第4話 正当なる復讐
昼下がりの穏やかな光が、森の木々の間を貫いて地面に長い影を落としていた。
マルファーは手綱を握り、古びた荷馬車を静かに引いていた。
荷台には、布で覆われたペルモスの遺体が載せられている。
布の下に形をなす不自然な輪郭が、彼の首と胴体が切り離されていることを示していた。
遠くから鳥のさえずりが聞こえ、森の静かな温かみが彼女を包み込むと、ペルモスとともに訪れたこの場所の思い出が否応なく蘇ってくる。
森の深くへ進むと彼女は荷馬車を止める。
「ここなら、静かに眠れるはず……」
彼女は足元の地面を掘り始めた。
手にしているのは簡素な道具。それを何度も突き刺し、汗を流しながら掘り進める。
土の匂いと彼女の息遣いだけが森の静寂を破っていた。
時間がどれほど経ったのか分からない。
ようやく穴が十分な深さになった頃、マルファーは荷台に歩み寄り、夫の遺体をそっと抱き上げる。
ペルモスの遺体をゆっくりと穴の中に横たえると、視線が顔に覆い被せられた布へと移り、彼女の手がゆっくりと布の端へと伸びる。
指先が布に触れた瞬間、手の動きが止まった。
一度深い息をついた後、彼女はそっと手を引っ込めた。
土をかぶせるたびに胸の奥に湧き上がる感情を押し殺し、一心不乱に掘り起こした土を戻した。
埋葬を終えると、近くに落ちていた木の枝を拾い、簡素な墓標を作ってその上に立てた。
マルファーは墓の横に静かに横たわり、ぼんやりと空を見上げた。
視線を少し移すと、そばには土が盛り上がった小さな墓が見える。
虚ろな目でその場所を見つめ続けた。
その時、森の奥から音もなく神々しい鹿が姿を現した。
白く輝く体と金色の角が、木漏れ日に照らされて神秘的な光を放っている。
それは以前、ペルモスと共に出会ったあの鹿だった。
鹿はゆっくりと彼女の元へ歩み寄り、その優しげな瞳でマルファーを見つめる。
彼女のそばに寄り添うように立ち止まり、顔を近づけてきた。
マルファーはその穏やかな眼差しに引き寄せられるように手を伸ばし、そっと鹿の首元に触れると、静かに囁く。
「……あなたとは前にも会ったわね。あのときはペルモスと一緒だった……彼を見送りに来てくれたの?」
鹿は何も言わず、ただその場で彼女の手を受け入れている。
マルファーはその温もりに触れながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ペルモスに会いたい……夢の中でもいい。彼の声が聞きたいの。もう一度だけでいいから……あの笑顔が見たい……」
その時だった。
マルファーの中に一つの記憶が蘇る。
――心臓には魂が宿るという記述。その心臓を漆黒石にし、取り込んだ者が魂と共鳴すれば、夢の中で稀に語り合えるという……あの古文書。
彼女の瞳に微かな光が宿った。
涙の痕を拭いながら、そっと鹿に囁く。
「思い出した……あの書物に……書いてあった。漆黒石と魂の共鳴、夢での対話……」
鹿はまるで頷くように、小さく首を動かす。
そして何も言わず、静かにその場を離れ、森の奥へと消えていった。
マルファーはその背を見送ると、ゆっくりと立ち上がり、すぐ傍に置かれていた荷車へと手を伸ばす。
町にある家へ戻るつもりは、もはや彼女の中にはなかった。
荷車には森に移り住むために最低限必要な物だけが積まれていた。その中から一冊の古びた本を取り出す。
マルファーは焦るようにページを捲りはじめる。
ぱら、ぱらと風を切る紙の音。その瞳は何かを確かめるように鋭く文字を追っていた。
そして――その一文を見つける。
「会えるかもしれない……夢の中で、あなたに……」
その声は、森の静寂に吸い込まれるように響いた。
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夜の帳が降りた街。
マルファーは静かに軍の詰所を見張っていた。
彼女の目には冷たい決意の光が宿っている。
昼間から夜遅くまで見張り続け、ついにペルモスを連行していったエウリピデ隊長の姿を見つけた。
彼は詰所から出て、自宅へ向かった。
木造の扉を開けると、中から柔らかな明かりとともに妻の声が聞こえてきた。
「おかえりなさい」
「パパ! おかえり!」
妻の後ろから小さな息子が顔を出す。
隊長の強面だった表情が一瞬だけ崩れ、柔らかな笑みが浮かぶ。
「食事の用意をしましょうか?」
「いや、いい。今日は疲れた。先に寝る」
隊長は短く言うと、そのまま階段を上がって寝室へ向かった。
「そうですか。おやすみなさい」
「……ああ」
階段の軋む音が静かに消えていき、家の中にはまた穏やかな空気が戻った。
家の中央の広間では、息子が楽しそうに母親に話しかけている声が響き、平和なひと時が流れていた。
彼は寝室へと入るとすぐに寝台に身を投じた。
疲れ切った様子で、すぐに眠りについてしまった。
静寂の中、彼の呼吸は次第に緩やかになり、深い眠りへと落ちていく。
夢と現実の境界がぼやけ始め、まるで意識の底へ沈み込むようだった。
その静寂を裂くように、首元に冷たい刃が押し当てられる感触が彼を目覚めさせた。
「……ッ!」
目を覚ました彼の視線の先には、暗闇の中でナイフを握るマルファーがいた。
彼女は口に指を当て、冷たく囁いた。
「シーッ……」
隊長は目を見開いた。
マルファーの表情は冷酷で、そこには一片の情もなかった。
「なんで夫は陥れられたの?」
「し、知らん……」
彼がそう言い終わる前に、マルファーはナイフをわずかに喉へ押し込んだ。
その冷たい鋭利な刃が、皮膚をわずかに裂く感触を伝えた。
「話す気になった?」
「ま、待て……!」
「……次はもっと深く刺す」
「……俺はただ、頼まれただけだ!」
「誰に?」
「……」
「答えないのね。分かった」
再びナイフを深く押し付けてくる彼女に、隊長は押し殺すような声で叫んだ。
「ヘリオドス殿下だ! 頼まれたんだ!」
「……続けて」
「殿下が……俺に手帳を渡して、あんたらの家に置けと命じたんだ……俺はただ命令に従っただけだ!」
彼女の手が止まる。
その瞳にかすかな震えが走り、次の瞬間には冷たく輝く決意が宿った。
「ヘリオドス……愛しい夫の心臓を食らっていた、あの男ね」
「俺は命令に従っただけで、あんたの夫に恨みなんて――」
「黙って」
静かな一言が彼の口を封じた。
刃の冷たさを肌で感じる隊長は、かすかに喉を鳴らしながらも動けずにいた。
マルファーは彼を冷たい目で見据え、次の質問を口にした。
「ヘリオドスの目的は?」
「あの男……殿下が、不老不死の力を手に入れるため……」
「不老不死……」
「そうだ……殿下はその力を手に入れるためにあんたの夫を陥れて、心臓を奪った」
マルファーの胸に怒りが込み上げる。
それを押し殺すように、さらに冷たい声で尋ねた。
「確か、王家は特異な能力を持った人の能力を長期的に管理するため、ダークストーンにして保管しているのよね?」
「……ああ」
「ヘリオドスは夫から力を奪った。なら王家の力も奪ってやる」
その瞳には生者のものとは思えないほど冷たく、まるで亡霊のような気配が漂っていた。
隊長の目が一瞬揺れた。その反応を見逃さず、マルファーはさらに問い詰める。
「あなた、王家が保管しているダークストーンのありかを知らない?」
「……俺が知るわけないだろう! あんなものに触れられるのは、ごく一部の人間だけだ!」
マルファーはナイフをさらに喉に押し当て、皮膚にじわりと切り込みを入れる。
「本当かしら?」
「本当だ! 誓って言う、俺は知らない! ……ただ、王宮の地下に厳重に保管されているって話は聞いたことがある。それ以上のことは本当に何も知らない……!」
声が震える隊長の額には、冷たい汗が浮かんでいた。
「王宮の地下ね……」
マルファーは冷笑を浮かべ、ナイフを引き戻すかのような動作を見せたが、その目に宿る冷酷さは変わらなかった。
「なあ……俺は殿下の頼みを断れる立場になかったんだ……それだけは信じてくれ。頼むよ……」
「あなたの立場なんて興味ない。どうでもいい」
彼の言葉を冷たくあしらうと、彼女の目はさらに鋭さを増した。
「最後に一つだけ質問するわ」
「な、なんだ……?」
「あなたの能力は?」
――その後の静寂を裂くように、マルファーが足音を鳴らしながら通りを歩いていく。
彼女の口元には血が滲み、瞳には冷酷な殺気が宿っていた。
背後には、妻と息子が楽しげに会話を交わしている隊長の家が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。
部屋の中央には小さなオイルランプが置かれ、その暖かな光が家族の団らんを柔らかく包み込んでいる。
その家族がまだ何も知らないことが、マルファーの中にさらに冷たい決意を植え付けるようだった。




