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巡る話  作者: 魚君 太陽
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第三話

 邑はここよと言って薄汚い路地を指差しました。

「この路地をまっすぐ進んで行けば下水管に入る事が出来るわ。途中にマンホールがあるけどそこには入らずに真っ直ぐ進んでね。マンホールに入ってしまうと三世紀は出られないから注意して」


 なるほど、これは注意しなくてはなりません。流石に三世紀もマンホールを降り続けるのは骨が折れます。

 邑が説明してくれなければ私は何の迷いもなくマンホールに入っていたでしょう。

 やはり彼女に出会ったのは幸運だったようです。


 私は邑にお礼を言うと路地へと足を踏み出しました。


 邑は最後に、見つかると良いわねと言いました。


 はて、彼女に塔子の事を話した覚えはありません。それとも何かを捜している人間は皆この路地を通り、下水管へ足を踏み入れるのでしょうか。

 恐らくそうなのでしょう。それならば私が何かを捜している事を知っていた所で何の不思議もありません。


 あの心の読める老紳士に聴いたという可能性もありますが、彼女は会計もせず、さっさと店から出て行ってしまったのですからそんな時間はなかったはずです。


 一つ納得がいった所で、私はどんどん路地を進んで行きます。

 マンホールには目もくれず、両脇のコンクリートに手を当てながら進みます。


 だんだん辺りが暗くなってきました。

 気がつくと太陽の明かりは備え付けのランプの灯りに変わっています。


 どうやら下水管に出る事が出来たようです。


 さて、これからが勝負と言った所でしょう。

 この酷いドブ川の近くを進まなければならないのです。

 これが苦行でなくて何だというのでしょうか。


 下水管には人っ子一人いません。

 私の足音だけが響いています。


 おまけに出口らしきものはいくら歩いても一向に見えてこないのです。


 どうしたものでしょう。

 一人で歩いているとどうしても臭いに意識が行ってしまいます。


 目眩と頭痛に苛まれながら歩みを進めていると水面に何かが浮かんでいるのに気が付きました。


 私と平行しながら流されているそれは真っ白な死体でした。

「よう。ご機嫌かい?」

 死体は私に向かって挨拶をしているようです。


 やはり今日はついています。

 調度、聴覚情報が欲しかった所なのです。

 死体だろうとなんだろうとありがたいものはありがたい。


 私は、元気ですよと努めて陽気に返しました。


 すると死体は凄むかのような声で言うのです。

「俺はご機嫌かどうか聴いたんだよ。手前が元気かどうかなんてどうでも良いんだ。人の話をちゃんと聴けよこの愚図が」


 私は前言を撤回しなければならないかもしれません。

 このチンピラのような死体に絡まれてしまった事はとてもではありませんが幸運とは言い難いと思います。


 私はいつもより一層仏頂面で、ご機嫌だよとぞんざいに答え直しました。

 すると死体は、そうかそうかそりゃあ結構と笑って見せました。


「あんたここに居るってことは隣町まで行きたいのかい?」

 死体は尋ねます。


 私は肯定しました。

「あそこは遠いからなあ。近道しねえと三十年はかかっちまうぜ」


 三十年。それはまた半端ではない年月のように思えます。

 そんなに時間を掛けていては私の精神がもちません。


 しかし、このチンピラのような死体の言う事を簡単に信じていいものでしょうか。

 私の彼に対する第一印象は最悪です。

 もし騙されていたら。

 そんなことを考えると容易に死体の言う事を信じる気にはなれません。


 その旨を死体に伝えると彼は腐った歯茎を見せて笑いながら、死体は嘘を吐かないから大丈夫だよと言いました。


 なるほど、確かにその通りです。死体は嘘を吐きません。

 それはある意味この世の真理と言って良いでしょう。

 ならばこの死体の言う事は嘘偽りない真実という事になります。


 私は、その近道というのを教えてくれないかと死体に頼みました。


「いいぜ。でも一つ条件をつけさせてもらう。俺を生き返らせてくれ。それが無理なら生き返る方法を教えてくれ」


 死体は快く引き受けてくれました。

 条件と聞いてどんな無茶な注文をしてくるものかと構えてしまいましたが、あまりに容易なものだったので拍子抜けしてしまいました。


 生き返りたいのならばこの下水管で三年も流されていれば充分ですし、三年も待てないというのであれば隣町にある湯治場で三分もお湯に浸かっていればどんなに酷い傷も立ち所に癒えるしょう。


 私はそれを死体に告げました。

 死体は、なるほどなあと感心したように言い、私に近道を教えてくれました。


「じゃあ教えてやろう。お前、今からこのドブ川に飛び込め。ドブ川に潜って横穴に入ったら、そのまま行き止まりまで進んで、そこから引き返せば隣町だ。だいたい三十秒もあれば着くと思うぜ」


 人生とは山もあれば谷もあるものだと実感します。


 ドブ川に潜らなくてはならないというのはほとんど死刑宣告に近いものではないでしょうか。

 下水管というからにはこの川は汚物に塗れた川なのでしょう。そこに飛び込むと言う行為は自ら雑菌の仲間入りをするのと同じ事です。


 絶句している私を見て死体はコロコロと笑いながら言います。

「大丈夫だよ。心配は無用だ。ここの菌達は良心的だからな。ここで流されている俺が言うんだから間違いない。臭いだって三時間もすりゃ取れるだろ」


 死体は私の事を励ましますがどうも気が乗りません。

 しかしここで手をこまねいていればあっという間に三十年が経ってしまいます。


 私は意を決して飛び込む事にしました。


 少し助走をつけます。

 そして脇道の縁から足を踏ん張り、思い切り飛び込みました。


 ドブの異臭が私の鼻を攻撃します。

 おまけにドブは私の口の中にまで入って来ているのです。

 悪意のある雑菌がこのドブ川に潜んでいたとしたら私は立ち所に病気にかかり、死んでしまうでしょう。

 ここの雑菌達の良心には感謝しなければなりません。


 私はドブ川に潜り、横穴を捜します。

 水が濁っていてどうも視界が開けませんが、見えないというほどではありません。


 ジッと左側の壁を観察していると、少し先の方に丸い暗がりがあるのが分かります。

 あそこだなと当たりをつけ、近づくと、人が二人ほど入れそうな先の見えない闇がそこには広がっていました。

 穴に入るとやはりそこは闇で、上も下も右も左もわかりません。


 後ろで死体が、隣町で会おうぜと言うのが聞こえました。


 彼はどうやら隣町の湯治場へ行く事にしたようです。

 私は手を上げて挨拶を返します。

 そして暗闇の中を進み続けるのでした。

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