第045話 バルディアの戦い
要塞都市バルディアの大通りは、悲鳴と怒号が飛び交っている。
巨大な影のサイに跨り、純白のドレスで着飾る美女――セレンドラと、漆黒の影馬を駆る筋骨隆々――上裸の大男ガドン。
二人の出現によって、平和な湯治場の日常は一瞬にして崩壊した。
敵は強力な影の能力者。対抗するにはタラマキオンのゴーレムが最適だが、ここは石畳で舗装された大通りだ。土属性の能力者にとって、これほど相性の悪い場所はない。
「タラマキオンさん、ゴーレムは出せますか!?」
アベリーの問いかけに、タラマキオンは悔しげに顔を歪めた。
「無理です! この分厚い石畳では土まで距離がありすぎます! どこか土のある場所まで移動しないと……!」
「土のある場所……街の外くらいしかないですね。これも計算に入れた上での襲撃ということですか……」
アベリーが焦燥に駆られる中、セレンドラが優雅に微笑みを浮かべる。
「さあ、傭兵さん。おとなしく腹を切り開かれて、石を取り出させてちょうだい」
「お断りだね。欲しけりゃ掛かって来いよ」
「そう。では、遠慮なく」
彼女が前傾姿勢を取ると共に、巨大な影サイがロイを目がけて猛然と突進を開始した。
石畳を砕きながら迫りくる圧倒的質量。まともに喰らえば肉片すら残らない。
轢き殺そうとしたその寸前で、ロイは素早く横に飛んで躱した。
「走って逃げても追いつかれるぞ!」
ロイが叫んだその時、一台の馬車が走って行くのが目に入った。
その馬車は、混乱に乗じて街から逃げ出そうとしている市民のものだった。
「おっ、いいのが来た!」
ロイは迷わずその馬車に飛び乗った。
「えっ!? ちょっと、ロイ!?」
アベリーとタラマキオンも、ロイに引っ張り上げられるようにして慌てて荷台へと転がり込む。
『誰!? あんたたち、誰!?』
突然の侵入者に、手綱を握っていた平凡そうな御者の男が目を剥いて絶叫した。
「すみません! 緊急事態だったもので……!」
アベリーが必死に頭を下げるが、ロイは荷台の荷物にどかっと腰を下ろし、ふてぶてしく言い放った。
「どうせ逃げるんだったら俺らを乗せて逃げても別にいいだろ。ケチケチすんなよ」
「はぁ!? ふざけんな! 重くなったら逃げ切れなくなるだろ! 今すぐ降りてくれ!」
御者が顔を真っ赤にして抗議する。
『無礼な仲間が失礼いたしました! 躾けておきますので、どうかお許しください』
アベリーは拳を握りしめ、ロイの後頭部を力いっぱい殴りつけた。
ゴツンッ!
「いってぇ……! 何すんだよ!」
「すみません、こいつは殴っておきましたので! どうかこのままお進みください!」
アベリーの必死の懇願と、背後から迫る地響きに、御者は泣きそうな顔で手綱を振るった。
「ちくしょう! 乗ってろよ! 振り落とされても知らねぇからな!」
馬車が街の通りを加速しながら駆け抜けていく。
だが、敵の機動力は馬車を遥かに上回っていた。
左後方からは、ズシン、ズシンと重い足音を響かせて巨大な影サイが。
右後方からは、風のような速さで影馬が迫ってくる。
セレンドラとガドンが、両脇から挟み込むように並走し始めたのだ。
「だから言っただろ! 追いつかれたじゃねぇか! やっぱり今すぐ降りてくれ!」
御者が半泣きで叫ぶ。
「もう遅い。腹くくれ!」
ロイは剣を抜き放ち、右側から迫るガドンに向き直った。
一方、左側を担当するのはアベリーだ。
「やります……!」
アベリーは覚悟を決め、右手の人差し指を影サイの上のセレンドラに向けた。
指先に光が収束する。
しかし、その動きを察知したセレンドラは、ふっと体を前屈させ、巨大なサイの頭部の陰へと身を隠した。
「……!」
射線が通らない。アベリーは標的を切り替え、サイの顔面めがけて光弾を放った。
光弾がサイの鼻先に着弾し、黒い粒子が舞い散る。だが、サイは何事もなかったかのように突進を続けた。傷一つついていない。
「アベリー様! それじゃあ弱すぎます! もっと強いのを撃ってください!」
タラマキオンが叫ぶ。
「分かってます! でもまだ覚えたてで、うまく力を込められないんですよ!」
アベリーは焦りながら次々と光弾を放つが、巨大な影の塊を止めるには至らない。
一方、右側ではガドンが長い槍を構え、馬車との距離を詰めていた。
「死ねぇッ!」
ガドンが牽制気味に槍を突き出してくる。
ロイはそれを剣の側面でいなし、さらに強く弾いてガドンの体勢を崩した。
「隙ありっ!」
その一瞬を見逃さず、ロイは狭い荷台の中を滑るように移動し、剣先をガドンの左肩へと突き出した。
必殺の間合い。切っ先がガドンの皮膚を捉える。
ガギィンッ!
硬質な音が響き、ロイの手首に痺れが走った。
普通の人間なら深々と刺さるはずの剣が、まるで鋼鉄の板に阻まれたかのように弾かれたのだ。
「は?」
ロイは一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
ガドンは不敵な笑みを浮かべ、影馬から身を乗り出すと、馬車の荷台へと手をかけた。
「お邪魔するぜ」
そのまま馬車へ乗り移ろうとするガドン。
ロイは舌打ちをし、剣を突き立て、あるいは撫で斬りにしようと猛攻を仕掛けるが、ことごとく弾かれる。鋼鉄のような皮膚の前では、刃物は無意味だった。
「お〜い……こいつ、どうすりゃいいんだよ」
ロイが困惑の声を上げる。
ガドンの巨体が荷台に乗り込めば、狭い馬車内はたちまち地獄と化す。
「下がって!」
アベリーが叫び、セレンドラへの攻撃を中断してガドンの方へ向き直った。
至近距離からの光弾がガドンの顔面を直撃する。
「ぐっ!」
ガドンは一瞬顔を背けたが、すぐに獰猛な笑みと共にアベリーを睨み返した。
傷ひとつない。
「……あとは何とかしてください」
アベリーは力なく呟き、さじを投げた。自分の攻撃力では傷一つつけることができない。
「仕方ねぇ……一騎打ちしてやるよ」
ロイは剣を構え直すと、馬車に乗り込もうとしているガドンに向かって、自ら勢いよく飛びかかった。
「馬鹿め! 自分から死ぬために飛びかかってきやがった!」
ガドンは嘲笑い、リーチに勝る槍を突き出した。
空中のロイに回避する術はない。槍の穂先が、ロイの腹部を深々と貫いた。
ドスッ。
鈍い音と共に、ロイの体が槍に串刺しになる。
ロイは苦痛に顔を歪めることもなく、力なくだらりと脱力した。
「口ほどにもねぇな」
ガドンは勝ち誇り、ロイの体を突き刺したまま、その強靭な腕力で槍を持ち上げようとした。
だが――死んだふりをしていたロイが、目を見開いた。
ロイは槍が刺さったままの体勢で、持っていた剣にありったけの力を込めた。
狙うのはガドンではない。
ガドンの足元――彼を乗せて並走している『影馬』だ。
ロイは力いっぱいに剣を影馬の背中に突き立てた。
その瞬間、影馬の形を保っていた黒い粒子が霧散し、風に溶けるように消滅していった。
「は……?」
ガドンの表情が凍りつく。
支えを失ったガドンは、バランスを崩して高速走行中の馬車の横へ投げ出された。槍に刺さったままのロイも道連れだ。
二人はもつれ合いながら、激しい勢いで石畳の地面へと叩きつけられた。
肉が弾け、全身の骨が砕ける生々しい音が響き渡る。
ロイの体は地面を転がる勢いで首があらぬ方向へ曲がり、手足が潰れて即死した。
一方のガドンも、受け身を取ることさえできずに高速で地面を転げ回っていく。
店の軒先を破壊し、石畳を削りながら、数え切れないほどの回転をしてようやく止まった。
土煙が晴れる中、ガドンはむくりと起き上がった。その鋼鉄のような肉体には擦り傷ひとつついていない。
「……クソが。やってくれたな」
ガドンが忌々しげに唾を吐く。
その少し先で、ひしゃげた死体がピクリと動いた。
ロイの腹部には、空中で突き刺された太い槍が深々と食い込んだままだ。
だが、次の瞬間、異様な光景が繰り広げられた。
折れた骨が強引に繋ぎ合わされる不快な音が連続し、潰れた肉が急速に盛り上がる。その再生の圧力が、邪魔な異物を排除しようと働き始める。
腹の肉が波打ち、深々と刺さっていた槍が、まるで押し出されるように体内から排出され、乾いた金属音を立てて地面に落ちた。
同時に、開いた風穴が瞬く間に塞がっていく。
あらぬ方向に向いていた首が回転して位置が正されると、何事もなかったかのように立ち上がり、ロイはニヤリと笑って呟いた。
「やっぱりこのくらいのことでは死なないか……しょうがない。望み通り、一騎打ちで決着をつけるか」
馬車はアベリーとタラマキオンを乗せたまま、遠くへと走り去っていく。
取り残されたロイとガドン。二人の怪物が、破壊された街路で対峙した。




