18.ヴラドの戦い方
「畝傍さん、シュテファンの次は僕が……戦うらしい」
輝が立ち上がった。べっとりと汗をかいている。息がとても荒い。
「……サタナスローネ・アシュタロト……」
輝の口が勝手に喋った。輝の背に、黒い影が生えている。
輝は、三対六枚の黒い翼を背に広げた。
「輝、お前それ……ニクトサウルスの翼か?」
春菜が叫ぶ。
「なにそれ? え? あっ! 翼竜だわ! でも違う。あれは蝙蝠の羽よ!」
解説し、否定のうえ訂正する歳星。
黒い蝙蝠の翼が風をつかみ、輝が宙に浮き上がった。
「輝! いや、輝の中にいる何か黒いヤツ! お前何者だ!」
春菜が輝を見上げながら叫んだ。
「輝君の中から純然とした陰を感じます。とても巨大な、畝傍と対極的な陰。それでいて畝傍と釣り合うくらいに力強い陰。いわば陰たる陰。輝は……太陰です」
同じく、輝を見上げる歳星。彼女は、春菜より語彙を多く持つようだ。
スルスルと浮かび上がっていく輝。程なく、畝傍と同じ高さまで上り詰めた。
「お前は太陰……にしては、水気ではないな? 妙に混沌とした陰気だ。だが、太陽たる火気の私に勝てると思ってるのか?」
うれしそうな笑い声を上げる畝傍。
「勝てるとか勝てないとか、細かいことは僕にはわからない」
「何? 訳の解らん事を! 大技を繰り出しているが、所詮は子供。いったい何が――」
はたして、輝は畝傍を敵として認識しているのか? 畝傍の言葉半ばで、漆黒の新月は爆発的に膨れあがり、火の鳥を取り込んだ。
「うをっ!」
春菜は穂乃香を担いで、一足飛びに舞台から飛び降りる。間一髪、春菜のスカートを闇が擦った。
膨張した闇の新月は、燃え上がる舞台の炎を飲み込んで、地上にまで届いている。
「いったい、あの子は何者なのでしょうか? ドラキュラと因縁があるように見受けられましたが?」
ちゃっかり、一足先に逃げ出していた歳星が、春菜の傍らに立っている。
歳星は、闇の新月に飛び込みたくなる誘惑を堪えて立っていた。何もかも、魂まで吸い取られるような危機感を持つ闇。それでいて、どうにも心を引きつける不可思議な魅力を持つ闇だった。
輝の魂が知っていた。魂の根幹に近い部分が、太陰を理解していた。
色即是空。
色とは物質。空とは無。つまり――。
形ある物、是、即ち(すなわ)無となる。
空即是色
形無き者、是、即ち色となる。
無でありながら空間として存在する。輝は、陰にして闇の空間を作り出していた。
完全に外部と断たれ、独立した空間。
輝にとって、そんな空間が存在するのかしないのかなど、考えるに値しない話である。
存在させる方法・理論など、どうでもいい。
穂乃香を救い出す。そのために、この闇が必要だった。
存在しなくてはいけなかったのだ。
必要だったから作った。だから作れた。
「なるほど、たいしたものだ。これでは何もできない。しばらくの間はね」
音のない空間に音が出現する。
畝傍の声だ。
声とは音。空間の波動。波動はエネルギー。
闇はエネルギーを吸収し、濃度を増して大きくなっていく。そして、輝の負担を増やしていく。
「ずいぶん不安定なのだな。君の作った陰の闇は。どれ!」
闇の中に、朱い色が出現した。畝傍が火気のチカラを使ったのだ。
たちどころに闇が色を吸収し、暗い朱となる。
「木気が無くてもこれ位はできるのだよ」
朱い色が明るい赤になり、じわりじわりと黄色くなっていく。光量と熱量、つまり陽のエネルギーが増えていく証だ。
片っ端から輝の闇が喰っていくのだが、追いつかない。闇のチカラがすり減っていく。
「時間の問題だよ。時間が全てを解決してくれる。一つ、時間稼ぎに私のうんちくを披露してやろう。なに、日本人が言葉を習得する前から存在した私だ。大概のことは知っている。君の使う、この闇の世界のことも」
畝傍は喋りながらも火を絶やさない。輝の消耗を気長に待っているのだ。
「君に、俺を超える力はない。君はすぐに、この空間を維持するチカラを失う。なぜなら、君は完全なヴラドではないからだ!」
無の空間で畝傍の声がする。
「私はヴァズロックと戦って解った。あいつはドラキュラなんかじゃない。ドラキュラとは正反対に位置する者だ。そうだな……」
畝傍が闇の中で腕を組む。
「彼の正体は、ドラキュラの幼馴染みであるシュテファン大公ではないか? 確かモルドバの大公だったな。そうすると、真のドラキュラはお前、輝君ということになる」
輝は聞いていない。聞こえてはいるのだが、理解するために余分な力は避けないでいる。それだけ集中力がいるのだ。
「そうそう、ヴラド・ドラクリアってのが正確な名前だったな。彼がどんな力を持っていてどうやって死んだのかは私の知るところではないが、……つまり、ヴラドの転生体である君は、まごうことなき人間だ。前世での闇のチカラは消えている。今君が使っている闇のチカラは、いわばカフェオレ状態。真のブラックではない。混ぜものの甘い飲料に過ぎない!」
陰にして闇の空間で、畝傍の声が大きく響き渡る。輝にチカラ勝ちしているのだ。
畝傍が何を言っているのか、そんな事はどうでもいい。
自分のチカラで作り出した闇の空間がカフェオレである事も、長時間保たない事も、親切に指摘されずともわかっている。
この闇で、畝傍をどうこうするつもりはない。
輝の目的は「真の闇を築く事」だ。
だから、もっとチカラが欲しかった。畝傍のチカラを、極限まで喰っておきたかった。
しかし、限界が近い。チカラが残っている内に、高濃度のチカラを奪っておきたかった。
もっと効率よく奪わねば(・・・・)ならない。もっと、畝傍のチカラを!
闇は全てを奪う。
たとえ命でも、たとえ幸せでも。
目をこらす輝。
時と共に流れ出ていく自分の力は無視する。畝傍にだけ集中する。
畝傍の白い光に。
畝傍の光の中心に、たとえ目が焦げようとも。
畝傍の光の中心に……。
光の中心。そのすぐ側に畝傍らしからぬものが見えた。
小さな黒子のようなもの。細い針の穴のようなもの。
その一点に輝は集中する。
意識の中で、感覚がズームした。大きくなった穴をくぐる。
そこは、炎の中の闇。陽気の中の陰気。
畝傍の闇は渦を巻き、次第に形を成していく。
やがて闇は人の形を取り、色が付く。
「これは?」
清風学園高等部の制服を着た女子高生。背中まで長い栗色の髪を伸ばしたお姉さん。
その綺麗なお姉さんがこちらを向いた。
とたんに、世界が広がる。
無彩色の町の景色が広がった。黒とグレーと白の世界。
モノトーンの町中で、輝はホバリングしていた。
輝はお姉さんに問うた。
「お姉さんはだれ? 何故、畝傍さんの中にいるの?」
輝の問いに答える代わり、女の子が笑った。
すると、世界に色が付く。
鮮やかに染まる世界。ビルに、空に色が付いた。
夕方なのだろうか、朱い色を中心に据えた配色だ。
お姉さんが走る。長い栗色の髪を揺らして走る。くるくる回り、踊るように走っていく。
輝は、慌てて後を追った。
女の子の笑い声が聞こえた。音のない世界に音が生まれた。
実に気持ちよく笑うお姉さん。狭い肩幅、細い腕、華奢な足。とても儚い女の子。
女の子が角を曲がる。
追いつこうと急ぐ輝。もうすぐ角を曲がる。まだお姉さんはいるだろうか?
嫌な音が曲がり角の向こうから聞こえてきた。
タイヤがアスファルトを掴み損ねる音。何かぶつかった音。
角を曲がる輝。
そこは赤い世界。赤一色の世界で、栗色の髪をしたお姉さんが倒れている世界。
足が信じられない方向に曲がっていた。
「何を見ているっ!」
畝傍が大声で叫んでいた。
「私の娘を見るなーっ!」
畝傍の魂が叫んでいた。畝傍の心が、赤い涙を流していた。
もの凄い勢いで輝に迫る、コロナのごとき畝傍の焔。
輝に命中するまでの数瞬。しかし、無限にも思える時間感覚。
この闇の中では、時間すら存在しない。
「そうか、これが畝傍さんの闇。畝傍さんの子供は交通事故で死んだんだ」
焔が無限の空間を進んでくる。輝を焼き尽くすために。
「俺の幸せを奪うなーっ!」
焔の先端に畝傍の顔を見た。
「無理だよ。そんな炎で僕は焼けない」
これで最後だ。輝は焔を受け入れる事にした。
「闇は私の全てを奪うっ! 俺の家族を! 娘の命を! 平和な生活までもっ!」
畝傍が叫ぶ。
無限の間隔は無の間隔となり、巨大な焔が輝に直撃する。
直撃して……。
だが、空間は闇のまま。輝の声だけが響く。
「僕の闇は全てを奪う。……そうだよ、悲しみまでも。畝傍さんの悲しみまでも」
「あ、ああっ!」
頭を掻きむしり、子供のように丸くなる畝傍。
陰の闇の中。輝と畝傍の気配まで消えた闇の世界。
しかし、畝傍の消失は一時的なもの。時間が来れば、闇は消える定めだ。
そして、輝の限界が訪れた。
広がっていく一方だった闇が、逆方向へ、中心部へ向かって収斂していった。
存在しない輝は、存在しない片手を前に突き出して、存在しない声で命じる。
「光あれ!」
見かけ上、ピンポン球大にまで小さくなった闇の新月から光が産まれた。
光とは、闇の中でしか生まれ得ない存在。
そして光が喋った。
「我が輩を呼んだのは、輝、お前か?」
輝の目前、腕を組み、現れたのは不遜にして傲岸無礼に笑うヴァズロック!
こいつら、メシ食ってないよな?
次話「闇と光」
ラストだいたい2話。




