が揺らいで――」

「もう少し後から話すのだ。百三十七億年後からでも脈略は繋がるはずである。むしろ、時間と空間を飛ばしたほうが無理なく理解できるはずなのだ!」

 卓袱台を叩いて抗議するヴァズロック。穂乃香は観念などしていなかったようだ。

「人の話は最後まで聞きなさいよ! あなたこそドラキュラみたいなクセに、失礼ね!」


 吸血鬼ドラキュラ。


 穂乃香の言葉に、水を打ったように静まりかえる騎刻亭ダイニングである。



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