第29話 漆黒石の在り処
居館の地下にある廊下。
その狭く暗い空間をアベリーは進んでいた。壁に設置された薄暗いランプが、ぼんやりと廊下を照らしている。
やがて突き当たりに到着すると、そこには重厚で頑丈そうな扉が立ちはだかっていた。
アベリーはポケットから取り出した鍵を握りしめる。父から託された、大切な鍵だ。
アベリーはそれを静かに扉の鍵穴に差し込み、慎重に回す。
鈍い音が響き、重い扉がゆっくりと開いた。
中に入ると、荘厳で厳かな空気が漂っていた。
壁には古びた紋章が刻まれた盾や剣、輝く宝石をあしらった冠が飾られ、棚には古文書や巻物がずらりと並んでいる。これらはどれも、歴史の重みとマーズデン家の栄光を物語っているようだった。
だが、アベリーはそれらに対して目もくれず、部屋の中央に据えられた石造りの台座へと歩み寄った。
胸ほどの高さのその台座の上に置かれているのは、漆黒の石。
黒光りするその石は、異様な存在感を放っていた。アベリーは一瞬立ち止まり、じっとそれを見つめる。
「……」
視線を台座から外すと、彼は慎重にその裏へと回り込む。台座の裏側で屈み込み、何かを探すように指先を這わせた。
「あった……これか」
アベリーの手が、ある一点で止まる。石で組まれた台座の中で、一箇所だけ微妙にズレている石を見つけたのだ。
指を爪のように立てて、アベリーはその石を引き出そうと力を込める。やがて、石が僅かに動き始める。そして――
「取れた……!」
小さく声を漏らしながら、アベリーは嵌め込まれていた石を取り外した。
露わになった台座の内部には空洞があり、そこには台座の上にあるものとそっくりな漆黒の石が隠されていた。
「これが……本物の漆黒石……?」
手を伸ばし、その石を掴んだ瞬間、彼の中に不思議な感覚が広がった。まるで視界の全てが黒一色に染まり、自分自身が石の中へと吸い込まれるような錯覚。
「……なんだ、この感覚……」
アベリーは手にした漆黒石をしっかりと握りしめながら、わずかに震える声で呟いた。
異様な重みと、どこか生きているかのような石の存在感。それが、彼の胸に何とも言えない不安と緊張をもたらしていた。
その時、入り口の方から微かな人の気配がした。アベリーは息を呑み、反射的に漆黒石をポケットへ押し込む。
そこに立っていたのは、ダレスだった。
「父上? 何故ここへ?」
アベリーは驚きの声を上げる。だが、ダレスは変わらぬ落ち着いた表情で答えた。
「ああ、漆黒石が心配でな」
その短い言葉に、アベリーの胸中で何かが引っかかった。目の前の父親の姿に、どこか違和感がある。
『私はドラゴンに対処する。お前は漆黒石を持って城を出よ』
『ゆけ! ストーンウォッチの使命を果たすのだ!』
別れ際に父が残した言葉が脳裏をよぎる。あの時、頬を優しく撫でられた感触が今でも鮮明に残っていた。
だが、目の前のダレスは……何かが違う。
「それで……漆黒石は無事なのか?」
ダレスの声が空間に響く。その響きは、アベリーの中の違和感を一層強めた。
「ええ。父上のご指示通り、私が持って城の外へ運び出そうと思ったのですが……」
アベリーは緊張した面持ちで言葉を選びながら答える。
視線を父の目に合わせようとするが、その瞳にはどこか冷たい光が宿っているように見えた。
「……そうか、うむ。そうであったな」
ダレスの返事は短く、重みのない響きだった。その一言に、肌を刺すような緊張感が部屋全体に広がる。
「ですが、父上がいらっしゃったのであれば、当主である父上が漆黒石を持ってお逃げになることが最善かと」
アベリーの声は控えめながらも確固たる意志を宿している。彼は右手で台座を指し示し、台座の上に置かれた漆黒の石を取るよう促した。
「父上、どうぞ漆黒石をお手に……」
その言葉と共に、アベリーは一歩後ずさる。まるで、目の前の父を慎重に観察しているかのように。
「うむ……そうだな。それが最善策であるか」
ダレスは静かに言葉を漏らしながら、台座へと歩み寄った。漆黒の石の前で足を止めると、じっとその黒光りする物体を見つめる。
「おお……」
彼の目が見開かれ、口元が半開きのまま固まる。その表情には、まるで神聖なものを目にしたかのような感動が滲んでいた。
彼は漆黒の石を指で摘むと、顔の近くまで持ち上げ、片目を閉じてじっくりと観察する。
一方、アベリーは父の背後へと静かに回り込んでいく。息を殺し、まるで影のように密かに動く。
「む? これは、違う……違うぞこれは!」
突然、ダレスが声を荒げた。石を凝視しながら、その声には怒りと焦りが混じっている。
アベリーは息を飲みながらも冷静さを保ち、静かに短剣を抜く。
鞘から金属が擦れる音が、微かな緊張感と共に部屋に響く。
その音に気づいたダレスが振り向く。彼の瞳には、短剣を握り殺意を宿した表情のアベリーが映し出されていた。
「クッ!」
ダレスはとっさに右手を出し、迫り来る刃を受け止める。鋭い刃が彼の手を切り裂き、鮮血が床に滴り落ちた。
「グゥッ! クソッ!」
苦痛に顔を歪めながらも、ダレスは鬼のような形相でアベリーを睨みつける。アベリーは見たことのない父の顔にゾッとした。
ダレスはぎこちない動きで左手を腰に伸ばし、剣を抜こうとする。
その動きを目にしたアベリーは、一瞬の判断で踵を返し、全速力で部屋を飛び出した。
「待て! このクソガキ!」
ダレスの叫びが後ろから追いかけてくるが、アベリーは振り返らない。
廊下を駆け抜ける音が響き渡る中、ダレスも彼の後を追って宝物庫を出た。




