第7話 王宮潜入
昼下がり、王宮の北門。
洗濯婦たちが次々と衛兵のチェックを受けながら敷地内に入っていく。
その中には洗濯籠を抱えたマルファーの姿があった。
彼女の顔は王宮で働く洗濯婦エイリネのもの。
数時間前、マルファーはエイリネの家に忍び込み、電撃を食らわせて無力化し、縛り上げて自由を奪った。
そして、その容姿と声を記憶し、エイリネとして仕事をしていた。
「ちょっと待て。その籠を見せろ」
門番の衛兵が鋭い視線で言った。
マルファーは平静を装いながら籠の布を取り払う。
「どうぞ」
衛兵が洗濯物を念入りに調べるが、特に異常は見つからない。
「問題ないようだな。通れ」
「ありがとうございます」
マルファーは籠を抱え直し、洗濯婦たちの列に紛れて門を通り抜けた。
手には汗が滲んでいたが、表情は一切崩さなかった。
物資管理所に着くと、洗濯籠を指定された場所に置き、ほかの洗濯婦たちと軽く雑談を交わす。
管理人らしき男が帳簿に何かを書き込んでいるのを横目で確認すると、マルファーは一瞬だけ周囲を見回し、籠の中に手を伸ばした。
彼女の指先が掴んだのは、侍従の装いに似た上質な服。きっと宮廷内で使う衣類だろう。
それをさりげなく抱え込むと、マルファーは何事もなかったかのように洗濯婦たちの列から離脱し、柱の陰に身を隠した。
深く息を吐き、慎重に周囲の気配を伺う。
人目がないことを確認すると、マルファーは素早く持ってきた服を自分の身体に当て、身にまとった。
洗濯婦としての衣服は乱雑にたたみ、持参していた布袋に押し込む。
その手際は無駄がなく、迷いも一切なかった。
そして、意識を集中させる。
胸の鼓動に意識を合わせると、体がじんわりと熱を帯び始める。変身の力が発動し、彼女の体格が変わり始めた。
筋肉が増え、肩幅が広がり、輪郭が変化していく。
瞬く間に、彼女の姿は王宮内の宝物庫に入ることが出来る人物『侍従長カリディス』そのものへと変わった。
侍従長カリディス――王宮内で厚く信頼されている侍従長で、宝物庫までの道中を自由に歩くことができる人物だった。
そして現在、彼が図書室で本の整理を任され、ほとんどそこから動かないことも把握していた。
(この時間帯なら図書室に籠っている。やるなら今しかない……)
彼女は服装を整え、侍従としての姿を確認すると柱の陰から堂々と歩み出た。
その動きには一片の迷いもない。
侍従長カリディスとして振る舞い、衛兵たちが立つ廊下を進んでいく。
「お疲れ様です、カリディスさん」
衛兵が敬意を込めた声で挨拶してくる。
マルファーは一瞬の間もなく、それに応じた。
「ああ、ご苦労」
侍従としての立ち振る舞いを完璧に装い、背筋を伸ばしながら堂々と歩いた。
マルファーは廊下を進み、目当ての階段へ向かった。
冷たい石造りの階段を下りながら、足音が小さく響く。
階段を下り切ると、暗がりの奥に重厚な鉄扉が現れる。
その前には四人の衛兵が整然と立ち並び、厳しい視線で周囲を見張っている。
どの顔にも職務に対する責任感が滲み出ており、気の緩みは一切感じられなかった。
カリディスに変身したマルファーは自然な歩調で近づき、衛兵たちに視線を向けた。
衛兵たちは彼女の姿を認めると、互いに短く目を合わせ、やや緊張した様子で頭を下げた。
「カリディス殿、お疲れ様です」
「ご苦労」
マルファーは堂々とした声で応じ、あたかも本物のカリディスであるかのように振る舞う。
「王妃様より、宝物庫の中にある首飾りを取ってくるよう命じられた」
その言葉に衛兵たちは一瞬、眉をひそめた。
四人の衛兵は互いに短く視線を交わし、最年長と思われる衛兵が一歩前に出た。
「カリディス殿、確かにあなたは宝物庫へ入る権限をお持ちです。しかし、王命であることを証明する文はお持ちですか?」
「……文だと?」
マルファーは瞬時に冷静な顔を作りながら答えた。しかし、彼女はこの状況を想定していなかった。
カリディスが宝物庫に入れる権限を持つことは調査済みだったが、それが王の許可を証明する文の提示を条件にしていることは知らなかった。
「王妃様からの急な命令だ。文はこれから渡す予定だと言われたが、それでは足りないか?」
マルファーは声に苛立ちを滲ませた。
最年長の衛兵は動じず、さらに言葉を続けた。
「申し訳ありません、カリディス殿。規則です。文がない場合、いかにあなたであろうとも、我々は扉を開けることはできません」
その言葉を聞いた瞬間、マルファーの中で冷酷な決意が固まった。
彼女は短く頷き、一歩下がる。そして、両の手をゆっくりと持ち上げた。
「カリディス殿……?」
衛兵長は突然の行動に戸惑う。
次の瞬間、空気が震え、手のひらの中で雷光が走る。
そして、雷の閃光が放たれた。
その雷撃は、立ち並んでいた二人の衛兵に直撃する。
彼らは声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
肉が瞬時に焼け焦げ、身体からは焦げた匂いが立ち上る。
残る二人の衛兵は、目の前の光景に唖然として立ち尽くす。
「……カリディス殿! 一体何を――」
彼の言葉はそこで止まった。
マルファーの鋭い目が彼らを射抜く。
その目には、もはや言葉が通じる余地など微塵もなかった。
次の瞬間、再び雷光が走る。
残る二人の衛兵も雷撃に飲み込まれ、その場に倒れ込んだ。
静寂が訪れる中、マルファーは最年長の衛兵の倒れた身体に歩み寄った。
鎧の中を探り、宝物庫の鍵を見つけ出す。
それを手に取ると、冷たい鉄の感触が彼女の手の中に広がった。
「……これでいい」
短く呟くと、鍵を宝物庫の扉に差し込む。
重々しい音とともに、扉がわずかに開いた。
その隙間から漂う冷たい空気に、マルファーはかすかな戦慄を覚える。
鉄扉の向こうにある漆黒の石。
その先に待つ未知の運命に、彼女の胸はわずかに高鳴ったが、すぐに冷たい決意で押し殺した。
そして扉がゆっくりと開かれる音が、廊下に響き渡った。
マルファーは冷たく湿った空気を感じながら奥へ進む。
金銀宝石や豪華な装飾品が並ぶ棚には目もくれず、彼女は真っ直ぐ特別な棚へと向かった。
その先にある特別な棚には、黒く輝くダークストーンが一つ一つ区分けされて保管されている。
ダークストーンはどれも似たような黒い石だが、宿る能力は千差万別。
一つ一つの石の横には、能力の種類や元の持ち主の名、その人物がどのような生涯を送ったのか、説明が簡潔に記されている。
これらのダークストーンは特異な能力を持つ者たちの心臓を塩漬け、燻製、そして陰干しといった工程を経て作られる。
長い年月をかけて硬化させることで、その力を石のように凝縮させ、永遠に封じ込められるという。
マルファーは棚に並ぶ説明書きを素早く読み取り、必要な能力を持つダークストーンだけを選び出すと、説明書きの紙で包み、持参した袋へと詰めていった。
「これ……」
「これも使えるわ」
無駄な動きは一切なく、選び出した石で持っている袋は膨れ上がった。
選び終えると、マルファーは袋を抱え直し、急ぐように早歩きで宝物庫を出る。
彼女は衛兵たちが横たわる床を通り抜け、その中の一人に近づく。
マルファーは衛兵の腕に触れると、心の中で集中を始めた。
胸の鼓動に呼応して体が熱を帯び、骨格が変化していく。
やがて、倒れている衛兵と同じ姿を持つ者へと変わった。
彼女はその場で衛兵の鎧を手際よく装着し、自然な動きで立ち上がると、地上へ向かって歩き出した。




