1.種まき
「我を崇めよ! そして敬え!」 パラレルワールド編
* それはそれは遠い昔。
闇に身を窶した男が死んだ。
そんな風にあの友なら言うだろうな。
我は不死のはずだった。こんな簡単に死ぬとは思っていなかった。
右腕と頼る男に裏切られたとは、いやはや困ったものだ。油断である。理不尽である。あやつの女房を寝取っただけで逆ギレされた。
あの男は、我の不死性の、唯一の弱点を知っていた。
弱点とは、山羊の角を用いた聖杯を……いや、そんな事はもはやどうでもいい。
自分のやり残した事は後世に託すとしよう。
あの男は知らない。自分が不死である事を。
……矛盾である。お笑いである。今まさに死のうとしているのに。
我が肉体は滅ぶとも、我が魂は滅さぬ。
いつかどこかに赤子として転生する。何度でも転生する。これを不死と言わずして何と言う?
そして、不死を得た者の天罰でもあるのだ。
不可避の運命を甘んじて受けるしかない。
ああ、闇が迫る。底無しの闇に堕ちる。
願わくは、生暖かい闇であらん事を……。
* 沢口春菜。清流高校一年生。
亜麻色のサラサラ髪。長いまつ毛とアーモンド型の目が逆卵形の輪郭におさまっている。
正常な男子なら、頬を赤らめ、とある場所に電気が走る美人である。
彼女は主人公ではない。
ただのキーマンである。
……女子だからキーウーマン。いや、少女なので可愛くキーマン子。
そうキーマン子である。
こっそり写生したくなるほど美しいキーマン子である。
そんな美少女が、なにかを捜しながら校舎の階段を上がっていった。
時間は昼の休憩時間。
芹川嘉門18歳。
鮫の様に冷酷で小さい目。水牛の様な厳つい顔。補導員が避けて歩く凶悪オーラ。強面で通る三年生である。
だが、彼も主人公でない。キーマンですら無い。
「あんたが芹川さんかい?」
「人違いだ」
金髪長身のクズ野郎に、三白眼を向けられた。挑発のつもりらしい。
見たところ、ただのやんちゃ坊主ではない。太い腕。厚い胸板。プロレスの前座くらいは勤まるだろう。
金髪野郎の足元には、芹川の取り巻き達が廊下に転がって悶えていた。
狼。
そんな言葉がぴったりな逝かれヤロウ。
相沢タカシ。二年。今日から通う事になった転校生。
芹川はコイツを知っている。今朝方、風紀委員長から注意する様言われたのを思い出した。この清流高校は、好んでやんちゃ坊主を引き受ける習性がある様だ。
「あんたこのガッコ、シメテんだってね?」
「いや、それは間違っている」
確かに芹川は、暴力というヒエラルキーにおいてこの学校の頂点に君臨すると、権威ある筋から認められている。
それと同時に、あしらい方も心得ている。
時間だ。授業開始のチャイムが鳴った。
「しゃーねーな」
金髪の狼から殺気が消えた。
新聞沙汰の暴力問題を起こした相沢をせっかく受け入れてくれた高校だ。初日からサボる訳にはいかないのだろう。
「俺の名は相沢。覚えときな。じゃ、放課後ケリつけようや」
くるりと踵を返し、ヒラヒラと手を振りながら芹川から離れていく。
……違うんだけどな。
身長190センチ。体重90キロ。ムエタイの道場に通っていた芹川である。そんな彼の目から見て、相沢は強敵に映った。本気出してもやられそうだ。
相沢は、廊下の向こう側でビビっている同族に睨みを利かした後、階段を下りて姿を消した。
「ふぅ」
予想される結末に、芹川はため息をつくばかりだ。
「のゲーっ!」
変な悲鳴を上げ、相沢が階下から空に舞い上がっている。
相沢を蹴り上げたであろう白い生足が階段から飛び出していた。
相沢の体は、反対側の壁にぶつかり、床に転がり、白目を剥いて動かなくなった。
「春菜さんに蹴り上げられたな?」
伸びていた足が引っ込んだ。見えそうで見えないところが憎らしくもあり、良かったりする。
コツコツと靴音を立て、美少女が階段から上がってきた。
スカート丈は膝上五㎝。けして短くはない。だがそれがいい!
相沢にやられ、俯せに倒れいたヤロウ共が、呻きながら仰向けになる。仰向けに倒れていた連中は全員薄目である。白々しい事この上ない。
彼女は風紀委員副委員長、沢口春菜である。
ちなみに風紀委員長は春菜の妹だ。
現生徒会長が妹さんを風紀委員に指名。その妹に乞われて副委員長のポストに就任した。けして群れようとしない春菜を取り込む為の、手の込んだ罠である。
暴力的な意味合いの地位に立つ芹川にとって、迷惑なことこの上ない事態だ。
バラの様に可憐な、春菜の唇がほころぶ様に開く。
芹沢が至福を感じる瞬間の一つだ。
「おい芹川。今日、アイガモってチンピラが転校してきたはずだ。問題起こすんじゃねえぞ」
「アイザワだ」
見た目と言葉使いのアンバランス。そこがいい! 興味ないモノに対する、記憶する気のなさがいい!
「ところで、こいつ何者だ?」
春菜が親指で相沢を指した。
「さあ? 最近暖かくなってきたからな」
「香ばしい目つきしてたから念のため蹴り入れといたけど、アイガモって坊主は、コイツと違って狼男みたいに強いって噂だ。お前もこのガッコの番長だろ? 狙われっぞ、気をつけろよ! じゃあな」
春菜はそれだけ言って元来た階段を下りていった。
狂犬を蹴り倒した認識はないようだ。
俺が番長ならあんたは裏番だろ? そう言いたかったが、命が惜しかったので黙っていた。
「芹沢さん、お怪我無いっすか?」
向こう側でへたり込んでいた水之江がこっちへ走ってきた。こいつも派手な金髪だ。
「水之江、お前、見たか?」
「見たっす。今日は薄いブルーっす」
「そうか、すると相沢も見ただろうな……俺は角度的に見えなかったが」
芹沢は遠い目をして息を吐いた。
次の瞬間、その巨体に見合わぬ動きを披露し、水之江をネックブリーカーに捉えた。充分相沢に対抗できる身体能力だ。
授業が始まるというのに暴力沙汰に及んだのは、相沢に対する怒りのためか、水之江に対する嫉妬のためか。
芹川本人にも解らないのであった。
* ふるさとよ、今はさらばと言わせてくれ!
たゆたゆと風の吹く丘で、黒衣をまとった小さな影が、街並みの風景を見下ろしていた。
空には星が出たばかり。鋭く刺すような冷気をものともせず、ただその身を風に抗わせていた。
「少しの間おさらばなのだ。我が町、クルティア・デ・アルジェシュよ」
闇に似合わぬ清々しいボーイズソプラノ。持ち主は、声に似つかわしく、白眉黎明な少年であった。
見た目、十三・四歳の美しき少年。乱れる髪をそのままに、柔らかそうな青白き頬を寒風に晒している。
「ここで写生をなさっておいででしたか、マイロード!」
突然、後ろから声がした。玉石を転がすような美しい少女の声だ。
「む? 我が輩は芸術を愛でるタイプであり、創作するタイプではないのだが?」
黒衣の少年は振り向かず返答した。気配だけで近づく正体を認識していたからだ。
年の頃は10歳児。小さな身体に薄い胸。黒いメイド服姿の少女であった。
少年とは対照的に、血色の良い肌を持つ。頭には大きな髪押さえがあった。
「本当に日本へ行かれるのですか?」
元来、彼女は土地に縛られないタイプだ。何処ででも生きていける自信があった。それでもヨーロッパ圏から離れるとは想定していなかった。
「この国はもう、我が輩を必要としていないのだ。我が輩が支えてやらずとも、どうとでもして生きていけるのだ。立つ鳥は後を濁さないのだ」
「私には、置き土産げを残したようにしか思えませんが……」
そこで初めて振り返る少年。目と目が合わさる。しかし、お互い黙ったまま。
沈黙の均衡を破り、先に口を開いたのは黒いメイドの方だった。
「現在の政権は、野犬問題に頭を抱えておりますが」
「どのように下等な生き物であっても、自らの意思で生きたいと欲するのは当然の権利なのだ。我が輩の支配から離れ、立派に生きていけるのだ。あいつらならば!」
グッと拳を握り、力説する少年。黒いメイドは、それを義務の放棄と受け取った。
良い従者というのは、主の意に沿う言動を取れる。少女は、良いメイドであった。
話題を元に戻したからだ。
「なぜニッポンなどという、東の果てにいらっしゃるのですか?」
さすがの彼女も、まだ見ぬアジア最東の国に不安を覚えていた。わがままな主の目的も聞かされていなかったからだ。
「あそこには、……日本には、あの者が住まいしているのだ」
メイドには納得のいく答えではなかった。
「互いに、そう……片方が主権者になっても、他方が主権者に就くときにはいかなる努力も惜しまない、と誓いあったのだ。アルテミシアの調べによると、その者は今、窮地に立たされているらしいのだ。だから我が輩が行かねばならぬのだ」
まだメイドにとって、納得のいく答えにはなっていない。主の性格と性癖、そして過去の行動パターンから考えても、なんのヒントにもなってない。
「どのみち、我が輩には家族がいない。どこへ行こうとどこで暮らそうと勝手自由なのだ」
それが答えでない事ぐらい、黒いメイドには判断できる。
答えは、遙か東の国より、さらに遠い時空の彼方を見つめる少年の瞳に隠されているのであった。
始まりました。……再開かもしれません。
およその分量は単行本一冊分。エタの予定はありません。
いわゆる自己リベンジです。