私の日記が世間に流出!? このままでは大炎上ですわ!
アリング王国第一王子レナルド・アーベントが婚約を発表した。
相手は伯爵家の令嬢フローリア・メネス。王城で開かれた晩餐会にて、レナルドが彼女を見初めたことが交際の始まりであったという。
大勢の賓客の前で、レナルドは胸中を語る。
「フローリアと婚約を交わせたことを嬉しく思います。私は国を背負う人間として、そして一人の男として、必ず彼女を幸せにします」
白い礼服で身を包み、耳にかかるほどのまばゆい銀髪に、空のように穏やかな碧眼のレナルドの言葉に、人々は聴き入る。
婚約者のフローリアはウェーブのある金髪のロング、金に近い真珠色の瞳を持ち、緋色のドレスをまとった気品漂う華やかな令嬢であった。
そんな彼女から出た言葉は――
「レナルド様の見る目もなかなかのもの、というわけですわね! せいぜい妃としての生活を楽しみますわ!」
これには賓客たちも絶句するしかなかった。
フローリアはお世辞にも評判のいい令嬢とはいえなかった。いやむしろ、“悪い”と言って差し支えなかっただろう。
レナルドと親交のある公爵家の令息が、彼に尋ねた。
「レナルド、君は彼女のどこを気に入ったんだ?」
「フローリアのことかい? 彼女は気高く、我が道を行く強さを持っている。そしてなにより優しい。そんなところかな」
「……ま、まあ、人の好みというのは色々あるしな」
レナルドは誰もが認める前途有望な王太子である。だからこそ彼をよく知る者は「よりによってなぜあの女と」と頭にクエスチョンマークを浮かべてしまうのであった。
***
フローリアの悪評にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。
街中に、ハンチング帽を被った靴磨きの少年がいた。
フローリアは突然、少年の前に立つ。
「磨きなさい」
台の上にパンプスを置き、高圧的に言い放った。
少年は磨き始める。
その最中、フローリアは少年を偉そうに見下す。
「こうやってあなたを見下してると気分がいいわねえ!」
「もっとまんべんなく磨きなさいな。ムラがあるわよ」
「あぁら、なかなかの手際だわ。庶民にしては少しはやるようね」
少年に向けて、次々に強い言葉を投げつける。
やがて磨き終わると――
「ふん、まあまあね。明日も来てやるから、覚悟しておきなさいな」
「は、はい……」
フローリアは指で弾くようにコインを投げ渡すと、立ち去っていった。
周囲の人間はフローリアの態度に眉をひそめ、不平も言わず彼女の靴を立派に磨き上げた少年に対し、賞賛の声を浴びせるのだった。
……
ある少女が熊のぬいぐるみを持って、道を歩いていた。
しかし、そのぬいぐるみはお腹の部分が破れて、綿が飛び出ていた。
それをフローリアが見つけ、歩み寄る。
「あら、熊さんを持ってるのね」
「この子、あたしの友達なの!」
「だけどお腹から内臓が飛び出てるじゃない! 猟銃にでも撃たれた、くたばりぞこないの熊さんね!」
「そんなこと……ないもん!」
「こんな死にかけの熊さんは手術してあげますわ!」
「あっ、やめて!」
フローリアは少女からぬいぐるみを取り上げる。
「返して欲しければ私についてらっしゃい!」
「ううっ、待ってぇ……!」
見ていた人間らはフローリアの横暴に腹を立てる。
小さな子にも容赦なくイタズラを仕掛けるフローリアの評判はさらに落ちた。
……
こんなこともあった。
ある老人が職場で定年を迎えたということで、大勢の後輩から花束を贈られていた。
フローリアはそれを見つけると、その老人から花束をサッと奪い取る。
当然、大騒ぎになる。
「何をなさるのです!?」取り巻きの一人が抗議する。
「美しい花は私にこそ相応しいのよ」
「ですが、それはこの方の定年祝いの花でして……」
「ふうん、まあいいわ。だったらありがたく受け取りなさい。私からの手向けよ」
フローリアは老人に花束を恩着せがましく返した。
もちろん、皆が「自分で奪っておいて何が受け取りなさいだ」と内心で苛立つ。
しかし、当の老人は一匹の蜂が遠くへ飛び去っていくのに気づいた。
……
エピソードはまだある。大通りの屋台にフローリアが顔を出す。
肉の串焼きを売っている屋台であった。
「一つちょうだいな」
「へい!」
屋台の主人は料金を受け取ると、誇らしげに串焼きを差し出す。味には自負があるようだ。
フローリアは食べ終わると――
「単調な味ね」
「へ?」
「こんなのすぐ飽きるわ。あなたのお顔と一緒。せめて店のカウンターにスパイスでも置いて、お客が好きなように味付けできるようにしておいたらいかがぁ?」
「ぐ、ぐぐ……!」
「それじゃあね。気が向いたらまた来るわ」
備え付けの缶に串を捨て、笑いながら去っていくフローリアを、屋台の主人は悔しそうに睨みつけた。
……
ある日、道端で野良犬におやつをあげようとする少年たちがいた。非常に微笑ましい光景である。
ところが、これを見かけたフローリアは少年たちに駆け寄り、
「何をしてるのッ!!!」
と怒鳴りつけた。
野良犬はそれに驚いて逃げていく。
怯える少年たちに、フローリアは眉間に力を込めながら言う。
「いい? “知らない”ということは罪なのよ! もっと犬について勉強なさい!」
突然怒鳴られ、少年らの中には泣き出す者もいた。
これを遠くから見ていた人々は「またあのお嬢様が子供を虐めている」と嘆息した。
***
伯爵家の令嬢エリアナ・ヴォルズ。あでやかなミディアムロングの赤髪で、自身でデザインした山吹色のドレスを着こなす、美しい令嬢である。
そんな彼女であるが、目を尖らせて悔しがっていた。
「くきーっ!」
あまりの悔しさにハンカチを噛む。
「イブル、来なさい!」
イブルと呼ばれた青年が、どこからともなく現れた。
「はっ、お嬢様」
黒髪で細く鋭い眼を持つ彼は、ヴォルズ家に仕える影、いわば工作員。今はエリアナの従者のような立場になっている。
エリアナはイブルにむき出しの感情をぶつける。
「私は悔しいのよ!」
「今時いるんですね。悔しくてハンカチ噛む人」
「うるさいわね!」
「で、何が悔しいんです?」
エリアナは腕を組む。
「あの女……フローリアのことよ!」
「ああ、お嬢様と同い年のご友人……」
「あんなの友人じゃないわ! 敵よ! 宿敵よ! ラスボスよ!」
「それでフローリア様がどうしました?」
「あの女、王太子のレナルド様と婚約したのよ!」
「存じております。お嬢様は誰とも交際していないのに、ずいぶん差をつけられましたね」
「うっさい!」
エリアナが再びハンカチを噛む。
「私はあの女を叩き潰さなきゃならないのに……! あの屈辱、忘れるもんですか!」
エリアナはフローリアとの一件を思い出す――
かつてエリアナはフローリアとこんなやり取りをしていた。
『エリアナさん、あなた、自分の服は自分で作ってるそうね。今着ているそのドレスもご自分の作品だとか』
『それが何か?』
フローリアはわずかに唇を吊り上げる。
『なんとも独創的で個性的なファッションだなぁ、と思って』
エリアナは目を見開く。
『なによそれ! バカにしてるの!?』
『褒めてるのよ、一応ね』
『一応ですって……』
『だけど、せっかくのファッションセンスも自分だけで独占してるのなら二流に過ぎない。どうせなら庶民の皆さんにもあなたのファッションを広めてあげたらいかが?』
『私のファッションが庶民的だっていうの!?』
『好きに解釈してちょうだい。まあ、あなたは自分のセンスを自分だけで楽しむのがお似合いかもね。ふふっ……』
フローリアの冷たい嘲笑はエリアナの脳裏にいつまでもこびりついた。
その後、エリアナは一念発起してファッションブランドを立ち上げる。
屈辱をバネに、庶民に私のセンスを見せつけてやるわ、と次々に商品を発表した。
すると――
「今やお嬢様の作る服は大人気になりましたね。『エリアナブランド』といえば、王国を代表する服飾ブランドとなりました」
「そうよ。私はあの女にバカにされた屈辱でここまで大きくなれたのよ! だけど、あいつ自身に屈辱を返せてないわ……!」
エリアナは憎悪に満ちた顔つきになる。
「しかし、どうやって返すのです?」
「私はね、あいつの趣味を一つ知ってるの。あいつ、どうやら毎日日記を書いてるらしいわ」
「ほう。確かお嬢様も日記を書いていましたが、三日坊主になっていましたね」
「一週間は続いたわよ!」
エリアナが話を戻す。
「あの性悪のことだから、日記には人の悪口がたくさん書いてあるに違いないわ。それを世間に公表したら、レナルド様もあいつの本性を知って婚約を破棄するはず! そうすれば私が王太子の夫人になれる!」
「凄いですね」
「我ながら凄い計画でしょう?」
「いえ、フローリア様が婚約破棄されたら今度は自分の番だという根拠のない自信が凄いなぁ、と」
「うっさいわね!」
エリアナはイブルを睨みつける。
「だからイブル、あなたはフローリアの部屋に忍び込んで、日記を盗んできなさい!」
イブルは小さくため息をつく。
「分かりました。ご命令とあらば仕方ありません」
「頼んだわよ!」
イブルはシュッと音を立ててその場から消えた。後にはわずかな空気の揺らぎだけが残る。
***
その日の夜には、イブルは日記帳を盗み出していた。
「これがフローリア様の日記帳です」
「あら、意外に装丁はなかなか可愛らしいわね」
「ええ、私も意外でした」
エリアナは日記を手に、ニヤリとする。
「だけど、この中にはあの女の悪意が充満している。我がヴォルズ家は出版事業もしていて印刷機もある。これを印刷して世間に広めれば、あいつは終わりよ!」
「中身を確認しますか?」
「他人の日記を読む趣味はないわ。読むまでもないしね。さあ、印刷を始めるわよ! 明日一番でばら撒くんだから!」
「今夜は徹夜になりそうだなぁ……」
イブルは深くため息をついた。
***
あくる日の午前、フローリアが暮らすメネス家の邸宅。
天気は晴れやかだが、自室でフローリアは青ざめていた。
(私の日記、どこに行ったのかしら……)
毎日欠かさずつけていた日記帳がどこにもない。
使用人にも命じて、家じゅうをくまなく探したが、見つからなかった。
もし誰かの手に渡っていたら……最悪の想像をしてしまう。
すると、壮年の執事が血相を変えて駆け込んできた。
「お嬢様! 大変でございます!」
「どうしたの?」
ただならぬ様子にフローリアは胸騒ぎがした。
「お嬢様の日記が印刷されて……街中でばら撒かれています!」
フローリアが大きく目を見開く。
「な、なんですって!?」
「使用人に命じて回収させていますが、枚数が多く、とても全部は不可能で……」
「あ、ああ……あああ……!」
フローリアは足元が崩れるような感覚を味わう。
(あの日記が世間に流出したら……私は……私は……!)
絶望のあまり、眼前が紅蓮に染まる。
(炎上してしまいますわ!!!)
***
街中では、イブルが命令通り、印刷したフローリアの日記をばら撒いていた。
黒い覆面をつけ、号外と言わんばかりの勢いである。
娯楽と話題に飢えている市民たちはもちろん食いつく。
「フローリア嬢の日記だって?」
「どうせ酷いこと書いてあるんだろ……」
「読んでみようぜ!」
日記を拾った人々は嬉々として中身を読む。
それこそ、悪意の塊のような文章だらけに違いない、と。
誰もが気になるその内容は――
『今日はいい天気。町を散歩したら、皆さんお元気そうで、私まで元気になってしまう』
『夜会に参加した。周囲は美しい人ばかりで緊張したけれど、とても素敵な経験ができた』
『待ちに待ったお茶会。主催のマリア様が淹れる紅茶はあまりに美味しくて、ついつい飲みすぎてしまった』
ところが、様子がおかしい。
皆が想像したような罵詈雑言だらけの日記ではない。
美しい字と明るい文章で、楽しい日々が綴られている。他人への悪口など一言も書かれていない。
「あ、あれ……?」
「これ本当にフローリア様の日記か?」
「読んでいるだけで心が洗われるよう……」
日記を読んで、靴磨きの少年が笑った。
「やっぱり、そうだったんだ……!」
『今日は靴磨きの少年と出会った。だけどお客はつかない様子。彼をいびれば、きっとみんな彼に注目してくれると思って私は罵声を浴びせかけた。腕前は素晴らしかったので、また来たいと思う。靴磨きは大変なお仕事だけど、どうか頑張って欲しいな』
熊のぬいぐるみを持つ少女は笑った。
「あの時のお姉ちゃん……!」
『破れた熊のぬいぐるみを持っている女の子を見かけた。手術すると言って、糸で縫ったらとても喜んでいた。可愛い女の子にはやっぱり可愛いぬいぐるみがお似合いだもの』
花束の件の老人も日記を読んでうなずく。
「ふうむ、やはりワシを助けてくれたのだな」
『あるおじいさんがもらっていた花束に蜂が潜んでいた。毒性の強い蜂だったので、私は花束を奪って、蜂を追い払う。だけどおじいさんには悪いことをしてしまった。心が痛む』
屋台の主人も日記を読み、全てに納得する。
『串焼きを売っている屋台の人にスパイスを置いた方がいいと言ってみた。余計なお世話だったかもしれないけど、その方が売れると思ったから。焼き加減は素晴らしかったので、あの屋台が繁盛してくれたら私も嬉しい』
「そうだ。あの後、アドバイス通りにスパイスを置いてから売り上げが倍増したんだ……」
野良犬におやつをあげ、怒鳴られた少年たちも日記を読む。
『子供たちが野良犬にチョコレートをあげようとしていた。犬にチョコレートは毒なので、慌てて阻止した。泣いてしまった子もいたけど、命に関わるのでやむをえない。犬を死なせてしまったら、結局悲しむのはあの子たちだから』
「あの時ぼくらはチョコレートをあげようとしたんだよな。だからお姉ちゃんは怒って……」
日記を通じて、フローリアの素顔が明らかになり、人々は彼女を見直すのだった。
***
フローリアは意を決して、日記がばら撒かれているという街中に出た。
人々の視線が一斉にフローリアに注がれる。
「あっ、フローリア様だ!」
普段はフローリアを煙たがっていた人々が一転、尊敬の眼差しを向ける。
フローリアはすでに日記が世間に広まっていることを察した。
「フローリア様、ビックリです!」
「本当はいい人だったんですね!」
「悪いふりをして、相手に恩を着せないよういいことをする。立派な心掛けだ!」
矢継ぎ早に賞賛を浴びせられ、フローリアの顔は真っ赤になった。
まるで、顔面が炎上してしまったかのように。
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
そして――逃げ出した。
スカートの裾をたくし上げ、逃げ去る彼女の足は速く、誰も追いつけなかった。
***
フローリアは走りながら思い返していた。
なぜ、彼女はわざわざ悪態をつきながら人に親切を施すのか――
まだ物心つくかつかないかぐらいの頃、フローリアは父親とともに王城に来ていた。
初めて訪れる王城はとても豪華で煌びやかで、子供ながらその迫力に圧倒されたことを覚えている。
しかし、トラブルが起こる。父親にくっついていたはずだったのだが、彼女は広い城内ではぐれてしまう。
幼いフローリアは心細さを感じつつも、気持ちをしっかりと持ち、父を求めて城内を歩き回った。
その最中、同い年ぐらいの子供を見かける。銀髪で青い目をした男の子だった。
彼はフローリアの前で転んでしまう。
「いたっ!」
少年は起き上がることができない。
「うえぇっ……! うええぇっ……!」
ついには泣き出す少年に、フローリアは優しく手を差し伸べた。
「だいじょうぶ?」
「う、うん……」
フローリアがにっこり笑うと、少年も泣き止み、無事起き上がることができた。
程なくして、少年の父親らしき身なりのいい紳士がやってくる。
紳士はフローリアに礼を言いつつ、少年を叱りつけた。
「転んだぐらいで泣きべそかいて、しかも女の子に助けてもらうなんて、みっともないぞ! そんなことでは立派な男になれんぞ!」
厳しい言葉に、少年はすっかり落ち込んでしまった。その沈んだ顔は今でも彼女の心に刻み込まれている。
フローリアはこれを自分のせいだと思った。
(あの子が怒られたのは、私が優しくしたせいだ)
この時のショックは、幼心に深く打ち込まれた。
以来、心優しい娘であるフローリアは、誰かに親切にするのが怖くなってしまう。もしまたその人が怒られたらどうしよう。かといって内に秘めた親切心を完全に消すこともできない。
そこでフローリアは“悪者”になることを思いついた。
例えば空腹の人にはそのまま食べ物を渡すのではなく、「貧乏人はこれでも食べなさい」と渡す。そうすればその人はフローリアという令嬢に侮辱された“被害者”となり、誰かから惨めだと憐れまれたり、怒られたりする恐れはなくなる。
(よーし、人に親切をする時は“悪者”になろう!)
これが、フローリアが現在の複雑な性格を形成するに至ったきっかけであり、原点ともいえる出来事であった。
***
夜が更け、フローリアは一人、公園にいた。
誰もいない公園でブランコを漕いでいる。
(どうしよう……)
フローリアはうつむいていた。
日記が盗まれ流出したことよりも、自分の本性が露わになってしまったことに落ち込んでいた。
表面上は悪ぶって、人に親切にしていたことが全て暴かれてしまった。
「見直しました」「いい人だったんですね」と人々は言うが、フローリアにとっては幼き日の過ちを償うために回りくどい行為をしているに過ぎない。
なので、その賞賛がかえって心に刺さる。私はそんな立派じゃないの、と言いたくなる。まるで詐欺師にでもなった気分だ。
彼女からすれば、悪事を暴露される以上のダメージだった。
(恥ずかしい……。このまま、消えてしまいたい……)
不意に、静かな足音が近づいてきた。
フローリアは顔を上げる。
そこには――
「やぁ」
レナルドがいた。白シャツに黒のスラックスというラフな出で立ち。
「レナルド様!? なぜ!? 護衛もつけずに……」
「君がいなくなったって聞いたからね。捜しちゃったよ」
口調は軽快だが、わずかに息が弾んでいる。
言葉とは裏腹に必死になって捜していたのだろう、というのが分かる。
「すみません……」
「みんな心配してるよ。さあ、帰ろう」
だが、フローリアは首を左右に振る。
「私、もう生きていけません!」
「……なぜ?」
「日記をみんなに読まれてしまいました。みんな、私をいい人だと言う。だけど、違うんです! 私はそんな立派じゃない! レナルド様も私を見直したかもしれないけど、それは違うんです! 私はまともに人に親切にする勇気もない、どうしようもない人間なんです!」
レナルドはこう返す。
「日記の件は知ってる。だけど僕は読んでないよ。他人の日記を読む趣味はないからね」
「!」
「僕はね、普段の君が好きだ。内面がどうとか、本当の君がどうとか、そんなことは関係ない。普段みんなに見せている君が好きだから、君に婚約を申し込んだんだ」
「レナルド様……」
レナルドは日記に関係なく、自分を愛してくれている。
皆に「本当はいい人」と見直されたことが辛かったフローリアにとっては、最もありがたい言葉だった。
その目から一筋の涙がつたう。
「君は“もう生きていけない”と言ったけど、僕がいてもダメ?」
「え……」
「僕は君を愛している。僕には君が必要だ。もし僕だけのために生きて欲しい……と言っても、ダメかい?」
フローリアはブランコから立ち上がろうとする。
そんな彼女にレナルドが手を差し伸べる。
「生きていけます!」
フローリアがその手を取ると、レナルドはその体を引き寄せる。
レナルドの胸に、フローリアの耳が触れる。
シャツを隔てて感じるレナルドの逞しい胸板や柔らかな鼓動は、フローリアに大きな安心感を与えてくれた。
(この人がいるのに、なぜ私は消え去ろうとしたのだろう。バカみたい)
にっこり笑って目を閉じるフローリアを見て、レナルドはつぶやく。
「やっと……やっとあの時助けてくれたお返しができた気がするよ」
フローリアは「何のことだろう」と思うが、抱擁が気持ちよく、聞き返すことはしなかった。
誰もいない公園で、二人はいつまでもいつまでも抱きしめ合った。
そして――
「私、これからはもう少し素直に生きてみたいと思います」
「うん、僕もそれが君にとって一番いい。そんな気がするよ」
にこやかに微笑むフローリアの顔は、重しが外されたように軽やかであった。
***
一方、エリアナはまたも悔しがっていた。
「くうううっ! イブル、どうしてくれるのよ! 日記を公表したら、フローリアの評判が下がるどころか爆上がりしちゃったじゃないのよぉ!」
「そんなこと言われても……」
「なんであなた、中身を確認せずばら撒いたのよ!」
「お嬢様がそう命令したんじゃないですか」
「その通りよぉ! 私のバカーッ!!!」
ハンカチを噛み千切らん勢いのエリアナに、イブルは呆れてしまう。
やがて落ち着いたエリアナがふと疑問を抱く。
「あ、そういえば、あの日記って私のことも書いてあるのかしら?」
「そうおっしゃると思ってお嬢様の名前が出ている部分を集めました。詳しくは読んでいませんのでご自分でどうぞ」
エリアナはしばらく躊躇したが、やはり好奇心には勝てず、日記のコピーを読み出す。
「どうせ私のことなんか、“ダサい異次元のファッションセンスを持つバカ令嬢”だとか書いてあるんでしょ……」
程なくして、エリアナの目から涙がこぼれる。
「お嬢様?」
「わ、わ、私はなんということを……!」
エリアナが震え出す。
「フローリアが私のことを……私のことをぉぉぉぉ……!」
思わずコピーの束を落とす。
その内容は――
『エリアナさんは美しく、とても類まれなファッションセンスを持っている。天才とはまさにあの人のこと。だけど、そのセンスを自分が着飾ることにしか使わないのがもったいなく思えてしまう。もしあの人がブランドを立ち上げたら、きっとこの国のファッションは一つ上のステージに行く。そんな気がしてならない』
『今日、思い切ってエリアナさんに庶民のためにブランドを立ち上げたらと提案してみた。だいぶ挑発的な物言いになってしまったけど、もし前向きに検討してくれたら嬉しいな』
『エリアナブランドの服を買った。どれも素敵で、あの人はやはり天才だと分かる。私にとってエリアナさんは憧れの人。これからも末永くお付き合いしていきたい。私がこんな性格だから、仲良くすることはできないけど……』
「うう……くおお……! くおおお……!」
「お嬢様、嗚咽が動物の鳴き声みたいになってますが」
「私はッ! あんないい子にッ!! なんていうことをッ!!!」
エリアナが叫び出す。さすがのイブルもこれには怯んだ。
「イブル、今すぐ謝りに行くわよ!」
「え、誰に?」
「決まってるでしょ! フローリア……いえ、フローリア様よ!」
「私もですか!?」
「あなたも実行犯でしょ! さあ、急いで! 許してもらえるわけがないけど、謝らなければ!」
エリアナは大事な試験に遅刻した学生のようなスピードで支度をし、イブルとともにフローリアの元に向かった。
***
穏やかな昼下がり、フローリアとレナルドは国立公園で散歩をしていた。
美しいレンガの道に青い芝生が広がり、デートにはもってこいのロケーションである。
「いいお天気ですね……」
目を細め、フローリアが心から安らかな笑みを浮かべる。
「うん、歩いているだけで心も体も癒されるようだ」
レナルドもにっこりと笑う。
そんな二人の前に、エリアナとイブルが現れた。
エリアナはワンピースのような白装束を着ている。まるで自分を罪人と罰するように。
「エリアナさん……!?」フローリアが目を丸くする。「どうしたの、そんな格好で!?」
「申し訳ございませんでした!!!」
エリアナは土下座した。
イブルも慌てて土下座する。
「どうしたの? 私、あなたに謝られるような心当たりは……」
「私なんです」
「え?」
「フローリア様、あなたの日記を盗み、世間に公表したのは私なんです!」
「そ、そうだったの」
この事実にフローリアは驚いたが、すでにエリアナの白装束や土下座で十分驚いていたので、そこまでの衝撃には至らなかった。
「私はあなたに嫉妬して、こんなバカな真似をしました。どんな罰でも受ける所存です。修道院にでも、鉱山にでも、牢獄にでも、いいえ処刑台にでも、好きなところに連れていって下さいませ……!」
「私も実行犯としてお嬢様に同道します」イブルも告げる。
しばしの沈黙。
まもなくフローリアはふっと微笑むと、エリアナに近づく。
しゃがみこみ、エリアナに目線を合わせる。
「顔を上げて、エリアナさん」
エリアナが恐る恐る顔を上げる。
「確かにあなたのしたことは、よくないことよ。でもおかげで今の私はこんなに晴れやかな気持ちになってるの!」
フローリアのあまりにも眩しい笑顔に、エリアナの胸もきゅんとなる。
「それにあなたを罪に問えば、今や海外にもファンがいる『エリアナブランド』も幕を閉じてしまう。それは人々のためにも、王国のためにもならないわ。だから、このことは水に流しましょう」
エリアナは赤子のような形相で大粒の涙を流した。
「フ、フローリアさまぁぁぁ……」
(エリアナさんからの様付け、どうも慣れないわね……)
フローリアはエリアナを立たせ、ハンカチを手渡す。
「さ、涙を拭いて。あなたのような才知溢れる令嬢に涙は似合わないわ」
「は、はいぃ……」
フローリアは日記を盗んだ二人を寛大に許し、ひとまず一件落着となった。
ただし、レナルドは厳しい顔つきで二人に釘を刺す。
「フローリアが許したのだから、僕から何かをするつもりはない。しかし、君たちの行いでフローリアは“消えてしまいたい”と願うほどに思い詰めた。このことはどうか肝に銘じておいて欲しい」
「はいっ! もちろんです!」エリアナは頭を下げる。
「私もお嬢様の共犯として、心を入れ替えます」イブルも神妙な顔つきになる。
「じゃあせっかくだから、この四人でお食事でもしましょうか」
「お、それもいいね」
フローリアの提案に、レナルドも乗り気になる。
「お供させて頂きますぅぅぅぅぅ!」
白装束姿で大はしゃぎするエリアナに、他の三人は苦笑するのだった。
***
日記騒動から一ヶ月後、フローリアとレナルドは盛大な結婚式を挙げた。
王子妃となったフローリアは、王城にて穏やかで幸せな日々を過ごしている。
夫婦の居室にて、レナルドが言う。
「今夜はランドルフ公爵との会食があるね」
「はい、楽しみです!」
エリアナはというと、フローリアの侍女になった。
「フローリア様、でしたら私の新作を着ていって下さい! 自信作ですわ!」
「ありがとう、エリアナさん」
エリアナの新作ドレスは、花の意匠をあしらった、鮮やかな青色のしっとりとしたドレス。
さっそく着替えると、自信作というだけあって、フローリアの美しさを大いに引き立ててくれた。
「まあ、素敵! さすがエリアナさんね!」
「いえ……」フローリアに見とれるエリアナ。
「エリアナさん?」
「あ、いえ、最高です!」
レナルドがエリアナに微笑みを送る。
「エリアナもすっかり侍女が板についてきたね」
「フローリア様にお仕えできて幸せです……」
フローリアが未だにエリアナの様付けに慣れていないのは内緒である。
そんな居室にイブルがノックとともに入ってくる。
「殿下、城下町に他国の間者が何人か潜んでいたので、とりあえず懲らしめて、牢獄にぶち込んでおきました」
「ありがとう」
イブルはレナルド直属の部下となり、間者や犯罪者のハントで大活躍している。
「あなた、結構優秀だったのね~」とエリアナ。
「元々私はこういうことが仕事ですので。お嬢様のせいでコソ泥みたいになっちゃいましたけど」イブルが呆れる。
そんな二人を見て、フローリアはニヤニヤと笑う。
「もしかしたら、二人もお似合いかもね。せっかくだし交際してみたら?」
「え~!? 私がイブルと!?」
「私がお嬢様と……!?」
見つめ合う二人。互いに赤面し、意外とまんざらでもなさそうである。
「ふふっ、見せつけてくれるね。じゃあ僕たちも負けていられないな」
レナルドの唇がフローリアの頬に優しく触れる。
「レナルド様……」
この瞬間フローリアは天にも昇る心地となった。
さて、この日の日記にはこう綴られている――
『今日はランドルフ公爵との会食。エリアナさんの作ってくれた服が大好評で、私はとても嬉しかった。イブルも間者を捕まえて大活躍。あの二人にはくっついて欲しいなぁ。そして、レナルド様は今日も素敵だった。このお方の妃になれた私はなんて幸せ者なんだろう。明日も王国が平和でありますように』
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。