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5.木の精霊神

「我が輩はトカイ・アスーを主食とする。だが時に、熟成された白も飲んでみたくなるものなのだ」

 狼は見た。格好つけたものの、主が手にしたワインの水面に、さざ波が現れたのを。

「チッ!」

 狼は、人間のように舌打ちをし、いきなり二本足で立ち上がった。


 立ち上がるなり、大音量で吼えた。月に届けとばかり、朗々と吼える。

 辺りの空気が、固体となって震動する。近くの広葉樹が太い幹を振るわす。枝が裂け、葉が千切れ飛ぶ。


 恐ろしくも美しい音楽を奏でながら、狼は人型のフォルムへと変形していった。


 金色の獣毛に全身を覆われた人型。発達した胸筋。何段にも割れた腹筋。のたうつ蛇のような筋肉が浮き出た太い腕。女性のウエストほどもある太股。

 手足の剛爪は、鋼鉄をも簡単に切り裂きそうだ。

 その姿。一見して、狼をモチーフにした立体的なマスクを被った覆面レスラー。

 有機的に動く太い尻尾と、黄銅色に鈍く光る目が、作り物でないことを証明している。


「伯爵様!」

 人狼が甲高い声で叫び、残像を残して移動した。次の瞬間には、伯爵と呼ばれた少年と歳星の間に割って入っていた。


 その挺身的行動に、少年は不快感を表した。

「ところで、ご婦人は何者なのだ? その身のこなし、胆力に気迫。そなたは人間ではないのだ。しかし、その方からは悪い匂いはしないのである」

 少年の顎が動くたび、赤い唇から健康そうな白い歯が見え隠れする。


「ふん! 有名人でしたのね。わたくし、あなた様のファンですのよ」

 歳星は後ずさりながら、二つの異形の影から距離を取った。広葉樹の一群を背にして、ゆっくりと後ろへ下がる。


「我が輩がその方の口づけを渇望する。それが、そなたが闇の者ではない証なのだ。そなたからは香しき聖なる者のニオイがするのだ」

「そんな大げさな者じゃなくてよ。『聖なる者』という表現はこそばゆいわね。伯爵様は日本に来てどのくらい経つのかしら?」

「今日、神戸港に陸揚げされたばかりなのだ」

「……どういった手段で日本上陸したかはさておいて――」

 強制的に話を元に戻す歳星。

 二大怪物を相手にする以上、戦うのはおろか逃げるのも困難だ。たとえ……。

 

「わたくしは八百万の神々、……その一柱」


 太い幹にもたれた歳星。これ以上後ろへは下がれない。

「木の精霊神。または木のエレメンタル神。あるいは青龍とお呼びくださいませ」

 歳星の目が、再び大きく見開かれる。瞳孔は青く、縦長になっていた。


 長い人差し指を一本、上に向けて振った。

()()!」

 歳星が何かに命令した。彼女の後方、広葉樹の根元が盛り上がり、土の中から白蛇が飛び出した。

 白蛇が人狼を打ち据える。打ち据えられる直前、人狼は後方へ飛び下がった。白蛇の攻撃は、虚しくアスファルトを陥没させるに止まった。


「木の根っこ?」

 ワイングラスはそのまま、まるで猫の昼寝を見ているような反応をする闇色の少年。

 這う音を立て、何本もの白い木の根が、うねりながら少年の周りを囲んでいく。

 闇にさす光のように、白と黒のコントラストが目に痛い。


 金色の固まりが空を飛んだ。主を救おうと、驚異的な跳躍を見せる人狼だった。


 ゆらりと歳星の髪が立ち上がる。

()()

 歳星の髪が飛ぶ。空中の狼に向かって横殴りの雨のように、針のように髪の毛が飛ぶ。

 歳星の本体を離れた無数の髪は、細くて尖った木針と化していた。


 さすがの人狼も、空中姿勢制御能力はない。無数に飛来する木製の砲弾に押し戻され、墜落した。体の前面をハリネズミのようにして仰け反っている。

 歳星は戦い慣れていた。よほどの場数をこなさないと、こうは咄嗟に反応できない。


「リュカオンの子よ!」

 振り向いて闇色の少年が叫ぶ。余程人狼が大事なのか? 今までのダウナー感は何処へ行ったのか? それほどの緊張感だった。


 歳星は、そこに隙を見いだした。


 人狼が飛び込んでくる前に、少年を中心に据えた白い根の方円は完成していた。後は一気に絞めるだけ。

「終わりよ!」

 革のベルトが打ち合うような裂音がして、白い輪は暗い闇を握りつぶした。


「闇の者が精霊神に手を出すなんて、百年早かったわね!」

 勝ち誇る歳星。口元に笑みが浮かぶ。

「精神衛生上、好ましくないゆえ、スプラッタな真似はよすのだ」

「え?」

 歳星は声の方向、人狼が横たわる方を見た。


 海老反って停止したままの、金色に輝く人狼の横で、ぽつねんと佇む闇。

 その闇は、腹を見せて寝ころぶ子犬を見るように、柔らかい笑みを浮かべていた。

 手にしたワイングラスの水面に波は立っていまい。


「信じられないけど、……坊や本物?」

 一見、余裕そうな歳星。だが、さっきまで浮かんでいた笑みが消えている。

「それはこちらのセリフなのだ。こんな異境の地で、ご当地神などという存在があったとは驚きなのだ」

 闇色の少年の横で、巨大な影が立ちあがる。


 歳星を睨みつつ、何事もなかったかのように立つ人狼。片手で体の前面を払う。

 深く突き刺さったハズの木針がバラバラと音を立て、地面に落ちる。木針は固い地面の上で、ランダムに跳ねていた。


「あなたほど有名じゃありませんけどね」

 歳星も負けていない。腕を組んで、片手を顎に当てるポーズを取った。

 それが虚勢であるのは明らかだ。背後で白く太い大蛇のごとき根が、彼女の乱れた心のようにうねりだす。


「それで? 何が目的で遠路はるばる日本くんだりへ来られたのかしら?」

「よくぞ聞いてくれたのだ。実は我が輩、人を探し――」


 少年の言葉が終わる直前、歳星の髪から、無数の白い木針が飛び出した。

 狙いは少年の左胸。黒いベストの胸ポケットから覗く赤いハンケチーフ。――その奥の心臓。


 白木の杭が少年の胸に穴を穿ち、後方へと抜けていった。

 穴の周囲は黒い霧のようになってぼやけている。


「――人を探しているのだ」

 言い終わると同時に、少年の輪郭がぼやけ、霧散した。


「神とは、いったいどのようなものであろうか? 我が輩は聖なるものに飢えているのだ」

 少年の声は、再び脱力系に戻っていた。それは歳星にとって神経を逆撫でるとともに、攻撃方法の工夫を考えさせられるものだった。霧と化す相手に、物理攻撃は無意味だろう。


 しかし手はある。むしろ、人狼の方がやっかいだ。


「毛獣とは相性が悪いのよね」

 少年に主役を譲った感の人狼は、適度な間を開けてステップを刻んでいる。いつでも襲いかかれると。伝説通りの不死身さを見せつけた巨狼。

 黒い霧が歳星を中心として、リング状に回転しだした。彼女が頼りとする広葉樹も、黒霧に煙っている。


「さて、覚悟して我が輩とデートしてもらうのだ」

 引きずるような音を立て、黒霧が濃度を増した。

 同時に突っ込んでくる金の人狼。こちらはフォローのためだ。殺気は感じられない。

 そこに針の穴を見た。


「風の寅!」

 歳星が叫ぶ。

 周囲は昼間のように光が溢れ、見ているものの目を焼く。歳星と人狼の間に、鉤裂きのような青白い光線が幾重も走る。


 雷撃だった。


 木気の性質は曲直。植物のように、曲がりくねりながらも目的地へ真っ直ぐ進む性質。それは風の性格でもある。すなわち木気は風。風は雷を呼ぶ。

 歳星の放った雷撃は、これから近い将来、起こるであろう怪しげな事件の始まりを告げる号砲でもあった。






 網膜を焼く檄光。

 体を張って黒霧を守る人狼。片膝を付いて背を丸めている。

「木なのに雷撃が出たのだ! ついでに言うと、ちょっと痛かったのだ」

 さすがに驚いたのか、あるいは電撃のダメージが通ったのか、実体化する少年。


「ュウロゥ!」

 人狼は、毛皮に付いた水滴を払うかのように、身震いを一つして立ち上がった。

 こちらはまったくの無傷。歳星の電撃は、人狼に利かない。


「少々派手だったが、人狼にとって大した痛手にはならないのだ。おや?」

 歳星の姿が消えていた。


「追うのだ! チルドレン・オブ・リュカオンよ!」

 ワイングラスを持つ手を伸ばし、偉そうにして闇の眷属に命じる少年。


 首肯し、瞬きする間に狼の姿にチェンジする。音を鳴らして風を巻き上げ、一瞬で姿を消す。半呼吸後、公園の外で着地音が聞こえた。

 グラスを持った腕を振る少年。ワインの入ったグラスが掻き消えた。


 しばらくの間、狼が消えた方向を見つめていたが……。ため息一つつくと、公園の出口である鉄門に向かい、ゆっくり歩き出した。


「マイロード。どうやら、見失ってしまったようです」

 鉄門の向こう側から、少女の声がした。

「シータか?」

 少年が鉄門をくぐる。主の斜め後ろに付き従うシータ。


 ブラウンの瞳はあきらかに日本人の色ではない。やや低めの鼻梁ながら、彫りは深い。

 肌は透けるように白かった。少年の青い白さとは対照的に、赤い白さを持つ肌の少女だ。

 小さな背格好、幼い顔立ち、幼い胸のふくらみは……ツルペタである。肩幅といい、身長といい、全体的に小振りで幼い十歳児であった。


 髪の撥ねを押さえる目的にしては大きな髪押さえをしている。が、ミディアムレイヤーの鮮やかな金髪は、大人びた印象を与えている。

 シータは、黒いメイド服を着ていた。少年が闇色の黒なら、この娘は漆黒の黒である。


「しかたないのである。まさかなのだ。我が輩も日本という最果ての異境に、いまだ神の一族が住まいしていたとは想像もしなかったのだ」

 風を打ちすえる音を立てて、襟の高い闇色のマントを引き寄せ、口元を覆う少年。

 

「いずれ探し出して口説き落とし、甘い接吻をするのだ。彼女の首筋は白くて細くて、とても綺麗であった」

 両手を広げ、マントを風にはらます。まるで巨大な黒鳥が羽を広げたかのようだった。


「努力研磨すれば追い詰めることもできましょう。果たして、マイロードに押し倒すことができましょうか? ましてや、口づけまでこぎ着けられるかどうかは月のみぞ知る。ってところでしょう」

 面と向かって堂々と指摘するシータ。目が死んだように冷たい。

 

「……確かに、この腕にかき抱くことは難しそうなのだ」

 少年は正直だった。さすがロードと呼ばれるだけのことはある。

「彼女のことは、一旦忘却の彼方に置いといて、……他をあたるとするのだ」

「いずれ正面からぶつかると思いますが……」

 シータの予言めいた言葉に、やや斜めに傾きながら歩く黒衣の少年。


鬼哭亭(きこくてい)へ急ぐぞ、シータ! ……アルテミシアを怒らすと後が怖いのだ!」

 なにやら気弱な一声をかけ、少年とシータは闇に溶けるように消えていった。


 後には、霧の晴れた夜空に美しすぎる星々が、人類には手を出せぬ高みの席で、気高く輝いていたのだった。



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