第37話 タラマキオン
木漏れ日の下、アベリーとロイは林道を馬で走り抜けていく。
「しかし甘いなぁ〜、アベリー君は。襲撃者を生かしておくなんてな〜。数々の修羅場をくぐり抜けてきた俺からすれば、命取りになる愚かな行為だと断言しよう!」
「……私は、そうは思わないです。敵であろうと、その命はとても尊いものだと思っていますから」
「貴族のお坊ちゃまらしい考え方だな。どうなっても俺の責任じゃないからね?」
「……分かってます」
「だがまあ、すごい話を聞いちまったな。まさか漆黒石がマルファーの心臓からできてるなんて。とんでもねぇもん口に入れてくれたな!」
ロイのその言葉に、アベリーは小さく頷いたものの、視線を前に向けたまま黙っていた。昨日、襲撃者から聞いた話が頭をよぎる。
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かつてエンテディア――神々が住まう異世界に、一人の女神がいた。その名はマルファー。雷を操る力を持ち、夫ペルモスと共に穏やかな生活を送っていた。
しかし、ペルモスは不老不死の力を持つ神であり、その力を欲した王子ヘリオドスの謀略によって嵌められる。
ペルモスは処刑され、その心臓を食らったヘリオドスは不老不死の力を得た。
夫を失ったマルファーは激しい怒りと悲しみに駆られ、ヘリオドスへの復讐を決意する。
彼女は王家が保管する大量の漆黒石を盗み、その身に取り込んで圧倒的な力を得た。そして王宮に乗り込んでヘリオドスを討ち、その心臓を自らのものとした。
しかし、ヘリオドスを殺したことでエンテディア全体を敵に回してしまい、追われる身となった。
人間の世界――アルガイアへと逃げ延びたマルファーだったが、彼女を追って最強の神――アクレディウスが現れた。
二人は激しい戦いを繰り広げ、最後にはアクレディウスの光の矢によってマルファーは討たれた。
爆発するように砕け散った彼女の心臓は周囲地域へ飛び散り、長い年月を経て漆黒石へと変化したという。
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アベリーの表情は徐々に険しさを増していく。
「昨日の襲撃者が言っていましたよね。マルファーを崇拝する教団が、彼女の復活のために動いていると。彼らが各地で漆黒石を集めているのもその一環だと考えられます」
「復活ねぇ……そんなの簡単にできるのかよ。1600年前に死んだ奴だろ?」
アベリーは真剣な表情で答えた。
「教団にとって、ロイ……あなたが持つ不老不死の力がその鍵になっている可能性が高いです」
「俺の能力が?」
ロイは驚きながら、自分の胸元に手を当てた。
「漆黒石は元々マルファーの心臓……つまり、彼女そのものの一部です。教団は、その欠片をパズルのように集め、あなたの『不老不死』の力という特別な接着剤で繋ぎ合わせることで、マルファーをこの世に呼び戻そうとしているのかもしれません。もしそうなら、あなたの力は彼らの計画の最後の鍵……ようするに」
「なるほど。イカれたカルト野郎共に死ぬまで追い回されるってことか。最悪じゃねぇか……」
「ええ。これから漆黒石を巡る争いはさらに激化するでしょう」
アベリーの言葉には静かな緊張感が漂っていた。木々の間を抜け、二人の馬はなおも林道を駆け抜けていった。
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マーズデン城の空には、まだ黒い煙があがっていた。
かつて威容を誇った城壁は崩れ落ち、中庭には焼け焦げた遺体が並べられている。
その惨状を、一人の巨漢が見つめていた。
タラマキオン。かつてアクレディウスと共に戦った五人の精鋭の一人であり、巨大なゴーレムを操る能力者だ。
彼はとある秘密の友人から『マーズデン城が漆黒のドラゴンに襲われた』という話を聞き、急ぎここまでやってきたのだ。
「……酷いな。まるで1600年前の離宮のようだ」
タラマキオンは太い眉をひそめ、悲痛なため息をついた。
崩れた石材、黒く焼き尽くされた大地。そこに残る爪痕は、彼にとって見覚えのあるものだった。
彼は重い足取りで、生き残った人々が集まる簡易救護所へと向かった。その手前で、膝を抱えてうずくまる大柄な男の姿がある。
以前、ロイと訓練場で揉めた傭兵、タイロンだ。
タラマキオンは彼の前に歩み寄り、その大きな影を落とした。
「……あの、ちょっといいかな?」
声をかけると、タイロンはビクリと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。その目は虚ろで、かつての荒々しい覇気は微塵も感じられない。
「……なんだ、なんのようだ?」
「ここで何があったか教えてほしいんだ」
「なにがって……蹂躙だよ……ドラゴンによる、蹂躙だ」
「ドラゴン……それで、他にはなにか見なかった?」
「いや、俺は……ドラゴンの姿を見た瞬間、動けなくなった。戦っても絶対に勝てない。ただ蹂躙されて殺される未来しか見えなかったんだ」
彼は震える手で自分の頭を抱えた。
「俺は戦士失格だ。みんなが戦っているのに……俺は地下のワイン貯蔵庫に逃げ込んで、ただ震えながらドラゴンが飛び去ることを願っていた。その場で置物みたいに固まって……仲間が焼かれる音を聞きながらな。だから、他のことなんて分からねぇよ……」
屈強な肉体を持ちながら、心は恐怖に支配されていた自分への嫌悪。タイロンの声は涙声に変わっていた。
タラマキオンは、そんな彼の隣に腰を下ろした。そして、分厚く温かい手で、タイロンの震える肩を優しくさすった。
「気持ちはわかるよ……そんな状況なら逃げ出したくもなる」
その言葉に、タイロンはいらだったように顔を歪め、タラマキオンの手を払いのけようとした。
「お前に……何が分かる……」
だが、タラマキオンの手は離れなかった。むしろ、その温もりがじんわりとタイロンに伝わっていく。
「分かるよ。一応、経験者だからね」
タラマキオンのその言葉には、実体験からくる重みと、不思議な説得力があった。タイロンは毒気を抜かれたように口を閉じ、小さく息を吐いた。
「意味分かんねぇよ……変な奴だな」
「よく言われるよ。それで、生き残りはここに居るだけ? ここの貴族の人で、城から逃げ出せた人はいないの?」
タラマキオンが本題を切り出すと、タイロンは首を横に振った。
「さあ……分からねぇが、当主のダレス様、長男のヘンリー様のご遺体は中庭にあった。だが、次男アストン様、三男アベリー様のご遺体が見つかっていない。まあ、あの炎だ。黒焦げになってて分からないだけかもしれんが……」
「そうか……。もし生きてこの城を脱出したなら、何処へ向かうかな?」
「そんなこと、ただの傭兵の俺が知るわけねぇだろ……」
タイロンは苛立ちを隠さずに言った。
「そうだよね、ごめん」
タラマキオンは素直に謝り、立ち上がった。
(襲撃者が石を持ち去ったか……あるいは、アベリーとアストン、彼らが生きていれば、恐らく『石』を持って逃げているはず)
タラマキオンはかつて、マーズデン家の祖先に漆黒石の探索を依頼した過去がある。彼らがストーンウォッチとして石を守り続けていたとすれば、この襲撃の目的もそこにあるはずだと推測していた。
タラマキオンは空を見つめて思案する。
「遠くへ逃げるなら馬が必要だ……この近くで馬を調達できる場所はないかな?」
「よくは知らねぇが、マーズデン家御用達の馬牧場が少し離れた場所にあるとか聞いたな……確か、ミルトンの牧場とか」
「馬牧場か……ありがとう。それと、元気出してね」
タラマキオンは最後にポンとタイロンの肩を叩き、救護所を後にした。
タラマキオンは巨体を揺らし、のんびりとした、しかし確かな足取りで歩き出し、城を出ていった。




