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ダークストーン ~【心臓喰らいの復讐譚】神殺しの魔女と不死の傭兵~  作者: 花見川さつき
第一章 マルファー編

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第12話 アルクトロス

 広がる廃墟の中、マルファーの息遣いだけが静寂を破っていた。


 かつて栄華を誇った王朝の遺跡は、今や荒廃し、苔むした石柱が立ち並ぶのみ。

 空は重く曇り、日差しの届かない薄暗さが全体を覆っている。


 マルファーの身体は傷だらけだった。だが、その傷口は徐々に塞がり、すぐに完治した。

 不老不死の力が、彼女を無限に再生する。


 しかし、彼女の表情には疲労と虚無が滲んでいた。


 周囲には倒れ伏す追っ手たちの亡骸が散乱している。

 そのすべての亡骸の胸には、抉られたような穴が空き、心臓が失われていた。


 その誰もが、圧倒的な力に打ちのめされたことを物語っている。


 マルファーの目は空虚だった。

 無数の戦いを経て、奪い取った力は彼女の内に渦巻いている。視界には終始無数の亡霊たちの姿がちらついていた。


 普通の者なら、とうに精神が崩壊しているはず。

 それでも、マルファーは立ち続けていた。


「ああ、こんなにも多くの死者が見えるのに……ペルモス、何故あなたは現れないの……あなたの魂はここにあるのに……私の中に、いるはずなのに……!」


 彼女の肩が震え、視界が滲む。

 夜ごと繰り返す無数の夢。そのどれにも、彼の姿はなかった。


 代わりに現れるのは、怒声。悲鳴。血の記憶。顔のない死者たち。


 言葉は自分自身に問いかけるようにか細く響く。

 その瞬間、処刑台の上でのペルモスの最後の言葉が脳裏に蘇った。


『マルファー! 生きてくれ、命ある限り……』


 その記憶が心を貫き、彼女の頬を涙が伝う。


「あなたが望むのなら、生き続けるわ。だけど――」


「もう……限界よ……苦しいの……逃げても、逃げても、何処までも追いかけてくる……生者も、亡霊も」


 瞳を閉じたマルファーの顔には、耐えきれない疲労と絶望が浮かんでいた。


「すべてを……終わらせたい……」


 その時、ふと脳裏に蘇る別の記憶。

 思い出の森でのペルモスの言葉――


『この森のどこかに洞窟があって、時空を操る能力者が異界に続く門を作ったって言い伝えがあるらしい。まあ、たんなる噂話だけどね』


 胸に湧き上がるわずかな希望と、現実から逃れたいという絶望的な願望が交錯する。


 マルファーは薄く笑い、頭を振った。


「くだらない与太話……だけど……」


 彼女は静かに歩み出した。

 その足取りには、もはや戦いへの意志ではなく、一縷の救いを求める人間の脆さが滲んでいた。


---


 戦闘の痕跡が生々しく残る遺跡に、アクレディウス率いる追跡隊が到着した。


 遺跡の中心には崩れた石柱や黒く焼け焦げた地面、散らばる瓦礫の中に点々と血の跡が続いている。


 遺体は既に冷たくなり、マルファーとの戦闘から時間が経過していることと、その場で繰り広げられた激闘の凄まじさを物語っていた。


 アクレディウスは足元に転がる折れた剣を拾い上げる。それはかつてアガレス隊の一員が手にしていたものだ。

 刃先には乾いた血がこびりつき、持ち主の無念が染み込んでいるようだった。


「……アガレス隊も全滅か」


 アクレディウス――オルペシオン王国が誇る最強の戦士。自身の右手に宿す膨大なエネルギーを人や物へ付与することができる能力者。


 国王ゼフィロスの命を受け、この半年間、マルファーという反逆者を討つべく広い国土を駆け回っていた。

 五人の部下を率いる彼の隊は、その圧倒的な実力で知られている。


 彼の右腕とも言えるのが、人狼化の能力を持つリュコノスだ。

 圧倒的な嗅覚と俊敏性を誇り、戦場ではその鋭い爪と牙で敵を引き裂く。戦闘と探索の両面で隊を引っ張る存在。アクレディウスへの忠誠心は絶対で、命令には一切疑念を挟まない。


 次いで、巨大で頑強なゴーレムを操る、太っちょのタラマキオン。

 温厚な性格とは裏腹に、召喚するゴーレムは破壊力抜群。遅いながらも攻守で万能なゴーレムは敵をじりじりと追い詰める。


 手のひらから炎の弾を生み出すヘフストスは、性格も攻撃も苛烈そのものだ。

 好戦的な彼は、燃え盛る火炎弾で周囲を焼き尽くすが、その容赦のない攻撃は仲間すら巻き込むこともある。


 地面を自在に操るエクシオスは、地割れや隆起で敵の動きを封じる役割を担う。

 口数は少ないが、その地を裂く力は戦況を一変させる潜在能力を秘めている。


 最後に、銀糸を操るテネオス。

 鋭利な糸を用い、対象を切断するその技は冷徹かつ無慈悲だ。彼の陰気な性格は仲間内でも孤立しがちだが、その確実な動きに疑念を挟む者はいない。


 それぞれが異なる力を持つ彼らは、アクレディウスの指揮のもとで完璧な連携を誇る。

 彼らの隊に追われた者が逃げ延びた例はほとんどない。


 今、マルファーという反逆者を追い詰めるべく、彼らはその牙を研ぎ澄ませている。

 だが、マルファーは彼らを凌ぐ力を手にしていた。


 ヘリオドス殺害後から、彼女は追っ手をことごとく退けてきた。

 送り込まれた討伐隊の数は数十を超えるが、交戦した部隊のほとんどが全滅していた。


 遺跡に残された痕跡から見ても、ここでも同様の惨劇が繰り広げられたことは明白だった。


「……また心臓が抜き取られてる……」


 死体を検分していたリュコノスが、忌々しげに呟く。


「ハッ、傑作だな。これじゃあ、あの化け物が強くなるのを手伝ってるようなもんだ」


 ヘフストスが皮肉たっぷりに吐き捨てる。そしてさらに追い打ちをかけるように死者を愚弄する言葉を続ける。


「奴は不老不死だ。どれだけ傷つけようと、その場で仕留めなければ全快する。こいつらはただの無駄死にだ」


「無駄ではない。あの女が不老不死だろうが、どれだけ力を手に入れようが、追われ続ければ心が折れる瞬間が来る。絶対にな」


 アクレディウスの返答は冷静だったが、その声の奥には苛立ちが滲んでいた。


 彼は地面を蹴って瓦礫を踏み越え、遺跡の中心へと進んでいく。その背に五人の部下たちが続いた。


「リュコノス。やつの後を追え」


 アクレディウスが短く命じる。


 リュコノスは小さく頷く。そして、ゆっくりと獣人の姿へと変化していく。

 体は分厚くなり、毛皮が生え、爪と牙が鋭く伸びていった。


 彼が完全に人狼化したその瞬間、鼻腔が大きく膨らみ、空気中の微かな匂いを余さず拾い上げる。


 ――リュコノスの嗅覚は、人間の数万倍もの精度を誇る。血の臭い、焦げた石の残り香、僅かな体臭さえも見逃すことはない。

 彼がいる限り、どんな場所であれマルファーの痕跡を追うことができる。


「了解」


 リュコノスの低く唸るような声が残響する。


---


 ヘリオドスの死体が発見されてから二十日後。


 マルファーは、かつて夫ペルモスと愛を語らった思い出の森の、さらに奥深くへと足を踏み入れていた。


 服は泥に汚れ、精神は摩耗しきっている。


 だが、どれだけ険しい獣道を進み続けても、息が切れることも、足が重くなることもない。

 不老不死の力が彼女の肉体を常に万全の状態へと修復し続けているからだ。


 疲れることすら許されないその体で、それでも彼女が歩みを止めない本当の理由は、胸の奥で燻る迷いと、縋るような希望が残っていたからだ。


「この先に……本当に異界への門があるのかしら……」


 視界はどこまでも続く巨木に閉ざされていた。

 森の内部は薄暗く、この季節にしては冷たい空気が肌を刺す。


 亡霊たちの囁きが聞こえる。生者も死者も、すべてが彼女を追い詰める幻覚となって視界を揺らす。


 ふと、風に乗って微かな燻り臭が漂ってきた。煙だ。


 人の気配に警戒心を抱く一方で、彼女の本能は温もりを求めていた。

 引き寄せられるように歩を進めると、巨木の合間にぽつんと佇む古い山小屋が姿を現した。


 小屋の前まで来ると、中から低く太い唸り声が響いた。


「……犬?」


 マルファーが扉の前で逡巡していると、中から重々しい足音が近づき、扉が軋んだ音を立てて開かれた。


「……誰だ、あんた」


 現れたのは、熊のように大柄な年老いた男だった。


 無精髭に覆われ、深い皺が刻まれた顔。その奥にある瞳は鋭く、マルファーを値踏みするように見据えている。


 男の足元には、狼と見紛うほど巨大な猟犬が静かに身を伏せ、黄金色の瞳で異邦の客を睨んでいた。

 猟師だろうか。マルファーは乾いた唇を開いた。


「あの……この森に、異界へ続く門があるという噂をご存知ありませんか?」


 その唐突な問いに、男の険しい表情がわずかに緩んだ気がした。


「ああ、その話か。三十年ほど前から冒険家連中の間で囁かれてる噂話だ。まさかあんた、そんな与太話を信じてここまで来たわけじゃないだろ?」


「いえ……その、そのために来たの。意外でしょうけど」


 マルファーが力なく答えると、男は呆れたように鼻を鳴らした。


「はぁ……いい歳して夢見すぎだ。おとぎ話じゃあるまいし、本当に異界なんてもんがあると思ってんのか?」


「確証はないわ。でも……他に行き場所がなくて」


 声が震え、言葉が消え入る。その弱々しい響きに、男の目から警戒の色が消えた。


「行き場所がないって……あんた、どういう状況だ? 訳ありか」


 マルファーはうつむき、答えることができない。その痛々しい姿を見て、男は無造作に扉を大きく開け放った。


「入りな。茶くらいは出してやる」


 ――古びた木のテーブルを挟み、二人は向かい合っていた。

 猟犬は男の足元で丸くなり、安心したように寝息を立てている。


 温かい茶を啜り、一息ついたマルファーは、ぽつりぽつりと語り始めた。


「……今更失うものもないし、正直に言うわ。私は王国のすべてから追われている……お尋ね者よ」


「何をやらかした?」


「夫を殺されたの。ヘリオドス王子に、無実の罪で。だから私は復讐のために王子を殺した。……ただ、それだけよ」


 淡々とした言葉の裏に、抑えきれない怒りと哀しみが滲んでいた。

 男は腕を組み、マルファーの顔をじっと見つめたまま動かない。やがて、深く長い息を吐き出した。


「復讐、か」


 意外にも、その声色は穏やかだった。


「まあいい。事情は分かった。俺もあんたの立場なら同じことをしていたかもしれねぇ」


「え……?」


「驚くこたねぇよ。お尋ね者って言っても、あんたからは悪人の匂いがしねぇからな。俺はアルクトロス。この森で猟師をしている」


「アルクトロス……私はマルファー」


「マルファーか……ヘリオドス王子殺害の件は風の噂で聞いてる。あれはあんたがやったのか。不老不死の力を奪うために夫を殺されたとか……胸糞わりぃ話だ」


 マルファーは俯いたまま、茶の入ったカップを両手で包み込んだ。

 その温もりが、冷え切った指先に染み渡る。


「……少し冷えるな」


 沈黙を埋めるように、アルクトロスが立ち上がり暖炉に薪をくべた。

 背中を向けたまま、彼は言う。


「あんたが探してる『異界の門』だがな。ありゃ嘘だ……いや、半分は本当か。正確には『転移の門』だ」


「転移の門?」


「ああ。三千年ほど前にな、奇妙な男がこの山にやって来た。そいつは空間転移の能力者でな。頭に思い浮かべた場所なら世界中のどこへでも繋がる門を開くことができると言っていた」


 マルファーは顔を上げ、その話に引き込まれた。


「そいつは転移に必要な『強烈な記憶』となる場所を探して世界中を旅してた。俺とも妙にウマが合ってな。しばらくここに泊めてやったんだ」


 アルクトロスは揺れる炎を見つめ、懐かしそうに目を細める。


「ある日、あいつは『いい洞窟を見つけた。奥まで探検してくる』と言い残して、それきり帰ってこなかった」


「その人が……門を?」


「ああ。心配になって見に行ったら、洞窟の最深部に奇妙な霧が渦巻いていた。あいつの話していた転移の門だ。だがあいつは言っていた。『門は他人や動物が迷い込まねぇよう、使ったら必ず消す』とな」


 アルクトロスが振り返り、マルファーを見た。


「だがあの門は、三千年経った今でも開きっぱなしだ。あいつが消し忘れたのか、それとも消せなかったのか……」


「その洞窟が、噂の……」


「そうだ。俺は危険だから近づくなと警告していたが、それが逆に噂を呼び、いつしか『異界の門』なんて大層な名前がついちまった」


 マルファーの胸が高鳴る。ペルモスの言っていた「時空を操る能力者」の話と符合する。


「その転移門は何処に――」


 その時だった。


 足元で寝ていた猟犬が弾かれたように起き上がり、扉の方へ向かって低く唸り声を上げた。

 全身の毛が逆立ち、明らかな敵意を示している。


「また客か? こんな山奥に一日に二組も来るとはな」


「ごめんなさい……おそらく私の客人よ」


「追手か」


 マルファーは生物探知の能力を発動させる。

 視界が白く濁り、壁の向こうにある森に、複数の強烈な生命反応が迫ってくるのが見えた。


「チッ……厄介事が向こうから来やがったか。いいか、あんたは貯蔵用の地下室へ行け」


 アルクトロスは台所の床にある収納扉を開け放ち、マルファーを促した。


「でも、私を匿ったらあなたまで……」


「いいからさっさと行け! 俺はあんたの身の上話に同情した、ただそれだけだ」


 マルファーは彼の厚意に甘え、地下室へと滑り込んだ。

 アルクトロスは扉を閉め、その上に猟犬の寝床となっている分厚いラグマットを敷いた。


「ヴァルゴ! ここだ!」


 アルクトロスが呼ぶと、猟犬ヴァルゴが即座に駆け寄り、地下への入り口を隠すようにマットの上で丸くなり、伏せた。


 直後、玄関の扉が激しく叩かれた。

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