第31話 地下水道を抜けて
隠し扉を抜けた先、暗闇の中に備え付けられていたランプに手を伸ばすアベリー。
石壁に掛けられているそれを取り外し、火を灯した。
暖かな光が通路を照らし出す。アベリーはその光を頼りに階段を慎重に降りていく。
続いてロイもその後に続き、やがて道なりに進むと地下水道が姿を現した。
ひんやりとした空気が肌を撫で、水が静かに流れる音が耳に届く。その音だけが、この閉ざされた空間に命の気配を与えているかのようだった。
「この水路を辿れば城外へ出られます」
アベリーが先を指し示しながら言う。
「へぇ〜。城の下にこんな水路があったんだ〜。すげ〜」
「ええ。籠城する際に備えたものです。水は命を繋ぐ大切な資源ですから」
「は〜、なるほど〜」
ロイが頷くと、アベリーは横目で彼を見た。そして、視線が一瞬だけ下に落ちる。
慌てて目を逸らし、彼は顔を赤らめながら自身の外套を脱いだ。
「と……その前に。これを腰に巻いてください」
そう言って、ばつが悪そうにそれを差し出した。全裸のロイに対して、どうにかしなければと考えたのだろう。
「あ〜、すんませんね……洗って返すんで……多分」
「お気になさらず……」
アベリーは淡々と答えたが、その表情には僅かに気まずさが滲んでいる。ロイは苦笑いしながら外套を腰に巻きつけた。
二人は水路沿いを歩き始める。冷えた空気と薄暗い光の中、足音だけが静かに響いていた。
「なんか普通に話しちゃってますけど、貴族様相手にこんな話し方で大丈夫ですかね? お貴族様と話すの初めてで、距離感よく分かんなくて……」
ロイがちらりとアベリーを見て尋ねる。自身の無遠慮な態度に対して、少しだけ反省したのだろう。
「ええ、気にしなくていいですよ。敬語も敬称も不要です。」
「えっ、本当? 貴族って『不敬だぞ! 首をはねよ!』とかいつも言ってそうなイメージなんだけど」
「……ちょっと何を言ってるか分からないですけど、私はそんなことで怒りませんよ。それに、あなたは私の命の恩人ですから。本当に気遣い無用です」
「命の恩人って……俺、全裸でその場にいただけだよ?」
アベリーは一瞬笑みを見せた後、真剣な顔で続けた。
「そのおかげで今、私は生きているんです。本当に感謝しています。ですから、私には気楽に接してください」
「へぇ〜。坊っちゃん、なかなか懐が深いな」
「坊っちゃんはやめてください」
「じゃあ、アベリーでいい?」
「ええ、それで結構です」
「俺はロイ。気軽に呼んでくれていいよ」
「分かりました、ロイ。道中よろしくお願いします」
「道中? そういや、ここを出たらどこ行くつもりなんだ?」
「メドウズフォールという場所を目指します。当家に馬を売ってくれている牧場があるので、そこで馬を調達します」
「それで、その後は?」
「馬を手に入れたら、ノーザンデイルへ向かいます」
「ノーザンデイル? あんな山奥に行って何すんの?」
「グレイヴェン家に私の姉、ジュディスが嫁いでいます。彼女を頼ろうと思っています」
「そりゃ、長旅になりそうだな」
淡々と会話を交わしながらも、二人の間には次第に不思議な信頼感が芽生え始めていた。
しばらく歩くと、薄暗い通路の先に明かりが見えてきた。出口だ。
その出口には鉄製の柵が設置されている。ロイが柵を掴み、力任せに揺すり始めた。
「これ、どうやって開けるんだ?」
ロイが振り返りながら尋ねると、アベリーはすぐ近くの壁をじっと見つめた。
「大丈夫です。ここに開閉用のレバーがあります」
そう言うや否や、アベリーは壁に絡みつく蔦をかき分け始めた。彼の白く繊細な指が苔むした壁を探り、やがて一つの鉄製のレバーを見つける。
「これです」
彼が短く呟きながらレバーを引くと、低く鈍い音が響き、鉄柵がゆっくりと上がり始めた。
「へえ。随分と手の込んだ仕掛けだな」
鉄柵が完全に上がると、二人は通路を抜け、外へと出た。
外に広がる景色は、まるで別世界のようだった。小川が流れる原っぱには雑草が膝まで伸び、遠くには鬱蒼と茂る森が見える。青空の下、清々しい風が頬を撫でた。
「ここ、開けっ放しになっちゃってるけど、いいのか?」
ロイが後ろを振り返りながら言うと、アベリーは足を止めて答える。
「ええ、大丈夫です。暫くすると自動的に柵が降りる仕掛けになっています。外側にはレバーが無いので、もう後戻りはできません」
「ふ〜ん。中から出るのは簡単だけど、外から中へは入れないってことか……」
ロイが感心したように頷き、視線を周囲に巡らせる。その時、原っぱの中央に一本だけ立つ大木の下に、黒い人影が見えた。
「あれ……人か?」
ロイが木の下を指差す。そこには、白いドレスに身を包んだ女性が静かに腰を下ろしていた。優雅で気品のあるその佇まいは、貴族の一員かと見紛うほどだった。
肩まで垂れるブロンドの髪は柔らかなウェーブを描き、光を受けて淡い金色に輝いている。彼女の顔は俯き加減で、その穏やかな表情は遠目にははっきりと見えない。
「あら? 本当に人が来たわ……」
木陰で休んでいた女性が、こちらに気づいたようだ。彼女はゆったりとした足取りで木陰から出てくると、整った姿勢で微笑みながら挨拶をした。
「ごきげんよう」
「こんちは〜。こんなとこで何してんの?」
ロイは暢気な調子で挨拶を返す。対照的に、アベリーは女性の出現に僅かに身構えた。
「あなたこそ、何で半裸なの? 変な人……」
女性の口調には、冷ややかな好奇心が含まれている。ロイは肩をすくめて答えた。
「したくてこんな格好してるわけじゃないからね? ドラゴンに燃やされて仕方なくだから」
「ドラゴンに? 冗談はやめてちょうだい。それなら生きているわけがないわ」
「それは俺も同感だよ。何で俺は生きてるんだ?」
皮肉めいた言葉にロイは笑みを浮かべたが、アベリーはその軽口には乗らず、鋭い声を放つ。
「貴方は……何者ですか?」
彼の碧眼が女性を貫くように見つめた。女性は少しだけ目を細め、柔らかく微笑んで応じる。
「私の名はセレンドラ。仲間内ではシャドウキャスターとも呼ばれているわ」
その名を告げると同時に、彼女の足元の影が蠢き始めた。
暗黒の粒子が静かに宙へ舞い上がり、その量は徐々に増えていく。漆黒の粒子は集まり、絡まり合いながら形を変え始めた。
「なんだこれ……」
ロイが驚き混じりに呟く。粒子はさらに膨れ上がり、ついに人型を成した。
黒い粒子から生まれた人型の影は、どこか不気味な存在感を放っている。
未知の生命体が生まれる瞬間を目撃したかのようなその光景に、アベリーは眉をひそめ、さらに警戒心を強めた。
「へぇ、変わったペット飼ってるね」
ロイが軽口を叩きながら、セレンドラの傍らに立つ人型の影をじっと見つめる。
その瞳には恐れはなく、挑発的な光すら宿っている。




