第36話 襲撃者
アベリーとロイの二人は、ミルトンの小屋の前で立ち話をしていた。澄み渡る青空の下、馬小屋から二頭の馬を引いたミルトンが現れる。
「お待たせしました。こちらの馬をお使いください」
ミルトンの手綱を握る手はしっかりと力強く、その声にはどこか寂しさが滲んでいた。
アベリーは深々と頭を下げた。
「何から何まで本当にお世話になりました。必ず戻ってきますので、その時はこのお礼をさせてください」
「とんでもない! 今まで受けてきたマーズデン家への御恩をお返しできて、本当に良かったです。また何かあれば遠慮なく頼ってください」
「数々のご厚意、心から感謝しています」
二人はそれぞれの馬に乗り込む。馬の毛並みは手入れが行き届いており、日差しを受けて艶やかに輝いている。アベリーは馬のたてがみを軽く撫で、ミルトンにもう一度視線を向けた。
ミルトンは、二人の行く末を心配しているのか、不安げな表情を浮かべる。
「アベリー様……ご無事で」
「本当にありがとうございました」
アベリーは小さくお辞儀をする。二人が小屋を離れ、林道へ進もうとしたその時、ロイが振り返りざまに声を張る。
「またおっちゃんの料理食わせてくれよな!」
唐突な言葉に、ミルトンは目を丸くしたが、次の瞬間にはその口元が緩んでいた。そして、ゆっくりと手を振り、別れを惜しむように見送る。
二人は馬に乗り、林道を行く。木漏れ日の下、馬の蹄が地面を踏みしめる音が静かに響く。歩む速度はゆっくりだが、人が歩くよりも速い。
木々の間を抜ける風が、心地よい冷たさを運んでくる。
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馬に乗って林道を進む中、アベリーはロイに声をかける。
「まさか、漆黒石に能力と魂が込められているなんて本当に驚きですね。漆黒石が異世界由来の遺物だとは想像もしていませんでした」
「だな。それにしても、訳のわからねぇ同居人が夢の中に出てくるとか迷惑だわ。エッチな夢とか見れなくなったらどうしてくれんだよ」
「夢の中で会った人物……ペルモスでしたっけ? 彼の話を信じるなら、神話に出てくる神々は特殊な力を持った異世界人だということになります」
「じゃあ、その神様達もおっさんの知り合いかもしれねぇな」
「そうかもしれませんね。さらにそのペルモスという人物から情報を引き出してください」
「まあ、それはいいけどさ。それで? 俺はどこまでお供すればいいんだ?」
アベリーは馬の手綱を握ったまま、少し首を傾げるように答えた。
「どこまでって……忘れているみたいですけど、あなたは漆黒石を体に宿しているんです。これからは私の目の届くところにずっと居てもらいます」
「え? なにそれ、もう自由に旅はできないってこと?」
「まあ……そうなりますね……」
アベリーは少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「嘘だろ、おい……」
ロイは天を仰いだ。アベリーはわずかに肩をすくめつつ、フォローするように言葉を重ねる。
「安心してください。ちゃんと給金は弾みますから」
「そういうことじゃないんだよ……俺は強い奴を求めて旅がしたいんだよ」
ロイの声には心底がっかりした様子が滲んでいた。彼はわざとらしくため息をつく。
アベリーは酷く落胆しているロイを見て、言葉を失った。手綱を握る指が少し力を込める。
「では、望みを言ってください。金銭での補償が無理なら、あなたの願いを叶える形で穴埋めさせてもらいます」
なんとか声をかけるが、ロイの反応は鈍い。
「そうか、じゃあ……俺の自由を返してくれ……」
「……それは無理です。すみません……」
ロイの背中は、どこか哀愁を漂わせていた。それでも二人の馬の足音は、一定のリズムを刻みながら林道を進んでいく。
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日が傾き始め、林道を進んでいたアベリーとロイは、小さな村を見つけた。古びた家々が並び、夕日に照らされたその景色はどこか温かさを感じさせる。
近づくと、中年女性の村人が声をかけてきた。
「旅の人かい?」
「ええ、そうです」
アベリーは軽く頷き、馬の手綱を引いたまま答える。
「この先にはしばらく村はないよ。時間を考えれば、ここで泊まっていった方が良いわ」
「そうですか……あの、この村には泊まれる場所はありますか?」
「宿屋なんかは無いね、小さい村だから……でもまあ、金額次第ではうちに泊めても構わないんだけど……どうだい?」
アベリーは懐から袋を取り出し、その中から金貨を一枚手にとって中年女性に手渡した。宿泊費としては過分な額だが、アベリーは気にもとめない。
金貨を受け取った女性は、一瞬目を丸くしたが、すぐに愛想の良い笑顔を浮かべる。
「さあさあ! 我が家にご案内いたします。さあ、どうぞこちらへ!」
彼女の声に応じて、アベリーとロイは彼女の後について歩き始める。
その背後で、二人組の男たちが物陰から獲物を狙う鋭い目つきでじっと様子を窺っていた。
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案内されたのは、木の香りが漂う質素な家だった。広間に通されると、村人の女性が簡単な食事を振る舞ってくれた。
木のテーブルに置かれたのは、粗く砕いた麦で作られた粥と、保存用の塩漬け肉が少しだけ。素朴な木製の器に注がれた薄いスープも並んでいる。
「こんな粗末なもので申し訳ないけど、よかったら召し上がってね」
中年女性はそう言いながら、二人の前に器を置いた。
「ありがとうございます」
アベリーは礼儀正しく頭を下げ、スプーンを手に取る。対するロイは一口粥をすすり、小さく呟いた。
「う〜ん……なんか味薄くない? これ」
それを聞いた瞬間、アベリーは机の下で中年女性に気づかれないようにロイの足に蹴りを入れる。
「痛ッ……なんだよ……?」
「折角ご厚意で出していただいた食事ですから、残さず食べましょうね……!」
アベリーはニコリと笑った。その笑顔には、明らかに釘を刺すような気迫が込められている。
二人のやり取りに女性は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに取り繕うように笑った。
「田舎の家じゃこれが精一杯だけど……食べ終わったら、部屋に案内するからね。寝床はちゃんと二人分用意しておくから、ゆっくり食べてちょうだい」
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食事を終え、案内されたのは奥まった一室だった。そこには寝台が一つ、そして木の床には布団が一組だけ敷かれている。その様子を見たロイが、大げさにため息をつきながら呟く。
「……またこれかよ」
ロイは冷めた目でアベリーを見る。
「昨日は俺が床で寝たんだから、今度はそっちが床で寝る番だからね」
「あの、忘れてませんか? 私、貴族なんですけど?」
「あ〜、それ言っちゃう? それ言っちゃうなら俺も言っちゃうよ? 俺、命の恩人なんですけど?」
「自分で言っていたじゃないですか。ただ全裸で、そこに居ただけだって……お忘れですか?」
「いや……まあ、言ったけど……」
ロイが視線を逸らすと、アベリーは床に敷かれた布団を指差しながら満足げに微笑む。
「さあ、どうぞ。寝床は準備してありますので。ゆっくり休んでください」
「はぁ……世知辛いなぁ」
ロイは肩をすくめて不満を漏らしながらも、床に敷かれた布団に腰を下ろす。
部屋の窓からは夜風が吹き込み、かすかな虫の音が二人の間に静かに響いていた。
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二人が眠る部屋の窓に、二つの影が忍び寄る。
侵入者は震える手で窓の木扉に触れ、慎重に音を立てないように開ける。だが、固いヒンジがわずかに軋み、夜の静寂にその音が微かに響いた。
冷たい夜風が室内に流れ込み、空気がわずかに揺れる。侵入者たちは息を殺しながら中に滑り込むが、ぎこちない動きがどこか頼りない。足元を確認しながらゆっくり進む彼らの動作は、緊張と恐怖を隠しきれていなかった。
部屋の隅で、ロイの眉がわずかに動いた。その感覚は熟練した戦士の勘が知らせたものだった。
薄暗闇の中で彼の瞼が開き、次の瞬間、剣を手に取って静かに立ち上がる。
そして、間髪入れずに剣を素早く抜いた。呆然と立ち尽くす侵入者たち。その物音に気づいて、アベリーも目を覚ます。
ロイは迷うことなく間合いを詰め、剣を一突きにした。
「殺すな!」
アベリーが叫ぶが、剣先は相手の胸を正確に貫いていた。
突き刺さったまま力なく床に崩れる侵入者。辺りにはかすかな血の匂いが漂う。
「……言うのが遅いよ」
ロイは頭を掻きながら小さく息を吐く。
その時、目の前で仲間が殺されるのを見ていたもう一人の襲撃者が、恐怖に顔を引きつらせた。手にしていたナイフを床に落とし、膝をついて懇願する。
「頼む……殺さないでくれ」
「とりあえず、そこにうつ伏せになって寝ろ」
ロイが剣を軽く動かして命じると、男は逆らうこともなく素直に従った。床に伏せた男の体が小刻みに震えている。
「どう見ても素人だな」
ロイは冷たく呟くと、剣先をゆっくりと男の太腿に這わせる。
「どこの誰だか、自己紹介してくれない?」
冗談めかして言うが、その剣先は明らかに冗談ではない冷たさを持っていた。
「あ……俺は……」
男は必死に何かを言おうとするが、恐怖で言葉にならない。
「言いたくないなら別にいいけど、その場合……どこかに穴が空くかもね」
剣を撫でるように動かしながら、ロイが軽く口元を歪める。
「ロイ!」
アベリーが隣に駆け寄った。
「やり過ぎないように……野蛮なことは控えてください」
釘を差すようにアベリーが言う。
「あ~そうですか。仰せのままに」
ロイは適当に返事をしながら、剣先を男の太腿から軽く離す。だが、その瞬間だった。
「ヘッキシッ!」
ロイが突然くしゃみをした。その反動で剣先が男の太腿に深く食い込む。
「ぐぁぁぁっ!!」
襲撃者は悲鳴を上げ、床を必死に叩く。ロイは慌てて剣を引き抜き、刺された場所は血が滲んでいる。
「あ~、ごめん。わざとじゃないからね?」
「クソがぁぁぁッ! ふざけんな! わざとに決まってんだろ!」
男の怒声に、ロイの眉がぴくりと動く。
「なんだと、この野郎ぉ~。ちゃんと謝ったでしょうが。喧嘩売ってんのか?」
そう言いながら、ロイは剣先で男の太腿を軽く突き回す。
「ああっ……分かった! 分かったから、もう刺さないでくれ! 全部話す!」
襲撃者は涙目になりながら叫んだ。それを聞いたロイはにやりと笑い、剣を引きながら軽く肩をすくめた。
「最初からそう言えばいいんだよ」
その様子を見ていたアベリーは、冷たい視線をロイに送る。その視線には、彼の乱暴なやり方への明らかな不満が込められていた。
「ささっ。聞きたいことがあったらどんどん聞いちゃって」
ロイは軽い調子で言うが、アベリーはため息をつく。
「……はぁ」
アベリーは深くため息をつくと、床にうつ伏せになったままの襲撃者に視線を向けた。その瞳には冷静さとわずかな警戒心が宿っている。
「なぜこんなことを?」
その言葉に、襲撃者は一瞬身じろぎし、声を震わせながら答えた。
「……あんたらを殺すようにと、教団から指令があって」
「教団? なんですか、その教団とは?」
「マルファー様を信奉する教団だ……」
その言葉を聞いた瞬間、ロイが驚きと嫌悪感を露わにした。
「マルファーって、神話に出てくる悪魔のことか? うへっ、悪魔崇拝者じゃねぇか。気持ち悪っ」
ロイの口ぶりに、襲撃者はわずかに顔をしかめたが、それでもはっきりと口を開いた。
「それは違う……マルファー様は悪魔でも何でもない」
その返答に、アベリーの表情が険しさを帯びる。
「戯言を……悪魔マルファーの話なら小さな子どもでも知っていますよ。神々の世界で悪行の限りを尽くして人間界へ逃れて来た。そして神々の世界から追ってきたアクレディウスによって滅ぼされたと」
襲撃者は力を振り絞るように声を張り上げた。
「だから、それが嘘だと言っているんだ! 彼女は神々の世界……エンテディアで夫のペルモス様と平和に暮らしていたんだ。ペルモス様は不老不死の力を持っていて、その力を欲した悪辣な王子ヘリオドスに陥れられて処刑された。彼女はその王子に対して正当な復讐をした……それだけだ。彼女は悪魔なんかじゃない」
「ん? エンテディア? ペルモス? もしかして夢の中で会ったおっさんて悪魔マルファーの夫ってこと?」
ロイが顔をしかめながらぼそりと呟く。アベリーは冷たい目で襲撃者を見つめながら言う。
「話が繋がってきましたね」
襲撃者は目を見開いてロイを見上げる。
「まさか……ペルモス様と対話できるのか? 神託者様と同じように……?」
「神託者……」
アベリーはその言葉に耳を傾けながらも、内心に広がる不穏さを押し隠せなかった。




