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 大粒の雨が横なぐりに降り、窓ガラスをたたく。激しい雨に哲哉は、ガラス越しに外の様子を覗いた。

「これで三度目だ。さすがの哲哉も、台風が気になってしかたないのか?」

 テーブルに頬杖をついたまま、ワタルが意外そうに訊いた。

「いや、小さいときのことを思い出してさ」

 ワタルの正面のソファーに座り直し、哲哉が答えた。ワタルがきょとんとして見つめる。

「ほら、台風が来ると学校が休みになるだろ。あれを思い出したのさ。ついでに明日の打ち合わせも休みにならないかなー、なんてな」

 小学生のころ、臨時休校を期待して宿題をサボった哲哉は、台風が進路を変えずにやってきますように、と願ったことが何度かあった。うまく行くときもあれば、そうでなくて叱られたこともある。今となれば笑い話だ。

「罪深いことを。被害に苦しんでいる人たちだっているのに」

 ワタルはあきれかえっていたが、似たような経験があることを哲哉は知っている。幼なじみにかくしごとをするのは難しい。

「でもさ、停電したときはどうなるかって思ったけど、すぐになおって助かったぜ」

 そう言って哲哉はテーブルに置いたタブレットの電源を入れた。

「ほんとだ。このまま復旧しなかったら、何もできなかったもんな」

 仕事を続けられることに感謝して、ワタルはうなずいた。

 哲哉とワタルはライブの企画会議用にたたき台を作成していた。

「じゃあ、ライブの流れはこれでいいとして……曲の順番はこんなものか?」

 相談した内容を、哲哉がタブレットに入力していく。大方仕上がったところで、完成したたたき台を事務所にメールで送った。これで今日の目的は終了だ。

 哲哉は冷蔵庫から缶ビールをとりだし、ワタルに差し出した。

「いや、今日はよすよ。あとで運転して帰らなきゃならないし」

「そっか。じゃあ、おれ一人で飲むのもつまんねぇから」

 哲哉は缶ビールの代わりに、ボトル入りのアイスコーヒーをグラスに注いだ。

「インスタントだって文句いうなよ。おれはワタルの彼女みたいにマメじゃないんだぜ」

「文句なんて言いませーん。うちの大事なボーカルにコーヒー入れさせてるってファンに知られたら、カミソリ送られてくるかもしれないし」

「んなわけねーだろ」

 と口では言ったものの、実際ストーカーまがいのファンがごくまれに現れることがある。幸いにして哲哉たちのバンドにはそういった悪質なファンはいない。

 少なくとも、今のところは。

 だが警戒するに越したことはない。アマチュア時代に親衛隊のおっかけにつきまとわれたメンバーもいる。恋人や親しい女性のことが報道されることにでもなれば、彼女たちに迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。

(だからワタルは、西田さんともあまり大っぴらにつきあえてないんだよな)

 哲哉は二人をよく知っているから、隠れるようにつきあっている姿を見ると、気の毒に思う。つきあいはじめてしばらくは、メンバーにも打ち明けてなかったくらいだ。

「彼女と言えば、西田さんのことだけど」

「沙樹がどうしたって?」

「いや、こんな嵐の日に一人で放っておいていいのかなって思ってさ。電話の一本でも入れたらどうだ?」

「別にいいよ」

 ワタルの返事は素っ気ない。

「心配なら、哲哉がかければいいさ」

「おれじゃ、ワタルの代わりにはならないんだぜ。元クラスメートと恋人じゃ、ぜったいに恋人の方がいいに決まって……」

 哲哉のセリフは、突然鳴りはじめた着メロにさえぎられた。

「こんな時間にだれだろ?」

 哲哉はスマートフォンを手にして番号を確認した。そこには、「西田」と表示されていた。

「うわさをすれば、だ。でも西田さん、なんでおれンとこにかけてくるんだ?」

 哲哉は首をかしげながら電話に出た。

「……え? ワタルとまちがえた? なんだ、あいかわらずドジだな……ああ、いるよ。今かわる」

 そう言って、ワタルに自分のスマートフォンを差し出す。

「沙樹から?」

「なんかあわててるみたいだぜ。おれにかけてくるくらいだから」

 ワタルが受けとろうとした、まさにそのときだった。

『いやーっ!』

 電話のむこうで、沙樹の悲鳴が響いた。

「沙樹、どうした? 何があったんだ!」

 スマートフォンをひったくり、ワタルが沙樹に呼びかける。だがすでに電話は切れて、発信音が響いてくるだけだった。

「沙樹……」

 ワタルの表情がこわばる。

 何が起こったのか。突然の事態に、緊張の糸が張りつめた。

「とにかく西田さんちに行こうぜ。あれはまちがいなくSOSの電話だ」

「行くならおれの部屋だ。沙樹は今夜、うちに来てるはずだから」

「ワタルの? それなら防犯システムは完璧のはずだろ」

 だが人間の作った機械だ。どこに欠陥があるかわからない。人間の手で破れないとは断言できないのだ。

 哲哉はつい先ほどの不安が的中したような気がした。

「そうか、さっきの停電でシステムが止まったのか。そのすきに熱狂的なワタルファンが部屋におしかけて、そこにいる西田さんをみつけて逆上?」

 哲哉のつぶやきがワタルをさらに不安にさせた。あわてて部屋を飛び出そうとしたが、哲哉が腕をつかみ、ひきとめる。

「放せよ! 邪魔する気か?」

「そんなつもりはないさ。でも少しは落ち着いたらどうだ?」

「これが落ち着いていられるか!」

 多少のことで冷静さを欠くようなワタルではない。だが今のワタルはそうではなかった。

「気持ちはわかるが、そんな状態で台風の中を運転するのは危険だぜ」

「でも――」

「心配するなって。おれが代わりに運転するよ。それよりもワタルは弘樹に連絡してくれ」

 哲哉宅からワタルのマンションまでは車で三十分ほどかかる。だが弘樹の部屋なら約十五分だ。台風がきて大変なときだが、彼なら快くひきうけてくれるだろう。

「わかった。じゃあ、たのむ」

「OK!」

 ふたりは取る物も取り敢えず、マンションをあとにした。



 文字どおり暴風雨だ、と哲哉は感じた。大粒の雨がたたきつけるように降り、舗道の木立は強風に太い枝を揺さぶられている。バラバラという雨音と葉のざわめきが、ふたりに否応なく悪い予感を起こさせる。

 バケツをひっくりかえしたような雨はフロントガラスにもたたきつけられ、視界もおぼつかない。これでは制限速度を出すこともままならなかった。

「到着まで四十分といったところか」

 哲哉のつぶやきに、ワタルは静かにうなずいた。

 決して寡黙ではないワタルが、青ざめた顔でじっとだまりこんでいる。

 バンドのリーダーとしてみんなの意見を冷静にまとめるワタルが、沙樹のこととなるとそれを欠いてしまう。

(それでも取り乱さないのは立派だぜ)

 台風直撃の中で慎重に運転しながら、哲哉は改めてワタルに尊敬の念を抱いた。

「大丈夫だって。弘樹、すぐに行くって言ったんだろ」

「ああ、そうだな。弘樹なら安心してまかせられる」

 ワタルは自分に言い聞かせるように答えた。



 マンションの地下駐車場に車をとめて、哲哉とワタルは急ぎ足でエレベータにむかった。一基が最上階でとまっているところをみると、弘樹はすでに到着したようだ。ふたりは少し気が休まったが、安心するにはまだ早い。

 エレベータを降りて、ワタルは自分の部屋の前まで走った。ドアノブに手をかけようとすると、

「待て! 何が起きてるかわからないんだぞ」

 哲哉は小声でワタルのはやる行動を抑え、部屋の前で中のようすを観察しはじめた。

「哲哉、シャーロック・ホームズのつもりか?」

「しーっ、あせるなって。もし中でふたりが人質になってたらどうするんだ? もっと状況を把握してからにしないと、あとで後悔することになるぜ」

 哲哉はドアに耳をあて、中のようすをうかがった、静かで物音ひとつ聞こえない。

「でも人がいる気配はする。まさかふたりとも犯人に縛られて……」

 と、そのときだった。

「いやあー!」

 沙樹の声が中から響いてきた。

「沙樹!」

「ワタル、あせると人質が!」

 哲哉はあわててワタルをとめようとした。だがその手をふりはらって、ワタルは部屋に飛び込んだ。

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