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薔薇と青年の日常 三


 アリーは隣で眠るローズを切なげに見つめた。疲れたのか、ローズは無邪気にぐっすり眠っている。


 セオナルドの許可を得ていないと、帰ろうとするローズを無理やり引き留めた結果、ローズは初めてセオナルドの屋敷に帰らずアリーの屋敷に泊まったくれた。


 アリーは父アルダスに頼み、ローズが泊まることをセオナルドに伝えるよう使いを出してもらった。セオナルドからは返事がない。さすがに、ローズのお泊まりを許してくれたようだ。


 眠っているローズを起こさないようにアリーは部屋を出ると、ベランダに出て風に当たった。


 大きくため息をつきながら、考えるのは何よりも大切なローズのことだ。


 ローズは明るく強い。そして、呆れるほどお人好しだ。

 

 優しすぎて自分の意見を心にしまい込むことが多いが、人のためなら誰よりも強くなる。たとえ自分が傷ついてでも、周りの者を守ろうとする。

 

 だから、どんなに辛くても、いつも大丈夫だと笑っている。それが、アリーにはとても辛い。


 ローズには、セオナルドに育てられるまでの記憶がない。本当の家族に会ったことも、いるのかも、自分が何者なのかもわからない。


 誰よりも辛い想いをしているのに、捨て子、拾われ子と、周りは簡単にローズを傷つける。


 そんなローズを支えているのは、セオナルドという存在であり、ローズにとってセオナルドが全てだ。


 どう見ても、ローズはセオナルドにただの家族、兄、育ての親以上の感情を抱いている。


 しかし、必死にその感情を見ないふをしている。ローズは、セオナルドを異性として愛してしまったら、そばにいれないと思っているからだ。


 アリーはローズと学院で出会う前から、ゼハードとしてカルドーナに君臨していたセオナルドを知っていた。黒髪の青年は、噂通り驚くほど綺麗な顔だったが、恐ろしく冷たい男だとも思った。


 優雅な表情を浮かべていても、決して心は笑っていない。美しい容姿の下に研ぎ澄まされた氷をまとっている。触れたら、こちらも無傷ではいられない。そう直感した。


 だからこそ、ローズから家族と紹介された時は心底驚いた。


 もっと驚いたのは、あのセオナルドが、ローズに向けて柔らかい表情を向けていたことだ。


 凍てついてしまうほど冷たいと思っていた瞳が熱を持ち、ローズに微笑みかけていた。

 

 その熱は今もローズだけには消えることはなく、セオナルドは誰もが認めるほどローズを溺愛している。ただそれが、一人の女性を想うものなのかアリーにもわからない。


 現に二人は七歳も歳が離れているし、セオナルドは身をもう固めるには十分の歳だ。いつ、本当の家族を持ってもおかしくない。


 あの容姿のため、女性の方から勝手に寄ってくる。街を歩くたびにセオナルドの色恋の噂が聞こえてくるのも事実だ。


 噂話のほとんどが嘘の情報だが、ルーナとセオナルドの関係はただの噂ではないとアリーもわかっている。


 ルーナとセオナルドは、この街に来る前からの知り合いだと聞いた。ルーナは、ローズが知らないセオナルドの過去を知っている。


 それが何を表すのか、きっとローズも気づいている。


 どうかローズを泣かせないで。そう夜空に願っていると、足音が響いた。


「いいのか、こんなことをして。ゼハード様は、ローズのお泊まりをいつも許さないだろう?」


 アリーの兄アロンが隣に立った。この家の時期跡取りで、父アルダスの仕事を手伝っている。


「誰でもあろうと、ローズを傷つけるものは許さないわ。ゼハード様は今日、ローズを傷つけた」


 ローズは、ルーナの元に通うセオナルドを見てしまった。何ごともなかったかのように笑っていたが、その姿がアリーを余計不安にさせる。


 アロンは強気な妹を見て、笑みを浮かべながら肩をすくめた。


「全くうちの妹はすごいな。頼もしい。ゼハード様に逆らえるのは、アリーだけだよ」


「お兄様こそ、せっかくローズが家にいるんだからもう少し頑張りなさいよ。ローズは恋愛ごとには鈍感だからお兄様の思いに全く気づいていないわよ」


「アリー、それは言わない約束だろ!」


 アロンは顔を真っ赤にして、声を上げる。アロンはローズと初めて会った日も、こうして顔を真っ赤にしていた。


 真面目で優しい自慢の兄だが、優し過ぎてローズに想いを全く告げられない。


 母譲りの美形だけではなく、父譲りのお人好しを受け継いでいる。ローズの将来の夫に悪くはないと思う。


 ただアリーと違い優しさの塊のような兄は、ローズを遠くから眺めているだけだ。アリーは焦ったくてたまらなかった。


 おそらく、セオナルドがローズのお泊まりを許さないのは、アロンの気持ちに気づいているからだろう。


「ただでさえローズには、鉄壁の守りが…」


 続きを言おうとしたら、使用人が血相を変えて走ってきた。


「アリー様、ゼハード様が来られました。ローズ様をお迎えに来たと」


「…あら、早かったわね」


 アリーは、アロンと顔を見合わせた。書斎にいたアルダスを呼びに行き、セオナルドが待っている来客用の部屋へ向かう。


 部屋に着くと、セオナルドは杖をつき立ったまま待ち構えていた。美形家族の中で育ったアリーでさえ、セオナルドだけは見慣れない。


 口を開けて魅入ってしまうアロンのそばで、アリーも悔しいが静かに息を呑んだ。


「今日は仕事が長引いてしまい、迎えが夜遅くになってしまいすまない。ローズが迷惑をかけたね」


 アルダスから、セオナルドにローズは泊まると連絡してもらっていたが、セオナルドは受け入れたつもりはなかったらしい。


 もう深夜だというのに、わざわざ迎えにくるとは。

予想外だった。


 セオナルド以外ならアルダスも断るだろうが、この街で彼に逆らえる人はいない。


 アルダスは深々と笑顔で頭を下げる。


「いえ、うちのアリーの相手をしてくださって感謝しています。アリー、アロン、案内しなさい」


 不貞腐れている娘に、アルダスは笑顔でそう指示した。アリーはアロンに手を引かれ、渋々ローズが眠っている自室へ案内する。


 寝台ですやすやと眠っているローズを見て、セオナルドは一瞬だけ表情を緩めた。


「今日は楽しかったようだね。ローズと遊んでくれてありがとう。連れて帰るよ」


 ローズを見つめながら、セオナルドはアリーにお礼を言う。


「えぇ、とても楽しかったです。ローズが泊まってくれた、楽しい時間がもっと続くのですが」


 嫌味ったらはしくそう口にすると、アロンが慌てふためいたが、セオナルドは気にしていないようだ。その美しい瞳には、もうローズしか写っていない。


 セオナルドは杖をつきながら寝台のそばまで行き、慣れた手つきでローズの頭を撫でる。ローズのまぶたがゆっくり動いた。


「……セナ?…何でここに?」


 まだ瞼が重たそうだが、ローズはセオナルドを見て目を見開いた。


「あぁ、私だよ。ローズ、迎えに来たんだ。さあ、帰ろう。立てるかい?」


 ローズは眠たそうに腰を上げ、寝台から立ち上がる。まだ目覚めてないのか、その華奢きゃしゃな体がよろめいた。


「…危ない」


 咄嗟にアロンが手をのばし支えようとしたが、セオナルドがそれを許さなかった。


 杖を付いているとは思えない速さで、空いている手でローズをしっかりと抱き留めた。


「…セナ?」


 ローズはぼんやりした様子で、セオナルドを見上げる。


「無理やり起こしてしまったね。支えよう」


「ゼハード様、階段は危ないので俺がローズを…」


 杖を付いてるセオナルドがローズを支えるのは難しいと、アロンはローズに手を伸ばすが、


「慣れているから大丈夫だ」


 セオナルドがローズの体を自分の方へ引き寄せた。


 アロンは伸ばした手をゆっくりと戻す。セオナルドの口調は穏やかなはずなのに、向けられた眼差しの鋭さにアリーでさえ体が強張った。


 先程の優しい表情はどこに行ったのか。


 視線だけで人を制す。やはり冷たい男だ。


 アリーが唇を噛み締めていると、セオナルドは何食わぬ顔で、アロンから引き離すようにローズの向きを変える。 


 本性を出したわね。アリーが憎らしげにセオナルドの背中を睨む仲、アロンはまだ固まっている。


 アリーはそんな兄を見てため息をつきながら、複雑な心境で首を傾げた。


 ローズに触れるセオナルドの手つきから、セオナルドの強い独占欲が見て取れる。


 大切な家族だからか、それとも女性としてみているのか。アリーにも、わからない。


 お願いだから妹や娘としてみているのであれば、早くローズを手放してほしい。


 セオナルドが別の女性を選ぶのであれば、大切にされるほどローズにとっては残酷な仕打ちだ。


 ローズを連れて帰るセオナルドの背中をアリーは悩ましげに見送った。





 


「ローズ、目が覚めた?」


 重い瞼を開くと、セオナルドがそばにいた。


 ローズはセオナルドの部屋の寝台の上に眠らされていた。アリーの家から帰る馬車の中でも、また眠ってしまったようだ。


 セオナルドの部屋は白の家具で揃えられたローズの部屋と違い、黒を基調とした落ち着いた色味の家具が必要最低限しか置かれていない。


 寝台は二人でも広々と眠れる大きなもので、ローズはその中央で眠っていた。


 幼い頃、ローズは頻繁にこの寝台で眠りについていた。セオナルドは寝台そばの椅子で眠り、ずっと見守ってくれていた。


 年齢が上がるにつれ一人で眠るようになったがローズが苦手な雷の日などは、こうしてセオナルドの寝台で眠ることが良くあった。


「アリーの家まで、迎えに来てくれたの?」


 ぼんやりしたままそう問うと、寝台そばの椅子に腰掛けていたセオナルドは寝台の端に腰掛けて、ローズの頭を撫でる。


「寂しくて、我慢が出来なくなったよ」


 切なげに瞳を揺らし、辛そうにそう呟く。


 セオナルドはずるい。


 五年間、ずっと共にいるローズでも、本当の彼を知らない。この街のみんなが知っているゼハードは、セオナルドを隠すために作られた人物でしかない。


屋敷の中だけでは普通に歩いているが、外に出ると悪くない左足を引きづり、徹底的に左足が悪い振りをしている。理由はわからないが、偽る必要があるのだ。

 

 今ローズの目の前にいるセオナルドが本当の彼なのか、これもまた偽りの彼なのか。ローズには、わからない。


 しかし、ルーナはきっと本当のセオナルドを知っている。


 込み上げてきた感情を隠すように下を向いたが、セオナルドは何か言いたげにローズを見つめていた。


「…セナ、どうしたの?」


「今日、花蝶園へ行ったね?」


 セオナルドは優しい口調だったが、ローズは一瞬で冷水を浴びたような気持ちになった。


「…抜け出したことも、あなたにはお見通しだったのね。ルーナさんから聞いたの?」


 ローズは思わず腰を上げて、口を膨らませる。


 言いつけを守らなかったローズが悪いが、これではセオナルドに何も隠し事ができない。約束を守らなかったことを後悔していた自分が馬鹿らしくなった。


「ルーナからは何も聞いていないが、あの場所は私が作った。花蝶園での出来事は、自然に耳に入ってくる。アルダスの娘と共に可愛らしい女の子が来たと聞いたよ。アリーと共にいるのは君しかいない」


 セオナルドはにやりと笑う。その余裕がある姿が眩しくなり、ローズは唇を噛みしめた。


「勝手に抜け出した事は悪いと思ってるわ…花蝶園にはルーナさんが招待してくれたの…」


 ルーナの名を出すと、セオナルドの表情が一瞬固まった。すぐに柔らかい表情に戻り、セオナルドはローズの頬を両手で覆った。


「ローズ、花蝶園は子ども達だけで、行くようなところではない。ローズが行きたい時は、私が連れていく。わかったね?」


 セオナルドは優しく言い聞かせながら、ローズの頬から手を離した。


「わかったわ…」


 そう頷いて、ローズはまた寝台に横になり体を回転させた。セオナルドに背を向ける形になる。


「…ローズ、君を叱りたいわけじゃないんだ」


「わかってる。勝手に街に出た私が悪いわ。でもまた…子供扱いした」


 どんなに成長しても、セオナルドにとっては子供のままなのだ。こういう時に痛いほど思いしらされる。


「ローズ、これだけはわかって欲しい。子ども扱いしているわけじゃない。もし君に何かあったらと、ただ…君が心配なんだ。君がいなくなってしまったら、私は…どうしたらいい?」


 背を向けているためセオナルドの表情は見えないが、泣いているように感じたのは気のせいだろうか。


 やっぱり…セオナルドはずるい。


 ローズが落ち込んだり拗ねたりすると、こうして欲しい言葉をくれる。


 それが大切に育てた娘のような存在に向けてだとわかっていても、ローズの心はその言葉で満たされてしまう。


 愛する人には、もっと甘い言葉をささやくのだろうか。ローズは、ルーナを思い浮かべていた。


 泣きそうになっていたら、背中に温もりを感じた。セオナルドが、子どもを寝かしつけるようにローズの背中を優しく叩いていた。


「今度は、私が街へ連れて行こう。今日は疲れただろうから、もうここで眠ると良い」


 その手があまりにも優しくて、ローズはまた眠りについていた。


 


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