第047話 源泉
――時間を少し遡る。
アベリーとタラマキオンが馬車で走り去った直後。
大通りに取り残されたロイは、遠ざかる馬車の音を背中で聞き届けながら、足元に転がっているものを拾い上げた。
それは先ほど、自身の腹を貫き、再生した肉体によって押し出されたばかりの鉄の槍だ。
ロイはベトついた血を振って落とすと、切っ先をガドンに向けて尋ねた。
「これ、返してほしいか?」
ガドンは鼻で笑い、興味なさそうに首を振った。
「……いいや。そんなもの、今の俺には必要ねぇ」
「へぇ? 随分と余裕だな。丸腰でやり合う気か?」
「当然だ。俺の能力は『身体強化』……この身一つあれば、貴様ごとき肉塊に変えることなど造作もないからな」
ガドンが自身の拳を打ち鳴らす。硬質な金属同士がぶつかり合ったような、重く高い音が響いた。
その言葉には、武器などという小細工は不要だという、圧倒的な自信と慢心が満ちていた。
「あっそ。随分と舐められたもんだな」
「ああ。実際そうだろ? お前は死なないだけで、他は普通の人間と変わらん。貴様に何ができる?」
ロイは槍を放り捨て、剣を構える。
地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。狙うは首筋。迷いのない鋭い一閃が、ガドンの太い首へと迫る。
ガドンは避ける素振りすら見せない。ただ不敵に笑い、首に力を込めて待ち受ける。
硬質な音が響き、ロイの剣が弾かれた。刃こぼれしたのは、あろうことかロイの剣の方だった。
「……やっぱり無理か」
ロイは痺れる手を振って剣を構え直すと、呆れたように尋ねた。
「それにしても、本当に頑丈な体してんな。どうすれば殺せんの? 弱点教えてくれよ」
ダメ元での軽口だったが、ガドンは誇らしげに鼻を鳴らした。
「教えてやるよ。俺の能力はもともと、マルファー様が持っていたような怪力とスピードを得るだけの『身体強化』だった。だがな……能力ってのは、極限状態に追い込まれることで飛躍的に進化する」
ガドンの全身から、凄まじい闘気が立ち上る。
「俺は来る日も来る日も、筋肉が断裂し、骨が砕けるほどの鍛錬を己に課した! 死ぬ寸前まで自分を痛めつけ、また壊す! その地獄の果てに手に入れたのが、ただの強化を超えた、この『金剛の肉体』だ!」
ガドンが地面を踏み抜き、絶叫するように吠える。
「マルファー様ですら、肉体の硬化までは辿り着けなかった! 俺は努力と根性で、女神の領域すら超えた偉業を成し遂げたんだよ!」
「で? 弱点は?」
「ないッ!」
ロイが肩をすくめた瞬間、疾風の如く駆け出した。その間合いは一瞬で詰められ、ガドンの拳がロイの顔面を捉えようとした。
ロイは人間にとって限界とも言える反応速度で、それを紙一重で躱す。躱すと同時にガドンの脇腹へ剣を走らせるが、鋼鉄のような皮膚は刃を通さない。
ガドンが反撃の回し蹴りを放つ。避けきる余裕のないロイは左腕で防ごうとするが、その蹴りは腕を砕き、肋骨をへし折り、内臓をも押し潰す。
ロイはボロ雑巾のように地面を滑り、遠くにある石造りの民家の壁に激突する。壁には蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
ロイは壁に持たれながら体の再生を待つ。だが、ガドンはそれを許さない。
再び跳ねるように飛んで来たガドンが、そのままの勢いでロイの腹に飛び蹴りを浴びせる。
その破壊力は凄まじく、背後の壁ごと砕け散り、民家の中へと雪崩れ込んだ。
崩落した部屋の片隅には、父親が妻と娘を守るように震えている姿があった。
ガドンは関心がないようにその家族には一瞥もくれず、ロイのもとへ歩いていく。
ロイは瓦礫とともに床に転がって虫の息になっているが、瞬く間にその肉体が再生されていく。
ガドンはそんなロイの首根っこを掴み、持ち上げる。そして、壁に押し当てて殴る。殴る。殴る。
鋼のような拳が、叩く度に腹や胸にめり込む。再生されたそばから内臓が潰され、骨が粉砕されていく。
そんな猛攻に壁が耐えきれなくなりそうになると、ガドンは渾身の一撃をロイの顔面に撃ち込んだ。
肉が弾ける音と共に、ロイの頭部は跡形もなく吹き飛んだ。そして、首から下の体も弾き出され、壁を突き破って屋外へと転がり落ちる。
頭部を失った肉体から、すぐに新たな頭蓋骨と肉が芽吹き、再生する。
意識が戻ると同時に、ロイは血の味を噛み締めた。
「……ああ……? クソが、最悪な気分だぜ……」
全身の骨が砕け、内臓が破裂する感覚が生々しく残っている。
再生されて元通りになっても、その激痛の記憶が消えるわけではない。パワーも硬さも、桁が違いすぎた。
まともにやり合えば、永遠に勝ち目のない戦いだとロイは悟った。
「これで分かっただろ? 不死身なだけじゃ、決して俺には勝てないと」
ガドンが民家の壁の大穴から出てきて、ロイの方へと近づいてくる。
ロイはふらつく足で立ち上がった。猛攻を受けてる際にどこかで落としたのか、もうその手には剣もない。
だが視線の先に、先ほどタラマキオンが説明していた場所が見えた。
街の中央に位置する巨大な柵。そこには『危険・立入禁止』の看板と、凄まじい勢いで噴き上がる蒸気が見えた。
ロイの口元に、狂気的な笑みが浮かぶ。
「気が早いやつだな。まだ勝負はついてないだろ」
ロイは手招きをして挑発する。その立ち位置は、ガドンと大源泉を結ぶ一直線上。
「強がりもそこまで行けば立派だ。だが、もう飽きた。次でミンチにしてやる。そして石を回収して、お前は二度と蘇らない」
ガドンが地面を踏みしめ、拳を振りかぶる。
ロイは逃げない。それどころか、あえて防御を捨てて棒立ちになった。
ガドンの右の拳が放たれる。
ロイは衝突の瞬間、自分から後方へ跳ぶようにして衝撃を逃がしつつ、そのすべてを『吹き飛ぶ力』へと変換した。
まるで射られた矢のようにロイの体が飛んでいく。
ロイは背後にあった『立入禁止』の頑丈な木の柵へと激突した。
柵が砕け散り、ロイはその勢いのまま源泉の縁にある岩場へと転がり込み、うつ伏せに倒れ込んだ。
もうもうと立ち込める硫黄の臭いと熱気。
すぐそばでは、泥交じりの熱湯が激しく沸騰している。
ロイはすぐに再生を終えたが、起き上がらなかった。
四肢を投げ出し、ピクリとも動かず、戦意を喪失した死体のように振る舞う。
ガドンが粉砕された柵をまたぎ、ゆっくりと近づいてくる。
足元に転がるロイを見下ろし、呆れたように鼻を鳴らした。
「なんだ、絶望しちまったか? もう戦う気力も残ってないのか?」
ガドンに警戒心はない。
何度も再生するだけの非力な相手に慢心しきっている。
彼は無防備に、ロイの目の前まで歩み寄った。
その時。
ロイがふらふらと、亡霊のように上半身を起こした。
「あ……が……」
うわ言のような声を漏らし、足をもたつかせながら立ち上がる。
そして膝の力が抜けたように、ガドンの胸元へと倒れ込んだ。
「ああん? なんだ貴様、命乞いでも……」
ガドンが鬱陶しそうに手を伸ばしかけた瞬間。
ロイの両腕が、ガドンの胴回りをがっしりと抱え込んだ。
「……あ?」
つまずいたわけではない。
ロイは重心を低く落とし、足腰に力を込めると、渾身の力でガドンの体を持ち上げた。
「ぬんっ!」
ガドンの体が一瞬にして浮く。
彼の皮膚は確かに鋼鉄より硬いかもしれない。だが、質量が増えているわけではないのだ。
中身は人間と同じ、常識的な体重。鍛え上げられた大男とはいえ、成人男性一人分の重さなど、ロイにとっては造作もないことだった。
「うぉッ!? 何しやがる!?」
ガドンが驚愕の声を上げる。
だが、空中に浮いた状態では、自慢の剛力も踏ん張りが効かない。
ロイはガドンを抱えたまま、自身の背中側にある煮えたぎる池へと重心を傾けた。
「我慢比べしようぜ!」
「は!? や、やめろッ!」
ガドンの顔が恐怖に歪む。
だが、もう遅い。
重力に従い、二つの体はもつれ合うようにして、沸騰する源泉へと落下していった。




