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月は酒の肴か想い出か 3

「気のせいか…」


 この一か月、この人間とは随分いろんな話をした。

 魔王だの勇者だのの話をしたのは最初だけで、いつの間にか話題は真層界と人間界の文化の違いになっていた。

 ほとんど生活様式は変わらないと言うのに、中には信じがたい内容もあった。

 お互いに「嘘だ」と言いながらも話題は尽きない。


 エルフの村で同じ年ごろの娘と話すことはあったが、ここまで話しに興が乗ったことはなかった。

 カイルは軽口を叩くタイプだが、話術は巧妙なのかもしれない。

 どうでもいい話題まで先を聞きたくなってしまう。

 軽快なリズムで語られる話は、聞いていて飽きなかった。


 二人が一番のめり込んだ話題は武器と魔法の話というなんともロマンのない話だが、使えることは分かっていても学ぶ気のなかったカイルにリコはいくつも魔法を教えた。教えたと言うより、叩き込むと言う表現の方が正しいかもしれない。

 魔法に苦手意識のあるカイルは、それでも彼女の強引な教え方について行った。

 

 家臣は敢えて誰も口にしなかったが、一か月前までの主君と比べて明らかに柔和になった表情にどこか安堵した。


 気づけばリコは、家臣にも漏らさない胸中の不安をカイルにこぼしていた。

 三日ほど前「そろそろ戻ろうと思う」と告げた彼を想わず引き留めてしまったのはリコだ。

 普通の人間ならばとっくに死んでいるが、そこは勇者の体。彼の表情はまだ辛くは見えないような気がした。そう思いたかっただけかもしれないが。


 カイルが倒れたのはその矢先だった。

 引き留めた自分のせいだと思った。


 胸の動きを確認すると、横たわるカイルの傍に座ったままその顔を覗いた。

 カイルは何かとリコを可愛いとからかっていたが、リコがカイルの容姿に関して何か言うことは無かった。本当は粗削りだが悪くない造りだと思っていたが、そう言う事を口にするのは彼女には憚られた。


 魔力を吸い出すのは簡単。唇を合わせ数秒から十数秒、勝手に流れてくるのを待てばいい。

 そう、とても簡単な話だ。


「……っ」


 苦し気な呼吸が微かに乱れた。このままほっといてもどんどん苦しくなるだけだ。


 リコは二十三回目の決意を固めた。

 二十四回目の決意は必要なかった。


 西方の砂漠を越えた溶岩地帯の国に行った時のように顔も体も熱い。

 唇に柔らかな感触が残っているような気がして思わず手で押さえてしまった。

 カイルの様子を確認したいがまともに顔を見ることができなくてそっぽを向いた。

 さっきカイルの鼓動を確認した時、自分の鼓動は同じくらいの速さで動いていた。

 今は三倍近い動きをしているような気がする。苦しかった。

 なのになぜか、それが嫌じゃなかった。


 よそ見をしていた彼女は、カイルが体が軽くなったのを感じて目を開けたことには気づかなかった。


 カイルはうっすらとした意識の中、唇に何かあったかいものがあたった気がした。

 鼻孔をリコの髪から漂うミュゲのような香りが掠めた気もした。

 薄く開いた視界の先にあったのは、両手で口元を押さえ俯き、月灯りに照らされたリコの横顔だった。夕日に照らされているのかと思った。

 彼女が何をしたのか察したカイルはすぐに目を閉じる。

 そっぽを向いているのなら、きっと目が合うのは嫌だろうと思った。

 

 だから一瞬見た彼女の横顔は胸の中で反芻した。

 魔王でもなんでもない、ただ初心に恥じらう少女がそこにいた。

 十八歳の青年が恥じらいに赤くなり、動揺に瞳を潤ませる美しいエルフに落ちることなど簡単だろう。

 一か月の出来事が脳裏に蘇ればなおさらだ。

 その一か月で心がほとんど惹かれていたのだ。最後の一手は背中を軽く押したどころじゃない、突き落とされるような感覚だった。


 魔王の責務なんてほっとけとは言わない。

 でももう少し気を楽にした方がいいのにと思う。

 勇者が魔王と対だと言うのなら、カイルだって彼女と同じくらい深刻にならなけれないけないはずなのだ。


 もっと笑っていた方がきっと可愛い。いや、もっと笑っていて欲しい。

 孤独を感じているリコの理解者になれば笑ってくれるだろうか。


 勇者は魔王の孤独な重圧を半分肩代わりしてやることは出来ないのだろうか。

 そうして出来た余裕で、もっとリコの素直な感情を見たくなった。

 

 胸中にリコの赤い顔を抱いたままカイルは再び眠りに落ちると、翌日は動けるほどに回復し人間界へと帰って行った。

「未だに寄り添えた気はしないねえ」


 カラン、と音をたてて、グラスの氷が傾いた。

 少しだけ酔いを感じたカイルには、溶けた氷で薄まった酒がちょうど良く感じた。


「あー、またそんなに飲んで! 傷に触りますよ!」


 想い出に浸っていたらキャスと同じ指摘を風呂上りのフィルがしてきた。


「こんなの飲んだうちに入らねえよ」


「でもここに空っぽのボトルが一本あるんですけど」


「それは昨日のじゃないか」


「とぼけてると傷口突っつきますよ」


「お前を片手で相手にするくらい訳ないぞ?」


 フィルはカイルの横に来ると並んで座った。

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