第27話 燃え盛る炎の中で
――代々漆黒石を守るマーズデン家。
その居城を突如として襲った漆黒のドラゴンが猛威を振るっていた。
対ドラゴン用として期待されていたバリスタを多数配置していた城壁の上は、灼熱のファイアブレスによって焼き尽くされ、瓦礫と化していた。
ドラゴンは城の要所に点在する残りのバリスタも次々と破壊していく。その動きには、まるで戦術的な意図が感じられた。
広場からその様子を見上げていたヘンリーは、思わず呟く。
「こいつには……知性があるのか……?」
ドラゴンの行動は明らかに計算されていた。
バリスタが、自分にとって唯一の脅威であることを理解しているようだった。無差別な破壊ではなく、最も危険な武器を優先して排除する。ヘンリーの背筋を冷たい汗が伝う。
「いや……駄目だ! このままではマズい! ありったけの兵を広場に集めてドラゴンの注意を引け! バリスタを攻撃させるな!」
我に返ったヘンリーは、激しい口調で命じる。その声に、兵士たちは一斉に動き出した。
「うおおおおおおおっ! ドラゴンうらぁぁぁぁっ! 俺と戦えぇぇぇぇぇ!」
その時、場違いなほど元気な声が響く。ドラゴンを追いかけて全力疾走するロイの姿に、ヘンリーは眉をひそめる。
「なんだ、あのバカは……」
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一方、居館の廊下を走るアベリーは、数人の従者を連れた当主ダレスと鉢合わせた。
「父上、この騒ぎは……」
「ドラゴンだ」
「まさか……本当に現れるなんて……」
ダレスは苦々しい表情を浮かべたが、すぐに毅然とした態度を取り戻し、アベリーに向き直る。
「私はドラゴンに対処する。お前は漆黒石を持って城を出よ」
「そんな、父上!」
「あのドラゴンには明確な意志がある。狙いは……おそらく漆黒石だ」
アベリーは驚いたように目を見開く。
「漆黒石を……狙っている?」
「バリスタを優先的に破壊している。それを考えれば答えは明白だ。知性があるのか、それとも操られているのか……どちらにせよ、目的があってこの城を攻めているのは確かだ」
「それならば、当主である父上が漆黒石を持ってお逃げください!」
「いや、こうなったのは私の失態だ。逃げるわけにはいかない。後のことはお前に託す。よいな?」
ダレスはアベリーの肩に手を置き、真剣な眼差しを向ける。
「父上……」
アベリーは寂しげな表情を浮かべるが、決意を固めるように小さく頷いた。
「分かりました。父上が志したストーンウォッチの意志を必ず受け継ぎます」
その言葉を聞いた瞬間、ダレスの胸の奥がじんと熱くなる。
自ら背負い続けてきた重責が、次世代へと受け継がれる――その確信が父としての誇りと共に、微かな安堵をもたらしていた。
だが同時に、息子にこの重い運命を託さねばならないという無念さも、心の奥底に押し寄せる。
「地下にある宝物庫の鍵だ。受け取るがよい」
アベリーは鍵を握っているダレスの手にそっと触れ、その重みを感じながら受け取った。ダレスはその様子を静かに見つめ、愛おしげに息子の頬を手のひらで撫でた。
アベリーの蒼い瞳が一瞬震え、光の粒が零れ落ちていく。涙をぬぐう暇もない彼に、ダレスはそっと体を引き寄せた。
父の温かな腕の中に包まれたアベリーは、一瞬だけ少年のような顔を見せる。
やがてダレスはアベリーの耳元へ口を寄せ、低く静かな声で何かを囁いた。その言葉は他の誰にも聞こえず、ただ二人だけの秘密となった。
「……分かりました」
耳打ちされた内容に応じるように、アベリーは小さく頷く。その表情には、託されたものの重みを理解した決意が滲んでいた。
「ノーザンデイルのジュディスを頼れ。よいか、この城が安全であることが分かるまで、決して戻るな。ゆけ! ストーンウォッチの使命を果たすのだ!」
声に込められた威厳と愛情に、アベリーは再び小さく頷く。
そして振り返ると、その場を駆け出した。父の視線を背中に受けながら、使命を胸に抱き、廊下をひた走る。
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ヘンリーのいる広場では、ドラゴンが兵士たちを襲い続けていた。
絶望した兵士たちは武器を捨て、散り散りに逃げていく。その様子を見たヘンリーは声を張り上げる。
「何をしている! 武器を拾え! 戦え、愚か者!」
しかし、兵士たちは恐怖に支配され、指示を無視して逃げ続ける。そこにダレスが現れた。
「ヘンリー!」
「父上……!」
「状況は?」
「最悪です。兵を集めて陽動を試みましたが全く見向きもせず、バリスタだけを狙われました。バリスタはすべて破壊され、兵も逃げ出す始末……絶望的状況です」
ヘンリーの報告を受け、ダレスは短く頷いた。その顔には深い皺が刻まれ、苦渋の色が浮かぶ。
「そうか……兵が逃げるのも無理はない」
その言葉は静かだが、重い現実を突きつける冷徹さが滲んでいた。ヘンリーは父の顔を見つめ、焦燥を滲ませながら問う。
「父上、我々はどうすれば……」
ダレスの表情には決意が宿っていた。
「アベリーに漆黒石を持って逃げるように言った。我々はここでドラゴンの注意を引く。それがマーズデンの使命だ」
「……そうですか。アベリーに託したのですね」
ヘンリーの声には微かな寂しさが滲んでいる。
弟に未来を託すという父の選択を理解しながらも、彼自身の胸中に去来するものは少なくなかった。
その時、地面を揺るがすような重低音が響き渡る。
振り返れば、漆黒の巨体が低空飛行で接近してくるのが見えた。
ドラゴンは標的を地上の人間に変更し、鋭い鉤爪で兵士を掴み上げる。そのまま空高く舞い上がると、無惨にもその手を離し、犠牲者が地面に叩きつけられる。
逃げ惑う人々の悲鳴が広場に響き渡る中、ドラゴンは悠然と旋回し、再び城の方へと戻ってきた。
その圧倒的な姿に、ダレスとヘンリーは無言で顔を見合わせる。
「ヘンリーよ、覚悟は良いか?」
ダレスの声は静かだったが、その中には炎のような強さが宿っている。ヘンリーは剣を握り直し、力強く頷く。
「愚問です、父上」
その言葉に、ダレスは微かに笑みを浮かべた。
最後の親子のやり取りは、短いながらも確かな絆を感じさせるものだった。
その時だった。
ドラゴンが大きな影を落としながら、ゆっくりと広場に降り立った。
地面が揺れ、衝撃と共に砂埃が舞い上がる。巨大な黒い翼をたたみ、鋭い爪が地面に食い込む。
ダレスとヘンリーは目を見合わせる。
これまで空から一方的に襲いかかってきたドラゴンが、ついに地上に姿を現したのだ。無抵抗で蹂躙されるしかなかった状況に終止符を打つ、千載一遇の好機。
「……今しかない」
ダレスが短く呟き、剣を構える。その横でヘンリーも頷き、力強く前へ踏み出す。二人の動きは息がぴったりと合っていた。
二人は同時にドラゴンへ向かって駆け出した。その鋭い視線は恐怖を超え、決死の覚悟を宿していた。
だが、ドラゴンはそれを嘲笑うかのように、巨大な翼を大きく広げた。
そして、その翼を一気に羽ばたかせる。突風が二人を直撃し、体が宙に浮き上がる。
「くっ……!」
ダレスとヘンリーは防御する間もなく後方へと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
痛みと共に体勢を崩した二人が顔を上げた時、目の前にいたはずのドラゴンの姿は消えていた。
次の瞬間、上空から大きな影が二人を覆った。その巨大な存在感にダレスは咄嗟に空を見上げる。
「……来るぞ!」
その言葉を最後に、ドラゴンの鋭い鉤爪が音を立ててダレスの体に食い込み、彼を地面へ叩きつけた。鈍い音と共に、血飛沫が宙を舞う。
「父上!」
ヘンリーの絶叫が広場に響く。
だが、ドラゴンの後ろ足がダレスの体に体重を乗せ、地面が割れるような大きな音がした。
ダレスは苦しそうに血を吐き出し、その目の焦点はどこにも定まらない。
手から滑り落ちた剣が地面に転がり、その冷たい音が広場の静寂を切り裂いた。
ヘンリーは跪き、呆然とその光景を見つめることしかできなかった。
父が圧倒的な力の前に無残に倒れる姿が、彼の心に深い絶望を刻みつける。
「父上……」
涙交じりの声を振り絞るヘンリーに、ダレスがかすかに目を向けた。その視線が交わった瞬間、まるで時が止まったかのように感じられた。
ダレスは震える手をヘンリーに向かって伸ばそうとした。
その動きにはかつての強靭さはなく、無情なまでに力が抜けていた。
「……ヘンリー……」
声にならない言葉が、血の泡と共に彼の口元からこぼれ落ちた。その手が空を掻き、やがて動きを止める。
ヘンリーは歯を食いしばり、剣を握り締めた。
その目には怒りと悲しみ、そして未だ消えぬ父への尊敬が滲んでいた。
「すみません、父上……親不孝をお許しください」
ヘンリーは立ち上がった。
怒りをその目に宿し、父を踏み潰したままのドラゴンを睨みつける。
剣を握る手に全力を込め、その鋭い刃を振りかざして走り出した。怒りのままに、そして自らの誇りを胸に。
だが、その瞬間だった。
ドラゴンが身をよじり、ヘンリーの方へと鋭く背を向ける。次の瞬間、ドラゴンの鞭のようにしなる尾が猛然と振り抜かれた。空気を切り裂く音が耳をつんざく。
「っ……!」
何も言う間もなく、ヘンリーの体が尻尾の一撃をまともに受ける。
その衝撃で彼の体は宙を舞い、城壁の上部へと叩きつけられた。
重々しい音が響き、ヘンリーの体は地面へと崩れ落ちた。
静寂が辺りを支配し、彼の体は動かなかった。その瞳には既に光がなく、その場で即死していた。
ドラゴンはしばらく動かず、無言でヘンリーの方へ一瞥を向けた。
ドラゴンは再びダレスの方へと視線を向ける。足元のダレスに鼻先を近づけ、目を閉じる。その行動はまるで、何かを感じ取ろうとしているかのようだった。
ドラゴンの呼吸が微かに変わり、広場にはただ重い静寂だけが流れる。
だが、しばらくすると再び目を開けた。何も得られなかったのか、それとも期待していたものが無かったのか。
その瞳には、一瞬の興味すら失せたような無機質な光だけが残っていた。
ドラゴンは重々しい体を再び動かし、次はヘンリーの元へと足を向けた。
父親の時と同じように、鼻先を近づけ、目を閉じる。その行動は変わらず、何かを探すように見えた。
しかし、やはり何も得られなかったのか、興味を失ったようにその場を離れた。
巨大な翼を広げ、重厚な羽音を響かせながら空へと舞い上がる。
ドラゴンは悠然と城外へと飛び去った。
その姿が見えなくなると、広場には静寂と死だけが残されていた。




