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 ロックバンドのメンバーとその仲間たちを描いた「オーバー・ザ・レインボウ」シリーズの一話です。

 シリーズの中の番外編という位置づけで書いた作品ですので、登場人物やその関係があまり詳しく説明されていません。またストーリーに直接関係のないシーンもありますが、シリーズ物の一部として描写を入れているので、そのあたりはご了承ください。

 シリーズのほかの作品も、現在改稿中です。

 おいおい投稿する予定でいますので、気長にお待ちください。

 九州地方に多大なる被害をもたらした台風は、近畿、中部を通って関東地方にむかうという、日本列島直撃のコースをたどっていた。

 人々は台風にそなえ、万全の対策をとった。しかし大自然の力は偉大だ。人間がどのように対策をとっても、かならず被害を残す。

 そしてここにも一人。台風の引き起こす災害にまきこまれようとしている人物がいた。



 今日の風はいつになく強く、湿り気を含んでいる。空は鉛色の雲で厚くおおわれて、今にも雨が落ちてきそうだ。

 高層マンションの前で、西田沙樹は空を見上げながら、がっかりした顔で前髪をひっぱった。

 念入りにカールした前髪は、強風のせいでバサバサになってしまった。長い髪をポニーテールにまとめ、スカートを避けてジーンズにしたのは正解のようだ。

(でも、降る前に着けたのはラッキーだよね)

 ホッとひと息ついて、沙樹はマンションの暗証番号を入力した。ジーッと音をたててロックが解除される。ごく平凡な防犯システムは、何度体験しても沙樹を緊張させた。

 エレベーターで最上階まで上がり、左右を見て人がいないことを確認して、沙樹は合鍵を使って中に入った。部屋の主は不在だ。

「こんばんはぁ。勝手にお邪魔しますねぇ」

 三LDKでリビングだけでも二十畳をこえるマンションの一室は、一人暮らしをするには広すぎるほどの間取りだ。だが今夜はベランダの荷物をリビングに入れてあるので、少し狭く感じられた。台風の影響を考えてのことらしい。

「最大瞬間風速五十メートルだっけ?」

 荷物どころか、人間まで飛ばされかねない強風だ。

 ワタルさんて意外とマメなのね、とひとりごとをいいながら、沙樹は冷蔵庫に食料を入れた。

 部屋の主北島ワタルは、沙樹の恋人だ。今夜はバンド仲間の得能哲哉宅で次のツアーの打ち合わせをしている。三日後の全体会議までに二人でたたき台を作らなくてはならないそうだ。

 ――うちのオーディオはもうわかるよね。おれがいなくても録画はできるだろ?

 昨夜の電話でワタルが心配そうに言った。

 メカ音痴の沙樹だが、最近は仕事の関係でそうも言ってられない。FM局の機材を前にしていれば、いやでもメカに強くなる。

「録画ぐらい、あたしにだってできるよ」

 沙樹はプログラム表を見ながら、録画を予約した。CSで今夜放送されるジャズの古いライブだ。

 沙樹の部屋でCSは見えない。必要なときはここで録画することにしている。自分の住むワンルームマンションから電車で一駅の距離なので、帰宅途中に気軽に訪れることもできる。不便さは感じない。

「明日は休みだし、今夜は夜更かししようっと」

 TVのスイッチを入れると、台風情報が流れてきた。今夜半には関東地方直撃だ。ここは予想進路にすっぽりと入っていた。

「やだな……雨も風も強そう。えー、雷警報だって!」

 画面に台風が上陸した地域の様子が映し出された。中継のリポーターは立っているのがやっとという暴風雨の中で、必死になってその場の状況を伝えている。カメラにも雨のしずくがたくさんついており、カッパはほとんど役に立ってないようだ。マスメディアの隅っこにいる沙樹は、彼らのプロ根性を尊敬する思いで見ていた。

「荷物を部屋の中に入れたのは、正しい選択ね」

 普段はベランダで太陽を浴びている植物たちは、リビングの隅に敷かれたブルーシートの上に並べられていた。ワタルがツアーで長期不在のときは、沙樹が水やりをしているプランターだ。こうして見ると、意外に数は多い。

 ほかには、大きなストックボックスにハンガー類。屋外用のテーブルや椅子も折り畳まれて、それなりに並べられている。ワタルの、ここで一夜をすごす沙樹への心遣いだった。

 沙樹はキッチンに入り、料理をはじめた。

「たしかこの前来たときにストックしてたカクテルがあったはず」

 冷蔵庫を開けると、缶に入ったカクテルが数種類あった。これで近所のコンビニに走らなくてもすむ。今夜はカクテルを飲みながら、CSでジャズのライブを見る。優雅な一夜がすごせそうだ。

(これでワタルさんがいると最高なんだけどな)

 互いに忙しくてなかなか会えない二人だが、おかげでいつまでも新鮮な気持ちでいられる。近くに住んでいても長距離恋愛をしているようだ。

(もし一緒に住んでいたらどうなってたかな)

 ここに引っ越したとき、ワタルは沙樹に同居を匂わせた。だが学生だった沙樹が迷っているうちに、その話はいつのまにか立ち消えとなった。

 今でこそバンドメンバーや事務所、マネージャーたちは沙樹とワタルのことを知っているが、そのころはつきあっていることをだれにも打ち明けてなかった。

 また当時はオーバー・ザ・レインボウというバンド活動が起動に乗りはじめたころだった。CMのタイアップにアニメーションの主題歌などが重なり、出す曲が次々とチャートの上位に乗るにつれて知名度がアップしていった。目立つ行動は控えようというのは、ごく自然な判断だ。

 ただ、自分のワンルームが手狭なことを思うと、ここに住めなかったことを後悔してないと言えば嘘になる。

「ま、いいか。一緒に住むのは結婚してからでも遅くはないもんね」

 とつぶやいたあとで、沙樹は急に真っ赤な顔になった。自分で何気なく口にした「結婚」という言葉を意識したのだ。

 照れ隠しの鼻歌を歌いながら、沙樹は料理を始めた。食器棚から皿をとりだし、出来上がった物を順番に盛りつける。

 そのとき――

 沙樹は、背後に何かの気配を感じたような気がした。

(ん?)

 ふりむいて確認したが、おかしなものは何もない。いつもの見なれたカウンターテーブルがあるだけだ。単なる気のせいだと思って無視し、沙樹は料理とカクテルをリビングにはこんだ。

「これで準備完了!」

 沙樹はエプロンを外し、キッチンの灯りを消して、リビングに戻った。



 TVの画面にはジャズの古いライブが映されていた。最近聴きはじめたばかりの沙樹は、アーティストの名前やスタンダードナンバー、名ライブといわれてもよくわからない。局のジャズ専門番組を担当しているプロデューサーにアルバムを借りて、いろいろと聴きはじめたところだ。

 今日放送されるライブも、彼に教えてもらった。

 知識はなくとも、ジャズの名曲が心に染み込んでくる魅力を持っていることはわかる。

 胸を焦がすようなメロディ。魂を揺さぶる演奏。激しいドラムがあるかと思えば、ピアノのタッチはささやきかけるように優しい。サックスの奏でるメロディに心が踊り、ベースに身体を揺さぶられる。

 甘く切ない女性ボーカルに、優しく語りかける男性ボーカル。

 はやりに流されることのない音楽は、時代を越えて人々に愛され続けてきた。

 そんな良質の音楽を、より多くの人たちに伝えたい。

 それはディレクター志望の沙樹の目標だった。

 今はまだアシスタントで雑用がメインだが、いつかは自分の番組を持ちたい。そのためにも今は、いろいろなジャンルの音楽をたくさん聴いて、自分がどこに行けばいいのかを模索しているところだ。

「ああ、よかった。ジャズって、お洒落でとっつきにくいイメージがあったのよね。でもそんなことないんだ」

 ジャズとワインは奥が深すぎて、沙樹のような素人には敷居が高すぎるように思っていた。だが今日のライブで、それが勝手な思い込みだとわかった。

(ワインの方はあいかわらずわからないけど、仕事には関係ないもんね)

 ふと思い立ち、沙樹はワタルのライブラリの中からジャズのアルバムを捜すことにした。

「最近はジャズ聴いてないって言ってたから、手元においてあるかな」

 沙樹は仕事部屋の扉を開け、壁のスイッチで明りをつけた。

(あれ……?)

 ついさっきまでそこに誰かがいたような気配が残っていた。

(さっきといい、今といい……なんだろ)

 扉付近に立ち、部屋の中を見渡す。目に付く範囲に、変わった物はない。大丈夫だ、と思って安心しかけたが、部屋の奥にクローゼットがあることに気づいた。

(まさか、そこにだれかいるの……?)

 電話で助けを呼ぼうかという考えが、脳裏を横切る。だが何もなかったときのことを考えると、なかなか実行に移せない。

 ほんの少し迷ったあとで意を決し、沙樹は忍び足で仕事部屋に入った。キーボードのそばに置いてあった卓上マイクスタンドから、音を立てないように用心してマイクを外す。そしてスタンドをできるだけ長く伸ばした。

 万が一にそなえてそれを持ち、ゆっくりとクローゼットに近づく。動悸が激しくなり、握る拳は汗ばんでいる。

 クローゼットの前に立ち、沙樹はスタンドを持つ手をふりあげた。そして息を吸い込み、勢いよく扉を開けた。

(あ……)

 中にはだれもいなかった。

 狭い空間には荷物の入ったケースが積み重ねて置かれ、人の隠れる余裕はなかった。

 ふりあげた腕を下ろし、沙樹は深く呼吸をして息を整えた。

「なんか、さっきから変だよ。台風が近づいてるせいで、神経がピリピリしてんのかな?」

 ふう、とひとつため息をつき、スタンドをもとに戻した。そしてあらためてぐるりと部屋を見渡した。

 仕事部屋にはギターやシンセサイザーなどの楽器や機材がたくさんおかれている。コンピュータから数本ケーブルが出ているところを見ると、それらがつながれているにちがいない。ここまでくると沙樹にはお手上げだ。

 棚に並べられたCDは、軽く千枚をこえるらしい。そのうえワタルの実家には、CDや古いレコードなどを収納するために作られた部屋があるそうだ。総数は沙樹にも想像がつかない。音楽好きの環境で育ったからこそ、今のワタルがあるのだろう。

「ジャズは……と、あったあった。おお、コンピレーション・アルバムがあるよ。初心者のあたしにピッタリだ」

 目についたアルバムを何枚か手にし、沙樹はリビングに戻ってアンプのスイッチを入れた。

「たしかCDを聴くときはここを切り替えて……」

 ディスクを入れてCDのプレイボタンを押す。ドキドキしながら待っていると、無事音楽が流れてきた。

「ああ、よかった」

 沙樹はほっとして、飲みかけのカクテルを一気に飲みほした。

 と、そのとき。大粒の雨が窓に強くたたきつけられる音が響いた。台風の影響がでてきたようだ。

「雷、鳴らないといいんだけどな……」

 沙樹はカーテンを開けて、不安げに街を見下ろした。

 前方に稲妻が走り、少しの間をおいてゴロゴロと音が響いてきた。

「やだな……近くに落ちて停電なんて、おことわりだよ」

 つぶやいてるうちに稲光が走り、ほぼ同時にバリバリという激しい音が沙樹の耳をつらぬいた。

(あーん、今のは近い)

 思わず目を閉じ、肩をすくめる。

 ちょうどその瞬間だった。一瞬にしてあたりは闇につつまれた。見下ろす街も真っ暗だ。

「えー、停電? 冗談じゃない」

 沙樹は手探りでソファに戻り、用心のために出しておいた懐中電灯をつけた。そしてスマートフォンをとりだし、ラジオアプリを使って、自分の勤務するFM局にチャネルをあわせた。

 放送中の番組で停電の情報が流された。復旧までに時間はかからないとのことだった。

「録画が終わったあとでよかった」

 変なところで安心して、沙樹はソファーに寝転がった。

 スマートフォンの小さなスピーカーからは、ハード・ロック専門番組が流れてくる。沙樹の上司、和泉が担当している番組だ。ロックやメタルは好きだが、停電した部屋で聴く気にはなれなかった。

「やっぱり今は、ワタルさんたちの曲聴きたいよ。和泉さん、ごめんなさい」

 ラジオのむこうにいる上司に謝って、沙樹はラジオをとめ、かわりにワタルたちの曲を流しはじめた。ボーカルこそ哲哉だが、ギターが恋人の演奏だと思うと少しは気が落ち着く。

 ほっと安堵してスマートフォンをテーブルに置こうとしたとき、ディスプレイの明りが壁に当たった。

(……え?)

 薄暗い光の中を、影が横切ったような気がした。

「また……」

 得体のしれないだれかがこの部屋にいるかもしれない。それも真っ暗な状態の中で。

 沙樹は身を堅くし、スマートフォンの音楽を止め、全神経を耳に集中した。

 窓を叩きつける雨音が、静かになった部屋に響く。部屋の物音は、雨にかき消されてしまった。怪しい気配は、不安と緊張が招いた錯覚なのか。

 なんだろう。

 わからない。でも確実に何かが……

 じっとこちらを見ている。

 耳をすまして、神経を集中させて……探る。

 まちがいない。何かの気配がする。

 それは闇の中で、じっとこちらをうかがっている。

 沙樹がおびえているのを、舌なめずりしながら見ている――

(き、気のせいよ。そんなに心配なら……)

 沙樹は懐中電灯を手にして、立ち上がった。そして玄関やすべての窓の戸締まりを、もう一度確認した。

「ほら、ちゃんと鍵がかかってる」

 沙樹は安心してリビングに戻った。台風だといっても、部屋の中は安全だ。フゥとためいきをつきながら窓にもたれた、そのとき。

 窓のすぐそばで、何かがぶつかる音がした。

「きゃあっ!」

 沙樹はとっさに悲鳴を上げて身を堅くした。

 心臓の鼓動が急激に高鳴り、耳について離れない。物音がしたのはベランダあたりだ。だが心配することはないはずだ。鍵がかかっていることは、先ほど確認したばかりだ。

(でも――もし、窓ガラスを割られたら?)

 侵入者は簡単に部屋に入れる。激しい雨と風の中で、ガラスの割れる音や沙樹の悲鳴は、となりの部屋の住人に届くだろうか?

(そうなったら、あたしはどうなるの?)

 恐怖の中で、それでも音の正体を確かめたい。沙樹はおそるおそる窓に近づき、ベランダに懐中電灯の光をあてた。

「あ……」

 ガラガラと音をたてて、バケツが転がっていた。ワタルがしまい忘れた物のようだ。

「なーんだ、よかった」

 沙樹は一気に肩の力がぬけ、安堵のため息を漏らした。

 第一、高層マンション最上階の部屋のベランダに、人が簡単に忍び込めるはずもない。沙樹は、神経質になっている自分がばかばかしなった。

「さて。電気がつくまでスマホで音楽でも聴いてようかな」

 もう一度鍵を確認してから、沙樹はカーテンを閉めた。そのとき唐突に部屋の明りがついた。

「ああ、よかった」

 これで妙な不安におそわれることもない。安心して沙樹はふりかえった。

 が、そこには――

(……え?)

 目の前の光景に、沙樹の動きがとまった。と、同時に、

「きゃあー!」

 一人の部屋に悲鳴が響いた。

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