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薔薇の失恋


 珍しく早起きしたローズは、朝から屋敷の庭に出ていた。庭園の薔薇を丁寧に手入れする。広い庭の花々はナラが手入れしてくれているが、この薔薇だけはローズがお世話している。


 この庭園の薔薇はローズの宝物だ。残念ながら今は寒いため時期的に花が咲いてはいないが、何か大事な事がある時、ローズはこの薔薇に触れる癖があった。


「こんなに寒い中、外に出ていたら風邪をひいてしまうよ」


 夢中で薔薇を手入れしていると、肩にふわりとマントがかけられた。


「セナ…」


 ローズが振り返ると、セオナルドが後ろにたっていた。セオナルドはローズを後ろから抱きしめる形で手を伸ばす。


 顔を横に向けると、綺麗な顔が目の前に来る。ローズは切れ長な黒色の瞳に呑み込まれそうになる。


 あまりの近さに顔を背けると、次はセオナルドの吐息がローズの頬にあたった。ローズは緊張で身を固めたが、セオナルドは何食わぬ顔のまま、後ろから抱きしめる形でローズの首元でマントの紐を締めている。


「…ありがとう。私は平気だから」


 ローズは身を(かが)めてセオナルドの腕の中から逃げる。しかし、右手を優しく掴まれた。


「平気ではないだろう。ほら、こんなに手が冷えている。中に入ろう」


 セオナルドはローズの冷えた手に眉を(しか)むる。両手でローズの右手をさすった。


「今日は特別な日だから…薔薇のお世話を…」


 そう口ごもったローズに、セオナルドは微笑んだあと首を傾げた。


「特別な日?」


「…理由はわかっているくせに」


 ローズは不満げにセオナルドを見上げた。

 

 一番お気に入りのドレスを来て、赤茶色の髪もフリルのリボンで華やかに飾っている。それに今日は大人の女性に近づくように頑張ってお化粧をした。


 セオナルドはわかっているくせに、今日は欲しい言葉をくれない。


「さあ、何の日だったかな?」


おどけたように肩を竦めるセオナルドに、ローズは頬を膨らませた。


「…今日中に思い出して」


「ああ。必ず今日中に思い出すよ」


 子どものように拗ねたローズを見て、セオナルドは嬉しそうに笑いながらローズの頭を優しく撫でる。


「さあ、中に入って体を温よう。今日の朝食は特別だよ」


 セオナルドは当たり前のようにローズの肩を抱いて、ローズを屋敷の中へ連れて行った。


 いつもより豪勢な朝食中も拗ねているローズを見て、セオナルドは上機嫌だった。


「ローズ、今日は君が好きなものばかりを用意してもらったよ。まずはスープを飲んで体を温めて。果物は何を食べたい?」


 何の日か忘れたとはいうが、セオナルドは食事中もいつも以上にローズの世話を焼き、ローズはお姫様のように扱った。


 朝食をとり、二人で玄関へ向かう。今日は珍しく、ローズがセオナルドを見送る形になった。セオナルドは申し訳なさそうに、ローズの頭を撫でる。


「学院まで送れずにすまない。寒いから、あまりに外に出ないように。なるべく早く帰るから暖かくして、待っているんだよ」


「あら、今日は何の日かもう思い出したの?」


 仕返しで肩をすくめてみせると、セオナルドはくすりと笑みをこぼす。切れ長な瞳を優しげに細められ、ローズは胸の高鳴りを必死に隠した。


 ずるい。いつにましても、かっこいい。


「さあ、何の日だったっけ?」


「…思い出すまで帰ってきてはだめ」


 ローズが見とれていたのを隠すように口を膨らませると、セオナルドは笑みを浮かべた。 


「あぁ、わかった。必ず思い出すよ。」


 嬉しそうにローズを見つめたが、セオナルド突然真剣な表情をした。


「…ローズ。今日はローズにとって、特別な日になるはずだ。君に話したいとがある」


「…私に話?」


「あぁ。今日だから、伝えたいことがある。楽しみに待っていてほしい。行ってくるよ」


 話したいことがあると言う台詞に、自然と胸の鼓動が早くなる。


 期待してもいいのだろうか。


 ローズが頷くと、セオナルドはローズの左頬にそっと触れて屋敷を出て行った。


「まるで夫婦の会話だな」 


 セナの背中が見えなくなるまで見送っていると、呆れたようなフリッツが立っていた。


「フリッツ」


「今日はお姫様の大切な日だからな、学院までしっかり送るように言いつけられたよ。主人の命令は絶対だ。さあ、お姫様も学院に向かいましょう」


 フリッツはふざけながら、紳士のように胸の前に手を置いて頭を下げる。フリッツもいつにもまして優しく、冗談でローズを笑わせながら学院まで送り届けてくれた。


 馬車を降りると、学院の門の前でアリーが待っていた。ローズが駆け寄った途端、アリーはローズを強く抱きしめる。


 長い間強く抱きしめたあと、アリーは嬉しそうに大きな箱をローズに手渡す。


「ローズ、お誕生日おめでとう。貴方は最高の親友よ。これからもずっと…一緒にいましょうね」


「アリーありがとう。こちらこそ、いつもそばにいてくれて心かは感謝しているわ」


 今日は、ローズがセオナルドに拾われた日である。


「さて、今年はセオナルド様からどんな贈り物なのかしら。今夜が楽しみね」


 記憶をなくし誕生日がわからないローズのために、セオナルドは二人が出会った日をローズの誕生日として毎年祝ってくれる。


 毎年、贈り物は盛大で、屋敷の庭園を贈られたり、豪華な首飾りを贈られたこともある。毎年高価なものは貰えないと断るが、セオナルドは決して譲らない。最後にはローズが折れて贈り物を受け取っていた。


 今朝お世話していた貴重な薔薇もセオナルドから贈られたものだった。


「今年こそ、愛の告白を貰えたらいいわね」


「…アリー!何を言っているの。セナは私を育ててくれて…私とセナはそんな関係では…」


 顔を真っ赤にして焦り始めたローズを見て、アリーはにやにやしながら頷く。


「はいはい、ただの家族でしょ。でも可笑しいわね。ローズの顔には、いつもセオナルド様のことを大好きと書いているわ」


「それは…だって、セナが私を育ててくれたのよ。大好きだけれど…それは家族としてで…」


「もう!セオナルド様だって、ローズことをとても大切にしているじゃない。誰の目から見ても、あの冷血な方が貴方だけには甘々よ」


 アリーは呆れながら、優しくローズの肩に手を置く。ローズはそれでも小さく首を横に振った。


 ローズが知っているセオナルドは優しく紳士的で過保護なくらい心配性だ。彼を冷血だと思ったことはない。


 しかし、アリーはセオナルドは冷血な男だと良く言うし、ウィルとフリッツ以外の部下と話している姿を数回だけ見たことあるが、皆怯えているようにも見えた。


 考えれば考えるほどわからなくなる。


「大事にしてくれているのは痛いほどわかっているけれど…、私はきっと本当のセナを知らないわ。こんなにそばにいるのに、何も知らない。それに、私とセナは歳だって、身分だって全く違う」


どんなに近くにいても、本当は近づけていないのではないのだろうか。ローズは最近良く思う。


 ローズが悩ましげに下を向くと、アリーは励ますようにローズの手を力強く握った。


「…ローズ、ごめんなさい。ただ、あなたはこんなにも素敵なのに、全く自分に自信がないから…もっと自信を持って欲しかったの。貴方はセオナルド様達の迷惑になっていると良く悩んでいるけれど、私から言わせたら貴方と家族になれたセオナルド様達は幸運よ。私は羨ましくてたまらない。貴方がいるから、私は幸せなの。きっとセオナルド様達もそのはずよ」


 アリーは力強くそう言いおわると、大きな瞳を優しく細めた。ローズの胸がじんわりと熱くなる。


 アリーはいつもこうして、想いを真っ直ぐ伝えてくれる。素直ではっきりした性格のアリーは嘘をつかない。彼女といるだけで、ローズは強くなれる。


 自信はないが、セオナルドの言葉がローズに期待をさせる。


 今日、ローズに大切な話があると言った。


 今までこんなこと考えた事はなかったが、セオナルドにとって、ただの拾い子ではないと少し期待しても良いのだろうか。


「…わかったわ。アリー、ありがとう。祝ってくれて嬉しいわ」


「明日は学院の卒業式もあるし、今日は最高の日にしましょう。私に任せて。早く中に入って私からの贈り物を開けてみて」


 アリーからは、手作りのクッキーと珍しいと言われる真珠をあしらった髪飾りを贈られた。明日には学院の卒業式もある。


 大好きな親友と毎日会えなくなると言う不安と寂しさもあるが、そんな気持ちを察してかアリーはずっと色々な話をしてローズを楽しませてくれた。


 大親友のおかげで、学院で学ぶ最後の日、楽しい時間を過ごした。







「雨が降り出したのに…。セナ、遅いわね」


 ローズは屋敷の外の様子を眺めたあと、大広間に戻った。途方に暮れたように、目の前の豪勢な料理を見つめる。


 台の上に並べられているのはローズの好物と、高級食材を使った豪勢な料理だ。ウィルの妻であるナラが一日かけて用意してくれた。


 アリーと過ごし夕方には屋敷に戻ったが、夜になってもセオナルドもフリッツも帰ってこない。


 今までローズの誕生日には、いつもより早く帰ってきてくれていた。こんなに遅い日は初めてだ。


 大広間に急いで入ってきたウィルの顔を見て、ローズは落ち込んだ姿を見せないように笑顔を浮かべる。


「セオナルド達はまだ仕事なのでしょう?私はいつまでまっても平気よ」


「…今、セオナルド様から今日は帰れないと連絡がありました。どうしても急の用事ができてしまったっと…」


「…そう。それなら仕方ないわね。ウィル、ナラ、貴方達がいてくれるなら私は幸せだわ。一緒に食べましょう。全部美味しそう!残さずに食べてしまうわ」


 何事もなかったようにローズは席につく。料理を運んできたナラめ心配そうに駆け寄ってた。ローズの手を握りしめる。


「…もちろんですよ。ローズ様、お誕生日おめでとうございます。貴方のお世話ができ、私は幸せ者です」


 ウィルまでも、ローズの手を優しく握りしめた。主人であるセオナルドの前では見せない姿だ。潤んだ瞳でローズを見つめ、頭を深く下げた。


「ローズ様、お誕生日おめでとうございます。セオナルド様に出会ってくれて、心から感謝しております」


「そんなこと…。ありがとう。二人には心から感謝している。本当にいつもありがとう」


 一人だった私を家族にしてくれて。そんな思いを込めて、ローズは満遍の笑みで笑った


 二人に精一杯の感謝を伝え、ローズはウィルとナラと晩餐を食べ終わった。二人はローズに贈り物まで用意し、ローズが悲しまないよう最後まで明るく振る舞った。






 結局、セオナルドは夜遅くまで待っても帰ってこなかった。


 話したいこととは、何だったのだろうか。


 ローズは自室に戻り一人になった途端、ため息をつく。あれだけ豪勢な料理を用意して祝ってもらったのに、セオナルドがいなかったことを残念がっている自分が嫌になる。


ただ、何もいらないからセオナルド自身から祝いの言葉が欲しかった。


 自分がここにいていいと思えるように。


 セオナルドからの、おめでとうの言葉を聞いたら、ローズが抱えている不安が消えると信じていた。それだけで良かった。


 毎年、自分が拾われた日を祝ってもらえることがどんなに救いになっていたか。セオナルドはきっと知らないだろう。


「空も…泣いているのね」


 雨は止んでいない。ローズは窓の前に立ち、地面に向かって降り注ぐ雨を眺める。その時、見慣れた馬車が屋敷の門の中へと入ってくるのが見えた。


「…セナ」


 自然に笑みがこぼれる。


 すぐに走って行きたい気持ちを抑えて、ローズはもう一度良く目を凝らした。夜中でまた雨ということで、大変視界が悪い。


 セオナルドの元へ走り出そうとした時、目に映った光景にローズの体は固まった。


 セオナルドと共に、女性が降りてきた。


 その女性は、ルーナだった。


 ルーナを支えるように、セオナルドはルーナの細い肩を抱いている。二人は寄り添ったまま屋敷の中へと入っていった。


 ローズは時を忘れたように、窓の前でひたすら振り続ける雨を見つめていた。長い間そうしていると、目の前がぴかりと光った。


 雷だった。咄嗟(とっさ)に両腕で耳を抑える。


 すぐに鳴り響く怒号に、ローズは寝台の上に座り込んだ。震えが止まらない。


 見覚えのない恐怖が、恐ろしい早さで体中を駆け巡る。なぜこんなにも雷が怖いのかはわからない。ただただ怖いのだ。


 雷が落ちるたびに、身体中を恐怖が駆け巡る。


 こうしてローズが雷に怯えるたびに、セオナルドはすぐにローズの元に来て頭を撫でてくれた。


 その手のおかげでこの深い闇から抜け出せるような気がしたが、今日はいくら待ってもセオナルドがこの部屋に来ることはない。


 ローズはゆっくりと立ち上がり、肩掛けを羽織った。音が出ないように扉を開けて、忍び足でゆっくりと進んでいく。


 震える体を必死に抑えて、セオナルドの部屋へ向かう。


 セオナルドの部屋の扉は、少しだけ空いていた。その隙間から、部屋の中が見えた。


 ローズの足音を大雨の音が掻き消してくれたおかげで、セオナルドはローズに気づいていない。


 部屋の中は明かりがつけておらず、良く見えなかったが、雷の光が突然セオナルドとルーナを照らした。


 緩やかに流れる金髪、驚くほど白く、ふっくらと赤い唇、そして青く澄んだ大きな瞳。


 ルーナは泣いているように見えた。そして、セオナルドは優しい手つきでその涙をぬぐう。


 そのまま二人の距離はなくなっていき、セオナルドはルーナを優しく抱きしめる。


 そして、ルーナの体がゆらめいた。セオナルドはすぐにルーナの倒れた体を支え抱えると、自分の寝台の上にルーナを寝かせた。


 胸が締め付けられたように痛い。


 ローズはこれから何が起こるのか理解し、固まったように重い足を必死に動かし背を向けた。床を見つめたまま足を進めていくと、暗い影が近づいていた。


「ローズ…」


 フリッツの悲しげな声が、雨に打ち消される。


 何が起こっているのが、ローズよりも理解しているのだろう。フリッツは驚いたようにローズを見た後、ただ辛そうに唇を噛み締めていた。


「フリッツ。これは二人だけの…秘密ね」


 力なくローズは笑みを見せる。フリッツはより悲痛な表情を浮かべたが、ローズは一生懸命笑った。


 セオナルドには、泣いていることを知られたくなかった。





   


 ローズは自室に戻ると、寝台に力無く腰掛ける。


 セオナルドとローズは七歳離れている。大人のセオナルドが、女性と全くの関係を持っていないという方がおかしい。実際に今までセオナルドの女性関係の噂は、いくつも聞いたことがあった。


 しかし、何があってもセオナルドは必ずこの家へと、自分の元へと帰ってきてくれた。


 ローズは(おろ)な自分に自嘲した。


 どこか心の中で、セオナルドにとって自分は特別なのではないかと思う傲慢(ごうまん)自分がいた。


 セオナルドが初めてこの家に、女性をいれた。五年間で初めてのことだ。


 本当はセオナルドにルーナを紹介された時からわかっていた。セオナルドにとってルーナが特別な女性で、彼女はローズが知らないセオナルドの過去を知っていることを。


「…話したいことって、ルーナさんとのことだったのね。期待して…馬鹿みたい」


 ローズへの愛の告白なんかではなかった。


 愛する女性がいると、ローズに伝えたかっただけだ。


 ローズは両膝を曲げて寝台のうずくまり、長い夜を過ごした。







 早朝に馬車の音が聞こえ、ローズは窓の外を(のぞ)く。セオナルドとルーナの姿があった。


 またルーナを支えるように、セオナルドはルーナの肩を抱いている。そのまま、二人は馬車に乗り込み消えていった。


 ローズは目の下のくまを化粧で隠し、学院の卒業式に向かった。ウィルとナラが卒業式を見に来てくれて、アリーの家族たちも本当の家族のようにローズの卒業を喜んでくれた。


 セオナルドが、卒業式に来る事はなかった。





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