第8話 ドラゴンの蹂躙
マルファーは地上へと続く階段を登り、王宮から出た。
その王宮の中心部の方からは怒号のような叫び声が微かに聞こえる。宝物庫前の惨事が発見されたのだろう。
彼女は騒ぎの中心とは反対側の西門へ向かった。
比較的静かなこの門へ近づくと、門番たちが立ち話をしているのが見えた。
門番の一人がマルファー(に変身している衛兵)に気づき、警戒した表情で声をかける。
「おい、何が起きてるんだ!?」
マルファーは息を切らした様子を装いながら答える。
「侵入者だ! 大量の賊が宝物庫を襲撃している! すぐに加勢に向かってくれ!」
門番たちは顔を見合わせる。うろたえた様子だが、すぐには動かない。
「いや、しかし……持ち場を離れるわけには……」
「敵は相当な数だ! このままでは宝物庫が落とされるぞ! 門を守っていても意味がない!」
その言葉に、門番たちは躊躇しながらも頷いた。
「分かった。なら俺たち二人は加勢に向かう。お前はここで、こいつと見張っててくれ」
門番のリーダー格らしき男が指示を出すと、二人が王宮の方へ走り出した。
マルファーは門の前に残り、一人残された門番とともにその背中を見送った。
その瞬間、表情を一変させ、無言で門番の背後に回る。
激しい雷撃が炸裂。
鎧越しに衝撃が貫き、門番は声を上げる間もなくその場に崩れ落ちた。鎧の隙間から煙が立ち上る。
マルファーは一息つき、急いで鎧を脱ぎ捨てると、重い青銅の扉を押し開け、無人となった門を突破した。
外に出た瞬間、マルファーは素早く近くの壁の陰に身を隠した。
意識を集中し、再び体を変化させる。
骨格が変わり、肌の質感が粗野な男のそれに変わっていく。
どこにでもいるような男の姿を手に入れた彼女は、市民に紛れるように街路へと溶け込んだ。
背後では、王宮からの警報の鐘が徐々に街中に響き渡り始めていたが、マルファーは振り返らず、次の計画へと意識を向けていた。
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夕刻、王宮内にある玉座の間。
傾きかけた太陽の光が窓から差し込み、ゼフィロス王の白髪を黄金色に輝かせていた。
王の隣には冷静な表情を浮かべたヘリオドスが控えている。
その前には、血相を変えた衛兵長がひざまずき、焦燥感に満ちた声で報告を続けていた。
「それで? 犯人の目星はついたのか?」
ゼフィロス王は重々しい声で問いかけた。
「はっ! 洗濯婦の女が王宮へ入った後、行方が分からなくなったそうで。それと、西門で目撃された不審な男が……」
衛兵長は言葉を詰まらせながら続けた。
「その男、西門で目撃されたのですが、宝物庫で死亡していた衛兵と瓜二つだったとか……」
「ほう……死んだ人間と瓜二つ、とな」
「父上。以前私が目をかけていた男が、心臓を抜き取られて殺害された事件を覚えておいでですか?」
「ああ。その者は……確か、エウリピデ。そんな名だったか……。何やら特殊な能力を持っていたとか」
「ええ。彼の能力は、触れた人物に変身する力です。その力を奪った者こそが、今回の事件の犯人かもしれません」
「では、その心臓を奪った者が、その能力を使って侵入したと……」
「ええ、そしてもう一つ。宝物庫の前に倒れていた衛兵や、西門の門番たちが、まるで雷に撃たれたかのような火傷を負っていたと聞いています」
「……雷を操る能力、か」
ゼフィロスは険しい顔つきになる。
「反逆者の妻、マルファーは雷を操る能力者であったはずです」
ヘリオドスの視線が鋭く光る。
「実は、殺されたエウリピデは反逆者を逮捕した張本人なんです。大方、夫の処刑を行った我ら王家に対し、逆恨みしての犯行でしょう」
玉座の間に沈黙が流れる。
ゼフィロスはゆっくりと立ち上がり、衛兵長を見据えた。
「その女を放置すれば、さらなる混乱が起こるだろう。奪われたダークストーンの中には……我ら王家を滅ぼす力を秘めたものも……。よいか、早急にその者を捕らえよ!」
「はっ、必ず!」
衛兵長が深く頭を下げると、急ぎ玉座の間を後にした。
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日差しが森の木々を通り抜け、柔らかな光が地面に落ちていた。
天幕の外でマルファーは地面に座り込み、奪ってきたダークストーンを目の前に並べていた。
大小さまざまな漆黒の石が、どれも不気味なまでに鈍く輝いている。
その傍らには、彼女が持ち運んできた小さな木箱も置かれていた。
中には、あの雑貨店の老店主の心臓が納められている。
自作の燻製器にかけて乾燥させようとした跡があり、かなり小さく、そして固くなっていた。
しかし、それはまだ石と言うには心臓の原型をどことなく残していた。
「これで……始められる」
彼女は静かに呟きながら、一つ一つの石に添えられた簡素な説明書きを読み進める。
炎を自在に操る力、暴風を呼び起こす力、身体強化の力、どれも恐るべき能力だ。
だが、彼女の表情は冷静で、迷いは見られない。
マルファーは慎重に説明書きを吟味し、一つのダークストーンを手に取る。
「……まずはこれから」
それは『影を操る力』を宿した石だった。
手の中に収めた瞬間、わずかに人の気配のようなものを感じた。
彼女はそれを口に運ぶ。
飲み込むと、胸の奥に鈍い痛みと熱が広がった。
呼吸が荒くなり、汗が額を伝う。
彼女は一瞬だけ目を閉じ、体の中で力が目覚めていく感覚に集中する。
やがて、彼女の影から黒い粒子のようなものが浮き上がり、手元に集まり始め、まるで生き物のように蠢いている。
「……能力自体は使える。でも、これではまだ実践で使えない。ものにするには数カ月……いえ、万全を期すなら一年は必要かしら」
マルファーは小さくため息をついた。
本来、エンテディア人は生まれながらにして能力を宿している。
しかし、その能力を発現させることなく生涯を終える者もいれば、強大な能力に目覚める者も存在する。
仮に能力が発現したとしても、その強さや質には大きな個人差がある。
同じ炎を操る能力者であっても、指先に小さな火を出す程度の者もいれば、家屋を瞬時に焼き尽くすほどの業火を生み出す者もいる。
だが、希望がないわけではない。
たとえ生まれ持った能力が微弱であったり、ダークストーンによって後天的に得た不慣れな力であったとしても、血の滲むような修練を積み、その力を磨き上げれば、飛躍的にその能力を高めることができる。
常人ならば数年、あるいは数十年かかるであろう能力の習熟を、彼女は一年で成し遂げようと考えていた。
ペルモスの仇を討つため、そして彼との再会のために、彼女はどんな困難にも立ち向かう、揺るがぬ決意を胸に秘めていた。
「やってみせるわ……ペルモス。あなたのためなら、私はなんだって出来る……」
そう呟いてから、次の石に目を移す。
説明書きには『身体強化』と記されていた。
再び石を手に取り、同じように飲み込む。
今度は胸に広がる熱がより激しくなっていた。
「うぅ……熱い……胸が焼ける……ッ!」
マルファーは胸を抑え、突然苦しみ出した。
エンテディア人は複数の能力を得ることができるが、その負荷には限界がある。
心臓に宿る記憶や感情が、他人の能力を取り込むたびに精神に影響を及ぼすためだ。
他者の魂を一つ取り込むだけならリスクはほとんどないが、それが二つ、三つと増えていくと、人格が破綻する危険性が跳ね上がる。
複数の魂が精神に干渉し合い、やがて自我そのものを蝕んでいくという。
だが、マルファーはその事実を承知していながらも、次々とダークストーンを飲み込んでいった。
復讐に燃える彼女にとって、リスクなど問題ではなかった。
「これも……これも必要」
石を次々と飲み込み、力を取り込んでいくマルファー。
その目には焦燥と冷酷さが入り混じっている。
やがて、彼女はある一つの石を手に取った。
その説明書きを読み上げた瞬間、動きが止まる。
「……これなら、離宮を落とせるかも……」
彼女はその石をゆっくりと握りしめ、低く呟く。
その能力についての詳細は、彼女の心の中に留められたままだった。
だが、彼女の表情からは、それが復讐のための鍵となるものであることは明白だった。
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一年後——
王宮周辺には通常の朝とは異なる空気が漂っていた。
宝物庫から大量のダークストーンが奪われるという重大な事件が発生して以来、ゼフィロス王の命令で警備が大幅に増強され、衛兵の人数は以前の数倍に増やされている。
若い衛兵アガトンは、門の近くを巡回していた。
朝焼けが徐々に空を染め始め、彼は穏やかな一日の始まりを信じて疑わなかった。
だが、その静けさは突然破られた。
遠くに見える森の枝葉が激しく揺れ、鳥の群れが騒がしく鳴きながら空へ逃げていく。
「……?」
アガトンは眉をひそめ、足を止める。
不気味なほどの異変に、胸の奥がざわつく。
「おい……何なんだ、これは?」
仲間の衛兵が近づき、同じように森を見つめた。
その時だった。かすかに聞こえる音――遠くで空気が切り裂かれるような音が耳に届いた。
「……なんだ、この音は――」
彼の仲間が言葉をかけた瞬間、それは突然やってきた。
轟音と共に、巨大な影がアガトンの頭上を掠めた。
「――ッ!?」
突風が吹き荒れ、アガトンは咄嗟にその場に伏せる。
目の端に捉えたのは、空を切り裂く巨大な黒い影。あまりにも速く、その正体を見極める間もなかった。
次の瞬間、耳をつんざくような衝撃音が離宮から響き渡った。
アガトンが顔を上げると、ヘリオドスが住まう離宮の屋根に砂煙が立ち昇り、瓦や木片が四方に飛び散っていた。
巨大な存在がその質量を持って屋根に激突したのだ。
アガトンは恐る恐る屋根の方を見つめた。
砂煙の中から現れたのは、翼を広げ、漆黒の鱗を纏い、黄金の瞳を持つ巨大なドラゴンだった。
翼を広げるたびに空気が震え、尾がわずかに動くだけで建物全体が軋む音を立てる。
その圧倒的な存在感に、アガトンの体は硬直した。
仲間たちの姿を探そうと周囲を見渡すが、誰も動けずにその場に立ち尽くしている。
恐怖に支配された彼らは、ドラゴンという未知の脅威を前にして声すら上げられない。
ドラゴンは黄金に輝く瞳をゆっくりと巡らせ、周囲を見渡した。
瓦礫と砂煙が上がる崩れ去った屋根の上に悠然と立つその姿は、まるでこの場の支配者であるかのようだった。
やがて、その瞳がアガトンたちに向けられる。
その瞬間、アガトンの胸中に強烈な恐怖が押し寄せた。
目の前にいるのは単なる猛獣ではない。意志を持ち、自分たちを狙い定める捕食者である。
ドラゴンは大きく首を動かし、屋根に空いた大穴から建物の中を覗き込んだ。
その暗闇の中には、あたふたと動く衛兵たちの姿があった。
彼らの表情は恐怖に染まり、誰もがその場から逃げ出したいという思いを隠しきれていない。
ひとりの若い衛兵が、自分たちを覗き込む異形の存在に腰を抜かし、足を動かすことさえできなくなっている。
翼を少し広げ、ドラゴンは巨体を低く構える。
黄金に輝く瞳はその衛兵を見据えた。
衛兵は恐怖で動けず、かすれた声で叫びを上げた。
次の瞬間、ドラゴンの胸の奥から熱い気流が湧き上がり、その巨大な口を大きく開く。
――ファイアブレス。
超高温の炎が、赤々と輝きながら大穴を通して離宮の内部に放たれた。
その猛火は一瞬で廊下を埋め尽くし、あらゆるものを飲み込む。
壁に描かれていた華やかな絵画などの豪華な装飾品は一瞬で燃え尽きた。
内部にいた衛兵たちは悲鳴を上げる間もなく、次々と炎に包まれていく。
走り出そうとした者も、その場で崩れ落ちた者も、皆同じ運命を辿った。
ドラゴンの吐く炎は、彼らの命をあまりに容易く奪っていく。
離宮の半分近くが火の海と化し、建物内部から吹き上げる熱波が、屋根に立つドラゴンの鱗を金色に輝かせた。




