2.日本
「おら小娘! さっさと親の居場所を喋れっつてんだろうがよぉ!」
古びた日本家屋から、男らしくないキンキン声が聞こえてくる。その家の上がり口で、怖いお兄さんが若い女を恫喝していた。女の後ろで男の子が腰を抜かしている。
背に龍の刺繍が入ったラメのジャンパーを着たこの男、ヤクザ者に違いないが、若すぎる。見た目にも三下である。
もう一人ヤクザがいた。白いスーツに黒いアイパッチを着けた中年男だ。髪の毛が燃えるように赤い。
アイパッチの男は、スーツの内ポケットから煙草を一本取り出してくわえた。
「素人相手に暴力はいけないな」
男が指先で煙草の端を軽くこすると、煙草から煙が立ち上がった。
素人の男女二人は、ドングリ眼で火の付いた煙草を見つめている。
「面白い手品だろ?」
旨そうに紫煙をくゆらす。
「じゃ、ヤス、後は任せたぜ。しっかりやんな!」
ヤスと呼んだチンピラの肩を叩いて背を向けた。
「お任せ下さい社長。こんなガキども、俺が一発で歌わしてやりやまっさ!」
「……歌わせる?」
社長と呼ばれた男は、どことなく不安を覚えたまま出て行った。
「さてと――」
ヤスは両手を揉みしだきながら、被害我が輩定者達を睨めつけた。
「時間はタップリあるからよ、じっくり付き合ってもらおうか!」
サディスティックな展開を我が輩想したヤスは、下卑た笑みを顔に張り付かせる。
「まだ日が高いわよ。女を口説くなら日が暮れてからになさい!」
妙に落ち着いた声で答える若い女。いや、女と呼ぶには若すぎる。
すなわちこの家の住人は、騎旗穂乃香。……小学六年生の少女であった。
学校から帰ったばかりなのだろう。ランドセルを背負ったままだった。黄色い帽子の両端から、やたら長いポニーの尻尾が二本出ていた。
あと五年もすれば、健全な男子の射程距離に充分届く容姿を持っている。
今のままの方が良いというゲッフンゲッフン!
穂乃香の後ろで、ヘタレている少年の名は輝。穂乃香より一つ下の小学五年生。
坊ちゃん刈が長髪になった様な髪型。頭頂部から収まりの悪い毛が一本、バカ毛みたく飛び出している。
輝をかばううようにしてヤクザ者と渡り合っている穂乃香。怒気を含んだ黒目がちの目を見開いている。たいへん挑発的である。負ける気はないようだった。
「姉ちゃん、穂乃香姉ちゃん! やめようよ、ヤクザ相手に喧嘩しても勝てっこないよ!」
穂乃香の腕を取って引っ張る輝。膝がガクガク笑っている。
「るさいわね! ヤクザが怖くて座薬が使えますか! っての!」
「姉ちゃん! 全然あってないよ。むしろ、しりとりだよ!」
二人のやりとりに、こめかみをプチプチいわせるヤクザ者。
「なに関係ない話ししとんねん!」
ヤスの余裕が枯渇してきた模様。
「親の居場所を知ってれば、とっくに教えているわよ! 施設から逃げ帰ってみれば両親とも消えていたのよ! あ! まさか、あんたが殺ったんじゃないでしょうね?」
穂乃香は、意図的に目から怒気を消し、変わって恐れの色を浮かべた。こういう事のできる少女なのだ。
そして、玄関に置いてある黒電話の位置をチラリと確認する。これも芝居である。
「ちゃ、ちゃうわい! 俺、殺ってへんがな!」
少女の雰囲気に慌てるヤス。三下であることを露呈した。
穂乃香は、既に電話に手を伸ばしている。
「じゃあ、警察の前で釈明するのね!」
受話器を取り上げ、ダイヤルする穂乃香。
電話機の横で、抜けたコードをつかんで震えている輝。
「電話、止められてんのとちゃうんか?」
慌てて穂乃香が輝に手を伸ばしたが、既に遅し。ヤクザ者の目に狂気が宿る。
「てめぇ! このっ! ……もおええ! 芝居は終わりや! はよ判子出せ! 出さへんかったらお姉ちゃん連れて行くで!」
よほど頭に来たのだろう。口の端から泡を飛ばし、穂乃香の胸ぐらをつかむ。
「ふん! 家捜しすれば? 一切合切、親が持ってっちゃったわよ!」
「このガキ、オチョクリさらして! その手には乗らん!」
胸ぐらをつかんだまま、穂乃香を宙づりにして揺する。ヤスの顔は真っ赤。スカートの中丸見えで輝の顔も茹で上がっている。
「ばっかねぇー。よく考えてみなさいよ。判子なんて危険なもの、この家に残しとくわけないでしょ!」
鼻で笑う穂乃香。一見、理にかなった科白。ヤスは口を丸く開けた。
「なんちゅう親やねん! 家庭崩壊しとるがな!」
ヤクザモンの科白じゃない。
「家庭なんて最初から無いわよ、こんな家! どう? 恐れ入った?」
無意味に勝ち誇る穂乃香。鼻息が荒い。
「俺、穂村組期待のホープやねん。ほんで、これ初仕事やねん。こんなこと想定してへんでん。こ、このまま帰ったら社長にヤキ入れられるねん!」
「イメージトレーニングをどこかで間違ったようね?」
宙ぶらりんのまま、可哀想な目でヤスを見下す穂乃香である。
「なんとかしてぇな!」
「そうね、何とかしてやってもいいわ」
半べそをかくヤス。対して、サディステックな笑みを浮かべている穂乃香。
「どっちが大人なんだか……」
とはいえ、恐怖のせいでツッコミめない輝であった。
「輝にメイド服着て街に立たせるの」
「え? 僕?」
「ビラビラのレースいっぱい付けたメイド服で。で、変態の男とかショタの腐女子どもを呼び込むのと、その連中からお金を巻き上げるのが、あなたの役目」
「なるほど。11歳児の男の娘やったら、客もメッチャ集まるさかいな、……って児童福祉法違反やんけ! それ以前に変態やんけ。そんなんでブチ込まれたら、親に顔向けでけへんわ。ムショん中でもごっつカッコ悪いわっ。ボケッ!」
真っ赤な顔をして、拳を振り上げるヤス。
「元手は安上がりよ。メイド服なんかすぐに減価償却できるわ! 一度着せみたいし」
輝の意思は考慮されず、話だけが進んでいく。
「そういう問題とちゃうで! お前、子供の人権とか考えたことあんのか?」
「じゃあ、どうやって借金返そうってのよ? 代案があるなら言ってごらんなさいよ。借金返済の年次計画並びに月次目標と作業工程表をたててみてよ」
「いや、そんなんムツカシイこと急に言われてもやな……」
穂乃香のペースに巻き込まれ、ヤスは真剣に金策を考えだした。
そんな時だった。安っぽいチャイム音が、来客を告げたのは。
「はーい!」
元気に返事する穂乃香。
「まいどー! 騎旗穂乃香様、おられますか? 受取人指定でお荷物が届いておりまーす!」
お取り込み中のところ、ツナギを着た宅配員が笑顔で入ってきた。
全く空気を読まない宅配員に、どう対処していいかわからなくなったヤスが固まる。
「お荷物大きいんですけど」
「じゃ、そこへ降ろしてください」
どさくさ紛れにヤスの戒めから逃れた穂乃香が、上がり口を指さす。
運ばれてきた荷物は巨大な木箱だった。業務用冷蔵庫を横にした大きさだ。
大の大人が四人がかりで、必死の形相で運んでいる。そうとうな重量物である。
輝は、穂乃香の顔を見た。普段と変わらない顔をしている。
輝は思った。何食ったらこんな場面で冷静でいられるのだろう?
続いてヤスを見た。ヤスの目はつぶらな点になっていた。
彼が何を考えているのか? 輝は、サイキッカーでもないのに理解できた。
構造材にアルファベットの組み合わせが焼き印で押されている。出荷先国名が判別できるようになっているのだが、ヤスの頭脳で読み取ることは不可能だ。
輝の目にも輸出入用と判別できる木箱であるが、――木箱というより――、強固で頑丈そうな蓋を持つそれは、弁当箱かペンケースに似ていた。
そんなケースが、白い肌の粗い目をした木材で補強されていたのだ。
「判子、ここにお願いします」
「あ、はいはい!」
電話台の小物入れから判子を取り出す穂乃香。指定された囲みに判をつく。
「有り難うございました!」
帽子を取って礼をする宅配員。キビキビとした動きで宅配車に乗車。エンジン一発始動で去っていった。手を振って見送る穂乃香と輝。
「ちょっと待ったらんかい!」
穂乃香といっしょになって手を振っていたヤスが、我に返った。穂乃香の肩にかけた手が、熱く熱を持っている。
「判子、有るやないけ!」
「あ、しまった。でも、これ三文判で……」
「それで充分や!」
「キャーッ!」
肩にかけた手に力を込め、穂乃香を振り向かせる。
出所不明の迫力に押される穂乃香。輝も金縛りにあっている。
「鼻の骨折ったら鼻血が止まらんようになるって、知っとるか?」
ゆっくりと拳を振りかぶるヤス。穂乃香の鼻骨にロックオンされているのは、火を見るより明らか。
「可愛い顔が台無しやのぉ! 曲がった鼻のまんま、一生過ごしぃや!」
堅い物が割れる乾いた音。続いて、人が転がる鈍い音。
宅配された木箱。その横っ腹から、黒い棒が伸びている。
補強材をたたき割って伸びてきた棒が、ヤスの臑を打ったのだった。
ヤスは声を上げることなく、足を抱えて転がっていた。無事な方の足が、伸びたり縮んだりしている。
「え、なに?」
輝と抱き合っている穂乃香。
実を言うと、本日初めての恐怖を感じているところだった。
恐る恐る覗き込む穂乃香。覗いて解ったことがある。黒い棒とおぼしき物体は、黒っぽい服を着た人間の腕だったのだ。
腕が木箱の中にゆっくりと引っ込んだ。と、内側から乾いた音がした。
「ひやっ!」
木箱が大きく揺れ、補強材が勢いよくはがれ落ちた。
「お、お姉ちゃん!」
穂乃香の体にしがみつく輝。腕だけでは心細いのか、足まで使ってしがみついている。
「落ち着きなさい、落ち着いて――」
穂乃香の言葉は続かなかった。いきなり蓋が弾け飛び……、空中で静止した。一本の黒い腕が重量級の天蓋をつかんでいたのだ。
仕立てのしっかりした黒い生地。注意深く観察すると、繊細な刺繍が施されているのがわかる。手首の部分に、襞が多い黒のレースが使われている。黒い服とのコントラストのせいだろうか。その先に見える手が異様に白い。
いや、相対的に白いのではなく、人種的に白い肌をしているようだった。
木箱から立ち上がったその人は、日本人ではなかった。
「皆様はじめまして。騒がしいご挨拶になってしまったことをお詫び申し上げます」
にこやかに笑むその女。赤いフレームのメガネをかけた女。怖いくらいの美女だった。
流暢な日本語で喋る美人が、黒のメイド服で突っ立っている。
ショートボブの髪はメタリックな銀色。赤いメガネの奥に光るカッパーの光彩は、金属的な光を帯びている。
突き出すところは突き出、引き締まるところは引き締まった体型。見るからに目に毒であった。さらに彼女は背が高い。日本男子の標準身長を頭一つ超えている。
健全な中学生男子10人中10人が写生したくなるバディの……もとい、美貌の持ち主であった。
簡単に言えば、日本人離れした体格の持ち主だった。……日本人ではないが。