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青年は薔薇を拾う


 セオナルドは今日も黒いマントをなびかせ、銀の杖を突きながら、屋敷の門を通った。


 門を抜けると広い庭園があり、奥には白い立派な屋敷が現れる。


 この白塗りの伝統的な様式の屋敷は、カルドーナの丘の上に建てられている。建物は厚いへいに囲まれ、外から中をのぞくことはできない。


 庭園には可愛いらしい花々が植えられ、お茶ができるテラスまである。この屋敷は、元々はカルドーナの領主が住んでいた。


 優しい雰囲気の屋敷に、全身黒ずくめのセオナルドの姿は異様だが、長らく誰も住んでいなかったこの屋敷を十九歳のセオナルドが買い取った。

 

 屋敷の中に入ると、玄関で金髪の青年が腕を組み待ち構えていた。


 セオナルドと同じ歳で同じく長身だが、わずかにセオナルドの方が高い。金髪ではっきりとした端正な顔立ちの青年は、フリッツと言う。


 その容姿に加えて明るく愛嬌があるため、人たらしと言われているが、そんなフリッツが珍しく怒っていた。


「また勝手にいなくなって、心配するだろ。それにあの子も待ってるぞ!…なあ、あの子を拾って数日立つが、どうするつもりだ?まさか、ここで引き取るつもりじゃないだろうな?」


「拾ったのだから仕方ないだろう」 


 セオナルドは淡々とそう答え、フリッツの前を通り過ぎる。フリッツは眉を寄せながら声を荒らげた。


「だからって…、俺たちの状況を考えると、あの子を引き取るなんて…」


「後で報告を頼む」


 低い声で話を遮られ、フリッツは渋々言葉を止めた。不満げに肩を落とす。まだ何か言いたそうなフリッツを置き去りにして、セオナルドは二階へ上がった。


 二階に行くと奥の部屋から、中年の男性ウィルが出てきた。まだ五十歳ほどだが白髪が似合う。


 上品な顔つきでにこりと笑みを浮かべると、頭を下げた。慣れた手つきで、セオナルドが羽織っていたマントを預かる。


「セオナルド様、おかえりなさいませ」


「あぁ、今帰った。ローズの様子は?」


「…お変わりなくです。ローズ様は部屋の中におられます。食事はだいぶん口にするようになってきましたが、相変わらず部屋の角が安心するようで…」


 ウィルは困った様子で、奥の部屋の扉を開けた。セオナルドが部屋の中に入ると、広い部屋の片隅で少女が床に座り込んでいた。


「…セナ?」


「あぁ。ローズ、ただいま。いい子にしていたかい?」


 拾った少女ローズは、セオナルドに気づいて顔を上げた。


 ウィルの妻ナラによってフリルが施された紺色のドレスを着せられている。ぼろぼろだった髪も綺麗に手入れされ、拾った時とは別人だった。


 ぼろぼろの姿でも目を引く容姿だったが、こうしてドレスを着ると余計に彼女の容姿は映える。


 ローズは驚くほど色白で人形のように綺麗な子だった。


 しかし、まだ身体中に無数の傷が痛々しく残っている。


セオナルドは、膝を抱えて床に座り込んでいるローズの前にひざまずいた。


「顔の傷は良くなったね。足の傷はどうだい?見ていいかい?」


 ローズが頷いたのを確認すると、セオナルドはローズの足をそっと手に取り、白い靴下を脱がした。小さな足があらわになる。


 ナラの手当てでだいぶん良くなったが、まだ痛ましい傷は残り、傷を覆っている布には血が滲んでいる。裸足で、硝子がらす木屑きくずだらけの街を歩いたのだ。綺麗に治るまで、長い時間がかかるだろう。


 セオナルドは眉を寄せたまま、ローズの背中と膝の裏に手を入れて、ローズを床から抱き上げた。


 ローズは自分の名前と年齢以外、何も覚えていなかった。名前はローズ、歳は十二歳。


 十歳ほどだと思っていたので、十二歳ということには驚いた。実年齢より幼く見えるほど、ローズはやせ細っていた。


 屋敷の者たちもローズに対して色々尋ねてみたが、何も思い出せないとのことだった。そのため、なぜカルドーナにいたのかも本人もわからない。嘘をついている様子もなく、ローズからも戸惑いの色が伺える。


 さらに口数は少なく、必要以上に話そうとしない。だから、セオナルドも話さない。ただそっとそばに寄り添うと、ローズは少しだけ口角を上げ儚げに笑うのだった。


 セオナルドは寝台の上にローズを優しく降ろす。足に薬を塗ったあと、寝台のそばの座椅子に腰掛けた。


「眠ってないのだろう。そばにいるから、少し寝るといい」


「…セナ、そばにいてくれる?」


「あぁ、俺はここにいる」


 不安そうな声に、セオナルドは頷く。ローズは、ほっとしたように寝台に横になった。


 セオナルドが横になったローズに毛布をかけると、ローズは目を閉じた。


 誰かがそばにいると安心するようで、長くかからないうちにローズは眠りについたが、眠ったまま顔を歪ませ苦しみ始めた。長いまつ毛が揺れている。


 拾った日から、ローズはこうして眠るたびに夢の中でうなされている。


 セオナルドはローズの頭を優しく撫でる。それが、唯一してあげれることだった。


 頭を撫で続けていると、ローズの表情が柔らかくなった。すやすやと寝息が聞こえる。


 無垢な寝顔を見つめたと、セオナルドはローズの部屋を出て書斎へと入った。









 追うように、フリッツも書斎へ入ってくる。


「収穫は?」


セオナルドは椅子に腰掛け、フリッツへ視線を移した。フリッツは先ほどの友人としてではなく、部下としての表情に変わる。


「カルドーナは東側まで全て調べたが、あの子を知っているものは誰もいない。カルドーナ近辺の街もあたったが同じだった。カルドーナでは孤児こじは珍しいことではないらしいが、近辺の街であの子を見かけている者はいなかった。どこかから来たのか見当がつかない。ただ、…あの髪色、この国では珍しい。カルドーナの荒野こうやを超えたら隣国エメダルダだ。エメダルダ出身の可能性もあると思わないか?」


 ローズの髪は、赤に近い茶髪だ。白い肌が良く映える美しい髪色はカラフィアでは珍しい。


 セオナルドは長い沈黙ちんもくの後、頷き返す。引き出しの中から、ある物を取り出した。


 大理石の机の上に、マントが広げられる。ローズが拾われた際に、羽織っていた赤いマントだ。 


「…確かに、あの髪色は特別だ。それに、このマントの生地も珍しい。どう見ても高級品。身分が高い者しか手に入れることができないはずだ。薔薇ばら刺繍ししゅうに、紋章まで刻まれている」


 マントの色は変色し所々破れているが、生地は上流階級が身に着ける上等なものだ。そして、細かい薔薇ばら刺繍ししゅうが縫われ、一番端には何かの紋章もんしょうと思われる金色の刺繍がある。


 基本的に貴族は、その家を表す紋章もんしょうを持っており、手紙や家具に衣服に紋章もんしょうをつける者が多い。


 フリッツは悔しそうに、マントを見つめる。


「確かに繊細せんさい模様もようだ。カラフィアだけではなく、エメダルダの貴族の紋章も調べたが手がかりはなかった」


「薔薇の刺繍か…。身分が高い者の子だったのか、またはもしくは、容姿が良いから、売りに出され逃げ出したのか、はぐれたか、置き去りにされたか…」


 セオナルドの言葉に、フリッツは辛そうに目を閉じた。


「カルドーナは盗人だけではなく、人攫ひとさらいもごろごろいる。人攫いに見つからなかっただけ幸いだったが…あんなに小さい女の子が、あんな街に…一人で傷だらけで…それに記憶を失い帰る場所がないなんて、酷い話だ!」


 カルドーナの東側にはまだ、元々この地にいた裕福層が住んでいるが、ローズが見つかった西側はもう人が住んでいない。疫病えきびょうが流行り、作物も育たなくなり、王都からも見捨てられたと聞く。


 荒れ果てた街は盗人達の巣となり、皆カルドーナの西側には足を踏み入れなくなった。身売りに出されたなら使用人か妾にするため買われる場合が多いが、人攫いならより悲惨ひさんな道が待っている。


 そんな危険を伴う場所に、ローズは記憶まで失い一人でいたのだ。すでに辛い目に遭った後かも知れない。


 フリッツは怒りを隠しきれず、拳を握りしめていた。彼は、誰よりも優しい男だ。ローズにもう感情移入している。


 セオナルドはいつもそんなフリッツを冷静に見ていたが、今回だけはセオナルドもフリッツの心情が理解できた。


「ローズの傷を見る限り、追われていた可能性も高い。ローズを見つけた時、俺の足音に怯え、反射的に体が動いていた。ローズにとって、記憶を失っていたことは…幸いだったのかもしれないな」


 あのはかなげな笑みを見ると、ローズの奥底には恐怖と不安があるのがわかる。


 出会った時の様子を見るがぎり、恐ろしく酷い目にあっていることは間違いない。今でも、失った記憶に苦しめれらている。記憶を思い出すことが最善だが、記憶が戻った時、恐ろしい恐怖もローズを襲うことになるだろう。


 セオナルドが耐えきれず大きく息をつくと、


「…そんな顔するようになったんだな」


 フリッツが驚いたようにセオナルドを見ていた。その声は、嬉しそうでも悲しそうでもあった。


 そして、フリッツはセオナルドの前に立つと、言いづらそうにまた口を開く。


「なあ、あの子の貰い手を探した方がいいんじゃないのか?俺達に育てられるより、安全な場所で育ててくれる存在がいた方がいい。あの子なら、快く引き受けてくれる人がいるはずだ」


「…反対するなんて珍しいな」


「気まぐれで、あの子の人生を変えたくないんだ。あの子には幸せになってほしいと思う。だから、ここにいない方が良いだろ…。ここにいたらいつかは…あの子を巻き込んでしまう。今離れる方が、俺達もまだあの子を見送ってあげれるだろ」


 苦しげにフリッツは思いを吐き出した。お調子者のフリッツが見せない表情だった。


 セオナルドが何も答えずにいると、フリッツは視線を伏せ、そのまま書斎しょさいから出て行く。


「…気まぐれか」


 セオナルドは天をあおいだ。


 確かに、ローズを拾ったのは気まぐれだ。あのすたれた街で怯えるようにうずくまっていたローズを見捨てることはできなかった。


 ただ拾ってしまった今、ローズをどうするのかセオナルド達に重くのしかかっていた。できる限りの人脈を使って、ローズの家族を探しているが一向に見つからない。このまま見つからない可能性が正直高い。


 フリッツの言いたいことは良くわかる。今後、自分たちの存在がローズを危険な目に合わせてしまうかもしれない。


 椅子に背を預け瞳を閉じといると、フリッツが出て行った扉から、今度はウィルが入ってきた。


 ウィルはセオナルドの前に立ち、たれ目の目をより細めた。


「私はいいと思いますよ。気まぐれでも。救いの女神を拾ったと思えるかもしれないですよ」


「…聞いていたのか?」


「たまたま聞こえたのですよ。私はローズ様に感謝しています。あの時、ローズ様と出会ったおかげで、セオナルド様はここにいるのですから。セオナルド様は戻って来ないかも知れないと、人生で一番恐ろしい日でした。でも、ローズ様を拾って、セオナルド様は私達のもとに戻ってきてくださった」

 

 その言葉に、セオナルドは驚きを隠せずウィルを見た。ウィルは穏やかな表情だったが、今にも泣きそうな目をしていた。


 セオナルドは思わず乾いた笑みをこぼさずにはいれなかった。


「…さすがだな」


 あの時、忘れられた街に行ったのは、誰もいない場所を探していたからだ。一人になりたかった。


 もう何もいらない。だから、何も感じない。


 抱えてきたものを全て手放して、そのまま闇に呑み込まれていいと本気で思っていた。


 セオナルドの足を止めるものはないはずだったが、暗闇の中でローズを見つけてしまった。


「だから、私はローズ様には感謝しているのです。私にとって、ローズ様は救いの女神なのです」


 ウィルは相変わらず穏やかな顔を浮かべたまま、頭を下げると部屋を出ていく。まさか、ここまで見透かされているとは思わなかった。


「救いの女神か…」


 セオナルドは思わずつぶやいていた。








 カルドーナは相変わらず雨が多い。セオナルドは馬車の中から降りしきる雨を見つめた。雨の音で、馬の足音さえ聞こえない。


 この街に来てから、二か月ほどが経った。ローズを拾って、一か月になる。今だにローズの家族やローズを知る者は見つからない。


 その時、馬車の中から光るものが見えた。その光を追うように、凄まじい音が響く。かみなりだ。


 セオナルドは、ローズのことを考えていた。


 ローズとの関係に変化はあまりない。相変わらず、口数は少なく、不安そうに窓の外を眺めていることが多い。セオナルドもここ最近は、家を空けることが多く、ローズと過ごす時間をとれていなかった。


 この短い期間でわかったことは、ローズは雷が苦手ということだ。ローズを拾った日は、雨で雷が鳴り響いていた。その時の恐怖が、ローズを苦しめているのだろう。


「馬車を早めてくれ」


 無意識に、そう言葉にしていた。


 屋敷に着くと、酷く慌ただしかった。セオナルドのお迎えもしないウィルの姿を探すと、慌てたように駆け寄ってくる。


「セオナルド様!申し訳ありません。ローズ様が…ローズ様がいなくなりました」


 珍しくウィルが狼狽ろうばいしていた。


「いなくなった?いつからだ?」


「はい、今日は昼食の後、ナラと読書をして自室で眠っていたのですが、夕方様子を見に行った時には部屋いませんでした。それからずっと探しているのですが…見つからず…ローズ様にもし何かあったらどうしましょ…」


「逃げ出したのか…」


 セオナルドはローズを探しに行こうと身をひるがえしたが、はっとして足を止める。


 自ら出ていったのならば…それでもいいのではないか。あの子が、ここを出ていくことを望んだのならば仕方がない。こんな自分の元に、無理に置いておく必要もない。


 所詮しょせん、気まぐれで拾った子だ。


 足を止めたセオナルドに、ウィルは声をかける。

 

「セオナルド様、探しに行かれないのですか?ローズ様はこの土地のことを何も知りませんし、まだ小さな女の子です。雨も降っておりますし、ここは物騒ぶっそうで治安も悪いです。もし何かあれば…」


「ローズが自ら出て行ったのならば仕方ないだろう。あの子の決断だ。…部屋に戻る」


 ウィルの言葉を遮り、セオナルドは二階へ上がる。淡々と感情を隠した主の姿をウィルは切なげに見送った。


 






 セオナルドは自室へ戻ると、灯りもつけずに寝台に座り、荒々しく前髪をかき上げた。なぜか苛立ち、落ち着かない。


 ウィルの言うことは正しい。ローズが一人で屋敷を出て行くなど危険すぎる。


 ローズがいなくなった。屋敷以外なら、何者かにさらわれた可能性も考えられるが、この屋敷の警備は厳重だ。自ら出ていくしか考えられない。


 心配だが、ローズが選んだのならば仕方がない。自分だって、あの場所が嫌でここまで逃げてきた。


 ローズがここを嫌と感じるならば、無理に引き止めることもできない。


 セオナルドは、ローズの頭を撫でていた右手を見て目を閉じた。引き留めにいかないのは、怖いのかもしれない。迎えに行っても拒否されるかもしれない。


 ローズだけには、この手を振り払われたくない。


 自分がそんな事を思うなど、可笑しくて呆れたが、ローズに拒否されると思うと、体が動かなかった。


 外はと言うと、まだ雷は鳴り続いており、先ほどより音が大きい。屋敷にまで、雷が近づいてきているようだ。


 あの子は、怖がっていないだろうか。


 その時、また雷の光で真っ暗な部屋が照らされる。セオナルドは、大きく目を見開いた。


 セオナルドは雷など怖くない。ただ驚いたのは、寝台の前に黒い影が見えたからだ。


「…ローズ」


 セオナルドの上着を肩にかけ、うずくまっているローズがいた。良く見たら、クローゼットは開けっぱなしでセオナルドの服達が放たれている。


 ローズは泣きながらセオナルドの上着を頭に被り丸まっていた。


「…泣いているのか?」


 屋敷の外に出て行ったのではない。雷に怯え、セオナルドを探していたのだ。セオナルドが見つからず、セオナルドの部屋まで探しに来ていた。


 セオナルドを探して、泣いていたのだ。


 言葉にできない感情が込み上げた。


「…セナ!」


 ローズは泣きながら、セオナルドの名を呼ぶ。


「…ローズ。おいで」


 床に膝をついて手を伸ばすと、ローズは迷いなくその手を取って、セオナルドの胸に飛び込んできた。


 セオナルドは茫然と、自分の肩に顔を押し付けているローズを見た。顔をぐちゃぐちゃにして泣いている。


「…セナ。…セナ」


 その姿に、自分の中の凍っていた何かが溶けていくのがわかる。


 セオナルドは、その小さな背中に手を伸ばした。すがるように自分の胸にうずくめる小さな頭を優しく撫でる。


 もう感じることがないと思っていたはずの感情だった。


「セナ…そばにいて」


「…ローズ大丈夫だ。君のそばを離れない。私はここにいる」


 拾われたのは、自分の方だったのかもしれない。


 セオナルドは、ローズを優しく強く抱きしめた。




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