「その石は不吉な深海色だ」と婚約破棄された石読み令嬢ですが、実は前世の分光分析で真実に気づいていました~婚約破棄、謹んでお返しします~
「セレスティア! お前の読んだ予言石は全て偽りだ!」
婚約披露の大典。金糸の垂れ幕がきらめく大神殿の中央で、王太子ジェラルドの声が高々と響いた。
「真の聖女ミレーヌの石は輝く黄金! 対してお前が担ぐ石は不吉な『深海色』——国に災いを呼ぶ呪われた石だ! 婚約は破棄する。神殿からも追放だ!」
(ああ、始まったな。……時間の問題だとは思っていましたが)
私——セレスティア・ハーヴェンは、心の中でだけ小さく息を吐いた。
銀灰色の髪。地味な神殿装束。感情を出さない『石読み令嬢』。陰では無能と嘲られてきた私が、こうして衆目の前に引きずり出されるのは、まあ、時間の問題だったのだろう。
寵姫ミレーヌが、涙をひとしずく頬に伝わせながら囁いた。
「セレスティア様の予言石は……いつも暗い青。皆、恐れておりましたわ」
どよめきが広がる。深海のような青黒い石は、この国では『凶兆』とされてきた。
(知らんがな、と言いたいところですが。……この石の正体を、この場の誰よりも知っているのは、私だけなのですよね)
前世の記憶が、静かに脳裏をよぎる。深海。分光分析。含水結晶。
私は前世で、現代日本の海洋調査研究員だった。深海の鉱物を、分光にかけて調べる日々。だから、わかる。この石の正体を、真の意味を、この場の誰よりも。
だから、私はただ一言。
「そうですか」
祭壇の上の深海色の予言石を、そっと差し出す。
「では、この石はあなた方に差し上げます」
「……なんだと?」
拍子抜けした顔のジェラルドに、私は静かに背を向けた。
「ああ、水を抜かないよう、お気をつけて」
誰も、その言葉の意味を理解しなかった。
ざわめく群衆の間を、私は一度も振り返らずに歩いていく。
(さようなら。劣化した黄金と、それを崇める愚かな人々。……答えは、初めからこの色だったのに)
◇
辺境の港町。潮の匂いが染みついた古い漁師小屋を、私は仮の神殿と定めた。
「先生! お茶が入りましたよ!」
そばかすの残る素朴な少女——ネリーが、湯気の立つカップを差し出す。神殿の下働きだった彼女は、些細な失態を理由に追放されたところを、私が拾った。
「ありがとう。ネリー、その棚の石を持ってきてくれる?」
「はいっ! ……あの、先生。この石、本当にただの石じゃないんですよね?」
私は持ち出した深海色の予言石を、机の上に並べた。
「ええ。これは深海性の特殊鉱物——『含水結晶』。水分と圧力、塩分の含有量で発色を変えるの」
「がんすい……けっしょう?」
首をかしげるネリーに、私はうなずく。
前世で私は、海洋調査研究員だった。深海の鉱物を、分光分析にかけて調べる日々。だから一目でわかった。
「黄金に輝く石ほど、水が抜けて劣化している証拠。あれは吉兆じゃない。割れる寸前の悲鳴なのよ」
「え……じゃあ、輝いてる方が、ダメってことですか!?」
「そういうこと。深海色こそ、結晶が健全で、正しく共鳴している証。……この国はずっと、死にかけた石の言うことを聞いてきたの」
つまり——この国の予言の吉凶判定は、初代聖女の頃から、丸ごと逆に伝わっていたのだ。
「じゃ、じゃあ、セレスティア様の石が本物ってことじゃないですか!」
「そういうこと。……まあ、彼らは信じないでしょうけどね」
ネリーが、ぷくっと頬を膨らませた。
「あんな連中、放っておけばいいんです! 先生を追い出しておいて!」
「ふふ。もう、言い訳に付き合うのはやめました。事実だけ、深海の底に沈めておきましょう」
私はカップを傾け、窓の外に広がる暗い海を見た。
(黄金の石は、まもなく砕ける。そのとき、この国は初めて気づくのよ。凶兆と切り捨てた青こそが、唯一の光だったと)
◇
その男が港町に現れたのは、雨の夜だった。
無骨な体躯。海のように昏い青の瞳。腰には海竜騎士の証たる鱗紋の剣。
「ヴィルヘルム・ノルド……様? ど、どうしてこんな辺境に……」
ネリーが息を呑む。『冷酷無比の氷の騎士』と噂される男。だが私は知っていた。
この人は、予言石の誤読で処刑されかけた冤罪の騎士。かつて私が、石の正しい共鳴を証拠に、その無実を密かに証明した相手だ。
「……あなたを、探していた」
低く、たどたどしい声。
「助けられた恩を、返していない」
「お気になさらず。私はただ、事実を述べただけです」
そう答えると、彼はしばらく黙り込み、それから懐から——濡れた小さな子猫を取り出した。
「……道端で、鳴いていた。放っておけなかった」
その大きな手が、子猫を守るように震えている。よく見れば、彼の目の縁がほんのり赤い。
(え。この人、泣いてる? 子猫拾って? ……冷酷無比、どこへ行った)
「先生、この方……見た目より、ずっと……」
「ええ。うん。だいぶ、ギャップがすごいわね」
ヴィルヘルムは気まずそうに視線を逸らし、ふと、机の上の深海色の石に目を留めた。
「……その石は」
「凶兆と嫌われた、深海色です。私と同じで、この国では嫌われ者ですね」
少しの沈黙。
それから彼は、ぽつりと言った。
「……あなたの読む青は。俺には、一番あたたかく見える」
不器用に、まっすぐに。世辞も愛想も知らない男の、飾りのない一言。
この国で唯一、深海色を『あたたかい』と評した人。
私は思わず、口元をほころばせた。
「……そう、ですか。それは——光栄です」
雨音の中、子猫が小さく鳴いた。
◇
それは、大典から数週間後に起きた。
王都の神殿。輝く黄金の聖女石が——乾ききって、砕け散った。
パリンッ、と。ガラスが割れるような、乾いた音を立てて。
「な……なんだこれは!? 聖女石が……砕けただと!?」
ジェラルドの絶叫が、神殿にこだました。
同時に、予言機能が停止する。国境の魔物侵攻を、誰も予知できなくなった。
「落ち着け、ミレーヌ! 予言機能が……国境の魔物侵攻が、予知できぬ……!」
慌てて各地の石を確認した神殿の司祭たちは、青ざめた。
「黄金に近い石ほど……ひび割れている……!」
「全て、死にかけております……!」
ミレーヌが、震える声で叫んだ。
「そ、そんなはずないわ! 黄金は吉兆でしょう!? 輝いているのに、なぜ砕けるの!?」
誰も答えられない。彼女自身が、石を読めたことなど一度もなかったのだから。
「わ、わたくしのせいじゃないわ! だって、輝いていたのよ!? 誰もが吉兆と……」
(……読めた、ことなんて。一度も、なかった。乾いていく石を、ずっと吉兆と信じて……)
乾いて劣化していく死のサインを、彼女はずっと『吉兆』と信じ込んでいたのだ。
——魔物が国境を越えた。予知なき王都は、大混乱に陥った。
そして司祭たちは、ようやく思い出す。
唯一、正しく共鳴し続けている石が、この国に一つだけ残っていたことを。追放した、あの石読み令嬢が持ち去った——深海色の石を。
ハーヴェン公爵邸。
白髪交じりのアルベルト公爵は、砕けた黄金石の報せを聞き、静かに目を閉じた。
「……水を抜かないよう、気をつけろ、か」
娘が去り際に残した一言。その意味を、彼だけは今、痛いほど理解していた。
「セレスティア。お前は、初めから全て見抜いていたのだな」
窓の外、王都の空に、警鐘が鳴り響いていた。
◇
国王が、辺境の港町へやってきた。
供も最小限に、王冠を胸に抱き、直々に頭を下げるために。
「セレスティア・ハーヴェン殿。……頼む。国を、救ってはくれぬか」
その後ろには、憔悴しきったジェラルドの姿があった。
「頼む、戻ってくれ! お前がいなければ国が……! 俺が、俺が間違っていた!」
縋りつくように叫ぶ王太子に、私は静かに応じた。
「……国王陛下自ら、こんな辺境まで。頭をお上げくださいませ」
「セレスティア、聞いてくれ! ミレーヌは偽物だった! お前が本物だったんだ! だから——」
偽聖女と露見したミレーヌは、既に追放が決まっている。他人を陥れた言葉が、そのまま自分に返ったのだ。
「偽聖女の追放は、既に決まっているとか。他人を陥れた言葉が、そのまま自分に返る。……因果応報とは、よく言ったものですね」
私は深海色の予言石を、そっと掲げた。
石は、深く、静かに、美しく輝いていた。健全な結晶だけが放つ、本物の共鳴の色。
「初めから、答えはこの色でしたのよ」
群衆が息を呑む。かつて『凶兆』と嫌った青が、今や国を救う唯一の光だと、誰もが理解していた。
「そ、その青が……国を救う光だと……?」
そして私は、ジェラルドに向き直る。
「——なお、婚約破棄のお申し出は、こちらから謹んでお返しいたします」
静かな、けれど絶対の拒絶。
「そんな……! セレスティア……!」
ジェラルドは、その場に崩れ落ちた。
◇
国は、予言石の判定を全面的に改めることを決定した。
黄金は劣化、深海色は健全。初代聖女から続いた誤りは、ようやく正される。
私は追われた者たちと共に、新たな『深海神殿』を興した。冤罪の騎士たち、追放された下働き。虐げられた者たちが集う、本物の予言の担い手として。
「先生! 新しい石、また綺麗な青ですよ!」
ネリーが弾んだ声で駆けてくる。その足元で、すっかり大きくなった子猫が鳴いた。
「ああ。……いい色ね」
隣に、ヴィルヘルムが静かに立つ。相変わらず無口で、不器用な男。
「セレスティア」
「はい?」
彼は少し言い淀んでから、海を見つめて呟いた。
「……この町の海も。あなたの石と、同じ色だ」
「ええ。だから私、ここが気に入っているんです」
潮風が、銀灰色の髪を撫でる。
深海の底に沈めた事実は、静かに浮かび上がり、この国を照らした。
そして私の新しい物語は——きっと、この一番あたたかい青から始まるのだ。
(さて。次はどんな色を、読みましょうか)




