やり逃げ男の災難
「シンジ...シンジ...カエシテ..カエシテ...カ..返セェェェェェー!!」
風呂上がりにタオルで頭をガシガシふきながらビールを取り出そうと冷蔵庫のドアに手をかけた瞬間、
背後のテレビから聞こえてきた女性のくぐもった声が男の背中をビクつかせた。
偶然にも男の名前は“シンジ”だった。
瞬時に背後のテレビへ振り返った男はテレビを睨んだ。
この女性の声はホラー映画の新作CMからの物で、
つい2時間ほど前に男が受けた屈辱の原因になったものでもあった。
男はビールを手にするとテレビの前にあるソファにドサッと座り、
乱暴な動作で手にしたリモコンで忌々しい声のするテレビを消した。
「ごめんなさい。お断りします。」
「え?」
男は女から発せられた、予想外の言葉をすぐに受け入れる事ができないでいた。
つい先ほどまで男はいつものように女の部屋のベッドで軽い運動をした後の高揚感に身を任せながら、
隣で自分に背を向ける女の背中をなでていた。
いつもここまでで終わるのが習慣化していた男だが、
今日は違った。
なんと、男は女にプロポーズをしたのだ!
男は今年で30になる。
高校時代に“女”を知ってから、今まで女から女へと飽きる事なく遊んできた。
運良く大手電気メーカーのサラリーマンとなってからは、
合コンに引っ張りだこで、毎回メンバーの中で一番人気の女をお持ち帰りしていた。
“彼女”という存在もいるにはいたが、
女1人に落ちつくのにいささか抵抗があった男に、
“彼女”たちは皆付き合ってから1ヶ月程で男の前から去っていった。
そんな生活を繰り返してきた男に変化があったのは、去年の事だった。
女にはだらしなくても仕事に関しては真面目な男は、仕事が忙しいのを理由に1ヶ月程合コンや女から遠ざかっていた。
そして仕事が落ちつき再び合コンを再開した1回目で出会った、
料理教室の講師をやっている女と出会い、当然の事ながらお持ち帰りをした。
女は今までの女たちとは違い、男に媚びたりはせずにただ行為を楽しむのみで、
女の口から次はいつ会えるかなどという、男にとって聞き慣れた言葉は出てこなかった。
男にとってこの感じはとても新鮮で、
初めて自分から女の連絡先を聞くという行動をとった。
連絡先を交換してからは、合コンを続けながらも毎週のように女の部屋に行った。
女はいつも凝った夕食を用意していて、
会話を挟みながら味わうそれを、男は密かに楽しんでいた。
その後は決まってベッドへ直行する。
女は男が他の女と遊んでいるのを知っているはずだが、決してそれを口にする事もなければ、
束縛もしない。
女との関係が半年を過ぎると、
男の頭の中にある2文字が浮かび始めた。
“結婚”
男はこの女との関係が心地よかった。
いつも美味しい食事を用意して、口うるさくもなく、束縛もしない。
そして楽しいSEX。
男にとって何もかもが完璧だった。
そんな女となら結婚はそう悪くない。
男はそう考え始めていた。
それから数ヶ月経つ頃には男は女との結婚を視野に入れ、
少しずつ合コンの回数を減らしたり、他の女との関係を切り始めた。
そしてプロポーズ直後に戻る。
「なんで?」
「私たち付き合ってたりしてないわよね?」
「え? それは...」
「あなたは私以外にもたくさん女がいるわよね?」
「.....」
「残念ながら私にとってあなたはただの性欲処理用の男でしかないの。」
「はぁ!?」
「あなただって私の事をそう思ってたんじゃないの?
今まで私はそうだと思って接してきたけど。」
「.....」
男は何も言い返せなかった。
男にとって今まで他の女たちの事をそう思っていたからだ。
まさかこの自分が目の前の女にそういう存在として扱われていたとは...。
「それにほら、今やってる新作のホラー映画の主人公の“シンジ”って、キャラ的にもあなたそっくりじゃない?
そのCMを見るたびにあなたを思い出して笑わずにはいられないのよね。」
男はその映画の事を知らなかった。
「悪いけど、女たらしのあなたとの結婚なんてありえないわ。
もし結婚なんてしたら、知らない女から逆恨みされそうで怖いし。」
今まで女をぞんざいに扱ってきた罰なのだろうか、
男の頭の中は真っ白になっていた。
そして現在、
男は自宅で風呂上がりの体を冷ますように缶ビールを飲み干そうとしている。
あの後女には好きな男がいて、
その男が鈍感すぎてなかなか自分の物にできない欲求不満を、単純そうな自分を使って解消していたと話した。
他の男の代わりにされてただなんて、
屈辱以外の何物でもない。
この数ヶ月、真面目に結婚を考えていた自分が恥ずかしくなった。
自分はただの性欲処理の存在だったのに。
当然ながら、女との関係は今夜限りで終わってしまった。
プロポーズを断られ、
ふられた。
一晩で二度の初めての経験をしてしまった男は、
しばらく立ち直れそうにない。