17.朱い太陽と漆黒の月
「ねえ、春菜さん、前の方でバチバチいってるよ!」
「黙ってついてこい!」
ヴァズロックと畝傍が戦っているその時、建物の影を縫うように走る人影が二つ。
目的地は能舞台。
畝傍に見つからぬよう、隠れながら走る。それでも戦う二人から目が離せない。
息を荒げる輝は、春菜を見る。春菜は未だスピードを落とさない。
「タフなんだな」
なんだか異様に息苦しい。空気が熱い。体も熱い。昼から何も食べていないからか?
流れる汗を腕でぬぐいながら、戦いに注意を向ける。
ちょうどヴァズロックと畝傍が、発光球になったところだ。
「なんだか……胸が苦しい」
輝の息は、必要以上に上がっていた。胸が怖いくらいに脈動している。
人外魔神の戦いが上空へと移った。その余波で、二人の周囲が荒野と化していく。
屋根、草、土、いろんなところから火の手が上がっている。上空から光の流れ矢や、炎の切れ端が、雨のように降ってくるからだ。直撃しないのが不思議なくらいだ。
いつになったら目的地に着くのか?
輝の神経が麻痺している。能舞台に到着したことを理解できていない。
「なにヘタレてんだ? 急げ! 屋根が燃えてんだぞ!」
春菜は、火災を起こした能舞台の袖に手をついて、肩で息をしていた。自称無敵の水神も、オーバーワークの元、限界が近づいていたのだ。
「囚われの穂乃香姫を担いで逃げるぞ!」
春菜が白いのを見せながら、能舞台によじ登った。
「あ、ちょっと、ちょっとまって!」
いつものように狼狽えながら、春菜に続いて舞台に飛び乗る輝。
輝は、舞台に上がるとすぐ、燃える屋根の向こう、上空の戦いに目を走らせた。
夜なのに昼のように明るい空。二つの太陽のせいだ。
幸いにも、舞台は炎上する屋根のおかげで、太陽達から死角になっている。畝傍はヴァズロックとの戦いに集中して、輝達に気づいていないようだ。
今がチャンスとばかりに、鏡板へと足を忍ばす輝と春菜。
後ろ手に縛られ、おまけに足まで縛られた影が転がっていた。
「穂乃香姉ちゃん!」
自発的にむくりと起き上がる影。
「まあ春菜さん。、か弱き囚われのわたくしを命がけで助けにいらしたのね!」
歳星である。
前のめりに突っ伏す春菜。今のでかなりの体力を消耗したらしい。なかなか起き上がれないでいる。
「おばさん?」
「歳星ーっ! いないと思ってたら、テメェそこ何やってる!」
気を失っている穂乃香の隣で、同じように縛られた歳星がいた。
「アレか? 畝傍の火力がチョー強いなと思ってたんだ。お前かっ? 『木生火』の理でっ! 畝傍にブースト掛けてたのはっ! お前かっ?」
指と首をボキボキ鳴らしながら迫る春菜。
「自主的に協力していたわけではありません。勝手にわたしからチカラを吸い取っているのです。ほら、この位置!」
春菜の迫力に、恐怖を覚える歳星。
「火の方位である南に木気のわたくし。この地は火気のチカラが異様に強くなっています。だから早くわたくしを移動させてください!」
「五行を説くより、テメエをコンプリートにデリートする方が手っ取り早くねぇか?」
歳星は春菜に任せて、輝は穂乃香に取り付いた。戒めを解いていく。
「穂乃香姉ちゃん! 助けに来たよ、穂乃香姉ちゃん!」
うっすらと目を開ける穂乃香。目に力がない。
「しっかりして穂乃香姉ちゃん! 起きるんだ!」
輝の必死の呼びかけに、反応の鈍い穂乃香。甲斐もなく、ゆっくりを閉じる。
「穂乃香姉ちゃん!」
今度はピクリともしない。
「駄目よ。強力な三十一文字がかけられているわ。穂乃香さんの精神は深く眠っています」
戒めから解放された歳星が手首をさすっている。
「ミソ……?」
小学生の輝に理解できるワードではない。
「畝傍の野郎、また、えらい難しいのを使ってきやがったな」
額に手を当て、上空を見上げる春菜。
「直訳すれば和歌なんだが、この場合、簡単に言えば、言霊、えーと、キーワードを用いた強力な呪い? キーワードが解らないと穂乃香の心は戻らない。ずっとこのまま……」
言葉を切る春菜。
明るい夜空を見上げる歳星が、続きを引き継いだ。
「穂乃香さんは永遠に眠ったままですわ」
「でも、畝傍って人を倒したら……」
残された希望にしがみつく輝。動悸が止まらない。止まるどころか、ますます激しくなっていく。
「たとえ、畝傍を滅ぼしたといたしましても、キーワードが解らないと穂乃香さんは帰ってこないでしょうね」
歳星が、辛い言霊を吐き出すように言ったとき、それはおこった。
上空で大爆発。
穂乃香をかばって覆い被さる輝。春菜と歳星がどうなったかわからない。
強烈な光が舞台の屋根を吹き飛ばす。細い柱が嫌な音を立ててへし折れた。
目を堅くつむっているのに、どこでどんな爆発が起こっているのかありありと解る。
一瞬遅れて、激しい刺激が鼓膜を連打。続いて高熱の烈風が頬を叩き、衣服をはぎ取ろうと企てる。
一連の暴行が過ぎた後、輝は間違えることなく一点を見つめた。
炎をまとった鳥と……相対する、光り輝く天使。
「は、伯爵」
背中から長くて白く光る翼が二対、計四枚生えている。小さい体に、不釣り合いな長い翼。眩しく光るのに、羽の一枚一枚までもが鮮明に識別できる。
ヴァズロックの顔をした天使が、宙に立っていた。
美しい。
苦しさに歪んだ顔までもが美しい。
「伯爵!」
叫ぶ輝。気づくヴァズロック。
「やはり来てしまったか、輝。心配することはない。我が輩は無敵なのだ!」
穂乃香と輝を認識し、苦しさを忘れて微笑んだ。
青く優しい目をしたヴァズロック。
それは一瞬。目の色が暗い赤に変わった。
血糊が付いたナイフのような目で畝傍を睨む。
「畝傍とやら、諦めるがよい。穂乃香はその方の手からこぼれ落ちたのだ」
金属質のビブラートを利かせたヴァズロックの声が響き、光の翼が広がった。
「気を遣ってくれなくて結構だよ。なに、お前を殺してから、ゆっくりと取り戻すさ」
畝傍の声は、やけに腹に響く重低音だった。さらに火勢を増す朱雀。
反応するようにヴァズロックの体が光り出す。
「輝、走るのだ!」
ヴァズロックの声に反応して走ったのは春菜。穂乃香をオンブした輝の手を引いて。
「ドラキュラも凄いが、畝傍はもっと凄いチカラを溜めている。早くここを離れるんだ!」
その言動は、春菜らしくない必死さだった。
火の鳥が雄々しく羽ばたいた。今や天空いっぱいに朱の翼を広げている。
「そんな弱った体で何ができる?」
「どのように堅牢な陣であっても、攻撃力を一点に集中させれば必ず突破できるのだ」
手で三角の印を組んだヴァズロック。
次の瞬間、眩い光の長槍が、ヴァズロックの胸元から朱雀に向けて打ち出された。轟音が後から付いてくる。
光速で射出された高エネルギー体が、朱雀に突き刺さったのだ。
朱雀から火の粉が飛び散る。まるで血をばらまくように、赤い火の粉が飛び散り、火の鳥の腹から、畝傍の本体がむき出しで見えた。
「必死だな!」
凶悪に歪む畝傍の顔。
「うわっ、チカラが小さくなった!」
春菜が叫ぶ。
眩い光に包まれたヴァズロックが、亜光速で畝傍本体にぶつかっていった。
「じゃあ伯爵が勝てるの?」
輝の顔に希望の色が浮かんだ。
「いや、小さくなったのはドラキュラのチカラだ。畝傍の変化は少ない!」
春菜が突きつけたのは現実。そして絶望。
畝傍は、ヴァズロック捨て身の攻撃を右手一本で止めていた。
朱雀の炎が蘇る。畝傍の左手が、ヴァズロックの肩をつかんだ。
「おしまいだ、ドラキュラ。俺が木気のチカラで相生になっているのを忘れたか?」
畝傍の胸から青白い炎が噴きだした。ヴァズロックの体が、炎に埋没する。
そこから逃れようと、ヴァズロックは何度か羽ばたいた。
だが、抜け出すには弱々しい羽ばたきだった。
そして、翼が焼け落ちた。
ヴァズロックの体から光が抜け出していく。霧のように抜け出していく。徐々にヴァズロックの体が薄くなっていく。
「輝、後は……その方……」
無敵のヴァズロックが霧散した。
「む、胸が!」
胸を押さえて、転がる輝。背負っていた穂乃香も一緒に転がった。
輝の肋骨が、横隔膜が、肺が暴れ、弾けそうになる。
「大丈夫か、輝! くそっ! 二人の気に当てられたか?」
春菜の声を輝は聞いていない。
仰向けに転がった輝。ポケットから転がりだしたメダル。
それを手でつかみ、レリーフを指でなぞる。
荒い息の元、空を見上げた。
ヴラドのいない空。明るい夜空で羽ばたく火の鳥を見ながら、眼前が暗くなっていく。
輝は夢幻を(ゆめまぼろし)見た。
大河に面した高台の上。二人が馬を揃えていた。
「ヴラド、本当によいのか? 貴公の手勢だけでは、なんとも心許ないのだ」
「当分は大丈夫だよ」
そろって物見に出た二人。彼らの頭上には、雲一つ無い青空が広がっている。
「味方の中に、貴公の命を狙う者が紛れ込んでいるはずなのだ」
理想的な包囲殲滅戦により、敵は川向こうまで退いた。馬に乗っているのは二人だけ。他には護衛の兵士数人だけである。
ワラキア大公、ヴラド・ドラキュラが馬を下りた。
「心配ない。シュテファンは心配性だな。そなたが知らぬ秘法により、我は暗黒を体の中に飼っている。……まともな戦いで死ぬことはない」
シュテファンは、親友の言っている意味が理解できていない。
「ふふふ。よしんば、我が死んだとしても人の歴史に大きな変更などない。今、この現実である二人の共同戦線も、歴史の表面には現れない。二人は別々に戦っていた事となるであろう」
なぜという顔をするシュテファン。それに答えるヴラド。
「シュテファンはずっと表の戦いをしてきた。それは裏を知らなかったからだ。我は闇を知ってしまった。知ったが故に闇の眷属と、人外の戦いを起こさねばならなかった」
表の戦いと裏の戦い。長い戦いだった。やっと闇の戦いに終止符がうたれた。だがヴラドは、その戦いで、戦力のほとんどを消耗してしまったのだ。
「しかし、ハンガリーは今もヴラドの命を狙っているのだ」
「心配するなシュテファン!」
ヴラドは白い歯を見せた。
「教皇庁やヴェネツィアは我が輩の味方だ。我が輩の体の秘密を知っている。それは闇の戦いを知っているという意味だ。現に、彼らが政治面で協力してくれている」
闇のチカラはもう必要ない。これからはシュテファンと共に表の戦いに全力を注げる。ヴラドはそれが嬉しかった。
「これから我は、太陽の下で生きていくんだ」
「我が輩にはよく解らんが、……楽天的になったのはいつからなのだ?」
ヴラドを見て微笑むシュテファン。ヴラドも馬上のシュテファンに笑みを返す。
シュテファンは太陽の中にいた。いつも、この友には太陽が付いていた。自分の中に闇がある。それでも、太陽と共に生きていけるだろうか?
シュテファンの笑顔が、逆光のせいで見にくかった。ヴラドは、それが残念に思えた。
「シュテファン!」
意識せずとも、瞼は自然に開くものだ。
輝が夢を見ていたのは、ほんの一時。目の前には、瞼を閉じる直前の風景があった。
輝の横に歳星がいる。他人事のように空を見上げている。
「天使みたいな姿をしていましたが、やはりドラキュラ。弱点は火。最後は火で焼かれて灰になってしまいましたか」
違う! そうじゃない。
「やっぱ、火気はチョー強えぇ! 畝傍の圧勝だ」これは春菜の声。
「違う!」目の前の出来事に対して輝が言った。
「違う!」別の事柄を否定した。
筋肉や肋骨や肺が暴れているのではない。もっと別の次元で体に異変が起こっている。
視野の四方が、黒い闇で覆われていく。極端に視界が狭くなった。
「声が聞こえる。……泣き声だ」
体を大きく震わせながら、操り人形のように、ぎこちなく立ち上がる輝。
「おい、輝! どうした、ナニ雰囲気出してんだ?」
あの春菜が、怯えた目をして輝を見ている。
輝の体は、おこりのように震えていた。
「わかったような気がする。体が震えているんじゃない。畝傍さんの心が、魂が震えているんだ。わかっちゃったよ、僕」
「人間、悟ったらお終いだ。わかっちゃ駄目だ、と――」
春菜は異様な気配に空を振り仰いだ。
朱雀と化した畝傍の頭上で、何かが立体的に渦を巻いていた。
「何だぁありゃ?」
春菜は驚いた。
朱雀の上空に、――輝の頭上に真っ黒な月が現れた。
それは漆黒の月。
実も蓋もありませんが、
フルパワーの春菜さんなら、第三ラウンド一発KOです。
実も蓋もありませんが……。
次話「ヴラドの戦い方」
空即是色。形無き者、是、即ち色となる。
「光あれ!」




