薔薇と青年の日常 一
ローズは重たい瞼を開けたが、眩しい朝日にまた目を閉じた。重い体を起こせずに、ふわふわの毛布の中に隠れたが、
「ローズ様、起きる時間ですよ。二度寝してしまったら遅れてしまいますよ!」
「あっ…、もうこんな時間」
ナラの声で、ローズは飛び起きた。自室で顔を洗って、クローゼットを開ける。
ずらりと並ぶドレスの中から、襟元がついてる深緑色の簡素なドレスを選ぶ。着替え終わると部屋をでて、長い階段を駆け足で降りていく。あと、三段で降り終わる。ローズは、床に向かって軽く飛んだ。
こんな姿をナラに見られたら、また叱られる。なんて思っていたら、着地した途端、勢いが強すぎたのか、前のめりに体が倒れる。
「きゃっ…」
しまったと、ぎゅっと目を瞑った瞬間、暖かい感触に包まれた。
「朝から元気だね。お姫様は」
「セナ…おはよう」
恐る恐る目を開けると、ローズはセオナルドの腕に支えられていた。一番見られたくない人に、見られてしまったようだ。
すらりとした長身から想像できない逞しい腕の中から抜けだそうとするが、軽い力で胸の中に押し返される。セオナルドの胸元に、ローズの顔がくっついてしまいそうなほど距離が近い。
思わず見上げると、何度も見ても魅入ってしまうセオナルドの美しい顔がそこにある。
漆黒の髪に、髪色と同じ漆黒の切れ長な瞳。形の良い高い鼻に、すっとした輪郭。誰が見ても魅入ってしまう美しい顔は小さく、高い身長をより目立たせている。
初めて出会った時も、その美しすぎる顔に魅入ってしまった。
あの頃から、何も変わっていない。
セオナルドはかっこいい、だけでは表せない美しい容姿の持ち主だ。その容姿ゆえ、近寄りがたいと言われているが、ローズの前ではセオナルドの表情は常に柔らかい。
ローズはセオナルドの腕から逃れようと体を動かしたが、背中までしっかり腕を回されている。どうやらセオナルドは、ローズを離す気がないらしい。
「君を起こしに行こうと思っていたら、まさか飛び込んでくるとは。走るのは危ないからやめなさいと言っているだろう。怪我はないかい?」
「全然平気よ。今見たことは、ナラに内緒ね」
「さあ、どうしようか」
「もう、セナ!」
明らかに、セオナルドはローズの反応を見て楽しんでいる。ローズが軽く睨んでも、セオナルドは逆に嬉しそうに笑った。
こうして、ローズの日常は始まる。
ローズは朝食を終えると、屋敷を出てセオナルドと馬車に乗りこんだ。セオナルドが特注した馬車で、外からは中が見えにくくなっているため、人目を気にせずに窓の外を見れる。
身を乗り出して外を眺めていると、目の前から熱い視線を感じた。
「どうしたの?」
「いや、可愛いいなと思って」
向かい側に座っているセオナルドは、さらりとそう言いのけた。微笑ましそうにローズを見つめているが、ローズはむっとして窓の外へ視線を向けた。
「あのね、そういうことは恋人だけに言うものなのよ。簡単に口にしたらだめ。わかった?」
「わかっているよ。恋人にだけ伝えるよ」
なぜか嬉しそうなセオナルドに、ローズはため息をつく。これは、全く伝わっていない。
「また子ども扱いしているでしょう?私ももうすぐ十七歳よ。周りの子たちはもう働いたり、早ければ婚姻する子だっている。私ももう立派な大人になるわ」
セオナルドに拾われて、五年の月日が経とうとしていた。セオナルドは最初から今も、ローズには甘く優しい。
しかし、ここ最近甘さが増していると思うは、ローズの気のせいだろうか。それが子ども扱いされている気がするのだと、ローズがまだふてくされていると、
「そうだね。もう君は大人だ。もうすぐ学院を卒業して十七才の誕生日を迎える」
セオナルドはローズの手を引いて、ローズを自分の隣に座らせた。美しい顔が自然と近づいてくる。
「どうしたら、姫の機嫌は直るだろうか」
「…もう、知らないわ」
赤く染まった顔を隠すため顔を背けると、
「ローズ、こっちを見て」
セオナルドはローズの顎に手を置いて、自分の方を向かせた。
やっぱり…すごく綺麗な顔だ。
ただ顔が綺麗なだけではなく、セオナルドの隠しきれない色気がローズをいつも困らせる。
ローズは最近セオナルドに微笑まられると、どうしたらいいかわからなくなる。
「何が欲しい?ローズが欲しいものなら、何だって贈ろう」
「私が欲しいものは…」
そこで、馬車が止まった。ロ―ズは隙を見て鞄を手に取り、馬車から飛び降りる。
「…セナ、行ってくるわ。遅くならないよう気をつけるわ」
セオナルドに手を降り、ローズは馬車から走って離れた。
こういうところがまだ子供だと言われるのなもしれないが、今はセオナルドの綺麗な瞳から逃げ出したかった。
カルドーナの西側の入り口で馬車を降りたローズは立派な門を通り、煉瓦造りの大きな建物の中へと入る。ローズと同じ年頃の子や、小さな子ども達が忙しく入ってくる。
ここはカルドーナの子ども達の学びの場であるカルドーナ学院だ。昔からこの街にある学院だが、五年前に皆が通える学び場に変わった。
以前は上流階級のものしか学ぶこてができなかったが、今は平等に学びの場をという理念から、貴族や裕福な子だけではなく、貧しい子達も支援を受けて学院に通っている。そのため、わざわざ中央通りではなく生活環境が良くない家庭が多い西側の入り口に建てられている。
ローズは講堂に入ると、声をかけてくれる学友達に挨拶をしながら自分の席へと向かう。
窓際の席には、水色のドレスに身を包んだ黒髪の少女がすでに座りローズを待っていた。今日もその姿は、華やかで美しい。
「アリー、おはよう」
「おはよう、ローズ。今日も可愛いわ」
聞き覚えのある台詞に、ローズは苦笑いを浮かべる。
腰までの黒髪、意志の強そうな大きな瞳、堀の深い顔は誰もが納得する美少女だ。名はアリー。ローズの親友で、唯一の友人でもある。
「ローズ、授業のあとはいつもの場所ね。本当は買い物に行きたいけれど、時間がなさすぎるわ。もうすぐ学院を卒業するというのに、門限が夕方なんて信じられないわ」
アリーは腕を組み、セオナルドへの不満を吐き出した。
二人は学院で毎日学びます、数日後に卒業試験を受ける。そのため今は授業の数が少なく、お昼過ぎで授業を終えた二人は学院の隣にある酒場へ向かった。
「やっぱり、ここのデザートは最高ね」
「うん。もう少しで簡単に食べれなくなると思うと寂しい」
ケーキを頬張るアリーに、ローズは大きく頷き返す。この店は酒場だが、学院のそばと言うことで昼間から空いており、学院の生徒達で満席だ。
授業が早く終わった日は、ここで長々とお喋りする。二人にとって青春の思い出の場であった。
「よく来てくれたお礼だよ。卒業しても顔をだしてくれよな」
小太りの店主のおじさんは頼んでいないアイスクリームまで出してくれる。すぐにアリーが口を開く。
「ありがとう。おじさん景気が良いわね」
「まあな。これも全て、ゼハード様のお陰だ」
ゼハードと言う名に、ローズは目を見開き苦笑いを浮かべた。アリーはそんなローズを見て、笑いを堪えている。
ゼハードとは、セオナルドのことだ。
「廃墟寸前だったこの街に、人を呼び、ぼろぼろだった建物を立派に直してくれた。何より、俺達に商売を教えてくれた。忘れられた街と呼ばれていたカルドーナが、今や王都よりも栄えているって言う噂だ。まさにあの人は俺達にとって救世主さ。忘れられた街が、今や国で一番豊な街だ。人生、何が起こるかわかんねぇな」
五年前、若くして資産家であったセオナルドはこの街に来て商売を始めた。
まず、人気のない街に人を呼ぶことからという一からの作業だった。特にカルドーナの西側は、ほとんどの建物が崩壊しかけた廃墟であったが、もともとの建物を再利用し煉瓦作りの建物が立ち並ぶ風情ある街並みになった。
また、セオナルドは商売の知識をわけ惜しみなく人々に教え、貧しい者達も商売を始められるように支援を行っていた。
商売が栄えると、自然に人が引き寄せられる。元々カルドーナに身を置いていた貴族や商人達もセオナルドと協力し、街の発展に貢献した。今や噂を聞いて、カルドーナへ拠点を移す者たちが多いと聞く。
今やカルドーナは、店主が言う通り国で一番豊かな街とまで言われていた。何より、カルドーナの人々の表情はいきいきと希望に満ち溢れている。
「全く、セオナルド様はどこに行っても褒められるわね」
ローズの耳元で囁いたアリーに、ローズは思わず声を上げた。
「アリ―!!」
「大丈夫よ。聞かれていないわ」
アリーは得意げに笑みを浮かべる。
セオナルドは、街の人に本当の名を教えていない。皆からは偽名のゼハードと呼ばれている。
名を知っているのは、屋敷に住んでいる者と、セオナルドの仕事に関わる一部の者だけだ。また、セナというのはセオナルドの幼少期の呼び名で、ローズだけがセナと呼んでいた。
なぜ、本当の名を隠すのかは、尋ねたことも、教えられたこともない。セオナルドがなぜこの街に来たのか、以前何をしていたのかさえもローズは知らない。子どもながら、聞いてはいけないとずっと感じていた。
五年も共に暮らしているというのに、今だにセオナルドが教えてくれることはない。
「マスター!ゼハード様と言えば、あの噂よ。育て子がこの学院にいるって噂!」
「みんな探しても正体が掴めない謎の女の子!絶世の美女って聞いたけど…。そうしたら、絞られてくるはずよね」
隣の貴族の令嬢達の噂話に耳を傾けていたら、ふと目が合った気がするが、女子たちは噂話に集中する。
「捨て子って聞いたわ!」
「私も聞いた。血のつながりが全くないって!どこの馬の骨の子かわからない子を育てるなんて信じられない」
「よりによってゼハード様に拾われるなんて運が良いわね。貴族だって、簡単にゼハード様に会えないのに!一度だけ遠くからお目にかかれたけど、この世の人とは思えないほど…美しかったわ。捨て子のくせに羨ましいわ」
勝手に聞こてくる噂話に、アリーの顔色が変わっていく。
「…黙って聞いてたら、捨て子…捨て子って!何も知らないで言いたい放題!腹が立つわね!」
「ちょっ…アリー落ち着いて!いつものことだから大丈夫だよ」
今にも立ち上がりそうなアリーをローズは必死に抑える。アリーは深呼吸をしながら、ゆっくり椅子に座り直した。
この通り、ゼハードことセオナルドはこの街で有名だ。セオナルドの育て子となれば噂の的になるため、学院でもローズは身元を隠していた。
噂では、絶世の美女となっているらしい。ますます、名乗りなど上げられない。
それでも、セオナルドと一緒にいる所を見られ悪い輩に絡まれたことが何度かあった。幸いローズは無事だったが、セオナルドの心配症に拍車をかけた。
朝は必ずセオナルドかフリッツにより、学院まで送られる。何度も説得して、学院からの帰りは自分で帰ることを許されたが、迎えの馬車に乗ることが絶対条件で門限は夕方だ。
身に余るほど大切にしてもらっている。それは痛いほどわかっている。
「運が良かった。その通りだわ…」
ローズの記憶は、失われたままだ。
セオナルドと出会ってからの記憶がローズの全てだ。
なぜか名前と年齢だけは頭に浮かんだが、それ以外はなぜカルドーナにいたのか、家族がいたのかもさえ、全く思い出せない。
セオナルドはずっとローズの家族を探し続けてくれたが、手がかりは一向に見つからなかった。血の繋がりもない拾ったローズをセオナルド達は本当に大切に育ててくれた。
運が良かったと、自分が一番わかっている。
ローズは笑ったつもりだが、アリーは怒ったように眉を寄せた。
「また、考えすぎてる!今は卒業試験もあるんだから、余計なことは考えない!無事に卒業することを考えましょう」
「…ありがとう。アリー、大好き」
アリーの励ましにローズが思わずそう言うと、アリーは、私もと言って満面の笑顔を返した。二人は溶けかけているアイスクリームに手を伸ばし笑いあった。
フリッツは屋敷の広間で、読書する主人を遠目に見ていた。セオナルドは大広間の座椅子に座り本を読んでいるが、先ほどから何度も時計を確認している。
今日は時間に余裕ができ、夕方前には屋敷に戻って来れた。ローズの門限はまだだというのに、主人は待ちきれないらしい。
主人が立ちあがろうとした時、扉が開く音が響いた。
「ただいま。あら、セナ!今日は帰りが早いのね」
広間に響く明るい声に、主人の表情は途端に柔らかくなる。セオナルドのこのような表情は、ローズの前でしか見ることができない。
ローズが走ってセオナルドの隣に座ると、セオナルドは本を閉じてローズの頭を撫でた。
「おかえり。今日は仕事が早く終わったんだ。今日は機嫌が良いね」
「アリーとデザートを堪能してきたの。学院を卒業して、アリーに毎日会えなくなるのは寂しいわ。ねえ、今度アリーの家に泊まってきてもいい?」
ローズはセオナルドの袖をつまみ、上目遣いで眉を下げる。頼み事をする時の癖だ。ウィルとナラなら、あの上目遣いに抗えないだろう。
さあ、セオナルドはどう答えるか。フリッツは、興味津々で主人の様子を盗み見た。
相変わらず澄ました顔でローズに笑みを浮かべているが、フリッツにはわかる。
あれは、内心では笑ってないな。
ローズは大人の気も知らず、無邪気にセオナルドの腕を揺らしながら許しを待っている。
セオナルドのローズにだけ発揮される心配性も、自分達の状況を思えば理解はできる。毎日の送り迎えもフリッツも賛成だし、ローズを傷つける者がいたら決して許さない。
しかし、その心配性がローズに寂しさも与えていることも理解している。アリーは信用できるし賢く機転が効く女子だ。フリッツ達と同じくローズを守ってくれるだろう。
アリーとのお泊まりくらい、許してあげて良いとフリッツは思うのだが、主人はローズと離れることを誰よりも嫌がる。
「君の願いならなんだって叶えてあげたいが、私もローズと毎日会えないのは寂しい。私との時間が減っていいのかい?私はいつだってローズに会いたい」
セオナルドの甘い言葉に、紅茶を飲んでいたフリッツは思わず紅茶を拭ぎだしそうになった。まるで、恋人に囁く言葉ではないか。
「そういことは恋人って言ってるでしょう!でも、そうね…確かに、セナとの時間が減ってしまうのは寂しいわ」
「もちろんアリーのお家に遊びには行っておいで。試験の後のご褒美はどうだい?」
「うん!そうね。ありがとう、セナ」
大人の気持ちを知らずに、ローズはセオナルドの言葉を純粋に受け取り微笑んでいる。
親友にまで、対抗心を抱くとは。フリッツはため息をつきながら、大人げない主人を見つめた。
ローズは出会った時からお人形のように可愛らしかったが、成長しますます美しくなった。
花に集まる蝶のように、ローズを一目見て謎の美少女を探している少年達は多いが、セオナルドによりローズに近づくことも叶わない。
気持ちはわかるが、まさかセオナルドがこんなにも嫉妬深かったとは。
呆れる反面、フリッツは心のどこかでそんな主人の姿を見れることに喜びを感じていた。
ローズは、この屋敷に来た当時は不安げで口数も少なかったが、元々明るい性格だったのだろう。屋敷の者達の愛を真っ直ぐ受け取り、本当に素直で真っ直ぐに育ってくれた。ローズがいるだけで、場が明るくなる。
過去に傷を負った大人達が、その無邪気な笑顔にどれだけ救われたかローズは知らないだろう。
何より、ローズがいなければ、主人はきっともう戻ってこなかった。セオナルドの笑顔を見ることもなく、屋敷もこんなに笑顔で溢れていなかった。
最初こそローズを思うが故、ローズを引き取ることに躊躇したが、フリッツはもうローズがいないこの屋敷を想像することができない。
楽しそうにローズを見つめる主人を見て、こんな日が長く続くことをフリッツは願わずにいれなかった。




